夏ゼリーと、気持ちを。

@minoru_617

第1話

しあわせな、4連休の3日目の朝。


明日は学校だなとか、あの高校までの冗談のような長い坂を登る準備しなくちゃとか、思わなくていいんだもの。

まじであの坂はきつい、暑い時だろうが寒い時だろうが。なぜそんな坂の上に建てたのか。建てた方にあなたはあの坂を登ってみたことあるんですかと一度伺ってみたいものだ。


だが、今日は休みだ。素晴らしい。

昨日まで降っていた雨は止んでるし、夏としてはそこまで暑くもなくて。

出かけるにはいい天気だろう。ただ一人で出掛けるなんてそんな元気と勇気はないが。



こんないい天気の心地いい日は、家にいるに限る。ゲームとスマホだ。

でも4連休明けの数学の単元テスト、どうしようか。昨日は勉強ひとつもしなかったし、さすがにそろそろしなければ連休明けの1時間目に絶望することになってしまう、きっと。


それにしても、条件付き確率は本当に理解できない。どんなに演習しても丸がつかない。馬鹿にしてんのか、いい加減に素直になりなと罵倒したくなってしまう。私の地頭の悪さを舐めないで欲しい。


今日はどうにかして条件付き確率をぶっ倒そう。そしてゲームだ。

そう今日の1日の予定を立てる。

もしやる気がどうしても出なかったら、エナジードリンクでも買って。


そろそろエナジードリンクを買いすぎて親と馴染みのコンビニ店員さんに心配される頃だろうな。

スマホを掴んで、電源を入れる。パッと光を放ったその青白い画面の時計は、13:14分と教えてくれる。


そっか、13:14分か。それじゃあ今から朝ご飯食べて、少しくらいアニメ見るくらい許され






ない。


は?

画面を見直す。そうすればまた13:14分と、昨日8時間も付き合った相棒は教えてくれて。

いちじ?


「もう正午…」

カラカラになった喉が、馬鹿みたいに寝たことを嫌でも主張した。



それなら話は違う、違くなるよ。

呆然とする間もないほど今日の半分を寝て過ごした喪失感は大きいものだった。

そんなに時間があれば他のこと、例えばこの足の踏み場のない部屋だって、掃除する気が起きたんじゃないか。なぜそんなに寝ることができる?


果てしない絶望感。

そんなとき、手に持ったスマホが、ピコンと通知を知らせる。

またスマホに向き直ると、中学生時代の同級生が会話アプリで今部活から帰った、と送られていた。


いや知るか、だから?と思う。卒業してからもずっとスマホ上で話しかけてくる奴は、正直言ってめんどくさい。

部活でしたかそうですか、大変でしたねー。


そんな嫌味な返しなんてしたらこっちがなぜか怒られてしまう。全く理不尽でめんどくさい。


悩んだ末、一旦見なかったことにして、私はスマホと財布を持ってコンビニへ向かった。



ピロリンといらっしゃいませが同時に耳に届く。

涼しい、いやむしろ外の温度差で風邪をひきそうなほど寒いコンビニ内を進む。


すぐ店に入ってエナジードリンクがあるこのコンビニはどうしても私向けとしか思えない。自意識過剰とでも言えばいい。それほどエナジードリンク愛好家の私にとってそれは良い商品配置だった。いつもありがとうございます。


