第18話:黄泉と現世を隔てる川は、彼女と縁を結んでぐるぐるぐるぐると廻り続けた。
目が覚めたのは夜中だった。翠は目は眠ったままであり、近くでは美海も寝息を立てていた。縁側から月明かりが部屋に差し込んでおり、空気中に舞っている埃がキラキラと光っていた。体を起こして近くの壁にもたれながら立ち上がる。翠達を起こさない様に本棚へと近寄るとそこから資料をいくつか持ち出し、縁側へと向かった。
月明かりの下に座ると資料を開いた。今まで日奉一族によって封印されてきた怪異や妖怪、超常存在などが記録されており、どこを探しても不老不死にまつわる記述は無かった。
八百比丘尼の伝承は有名だ。縁が思い出してくれた魚を食べた話とも一致する部分がある。だがこの資料にはどこにもそんな記録は残っていない。人魚自体が完全に伝説の存在なのか、それともまだ見つけていないだけなのか。
ページを捲っていくと忌み数に関する記録が見つかった。資料によるとそれぞれの国の語呂合わせによって、いくらでも忌み数は作れるらしい。日本では4や9が有名だが、やり方次第では他にも作れるとの事だった。縁のあれが単に偶然の連鎖によって起こったものなのか、それとも彼女自身も知らない思惑があって発生したものなのかはまだ分からなかった。
「……」
月を見上げる。
かぐや姫が翁に渡した不老不死の薬は元々月で作られたものであると『竹取物語』には書かれていた。その薬は紆余曲折を経て、富士山の山頂で焼かれてしまった。もし月に不老不死の何かがあるのだとしたら、それも彼女に影響している可能性がある。もちろん、御伽噺だと言ってしまえばそれまでの話ではあるが。
縁の人生には3か9が絡んでいる。生まれた日にも死んだ日にも3が絡み、彼女の年齢は9に固定されている。だが本当にそれだけなのだろうか? もし彼女が食べた魚が人魚じゃなかったとしたら、不老はまた別の力が関与している可能性がある。不死は忌み数によるものだろう。人魚は関係無いとした場合、不老の力はどこから来ているのだろうか。
目を閉じてそよ風を受けながら考えを巡らせた。
「みやちゃん」
ハッと気が付くと空は青色に染まっており、天には太陽が昇っていた。どうやら色々と考えている最中にまた眠ってしまったらしく、庭に座っている美海がこちらを見上げていた。後ろに振り向くと翠が居た。
「あ、起きたんだね」
「あ、ああ……おはよう」
「うん、おはよう。それでね、みやちゃん……」
「縁の事か?」
「うん……やっぱり、何とか出来ないかなって……」
「……アタシも出来れば元の体に戻してやりたい。でも他に考えが浮かばない以上は、紫苑に頼るしかない」
「そっか……」
翠の目には迷いが見えた。出来る限り他人を救いたいと考えている彼女にとっては、不死身の縁もその対象なのだろう。しかし本人が死ぬ事も選択肢に入れている以上は、それを否定する訳にはいかなかった。中途半端を嫌がっている彼女からすれば、生者でもない死者でもない今の状態は、彼女にとっては地獄なのだろう。だとするなら、そこから解放するのも自分達の仕事だ。人道的に許される事ではないかもしれないが、不老不死の体現者である彼女をどうにかするにはそれしかない。
「……翠、ごめん」
「う、ううん。みやちゃんは悪くないよ……! 私も正直、他にいい方法が浮かんでないし……」
「どの資料や文献を見ても、不老不死になる方法は載っていても、その逆は無い。効果は不可逆なのかもしれねェ」
「そう、だね。……もう、行く?」
「ああ……」
食事も摂らずに家を出て山を下ると、昨日と同じ場所に縁は居た。やはり血の気の無い顔色をしており、生気の無い瞳をしていた。
「よお」
「ん」
「多分まだ来てねェが、知り合いが駅から来る。アイツなら君を救えるかもしれねェ」
「そう。じゃあ待ってるよ」
