三話
「あついよー、カキタロー」
外に出ると、プリシアがうだうだと文句を言い出した。
「おまえの尊厳のためだ、我慢しろ」
プリシアには体操服の上からジャージを着させている。とても真夏の格好には見えず、町中ではチラチラとプリシアに視線を送ってくる人もいた。
だからといってあんな扇情的な格好で外出するのは風紀が乱れる。ここは耐え忍んでもらうしかない。
「帽子取るなよ。これ以上目立ちたくないから」
「はーい」
多少けだるげだがいい返事を聞き、ほっと息を吐き出す。プリシアの奇抜な色合いの髪はキャップを被せて隠している。それでも首筋のあたりには燦然と桃色が輝いているが、対策をしないよりはマシだろう。梨子のスニーカーのサイズがちょうどプリシアの足に合ったのだけが、不幸中の幸いだった。
最寄りの駅から電車に乗り込みしばらく、俺達は近場で一番大きなショッピングモールのある駅へと降り立つ。
駅前からずっとそわそわしていたプリシアは、ショッピングモールにつくとえらくはしゃぎだした。
「すっごいよカキタロー! いろんなお店がある!」
「そうだな。そういう場所だからな」
すげなく返事を済ませ、俺は足早に歩き出す。「カキタロー!」と半泣きで叫びながらプリシアもついてくる。
もっと優しくしてやれって? いやいや……これから訪れる苦境を前に、そんな精神的余裕はない。
やがて俺達は目的地へとたどり着く。その頃には俺の喉はカラカラに渇いていた。全部夏のせい、ではない。
彼女さえいたことのない、
俗に言う童貞の男子高校生が、
ランジェリーショップなどという魔窟を訪れて、
平静を保てるわけがないだろう。
「なんだか綺麗なのがいっぱい置いてあるよ!」
「そだねー」
興奮するプリシアに対して、俺は無表情だ。鏡を見るまでもなく表情筋が死滅しているのが自分でわかる。
確かに、俺は耳かき音声と一生を添い遂げる覚悟をしている。地方公務員になって適度な収入を得つつ慎ましやかに同人作品を買いあさる日々を熱望している。
しかし、人並みに性欲も羞恥心もあるのだ。こんなところ、今すぐUターンして立ち去りたいぐらいなのである。それが許されるなら苦労はしないのだが。
「とにかく、さっさと買ってさっさと出るぞ」
「うんっ」
いやに弾んだ声のプリシアを伴って店内へと踏み入る。まばらにいた女性客の視線がこちらを捉えた気がしたが、被害妄想だろう。ちょっと自意識過剰になってるだけだ、そうに違いない。
目的はプリシアに着せる下着である。とっとと購入してあからさまにアウェーな環境からはおさらばしたい。
「いらっしゃいませー」
ところがどっこい、明るい笑顔の店員さんがスススイーッと忍び寄ってきた。なに、下着屋さんってクノイチさんなの?
「彼氏さんですかー?」
「いや違います」
突然の問いに脊髄反射で答えてしまう。するとプリシアに脇腹を突かれた、だって彼氏じゃないし……。
っていうか何だ今の質問。ああ、男が店に入ってきたから探りでも入れてるのか? 女装趣味とか心が乙女男子とかもいるだろうに、俺は違うけど。
「……兄妹なんです。財布係兼ボディガードで」
「あー、そうなんですねー」
「サイズが合わなくなったみたいなんで、なんかこう、お願いします」
とりあえず適当にでっちあげた嘘でごまかすことにした。
店員さんも納得してくれたのか、プリシアに向き直って素敵な営業スマイルを浮かべてくれる。
「それじゃあ先にサイズ測ってみましょうか」
「おねがいしまーす」
試着スペースみたいなところへ移動して、俺は数歩離れたところで待つことにした。仕切りの向こうから店員さんとプリシアの声が聞こえてくる。
「……お客さん、す、すごいですね……」
「そうー?」
「サイズも形も弾力も……やだ、こんなの見たことない」
「ん、んんー?」
「ダメですよ、ちゃんと合った下着をつけないと! 形が崩れたらもったいなさすぎます!」
「ふわぁ!? くすぐったいー」
店員の力説が筒抜けなんだが。それだけでなくプリシアの甘ったるい吐息みたいのまで聞こえてきたんだが。どういう気持ちで佇んでいればいいのかわからん。
ただ瞑目して時が過ぎ去るのを待っていると、肩を叩かれて我に返る。妙に肌つやのよくなった店員さんと、どこかげっそりしたプリシアが立っていた。
「に、人間って怖いね……」
「何を言ってるんだ、おまえは」
「お兄さん、それではあちらでお会計いたしますね」
「あっ、はい」
いつの間にかカップ数の計測だけでなく下着も選び終えていたらしい。いったいどんなのを選んで……違う、断じて興味などない。
「ねえカキタロー、もうこれ脱いでもいい?」
プリシアがパタパタとジャージの首元から空気を送り込みながら尋ねてくる。
「そうだな、いいぞ」
「やったー!」
そう言ってプリシアがジャージのチャックをヘソのあたりまで下げたところで、俺は稲妻のごとき手さばきでチャックを上へと引き上げた。
「……もう少し待て」
「えぇー?」
プリシアは不満そうにぐずるが、しかたがない。
こんな夏場にジャージなんて着ていれば大量の汗を掻く。もはやそのままシャワーでも浴びてきたのか? という湿り具合だ。体操服が濡れたらどうなるかなど、考えるまでもない。
