第17話:黄泉川 縁 学籍番号:3333番
朝を迎えるとすぐに不老不死となった少女『黄泉川縁』の体の異変について調べるため、簡単に朝食を済ませて翠と共に家を出た。山を下りてみると入り口の木の影に隠れる様にして縁が立っていた。木々の間から生気の無い目をしながら視線を向ける彼女は、まさにこの世の人間では無い雰囲気を放っていた。
「悪い。何ともなかったか?」
「ん……で、どうするつもり」
「まずは君がどんな体質をしてるのか知りたい。確か死んだら数分後には蘇って、一時的に霊体化してるんだよな?」
「多分ね。あくまで予想だけど」
「うーん……そういう特異性は私も初めて見るかも……一応一度は死んじゃうって事だよね?」
「ニュースになってるって事はそういう事なんだろうな。さて、じゃあまず大学行くか」
歩き始めて自分の後ろを二人が追従する。翠は縁が小学生にしか見えないからか、手でも繋ごうかとしていたが無言で拒否されていた。
大学に到着するとまずは受付に向かい、二人が親戚であり、調べものを従っているという旨を伝えて来客用のカードを受け取った。カードはプラスチック製のケースの中へと入れられており、首からぶら下げる形式の物だった。それを付けた二人を連れて大学内に存在する図書室へと向かい、機械にカードを通して中へと入った。
大学の図書室には普通の図書館では取り扱っていない様な、過去の論文が記載された本なども置かれていた。もちろんそれぞれの学科の内容に対応した本の品揃えもいいため、細かい調べものをする時には非常に役立つ場所だった。
民俗学関連の書籍が並んでいる本棚へと向かうと様々な本が並んでいた。日本だけではなく、海外の伝承や慣習などについて記載された物もあり、まずはここから調査を始める事にした。
「こんなにあるんだね……」
「ああ。さて、じゃあ調べるが……君個人として何か心当たりとかはあるか?」
「はっきりは分かんない。そういうのはあなたの専門なんでしょ?」
「まあそうだな。うーん……」
不老不死と聞いてぱっと思い浮かぶのは『古事記』内でも触れられているトキジクノカクという果実、『竹取物語』内で語られている不死の薬、人魚の肉を食べた事によって不老不死になった
そのためまずは『古事記』を手に取ってみた。それを持って適当な席に着くと該当する記述があるページを開いた。
「まずはこれだ。イクメイリビコ、つまり
「どう? 何か思い出せそう?」
「果物なんてしばらく食べてないし知らない。それにこの内容って正しいの?」
「もちろん創作の可能性は高いな。だが君に心当たりが無いなら順番に当たっていくしかないだろ」
「ん……」
トキジクノカクは
「……次だな」
「あっ私が取ってくるよ」
「そうか? じゃあ悪いが『竹取物語』を頼む」
「分かった」
翠は席を立ち、先程の本棚の方へと向かっていった。縁は『古事記』をじーっと見つめていた。
「こういうの好きなのか?」
「別に。永遠の命を望むなんて馬鹿なのかと思って」
「……そう思うもんなのか?」
「ん。死んだ方が楽になる事もあるよ」
そう言うと縁はそっと本を閉じた。実際にその力を持ってしまった彼女からすれば酷く愚かで馬鹿馬鹿しいと感じるのも当たり前かもしれない。こういった話はあくまで創作だからこそ楽しめるものだ。妖怪は実在するが、もし一般人がその事を知れば好奇心よりもまずは恐れが来るのがほとんどだろう。
少しして戻って来た翠の手には『竹取物語』があった。その中にはかぐや姫が
「これは無いかもな。あの山にそんな力があったらとっくに姉さん達が見つけてる筈だ」
「う、うん。この薬も月からかぐや姫が持ってきたみたいだしね」
「私そもそも富士山登った事ないんだけど」
「これは除外かもな。仮にこの薬が現存するにしてもどこにあるかが分からねェし」
「じゃあ次は?」
「そうだな……八百比丘尼伝承くらいか?」
「それは私も知ってるよ、確か人魚のお肉を食べちゃったんだよね?」
「ああ、ちょっと探してみるか……」
先程の二つよりも探すのが困難と思われたため二人を待たせて、自分一人で探しに行く事にした。本棚に並んでいる書籍の中から役に立ちそうな物をいくつか取るとそれらを持って席へと戻った。翠は一冊だけではなかった事に少し驚いていた様子だった。
伝承によるとある男が見知らぬ男に食事へと招待されたらしい。そこでその男が人魚を調理している姿を目撃してしまい、それを食べずに家に持ち帰ったところ、娘がそれを食べて不老不死になってしまったとの事だった。文献によって記述にズレが生じているが、日本各地に残っている伝承故に多少話に齟齬が出るのは仕方のない事なのだろう。
不老不死になった彼女は何度も夫に先立たれ、やがて比丘尼となった。その後日本各地を周りながら杉や松などを植え、最終的には
「人魚かぁ……」
「人魚は一族の間でも存在はまだ確認出来てないらしい。もちろん居ない可能性もあるが」
「ど、どう?」
