二話
「…………………………ごめん」
俺は虚空に向けて謝罪の言葉を発した。
そうだな。女友達とか連れてきた時にライトノベルあったら気まずくなるかもしれないよな。本棚には少女漫画を置いておくのが正しい、うん。
タイトルがどれもこれも兄がどうとか妹がどうとかそんな感じの奴ばかりなのは、あれだ。現実の兄二人があまりにもあんまりなオタクどもすぎてフィクションに逃げたくなったんだろう。俺達ふがいなさ過ぎない?
よく見れば奥の方にCDケースとかも入ってる。これはただの娯楽品収納箱だったということだ。何か深い意図があって隠しておいたわけではないと信じたい。
「にしたって、これはここじゃないだろ」
そう言いながら、俺は手前の方にあったあるものを手に取った。
俺の愛する耳かき棒である。ネット通販でも買える、シンプルながら品質のいいロングセラー商品だ。
耳かき棒はこんなところに仕舞うものではないと思うのだが、勝手にいじくるわけにもいかないのでそっと元に戻す。
さて、と別のケースを開き、
ガチャリ、ドアノブを回す音がして、
俺は腕の筋繊維が全て引きちぎれんばかりの速度でケースを閉めた。
「何してるの」
ほんの二秒程度、しかしとても貴重な二秒のインターバルで息を整え、首だけで振り返る。
そこには、死神が立っていた。
俺に社会的な死を告げる妹、美泉梨子が。
「何、してるの?」
梨子は抑揚のない無機質な声で繰り返した。
底なしの闇を湛えたような暗い瞳がこちらに向けられている。今まで戦ったどの怪人よりもよほど怖い。もうこいつがヒーローになればいいと思った。
しかし、俺こそが現役のヒーローだ。代わってくれるなら今すぐに代わってもらいたいが、そこは兄としての威厳もある。妹の部屋を漁っている時点で威厳も何もなかったな?
「れ、練習はどうしたんだ。ダメだぞ、サボったら」
「午後からだったの間違えてたの。待っててもすることないから帰ってきた」
「そ、そうか」
「で」
たった一文字で、梨子は問いかけてくる。
『で、私の気持ち悪い兄は妹の部屋に忍び込んでいったいどんな犯罪行為をしているの?』、と。
しかし、甘く見られては困るのだ。できる男はいかなる不測の事態にも対処する。優秀なヒーローであればなおのこと、座間とは違うのだ座間とは。
「……CDをな、返しにきたんだよ」
そう言って、俺はあらかじめ持ってきておいたフルクルのアルバムを差し出した。苦しい言い訳かもしれないが、あるのとないのとではまったく違うだろう。
「ふぅん」
梨子はとりあえずCDを受け取ってくれた。よし、これで後は期を見て部屋を立ち去るだけ、
「後ろに隠してるのはなに?」
――詰んだーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!
梨子の帰還に慌てた俺は、物色していたモノを仕舞うことができずにケースだけ押し込んでしまったのだ。ゆえに、俺の手元には戦利品、もとい梨子の服がある。
そんなものを持っているのがバレたら、ヤバい。なんかもう、いろいろヤバい。
もはや冷や汗が流れるというか全身が一粒の冷や汗になったような感覚だ。
梨子が後ろから身を乗り出してくる。万事休す、俺は意を決して手に持っていたそれを梨子の前へと突き出した。
「なに、これ」
それは、「必勝」と書かれたお守りだった。
「た、大会、勝ってるらしいじゃん。野球部で余ったのをもらってさ、俺が持っててもしょうがないし、って思って」
梨子は一瞬固まってから、恐る恐るといった風に「必勝」と書かれたお守りを手に取った。いやあの、べつにばっちくないからね? 今しがた俺の手汗で湿ったかもしれないけど。
ごまかせるかどうかでいえばギリギリのラインだが、そこは勢いでカバーするしかない。俺は梨子の視線がお守りに釘付けになっている間に、戦利品をシャツの下から脇の間へと潜り込ませた。
「そ、それじゃあ渡すものも渡したし! 試合がんばれよ!」
そう言い残し、シャツの膨らみを梨子に感づかれないようポジションを取りながら小走りで部屋を飛び出す。結局、最後まで梨子はこちらを見ようとせずお守りに視線を落としていた。
なんとか自室へと戻ると、プリシアがぱっと顔を輝かせた。
「おかえりカキタ」
「黙れバカ、梨子がいんだよ!」
小声で怒鳴るとプリシアは慌てて両手で口を塞ぐ。よし、少しは利口になったようだ。
俺は一呼吸ついてから脇に挟んでいた戦利品をシャツの下から取り出す。
それは、ブラジャーだった。
実の妹の、ブラジャーだった。
「かんっぜんにド変態じゃねぇかよぉ!」
決して大音量にはならないよう細心の注意を払いながら、しかし肺の中の全ての空気を押し出すようにして俺は慟哭した。膝から崩れ落ち、自分のどうしようもなさに打ちひしがれる。確かに、こんな兄がいたら架空の兄に逃げたくなる気持ちがよくわかる、俺ならそうする。
「だ、だいじょうぶ?」
「……ああ。ちょっと命を落としかけただけだ」
「大丈夫じゃないよね!?」
「人間ってのは大事なものに限って落としがちな生き物なんだよ」
俺は投げやり気味に妹のブラジャーを家族でもなんでもないよくわからん女に差し出した。
「いいから、とりあえずこれつけ……」
俺は最後まで言葉を続けることができなかった。
目の前できょとんと首を傾げているプリシアの胸には、さながら大国のごとき一目瞭然の戦闘力がある。対して梨子は発展途上(あくまで発展途上ということにしておく)の小国がせいぜいだ。
どう見積もっても、このブラじゃ足りない。
「俺は何のために戦ったんだろう……」
何も得られない戦いほど空しいものもない。そもそも俺が求めていたのはちょうどいい感じのワンピースだとかチュニックだとかであって、下着なんて考えすら及んでいなかったのである。たまたま手に取ったのがブラジャーだっただけだ、信じてほしい。
とにかく、これは時機を見計らって返しておくことにしよう。
「しかたない。とりあえず俺の体操着で我慢しろ」
「はーい」
そう指示すると、プリシアはいそいそと服を脱ぎだした。
……脱ぎだした?
「ばっかおまえ何してんだ!?」
慌てて背を向けながら叱責する。
「だって、着替えるんでしょ?」
「ふつうは男の前で着替えないんだよ羞恥心とかねぇのかそうだなおまえら感情が元々ないとかほざいてたな!」
「あー、ちょっとカキタローに裸を見られるのはいやだなぁって思ってたんだけど、これが恥ずかしいってやつなんだね! 恥辱? 陵辱? って言うんでしょ」
「ワードのチョイスがおかしいなぁ!?」
俺は決してプリシアの方を見ないようにしながら体操着を取り出して投げつけた。
しばらくして、プリシアが着替え終わったというので改めてそちらに目を向け、すぐに視線を下に落とす。
「どうしたの、カキタロー?」
「……はぁ」
もはや声を張り上げる気力すら湧かない。耳のあたりが熱くなるのを感じる。
まあ、そうだな。だいたい予想できたことだ。予想しなかったのは俺の怠慢でしかない
胸の大きな女性が、下着もつけずに体操着なんて着たら、大変なことになるだろうよ。
何とは言わないが、こう、浮いたりするよな……。
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