……ピンク色、だったな。
――――――――――――――――――――
一難去ってまた一難。しかし、今度のダンジョンはランジェリーショップに比べればよほど難易度が低い。
次に足を運んだのは女性向けの服屋だ。ほどよく客の入りがいいところを選んだので、外れということはないだろう。
つい先ほどまでブラジャーに囲まれていたことを思うと、もはや天国にいる気分だ。ドラゴンの巣窟からスライムしか出てこない始まりの町の近辺に戻ってきたような安心感がある。
「正直、女物の服など俺にはさっぱりわからん」
「うん」
「だから店員さんに聞いてテキトーに買ってこい」
「……あのさカキタロー」
「なんだよ」
「こんなに買ってもらっていいの?」
「いいかダメかで言ったらいいわけないだろう……」
正直言って頭が痛いし懐も痛い。俺はファミレスでアルバイトをしているが、シフトはかなり少なめに入れている。それは俺にとって金の使い道が耳かき音声の購入ぐらいしかないからだ。私服なんて親が買ってきたものをなんとなく着ているだけだし、こんな出費は完全に想定外なのだ。
そういう苦々しさが顔に出ていたのだろうか、プリシアはしょんぼりと下を向いてしまった。
「……大丈夫だよ、私、カキタローの服着てるのも意外と楽しいし」
プリシアはジャージの余り気味な袖をいじりながら言う。なんだ萌え袖か、そんな使い古された手が俺に通用するとでも思っているのか馬鹿者め。
そんなものは俺には効かない。効かない、が。
「変な遠慮をするな、らしくもない」
「むぅ、私そんなに図々しくないでしょー?」
「どうだか。とにかく、おまえは黙って俺の施しを受ければいいんだ」
「でもー……」
どうにも一歩を踏み出せないでいるプリシアの姿に、俺は思わず頭を掻いた。
「いいんだよ。これも全部耳かき音声のためだ」
「耳かき音声の?」
「ドラマ性、というかストーリー性の高い作品も多いからな。女の子とのデートをするパートを挟んでから奉仕してもらうとか。俺がそういう台本を作りたいと考えた時には今日の出来事を参考にする。だから、これはおまえに払う金じゃない、未来の俺への先行投資だ」
強引に結論づける。自己投資というワードのインテリ感と妙な迫力は異常だと思う。
だからというわけでもないのだろうが、プリシアもようやく納得したようだ。
「そっか。じゃあ、私も頑張るね!」
「おう」
何を頑張るのかは知らんが意気込んでいる奴にわざわざ水を差すこともないだろう。
俺はここでも物言わぬ添え物と化して、プリシアが買い物を済ませるのを待っていた。
ほどなくして、試着室からプリシアが姿を現す。
「どう、かな?」
「どう……」
と言われても、というのが正直な感想だった。
プリシアが着ているのは、白いシャツに紺色のゆるふわ膝丈スカートというなんだかどこかで見たことがあるような服装だ。決してダサくはないが、取り立ててオシャレかと問われれば答えに窮するレベルではある。無難というか、ありがちといった評価が正しいだろうか。
などとそれっぽいことを言っても、俺は女性のファッションに関してはてんでド素人だ。というか男性の服装でさえ良し悪しがよくわからない、オシャレって難しい。
プリシアの服は店員さんが選んだんだろうから、きっと今夏のトレンドはこれなんだろう。
……というか。
「だいたい何着ても似合うだろうから大丈夫だろ」
「うぇ」
なにその両生類の鳴き声みたいなの。
「これは、どういう感情……うーん?」
などとプリシアが迷宮に入り始めたので、勝手に会計を終えておく。買った服は当然そのまま着て行くので、脱いだ体操服を入れるために店員さんが紙袋を渡してくれた。さっきから接客のレベル高くない? 俺ファミレスでこんな有能じゃないよ……。
――――――――――――――――――――
真夏のジャージ地獄から解放されたプリシアの弾けっぷりときたら、すさまじいものがあった。
ゲーセンの電飾に吸い寄せられるわ、飲食店の食品サンプルは引き寄せられるわ、別に得意でもない太鼓の音ゲーに付き合わされるわ、もう大変である。喫茶店でパフェを頬張ったあたりで、俺の財布は夏を通り越して真冬に衣替えしていた。
「精霊も飯とか食うのな」
「こっちでは感情エネルギーがご飯代わりみたいなものだけどねー。向こうでは果物とか食べてたよ?」
だったらパフェとか食わなくてもよかったってことじゃないの? というツッコミは、生クリームに恍惚の表情を浮かべるプリシアを見たせいで自然と引っ込んでいた。
どっと疲労感が押し寄せてきたが、スマホで時刻を確認すればまだ昼過ぎといったところだ。
パフェのついでに昼飯も済ませたし、いよいよやることはやりきった気がする。これが普通のデートだと考えればまだ早い気もするが、やることがないならとっとと帰ろうかと考えていたところにプリシアが提案してくる。
「ねえカキタロー。私、野球が見てみたい!」
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