でも今日はそれを素通りする。勉強のやる気はいつだってないに等しいが、今日は1時過ぎに起きたという罪悪感が、私のカフェインとなってくれるだろう。

だからエナジードリンクとは今日限りお別れだ。すまんな。けど明日にはすぐ私から求めるからよろしくな。



所持金は500円。さて。今は…パンより米の気分だ。そうと決まれば。

おにぎりコーナーへ向って鮭おにぎりを取ろうとする、が、既に正午過ぎ。おにぎり自体少なく、鮭おにぎりはそこになかった。

伸ばした手が行き場を失い、数秒うろうろしたのち、隣にいた工事現場にいそうなおじさんの視線を気にしながら、そっと手を下ろす。


なぜ、どうして。


鮭…。

早起きは三文のなんとやらというが、遅起きすると鮭おにぎりさえ食べられないのか。


しょうがない。


仕方なく、カップラーメンにしようとインスタントコーナーを目指す。

しかし、それより先にスイーツコーナーが目に入った。

正直言って、このコンビニはスイーツコーナーが充実していない。この微妙なパフェなんか、去年の冬も見た気がする。

まったくもって代わり映えのない。本当につまらない。


しかし、その日は違った。

ひとつだけ、目を引く。「夏」というような青い、涼しげで冷ややかな青いゼリー。

中にはパイナップルやさくらんぼ、白玉などありきたりな、だけど夏らしいものが沈んでいる。


ひとつ300円か、高いな。

かなり味とその見た目に自信がおありらしい。手にとって、眺めてみる。

きらきらと、海みたいに光る。反射してるのは灼熱の太陽ではなくどこにでもあるただの蛍光灯だが。


いつもなら、こんなものに手を出さない。300円なんて、そんな余裕あるんならアニメの推し君に貢ぐ資金にするか唐揚げを食べる。


だけど、その日はなぜか

ふいに、その夏ゼリーを手に入れたくなった。


…いやまてまて、らしくないぞ私。

普通に考えてみろ。


青いものは食欲を無くすもののはずだ、それにこんな子供騙しのゼリーなんてそんな美味しくないに決まってる。


「綺麗だから、つい買っちゃいました♡おいし〜!」なんてSNSになんか投稿しないし。


そうだ、こんなの私になんか似合わない_____





「ありがとうございましたー。」



早く帰らないと、ゼリーがぬるくなる。と、足早にコンビニから出る。

袋に入れてもらってないから、どうか、どうか知り合いに会いませんように。頼みますから。






「なんでそんなこと私に言うん」


「だって暇だし」


「おまえが暇だからって私は暇じゃないよ」


「部活疲れた高校のせんぱいきらい」


「スルーやめろ」


結局家にあった冷凍食品で遅めの昼ごはんを済ませ、机に高校生お馴染み数学Aの教科書、ノートを広げて勉強する…フリをして奴からの言葉へ適当に返信していた。

ちなみに、条件付き確率は未だ心を開いてくれない。全然、振り向いてくれない。

ほんっとに、イライラする。こんなにも一生懸命向き合ってんじゃんか。


努力してんのにさー。


「今勉強してんのあとにして」


「そんなんやめろ」


「数学の単元テスト悪かったらシャレにならないんだけど!」


「それに」


「スマホ取られたらおまえと話せなくなるよー」


「私以外話せる女なんていないくせに」


奴が返信する間ももたせず言葉を連射する。


はい決まった。

こう言えば、奴は絶対黙り込む。日常的に彼女欲しい彼女欲しいと呟いてるし。勝ったな。さぁ、早くわかったと言え。





私と話せなくなったら、嫌だって言え。



だけど、そんな甘い、生ぬるい言葉は帰ってこなかった。





「いや、それが最近彼女できたんだよね」






心臓が、止まった気がした。




「見て!俺の彼女!」


【写真が送信されました】


「めっちゃかわいいの!」


「もう手も繋いだし」


「キスもしたし」


「お前にしか言わないけど、もう3回も__」


バタン




いや、バタンは違うかな。もっと、ドンというかバンというか、壊れるくらいスマホを叩きつけた音としてふさわしい音はこんなんじゃないか。


だけど、一瞬見えた「セ」から始まる単語をもう見たくなかった。



あぁ。くそ。


ピコン


そんな前触れもなく、やめてよ。


ピコン


今まで連絡取ってた時間はなんだったわけ?

そのせいで悪くなった視力は?

少し思わせぶりなお前の言葉に機嫌良くした今までの私はどうするわけ?


ピコンピコン


やめてよ、しゃべんな、


だけど私はゆっくり、スマホとまた向かいあう。


見たくなかった言葉はもう奴の「おーい」とか「どした?」とかそういう言葉で画面から消えてくれてて。


でもこちらを心配する言葉のおかげでそれが消えたことにまた心臓が痛くなった。


もう、もうやだなぁ。嫌だ嫌だ。しんどい、あーあ。はぁ。


次々出てくる言葉に胸が締め付けられていく。



だけど私は、震える手で言葉を紡いだ。


「よかったじゃんか」


「ただちょっとそれははやいんじゃない」


「えーそう?」


「あ、彼女が電話したがってる」


「じゃあな」


「お前も恋愛くらいしろよ」



いや恋愛してたし。


今お前に強制終了させられたんですけど。



あまりにも、無責任じゃないですか?