「ね、ねぇ……一緒に駅まで行かない?」
「別にいい。昨日も言ったけど、仲良くするつもりはないから」
「な、仲良くしてくれなくていいよ! でも本当に今日が最後になっちゃうかもしれないんだよ!? ご飯食べたり、もう一度町を見たりとかしなくていいの……?」
縁は町の方を向く。
「……もう嫌ってくらい見たよ。私の同級生は大人になった。子供が生まれた子も居る。私の担任は新しい子供が出来てた。皆、皆……私の事なんて気にもしないでのうのうと生きてる。昔いじめた人間の事なんて忘れ去って。隠蔽した事件の事なんて忘れ去って。こうなった私の事なんて知りもしないで」
「……そ、それは……」
「人は死んだら消えるの。普通はそう。でも私はずっとこの姿のまま。もし死ねるんならお母さんも引きずり込んでやりたかった。もし死ねたならあいつらも道連れにしてやりたかった。でもそれも出来ない。成長出来ない子供の私じゃ何も出来ない。あいつらは私を見ても会った事がない子供相手みたいに振舞う。気持ち悪い偽善じみた笑顔を向けて」
「もういい。もうやめろ。……君に何があったのかは聞かねェ。でももう恨むのはよせ。最後くらいは綺麗で居ろ」
「……」
「悪いが一緒に来てもらう。もしかしたら元に戻す他の方法が見つかるかもしれねェしな」
そう言うと縁の返事は待たずに歩き出した。翠は縁の背を押す様にして一緒に来る様に促した。表情は何も動かなかったため、彼女が何を感じたのかは分からなかったが、黙って付いてきてくれた。
駅へと到着すると人々でごった返していた。丁度通勤通学時間と重なってしまったらしく、色々な年代の人が歩いていた。
「君がそうなる前から、この町はこんな感じだったのか?」
「……そんな事聞いて何になるの」
「アタシらよりも君の方が年上だろ? それにこの町に来たのは数年前なんだ。どうだったのかと思ってよ」
「……ここは何も変わらないよ。昔から同じ。妙な雰囲気が漂ってて、嫌な奴ばっかり住んでる町。この世のものじゃない匂いがする町」
「霊感とかあるのか?」
「さあ。知らないしどうでもいい。あの世があろうと無かろうと、私には関係無いから。私は死んだら無になる。何も感じない無に」
あの世があるのかどうか、昔姉さんに聞いた事があった。姉さんは正しい事をしていれば必ず天国に行けると言っていた。しかしそれが事実なのかは分からない。きっと死ななければ分からないのだろう。地獄だとか極楽だとかの図はどれも想像で描かれたものだ。縁にも誰にも分らない事だ。
「……趣味とかはあったのか?」
「それ聞いて何になるの」
「アタシらは君みたいな存在について記録も残してる。だからだよ」
「……残さなくていいよ。どうせ意味無い」
「わ、私は知りたいよ」
「…………元々、死の世界に興味があった。ベクシンスキーとか、そういうのが好きだった」
ベクシンスキーは確か画家だった筈だ。退廃的、終末的な雰囲気を感じさせる絵を描くのが特徴の人物だった。中にはその不気味さから、見たら呪われる絵だとか言われたりもする、そんな絵を描く人物だった。
「あの人が描く世界はどれも綺麗だった。どんな生き物も絶対に逃げられない死や終わりを表現してた。皆死ねば終わる。それが世界の
「そ、そんな画家さんがいるんだね」
「お母さんやクラスの皆は何て言ってたか分かる?」
「……予想はつくな」
「気持ち悪い、不気味、変人、ゴミ、クソ、カス。他にもあった。そんなにおかしい事なの? いつかはやってくる事なのに」
人はいつかは死ぬ。彼女はベクシンスキーの絵にあるそういった退廃的美しさに魅了されたのだろう。彼の事を話す彼女は、少しだけ楽しそうに見えた。しかし世間一般的に見れば、そういった絵は気持ち悪いと見られる事が多い。そういったものが好きな子はイジメの標的になりやすいのだろう。
