十一話

 ハイトにはまた逃げられてしまったが、壊れた街も修復して一件落着――と締める前にもうひとつやるべきことがあった。


「精霊、ヒーロー、怪人……」


 昼休み、日に照りつけられた屋上に藍原の声が響く。


「おおむねいま話した通りだが、理解してくれただろうか」

「藍原さん、オッケー?」

「お、おっけー……」


 ヴェールと座間から立て続けに確認されて、藍原は気後れがちに頷いた。

 昨夜、藍原は全てを目撃してしまった。俺と座間がヒーローとして戦うところも、異形の怪人のことも、悪の精霊が自分を狙って怪人にしようとしていたことも。

 そこで、俺は作戦を変更した。知られてしまったならば、いっそ全部話してしまえばいい。多少展開が急になっただけのことである。


「それで、美泉くんは私に、ヒーロー、になってほしいの?」

「そういうことになるな」


 俺は弁当をつつきながら肯定した。


「藍原、おまえには素質がある。愛に生き、正義を貫くヒーローの素養が。俺はおまえなら、この世界を救うことができると思っている」

「カキタローはね、ヒーローをサボりたいから人手がほしいんだよ」


 サラッと暴露したプリシアを軽く睨む。さすがに慣れたもので、プリシアは動じることすらせずにへらと笑っていた。いやなんで笑ってんの。


「そ、そうなんだ」

「……ああそうだよ。俺はやりたくてヒーローをやってるわけじゃないからな」


 ならばと開き直って洗いざらいぶちまけることにした。


「そういうわけだ。いいんだぜ、別に誰かが強制するわけじゃない。やりたくなきゃ断れよ」

「こちらとしても無理強いするつもりはない。断るというのであれば、君の中から精霊に関する記憶を取り除くことになる」


 ただし、とヴェールは続ける。


「君がヒーローになってくれるというのであればこちらから見返りを提供することもできる」

「見返り?」


 首を傾げた藍原に、ヴェールが頷くような気配があった。ただの玉っころに首も頭もあった話ではない気もするが、そんな気配だ。


「プリシアから聞いたが、君は歌が上手くなりたいそうだな」

「っ」


 舌打ちしそうになるのを堪える。プリシアめ、余計なことを……。


 ――余計なこと?


 どうして俺は、それを余計なことだと思うのだろうか。


「私達精霊は人間の感情エネルギーを媒介とすることで、様々な奇跡を行使することができる。君の喉から誰もが聞き惚れるような歌声が奏でられるようにすることも可能だ」

「…………………………」


 藍原はしばらく俯いてから、顔を上げてヴェールを見た。


「私、ヒーロー、やってもいいよ」


 その返事に座間が飛び跳ねるように喜ぶ。俺も嬉しい。超嬉しい。これでサボれるのだから万々歳だ。文句ない、はずだ。


「でも、その見返り、は要らない」

「なに? ならば何を求めるというのだ」


 ヴェールが怪訝そうに聞き返すと、藍原は小さく首を横に振った。


「何も、いいです。助けてもらったから、恩返ししたいし」

「……だが」

「いいの。それに、歌は自分で、練習します」


 藍原の視線が、一瞬だけ俺を向いた気がした。


「それで、上手くなる」


 藍原の瞳に微かな、しかし確かな光が宿ったように見える。

 決意を固めた風なその表情を確認して、俺は小さくガッツポーズをしていることに気づいた。


「人間というのは、難解なものだな」

「そうだねー」


 頭でも抱えていそうなヴェールの言葉に応えるプリシアの声は、どこか弾んでいるように聞こえた。

 そして、一区切りついたとばかりに座間が手を鳴らす。


「よーっし、じゃあ藍原さんの加入を祝して決起集会しようぜ! ファミレスとか、カラオケとか!」

「おまえ、女子と出かけたいだけだろ」

「ちっげぇよ!? 藍原さん、違うからね!?」

「そもそも、おまえ今日も部活あんだろうが。真面目に練習しろ」

「ぬぁー、そうだった! せっかく女子と遊べると思ったのにー!」

「本音漏れてる漏れてる」

「……ふふっ」


 座間のやかましい声の合間に藍原のくすりともらす笑い声が聞こえる。

 近頃、ヘッドホンをつけて過ごす時間が減っている。誰かの声など耳かき音声を聞くのに邪魔だぐらいにしか思っていなかった。

 ただ、今は。


「そういうカッキーも実は残念なんだろ! そうなんだろ! そうだと言ってくれよぉー!」


 ……いや、うるさいものはいつまで経ってもうるさいな。


――――――――――――――――――――


 俺は教室に立っていた。窓から射し込む夕陽が、俺と少女の横顔を淡く照らしている。

 これは中学校の風景だ。目の前にいる彼女が中学の制服を着ているから。

 だから、これは夢だ。他愛もない、ただの夢なのだ。


「付き合ってください」


 そう言って、俺は頭を下げた。手に持ったバラを差し出しながら。

 告白しているのは確かに自分なのに、まるでつまらない映画でも観ているみたいに他人事のように感じる。それはこれが、とっくに過去の出来事でしかないから。

 今の俺には、もはや関係のないことだから。


「……ごめんなさい」


 彼女は小さく頭を下げると、そのままパタパタと上履きを踏みならしながら教室を出て行ってしまった。

 さして珍しくもない、初恋に浮かれて見事に玉砕した男の話。

 なんてことない、面白みもなければ意味もない、そんな話のはずなのに、


 こんなにも息苦しくなるのは、なぜだろうか。


 いつの間にか周囲は暗闇に包まれていて、さすがは夢だという支離滅裂さにむしろ安心する。それでも呼吸の重さは変わらない。

 酸素を求めてあえぐものの、俺の身体はみるみる沈んでいった。暗い暗い闇の底へと、呑み込まれていく。


「――ロー」


 誰かの声がした。必死に伸ばした手を、何かに掴まれた。


「――カキタロー」


 その声の主は――


――――――――――――――――――――


「カキタロー」


 微睡みの中で、俺を呼ぶ声がする。手のひらに、微かな温もりを感じる。


「……カーキーターロー」


 霧の向こうから聞こえてくるその声に歩み寄ろうとするように、俺はゆっくりと目蓋を持ち上げた。


「おはよ、カキタロー」

「プリ、シア」


 俺の手を取り、柔らかな微笑を浮かべて語りかけてきた彼女の名を呼んだ。

 アニメの世界から飛び出してきたかのような桃色の髪、彫刻かと見紛うほどに精巧な作りの顔立ち、絵画で見る天使が着ているような衣服はその豊かな乳房を強調している。

 容姿だけで言えば百点を余裕でオーバーするような精霊が、布団越しに俺に跨がっている。


 俺の上に、乗っている。


 その体重を感じることができる。


「おま……」


 言葉を失う俺に対してプリシアは、


「……えへへ、やっと触れた」


 はにかむように声を漏らした。

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