ホームボタンをタップすると、手がまだ震えていたせいか、間違えておしゃべりAIが起動する。


『ご用件は何でしょう?』




あぁ、お前だけは私のことわかろうとしてくれるのね。優しいね。

いっそAIみたいに無機質になれたら、って思ったけど。

お前にわかるわけないから、放っててください。






結局、条件付き確率は夕飯になるまで私と良き仲になることはなかった。


条件付き確率、お前もか。


ご飯を食べて、すぐ風呂に向かう。


ぱっとシャワーを浴び、安いボディソープとシャンプーで体を洗う。

コンディショナーをつけるのも、めんどくさい。


シャワーだけで済ませてしまう女子力のない自分が好きであり、嫌いだった。



女子力、か。


女子力ねぇ。



今回がはじめての失恋ではない。これで3戦3連敗目だ。

これまでも好きな人が自分の中ではっきりすれば自分なりに努力した。


おやつを我慢し、ランニングしたり、アトピーで赤くなる関節にきつめの薬を塗って、掻くのを我慢して。

もちろんお風呂だって、きちんとお湯に浸かってさ。良いコンディショナー使って、良い香りのボディソープ使って、脇毛も剃っちゃって。


だけど、失恋したり恋愛に興味の薄れる時期は酷いもんだった。

おやつは好きなだけ食べ、だらだらし、汗の滲んで痒くなった関節はぼりぼりと掻く。

シャワーを浴びるのもめんどくさくて、コンディショナーも使わない、髪の毛もドライヤーで乾かさない。脇毛は伸び放題。

いまだってそうだ。



いや、脇毛は昨日剃った。だから今はつるつるだ。いまなら誰だって見せれる。自分から「見て!」なんて言ったら暑さで頭やられたと思われるけど。




それにしても私極端な性格してるな、としみじみ思う。


洗面所の鏡はいつだってメガネでぽっちゃりの平凡で冴えない私の顔を映すのに。

努力してるときとしてないときは、自分は変わったように、まぁ3割増しくらいは可愛くまともに見えるのに。

きっと奴から見る私はひとつも変わらなかったのだろう。



いやでも、写真の中の奴の彼女とやらもそんなに可愛いことはなかったはずだ。二重ではなかったし、すごくスタイルが良さそうにも見えない。どちらかというとポッチャリしてメガネもかけて。

もし奴の彼女と知らないなら仲良くなれそうな見た目をしてるのに。なんだか奴の彼女というレッテルがどうしても彼女を憎く思わせる。




そんな!決して嫉妬ではない。

そんな嫌なものやらない、したくない。






じゃあ、何が彼女と私で違ったのだろうか。






着替え終わって脱衣所から出た。


「あ、このゼリーあんたの?」

風呂から出てきた私を見て、お母さんが机に出された青い夏ゼリーを指差す。

「そうだけど。」

「今日食べないと。そういうもんって賞味期限早いでしょ」


そういうものなのだろうか。


「うん、わかった」


曖昧に返事して、それを掴む。

そしてお風呂セット、畳まれた洗濯物、スマホ、そして夏ゼリーを部屋へ連れて行った。


ドアを開けたら、今朝と変わらない足場のない部屋。


「………」



明日、明日絶対片付けようね、自分。


とりあえず私はこれらを飛び越えて机に向かう。



ベッドにスマホと夏ゼリー以外を投げた。

机には夏ゼリーを置いて。

そしてスマホは動画サイトを開く。


一覧にあるのは、なぜか明るい動画やしょーもない動画ばかりで。


あなたへのおすすめ、もうちょっと人の気分読んでくださいって。


とりあえずその中から夏ゼリーのお供を見定める。

やる気のない脳内での選考の末、関西芸人のコント動画が優勝した。


ゼリーの蓋をぱかりと開けて。





準備完了


「…いただきます」


お疲れ様自分。どんまい自分。


カップに触れるとひんやりとしていた。そりゃそうだ。あれから完全にこいつを食べる気力がなかったし、ずいぶん長い時間こいつは冷蔵庫に閉じ込められていたし。


コントをちらちら見ながら、プラスチックスプーンをゼリーに優しく突き刺そうとする。


あ、




その時。ふと、素晴らしいアイデアが頭に広がった。



でもこれ、意外とけっこう勇気いるんじゃない?