「ベクシンスキーは殺された。私はそれが嫌だった。あのままイジメが続けば、いつか殺されると思った。お母さんも教師も……皆と同じだった。だから見せてやろうと思ったの。皆の前で、私の命が散るのを」
「えっ……じゃ、じゃあ最初に自殺した理由って……」
「ん……見せつけるため、命が終わる儚さ、命が終わる美しさ、終焉っていうのが何なのかを」
「だが失敗した」
「肺に息が入った。折れた足が治った。飛び出した血が戻って来た。グラウンドに居た皆は困惑してるみたいだった。後から知ったけど、あの時私は幽霊になって見えなくなってた。結局失敗した」
「……大変だったな」
「ん。死ねれば良かったのにね。そうすれば苦しみから解放されたのに」
彼女が人生でどれだけの目に遭ったのかは想像も出来なかった。学校にも家にも居場所が無かった彼女は、ベクシンスキーが描く終末の世界に救いを見出した。死ぬ事こそが救済であり、死こそが最も美しいものだと信じた。そんな思想の彼女が、永遠の命を持ってしまったというのはあまりにも惨い現実だった。
「……話過ぎた。忘れて」
「……忘れねェよ」
「私も、忘れないよ。それがゆか……あなたが生きた証だもん」
「……人生に意味なんて無いのに」
しばらく待っていると駅の中から紫苑が出てきた。最初はキョロキョロとしていたが、すぐにこちらを見付けると若干苛立った様子で歩いてきた。目の前で立ち止まると、一度縁の方を一瞥した。
「来たけど」
「悪いな。彼女がそうだ」
紫苑は縁の前に立つと屈んで視線を合わせた。
「名前は?」
「そんな事どうでもいいでしょ。私を殺してくれるんでしょ」
「どうでも良くない」
紫苑の声はいつもの彼女からは考えられない程に穏やかだった。その声色は妹に話しかける姉のものだった。
「あたしは紫苑。話に聞いてるよ。不老不死なんだって」
「ん、そう。死にたいのに死ねない。何やっても同じ」
「……名前を聞かせて」
「……黄泉川縁。これでいいでしょ。早くやって」
紫苑は立ち上がると睨む様にこちらを見た。
「ここじゃ無理」
「ああ。家でやるか?」
「クソ雅と折り紙翠のとこに行くのは正直癪だけど。それが一番いいんじゃない」
「ご、ごめんねしーちゃん。朝早くから……」
「……謝るくらいなら自分でやればいいのに」
こうして合流出来たアタシ達は再び山へと戻ると、順路を通って家へと辿り着いた。美海は早く戻って来たのが嬉しかったのか翠の肩へと飛び乗ると顔を一舐めして縁側から家へと入っていった。紫苑は庭に縁を立たせるとその正面に立ち、真っ直ぐ見つめた。
「……本当にいいの? あたしの力じゃ加減は出来ないよ」
「別にいいよ。加減とか、死んじゃえば同じなんだし」
「チッ……分かったよ」
紫苑は縁の頭に右手で触れると、何かを引き摺り出す様にして手を引いた。するとくっきりとした見た目の白い
「これは……」
「どうした紫苑?」
「……こんな強い魂初めて見る。実体があるみたいにはっきりしてる」
「呪いの影響かもな」
「……繰り返すけど、本当にやるよ? 後から待ったは無しだからね」
「ああ……あの子が望んだ事だ」
「分かった……」
紫苑は取り出した魂を地面に押し付ける様にして寝かせると馬乗りになり、空いている左手を手刀の様にして魂の胸部へと刺し込んだ。そのまま手を奥へ奥へとずぶずぶと入れていったが、その動きは途中で止まった。
「オイどうした?」
「……おかしい。何で死なないの? ここまでやれば死ぬ筈なのに……」
「そのまま放っておくンじゃダメなのか? 体から魂が抜けてるンだろ?」
「あたしは魂に触れる。でも触りっぱなしじゃないと元に戻る。だから魂そのものを停止させる必要があるんだけどこれは……」
