三章 座間球一は勝利したい
一話
晴れてヒーローの頭数が増えて数日が経過した。
あれだけ頻繁に姿を見せていた怪人は、すっかり鳴りを潜めていた。
肩すかしを食らったような気分ではあるが、それ自体は喜ばしいことだ。俺は学校からまっすぐ帰宅し、耳かき音声を堪能しながら予習復習宿題を済ませ、添い寝シチュ付きの耳かき音声を子守歌代わりに就寝する。そんな平穏に身を委ねていたのだが。
「ウタからも感情エネルギーをもらってるおかげで実体化できたみたい。元々カキタローから受け取ってたエネルギーもかなりの量だったし」
「おう、そうか」
相槌を打ちながら、俺はしげしげとプリシアを眺めた。俺達はいま、ベッドの上に正座で向かい合っている。どうも居心地のいい状態が見つからず、模索した結果これで落ち着いたのだ。
髪の色や服装といった、あちこち奇天烈な外見は今までと変わっていない。違うのは触ることができるというその一点だけ。
俺は唾を飲み込み、震える指先でプリシアに触れようと、
「どうしたの?」
「なんでもない」
俺は素早く指を引っ込めた。努めて冷静沈着な男を装う。
しかし、改めて見るとプリシアの姿は人間離れしている。人間でないという意味であればその通りなのだが。
そこらへんのモデルやアイドルなど比にならない。可愛い、美しい、綺麗、そういう汎用的な単語が霞んでしまう凄絶さがある。
いくら見た目がよかろうと、今までは触ることができなかった。まさしく雲を掴むようなもので、それがいかに素晴らしいものに見えようとも現実感が存在していなかった。
今は、正直持て余している。
「やっと実体化できたから遊んでたんだけど、そしたらカキタローが苦しそうにしてたから心配で」
「そ、そうか。すまないな」
軽く詫びた俺の頭に疑問が浮かぶ。
「……なんだ、遊んでたってのは」
「えっと。部屋の中を漁ってみたり、カキタローの上に乗ってみたり?」
「おまえのせいで寝苦しかっただけじゃないか! 俺の謝罪を返せ!」
肉体と一緒に頭の中身ももう少し詰め込んでほしいものである。
「ったく、どおりでいまさらあんな夢を見るわけだ……」
「夢? どんな夢を見たの?」
「おまえには関係のない話だ」
ぞんざいにあしらってから、俺は額に指を当てた。ずいぶん時間がかかってしまったが、プリシアが実体化したということは、これから起こるイベントは一つしかない。
そう、耳かきである。
「よし、プリシア。ようやくおまえも俺の役に立つ時が」
「ねえカキタロー」
「あん?」
話を遮られて思わず語気が荒くなる。けれどプリシアはそんなことはおかまいなしに、いつもの脳天気な口ぶりで、
「私と、デートしよ!」
「いやだ」
「えぇっ!?」
ほとんど反射で返事をしていた。前にも似たようなやりとりをした気がする。
「なんでー、デートしようよデート」
「おまえ、そもそもデートって何かわかって言ってるのか」
「遊ぶことじゃないの?」
「はぁーーーー」
俺は今までの人生で一番なのではないかというぐらいに長いため息を吐いた。
「デートっていうのはな、お互いを好きな奴らでやるもんなんだよ」
「私はカキタローの好きなところもあるよ」
「その言い方、嫌いなとこの方が多いやつだよな?」
結局、やたらデート意欲の高いプリシアに俺が根負けする形となった。今までヒーローとして戦ってきた時間を考えれば、少しぐらいご褒美タイムが遠ざかっても大差ないだろう。
ならばさっさとプリシアを満足させてやりたいところなのだが、大きな問題がある。
他でもない、プリシア自身だ。
髪の毛は帽子だのフードだので隠すにしても、このコスプレみたいな服装で町中を闊歩させるわけにはいかない。ここは秋葉原ではないのだ。
かといって、俺の手元に女物の服などない。
解決策はない……というわけでもなかった。残念ながら。
俺はそっと自室のドアを開け、そろりそろりと廊下を確認する。人影はない。人の気配もない。進路オールグリーン、レッツゴー。
抜き足で隣の部屋の前へと移動する。軽くノックをするが中からの返事はない。中には誰もいないようだ、事前情報の通りである。
それでも俺は万全を期して静かにドアを開ける。首から先だけ中に突っ込んでみるが、やはりそこはもぬけの殻だった。安心して部屋の中へと足を踏み入れる。
俺の妹、美泉梨子の部屋だ。
「まさか妹の部屋に侵入する日が来ようとは」
自嘲気味に呟く。肉親とはいえ女性の部屋に無断で入るなど、ほとんど犯罪である。だがしかたないのだ、妹よ許してほしい。
美泉家には二人の女性がいる。俺の母と妹の二人である。
女性モノの服が必要とあらば、そのどちらかから拝借するしかない。かといって正面切って「服貸してくれない?」などと言おうものなら、俺が耳かき音声どころか女装趣味にまで目覚めたと勘違いされてしまう。最悪、俺が女装して耳かき専門店で働く未来まで想像されかねない。誰かが好きで女装する分には勝手にしてくれればいいが、自分が好きでもないものを好きだと思い込まれるのは気分がよくないものだ。
真っ向勝負はできない。ならば裏から攻める。卑怯だと謗りを受けようともコソコソやるしかない。
ゆえに、俺はいま妹の部屋にいる。
梨子は今日、バレー部の練習に行っているはずだ。私服から漂う年齢感を考慮しても、母より妹を標的にするのは妥当な結論に思う。
早速、俺は部屋の物色に取りかかった。女にしては飾り気のない、よく言えばたいそう質素な広々とした部屋だ。ぬいぐるみだとかのファンシーなモノは存在しない。あるものといえば無地の抱き枕ぐらいだ、あれは完全に安眠グッズである。
家具も勉強机とベッドと本棚ぐらいしかない。本棚の大半は少女漫画だったが、ちらほらと受験の参考書なんかが見受けられる。まだ部活も引退していないのに受験勉強に精を出す、まったくできた妹である。
ぱっと見、衣服が置いてあるような気配はない。どうやらクローゼットの中にすべて収納してあるらしい。俺は満を持してその禁断の戸を開けた。
中には制服やジャージ、ウィンドブレーカーも含め多くの衣服が吊るされている。足下には衣装ケースが積まれており、下着類やズボンはそちらにありそうだ。
生唾を飲み、箱に手をかける。心臓が早鐘を打つ。寿命が縮むような思いだ、どれだけ生活に困窮しても泥棒にだけはなるまいと天に誓う。
俺は一思いにケースを手前に引いた――
――兄妹モノのライトノベルが平積みされていた。
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