だってこんな綺麗な、大切にしたいくらいよ。防腐剤入れてオブジェにしたいくらいよ。本当は。




でも、今日は当たるまえに砕け散った自分に免じて。



私はすぅっと息を思い切り吸う。

そして浅く突き刺したスプーンを深く深く、思い切り力を入れて突き刺した。



柔らかいゼリーがぐにりと抵抗する素振りを見せるが、私に敵うわけない。

スプーンはゼリーの中を突き進む。



中に沈んでいたパイナップルが、さくり。



カップ越しに机にスプーンが当たって、どすり。


スプーンをもう一度素早く上に引く、そして今度はカップとゼリーの接着面にスプーンを深く差し込み、そのままゼリーをひっくり返した。


白玉が、さくらんぼにぶつかって。


あとはもう、ぐちゃぐちゃに、好きなだけ、気の済むまで縦にスプーンを振り下ろす。


綺麗な海の中に宝物のように沈んでいた果物も、白玉も可哀想に、全部細かく乱雑に刻まれていく。


私の、手によって。




私は性悪だろうか。




だけどこんな風に、こんなふうに奴だって私の綺麗にしまっていたものを潰していったのだ。

遠慮なく、手加減なしに。


私はきちんと自覚がある。ちゃんとこの夏ゼリーはいま私が潰している。だから責任持って私が全部食べてやる。


だけど奴の方が自覚なしで私の何倍も性悪野郎だと思う。ほんとに質が悪い。責任なんて知ったこっちゃなくて、潰すだけ潰して、あとは知らんぷりできるから、ほんとに良いよね、よかったね。

私の不味い気持ちは食べなくていいものね。



聞いていたコントもサビを迎える。

なんだ、この芸人、けっこう笑えるじゃないか。なかなかやりおる。


「ふふ、あははっ」


うわ、ほんとに面白い。話術が巧み、ツッコミも言葉選びも完璧じゃない?

すごいね君ら、面白いよ。まじで。




てかこの芸人、ちょっと奴に似てる。


「へへ、んはははっ、へへへ」


笑っているうちに、もうゼリーとはいえないくらい細かくなったものにスプーンを突き立てるうちに、なんだか目の前がだんだんぼやけてきた。



涙だ。



ぼろぼろと、涙はアホみたいに出てくる。 

メガネの縁にたまっていって、それは決壊したようにぽたりと机に落ちた。


ほんとに、笑いが止まらない。



くそ、くそ、くそ。




笑いながら泣く自分がバカみたいで面白くて。


ほんとにほんとに、おかしくてたまらないや。


「あはははは、…っ、もう、ふふ、あははははっ…!」


まだ私はゼリーにスプーンを突き立てる。

もうぐちゃぐちゃだ、なにもかも。


もうコントは何してるかさっぱりわからない。わからないから、天井を仰いでずっと引き笑いしていた。


「ひーっ、…ひひっー、」




この引き笑いだって、奴のために封印してたのに。



本当は、わかっていたのだ。私はこんな夏ゼリーみたいに潰されても黙っていることはない。


せめて、ほんの少しだけ声を上げて、奴にやめてと抵抗したら、反撃してやったら奇跡が起きてたかもしれなかったのに!


悲しかったって。




好きだったよって!


「あはっ、ひーっ、ひーっ、…っ」



奴に潰されて痛いんですけど、って言えばよかったのに。



「どうも、ありがとうございました〜!」

コントが終わったらしい。



天井を仰ぐのをやめ、ふと夏ゼリーに目をやった。

あんなにスプーンを突き立てたのに、なんとさくらんぼだけは無傷だった。

綺麗な赤くぷっくりとした球体は、カップの端っこに避難している。


なんでよ、もう。

なんでこんなに潔くないんだ。


私はさくらんぼにスプーンの先を合わせる。


ちゃんと見てるから、気づいてるから。

あんたは逃げられないんだよ。


今から突き立てるね。もうここまでぐちゃぐちゃなら。





だけど。

ふと静止した動画のサムネの中の、奴に似た芸人が目に止まった。


すごく、アホみたいに



心から楽しそうで。





あーあ。


私はゆっくりスプーンを下ろして、傷つけないようにさくらんぼを夏ゼリーといっしょにすくった。


いろんな角度から、生き残ったさくらんぼを眺める。


青いゼラチンの中に、色を弾けさせる赤い実。


こんなにぐちゃぐちゃにしたのに、残るなんて。




そんなに、生き残りたかったのかな。


まだまだ捨てたもんじゃないってことかな。


スプーンを口に運んで、勢いよくパクッと咥える。


それはやっぱり、普通のさくらんぼの味だし、夏ゼリーも夏味なんて素敵な味はしない。

未だ潰された心の箇所はズキズキ痛いし、条件付き確率にも振られそうだけど。








ぐちゃぐちゃになった夏ゼリーは、これもまた綺麗だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏ゼリーと、気持ちを。 @minoru_617

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