彼女は蘇った時に一度霊体化すると言っていた。もしかすると彼女が持つ不老不死は肉体レベルでの話だけではなく、魂そのものにも適用されているのではないだろうか。前例が存在しないため何が正しいのかは分からないが、少なくとも縁は魂レベルで死ねないのだろう。
「これなら……っ!」
紫苑は胸から手を引き抜くと、魂の首筋を狙って横薙ぎに手刀を繰り出した。すると靄の様な魂の頭部は宙を舞い、玄関先へと転がった。今度こそ縁の希望通りに事が運んだかと思ったが、紫苑の表情を見てそれが迂闊な考えだったとすぐに分かった。紫苑の表情からは動揺が感じられた。
「そんなバカな事が……」
「し、しーちゃん?」
「バカ雅、確か昨日電話で忌み数がどうとか言ってたよね」
「あ、ああ」
「……今の時間見て」
そう言われてスマホを取り出してホーム画面を見てみるとそこにはこう表示されていた。
『9時39分』
まさか……最初からこうなる様に事象が歪められてたのか……? それとも偶然か? この時間にやったのは間違いだったか……忌み数が存在出来てしまう朝にやるのは無茶だった……!
「何時?」
「9時39分だ……」
「えっ!?」
「やっぱり……」
玄関先を見るといつの間にか頭部が消失しており、紫苑の方へと振り返った瞬間、魂の胴体にしっかりと引っ付いているのが確認出来た。まるで最初から何もされていなかったかの様に引っ付いており、引き摺られる様な動きをしながら縁の肉体の方へと向かっていた。
「紫苑止めろ!!」
「無茶言わないで! こんな……力が強すぎる……!」
「翠! 縁の体を移動させろ!」
「で、出来ない! 触れないよ!」
翠が言う様に、彼女の手は何度も縁を動かそうとしていたが縁の肉体をすり抜けていた。彼女が言っていた霊体化というのがこれなのだとこの時理解した。しかし、魂が肉体から分離しているというのに何故肉体そのものが霊体になっているのかは不明だった。
「クソ! この子どうなって……っ!!」
「紫苑もう一度頼む! 今時間が40分になった! 翠、結界を作れ!」
翠は慌てて縁の肉体を囲う様に『威借りの陣』を作り、紫苑は魂の首筋に手刀を刺し込もうとしていた。しかしその手が当たる直前、突然紫苑の左腕はまるで無限を表す記号の様な形に変形し、その手は自分の首を突いていた。突然の事で回避出来なかった紫苑は倒れ込み、翠の方を見てみると何故か『威借りの陣』は翠本人を囲っていた。そんな中縁の魂は肉体へとゆっくりと入っていった。一瞬見えたスマホの時間表示部分には88時88分と表示されていた。
「み、みやちゃん!?」
「翠少し待て! 紫苑を先に助ける!」
「う、うん!」
急いで紫苑に近寄ると目を見開き、必死に自分の手に抵抗している様子だった。∞の様な形に変形している左腕は紫苑の体から魂を引き摺り出そうとしており、紫苑本人は呼吸をするのも困難といった様子だった。
「紫苑、どうすればいい!?」
「こい、こいっ……とめっ……!!」
腕を抑えようとしたものの、触れる度にその表面を滑る様にして自分の腕や手が動き、最初から何もしていなかったかの様に元の位置に戻ってしまっていた。
「クソどうなってる……!」
「みや、びっ……! やれっ……!」
紫苑は必至の形相で自らの右側頭部を叩いていた。その動きは加熱能力によって引き起こせる失神を表している様だった。本来なら滅多に使わない方法であり、少しでも加減を誤れば人を死に至らしめる程の使い方だった。しかし、今は紫苑を信じるしかなかった。
「……悪い紫苑!」
頭部に触れて右こめかみへと熱源を移動させると、強く集中して微量の加熱を行った。人間の体は温度が40℃まで上昇すると熱射病などと呼ばれる症状が出る事がある。そしてのその症状の中には失神も含まれていた。紫苑は熱の影響で苦しそうな顔をしたが、数秒するとふっと意識が落ちたのか体の動きが止まった。それと同時に左腕の形が元通りになり、魂は紫苑の体へと戻った様子だった。そのためすぐに加熱を停止した。しかし、一時的だったとはいえ熱射病の症状を引き起こしたのは事実であり、夏場にこのまま放置するのは危険だった。
