七話

 結局、周囲の喧噪は放課後までずっと不愉快なままだった。

 早々に荷物を片付け、外靴に履き替えて校舎を出る。あまりにも道中のざわめきが鬱陶しくて、俺はいつもとは違う道で帰ることにした。


 高校から駅までの最短ルートではなく、そこから大きく外れる迂回路。いっそのこと隣の駅を目指そうかとも考えた。距離は遙かに遠くなるが、とにかく人通りのない道を行きたかった。確実に同校の生徒達が通る通学路など、もってのほかだ。

 やがて川にさしかかり、その流れに沿った道を行く。すると、土手に見覚えのある坊主頭を見かけた。


「何してんだ、おまえ」

「……あらら、見つかっちった」


 土手の斜面に腰を下ろしていた座間がぺろりと舌を出す。男子高校生の舌ペロなど拝みたくないからやめろ、とツッコむ気にはならなかった。

 俺の方にそんな気力がなかったことはもちろんだし、そんな茶目っ気たっぷりの仕草を見せたにもかかわらず座間からいつもの陽気さを感じなかったからだ。


 そういえば今日はこいつに絡まれなかった気がする。だとしたら余計に世界はもっと静かになっていたはずなのに、この感覚はいったいなんなのだろうか。

 ……とりあえず、今は自分のことを棚に上げておく。


「部活はどうした」

「やだなカッキー、高校球児だって毎日練習してるわけじゃないんだぜ? たまにはこうして羽を休めることも必要なのさ」

「ふぅん。そういうものか」


 俺は特に考えもなく、納得した風な相槌を打った。実際、運動部だった経験はないしそういうものなのかもしれない。

 けれど、どういうわけだか座間はばつが悪そうに頭をかきむしると呻きながら土手に寝転がった。


「あーあーそうですよー、座間球一くんはエースで四番のくせに練習をサボってますよー!」

「なに勝手に自白してんだよ」

「だってカッキーめちゃくちゃ怖い目してんだもん、そりゃ白状したくもなるって」


 どうやら、座間は俺の顔に非難の色を感じたらしい。だとしたら、それはとんだ勘違いである。


「そうか。サボりか」


 言いながら座間の隣に腰を下ろす。川面は照りつける陽光を反射して宝石のごとき輝きを放っていた。それがなんだか、異様に眩しく感じてしまう。


「……カッキー、どうした?」


 呼ばれて振り向けば、座間が目を丸くしてこちらを見ていた。


「らしくないぜ。練習サボってるなんて言ったら、めちゃくちゃボロクソに叩かれると思ってたのに」

「俺がそんな熱血キャラに見えるかよ」

「熱血、っていうか……」


 もごもごと言葉がまとまらない様子の座間を怪訝に思いながら、俺は言う。


「別にいいだろ。おまえが野球の練習をする必要がないって思うなら、ただそれだけの話だ」

「……ああ、そっか。カッキーはそういう感じなんだったな」


 何を納得したのか、座間は乾いたような笑い声を上げて、


「なんか、下手に責められるよりキツいかも」


 男二人、川縁に並んで寂しげな時を過ごす。やがて、意を決したように座間が俺の肩を叩いた。


「なあ、耳かき音声? っていうの、また聴かせてくれよ」

「どういう風の吹き回しだ」

「癒やし効果みたいのもあるんでしょ。俺いまめっちゃ癒やされたい、現実の女の子には相手にされないから架空の彼女で我慢する」

「他人の口から聞くとすげぇ悲しく聞こえるな……」


 呆れつつもヘッドホンを貸してやる。スマホで動画アプリを立ち上げ、ちょうどいいので部活の女子マネージャーに耳かきをしてもらうシチュエーションのものを再生することにした。

 ヘッドホンをつけて寝転がる座間の隣で、ひたすら空を見上げる。見渡す限りの快晴、世界は今日も俺の心とは無関係に、かつ円滑に巡っているらしい。

 数分後、ぷはっと水中から浮かび上がってきたみたいに息を吐き出して、座間が身を起こした。


「やべぇな、ヒーリング効果ぱないわこれ。今ならいくつでも三振取れる気がする」

「そうか。次の試合も頑張れよ」

「なーに応援してくれんのー? 嬉しいなー、このこのー」


 指で肩をつついてきた座間を睨みつける。


「まあ、曲がりなりにも観に行っちまったからな」


 言うと、座間の動きが止まった。少しやかましさを取り戻していた声から、また張りがなくなっていく。


「観に……来た……? 試合を?」

「ああ。ちょうど昨日」

「……そっか」


 すっかり意気消沈した座間につられて、俺も話すことがなくなる。

 再び横たわった沈黙は、またしても座間によって破られた。


「なあ、カッキーはどうして耳かき音声が好きになったんだ」

「またその話か。そんなの聞いてもしかたないだろ」

「教えてくれ」


 妙に強い語調に、一瞬だけ怯む。座間はまっすぐ、突き刺すような視線を俺に向けている。

 そこには他愛もない雑談の雰囲気はない。何かに縋りつくような必死さがある。


「……面白い話じゃないぞ」


 結局、俺はその圧に負けた。訥々と、昔のことを思い出しながら、言葉にしていく。

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