「翠、そっちは大丈夫そうか!?」
「う、うん! 上手く力が出せないけど大丈夫そう。しーちゃんは!?」
「先にこの子を運ぶ。少し待っててくれ!」
「うん! 急いで!」
杖で何とか体を支えながら紫苑の肩へと腕を回すと無理矢理立ち上がらせた。その姿勢のまま何とか倒れない様に引っ張りながら縁側から倒れ込む様にして中に入り、居間へと引き摺り入れると影になる位置へと寝かせた。美海は心配そうに寄ってくると紫苑の顔を舐めた。すると、美海の力のおかげなのかそれとも紫苑が頑丈なのか小さく唸り声を上げて意識を取り戻した。それを確認して庭へと戻ると縁も意識を取り戻しており、こちらと翠を交互に見つめた。
「……ダメだったんだね」
「少し待ってろ。先に翠を助ける」
杖から地面に熱源を伝え、そこから『威借りの陣』を作っている虎の折り紙達へと移動させると一気に加熱して焼却した。これにより結界は解除され、翠は解放された。
「大丈夫か?」
「うん。しーちゃんは?」
「意識が戻った。美海が見てくれてる」
「そっか……良かった」
縁を見ると縁側から紫苑を見ていた。相変わらず無表情だったが、恐らく落胆をしているのは何となく分かった。
「すまん……殺せなかった」
「どうなったの?」
「あの子は魂に触れる力を持ってるンだ。それで引っ張り出す事は出来たンだ。それで魂の首を刎ねたりはしたンだが、元に戻ったンだ」
「そう……」
「期待させたのに悪かった」
「ん……いいよ。今まで一番死に近付いた感じだったし」
そう言うと縁は立ち去ろうとした。しかしそんな彼女を引き留めたのは紫苑だった。起き上がる事は無かったが、畳の上で這って顔をこちらに向けていた。
「待って」
「紫苑だっけ。ありがと。お礼は言っとくから」
「言わなくていい。それより、あんたに聞きたい事があるんだけど」
「……何?」
「最後に病院行ったのはいつ?」
「……それ聞いて何になるの?」
「いいから」
「……覚えてない。少なくとも記憶には無いよ」
「そう……」
紫苑は唸りながら体を起こして座った。美海は心配そうに紫苑の側を離れようとはしなかった。
「しーちゃん、どういう意味?」
「さっき見てたでしょ。あたしの腕が変な形になったの」
「う、うん。もう大丈夫そう?」
「……雅のおかげでね。それであの形なんだけど、あれを見て気付いた事がある」
「……アタシも一つ、あの時気になった」
紫苑は無言で先に話す様に手で促した。
「紫苑の腕があの形になった時、一瞬だけ見えたンだがスマホの時間表示が88時88分になってたンだ。今見てもいつも通りの表示になってる」
「やっぱりか……」
「しーちゃん?」
「あたしのあの腕の形はメビウスの帯って呼ばれてるやつだった。表面を指でなぞった時に、どっちに動かしても必ず表と裏を通って始点に戻ってくる形」
「無限を表す形でもあるな。数字の8も似てるっちゃ似てる」
「それで、さっき病院の事聞いたのはあんたの魂に触れた時に違和感がある部分に気付いたから」
自分には紫苑が何に気付いたのかは分からなかったが、少なくとも今話に出たメビウスが関連しているのだけは理解出来た。
「あたしは魂を触れば、その人の寿命も分かる。それであんたに触った時なんだけど……その寿命が測れなかった」
「……それが私の呪いなんでしょ。死ねない呪い」
「諸説あるけど、人間の細胞にはテロメアっていう部分がある。テロメアは少しずつ消耗していって、それが無くなった時に人は死ぬって言われてる。もちろん関係無いって意見もある。それで……そのテロメアは病院で測れる」
「何が言いたいの?」
「あんたが病院でそれを測ってもらった事があるかを聞いたわけ。もし測ってもらったんなら、もっと早くその異常性が判明してた可能性がある」
テロメアの話はテレビか何かで見た覚えがある。専門ではない自分には関係の無い情報だと思ってそこまで集中して見ていなかったが、もし紫苑の言う様に寿命に大きく関わっているなら縁のそれはどんな形になっているのだろうか。
「……バカ雅、この子少しだけ預かってもいい?」
「どうすんだよ」
「バカネに頼るのはムカつくけど、
「……分かった。お前ェがそう言うなら任せるよ。君はそれでいいか?」
「死ねるの?」
「何か分かれば元通りになれるかもしれねェ」
「ん……分かった。じゃあ行く」
その後体調が戻って来た紫苑は縁を連れて帰っていった。姉さんにはこちらから連絡をし、紫苑が見つけた不可解な点を調べるために病院で検査が受けられるか聞いてみた。するとそこまで時間はかからないらしく、紫苑が連れて行き次第すぐに検査が出来るとの事だった。
連絡を終えたアタシは翠と共に家へと入り食事を摂った。朝から何も食べていなかったため、いつもより少し多めに食べる事が出来た。美海も空腹だったらしくがっつく様に餌を食べていた。空腹になる事も無いと言っていた彼女は食事を摂る事も出来ないのだろうか。それとも不必要だからと食べないだけなのだろうか。人では無くなってしまった彼女を思うと普通に生きている事がどれだけ素晴らしい事なのか再認識する事が出来た。だからこそ、何とかして戻してあげたいと思った。
一週間程経つと姉さんから電話が掛かってきた。どうやら縁の検査結果が出たらしく、その内容を報告しようと電話してくれたらしかった。
検査の結果判明したのは、彼女のテロメアは紫苑が言っていたメビウスの帯の形をしているという事だった。本来は棒状をしているらしく、このような形をしている事は通常有り得ないらしく、縁が特例であるらしかった。その情報は一族の間でだけ共有され、外部には漏れない様に院内の記録からは消去したとの事だった。
礼を言い電話を切る。
「みやちゃん、あか姉何て?」
「縁のテロメアはやっぱり普通じゃなかったらしい。これからも細かい検査があるみたいだが、これではっきりしたな。人魚云々はまだ分からねェが、あの子は3という忌み数に呪われ、そして寿命を表すテロメアさえも変形してる。出所不明の多重の呪いが複雑に絡み合ってああなった」
「ど、どうにも出来ないのかな?」
「少なくともアタシらにはどうしようもねェ。死なせるか元に戻すのが縁の望みだったからな。姉さんなら可能だろうが、あの人が人を殺すためにあの力を使うかと考えるとな……」
「多分嫌がるよね……」
残念だったが、これ以上は縁にしてあげられる事は無かった。紫苑の力が通じなかった以上は他の一族でも不可能であるのは目に見えていたし、姉さんに能力で人を殺す様な真似が出来ない事は火を見るより明らかだった。出力が高過ぎるあの力は、少しでも間違えれば大規模な被害が出る可能性があるため自分としても使って欲しくなかった。
居間へと行き資料を出すと、白紙に彼女の情報を残した。きっと彼女は嫌がるだろうが、一人の日奉として、一人の人間としてそうしない訳にはいかなかった。黄泉川縁がどんな人物であるか、彼女が最初の死を遂げるまでどんな人生を歩んだのか、趣味は何なのか、どういう死生観なのか、事細かに残した。今の自分に出来るのはこうして記録を残す事と、彼女が狭間から解き放たれて黄泉路へと向える様にと願う事だけだった。黄泉と現世の狭間にある三途の川から
日奉家夜ノ見町支部 怪異封印録 鯉々 @koikoinomanga
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