翠が尋ねると縁は本を見たまま黙っていた。その視線は文章を読んでいるのか上下に小さく動いており『古事記』よりもかなり読み込んでいる様に思えた。
「……どうなんだ?」
「…………魚」
「えっ?」
「昔……家出した事あって、その時海の近くを通った。そこで……」
「誰かに食わされたのか……?」
「お腹が空いて……お母さんご飯作らなくて、それで知らない人だった……おじさんが魚を焼いて食べさせてくれた」
「人魚みたいだった……?」
「……普通の魚だったと思う、多分。頭とかは無かった」
人魚は大体上半身が人間で、下半身が魚の姿をしているといった姿で描かれている事が多い。世界中のほとんどの文献でその部分が一致しており、上半身の部分を取り除いてしまえば普通の魚に見えてもおかしくはなかった。
「場所は覚えてるか?」
「分からない……あの時結構歩いてたし、多分この町から続いてる海沿いのどこかだと思うけど」
もし彼女が遭遇した人物が伝承にも残っている謎の男なのだとしたら、一族の一人として放っておく訳にはいかない。しかし彼女がはっきりと覚えていない以上は迂闊に探せない。もし感づかれてしまえば逃げ出すかもしれない。それにその人物がこの伝承に出ている男と同一人物であるという証拠はどこにも無い。役割が受け継がれているのか、あるいは本当に偶然上半身が無い人魚を釣り上げてしまった人なのかもしれない。
「どうするみやちゃん?」
「一応人魚の線で調べてはみよう。ただ少し引っ掛かる点もある」
「え?」
「八百比丘尼の伝承には最終的に入定したという記録がある。入定には心が動揺する事が無くなった状態に入る『
「じゃあもしかして八百比丘尼は……」
「死んでる可能性がある。つまり人魚の肉だけじゃ完全な不老不死にはなれない筈だ」
八百比丘尼が自殺を行おうとしたという記述は確認出来なかった。縁は今まで何度も自殺を試みて、その度に生き返っている。もし伝承に間違いがないなら、人魚の肉だけなら不老だけになる筈だ。死なないという点にはまだ何かある可能性もある。
どうしたものかと考えていると図書室の入り口から教授が入ってくるのが見えた。ただでさえ見つかったら絡まれるというのに、翠や縁が一緒に居るこの状況で見つかるのは非常に危険だった。
「翠、君こっちに」
「えっ?」
「何?」
「いいから」
二人を隠す様に本棚の方へと移動すると二人に喋らない様に伝え、本を元の位置へと収めると隙を突いて図書室から脱出した。幸いにも気づかれなかったらしく、声を掛けられる事は無かった。
「悪い、もういいぞ」
「ど、どうしたの急に?」
「いや……知り合いが居てな、あんまり見られたくなかった」
「……何かやましい事があるんでしょ」
「ねェよンなもん。あの人は自分から怪異に関わろうとしてる。迂闊に知られるとまずいんだよ」
「そ、そうなんだ。だったら知られない方がいいかもだね」
「ああ、一旦出るぞ」
二人を連れて受付へと戻るとそこでカードを返却し、すぐに大学を出た。少し門から離れてからスマホを使い姉さんへと電話をした。
「雅ですか?」
「姉さん、昨日の子の事なんだけど……」
「ええ、その件ですね。私も話したいと思っていたところです」
「そうなの? 何?」
「お先にどうぞ」
「ああ、うん。その子の話によると海沿いを歩いてる時に魚を食べさせてもらったらしいんだ。で、もしかしたらそれが人魚かもしれないんだよ」
「なるほど、八百比丘尼の伝承ですね」
「うん。ただちょっと気になるところがあって……」
先程自分の中に浮かんだ「不老なだけでなく、何故不死なのか」という疑問を話した。何度も自殺を試しているにも関わらず何度も蘇り、更にその際一時的に霊体化するという部分も伝えた。
「確かに少し妙ですね……」
「うん。姉さんの方は? 何か話したい事があるって言ってたけど」
「その事なのですが、実は今日黄泉川縁が産まれた病院の記録を一族の一人に調べさせたのです」
「誕生記録を? 何で?」
「誕生時に何か異常があったのであれば、彼女本人は覚えていない可能性もありましたので」
「ああ、そっか。それで?」
「……いいですか雅、今から伝える事はあくまで偶然かもしれません。ですが古くより呪術や占星術、神道、奇跡論に触れてきた一族の現当主として見逃す訳にはいきませんでした」
「姉さん何……? どうしたの?」
電話の向こうで紙がペラリと捲れる音が聞こえる。
「黄泉川縁……生年月日1990年3月3日、午前3時33分誕生」
姉さんが読み上げたその情報には3という数字が並んでいた。月日はともかく時間まで揃うというのはかなり珍しい事だと感じた。更に姉さんは紙を捲る音を立てて次の記録を読み始めた。
「次に彼女が死亡した日時ですが……1999年3月3日の午後3時30分頃だったそうです」
「誕生日に死んだって事……?」
「雅、私の憶測ですが彼女の正確な死亡時間は3時33分33秒なのだと思います。恐らく彼女は3という数字に呪われている。最初に死亡した年が1999年というのも気になります。9が三つも並び、更に当時彼女は9歳で3年3組でした」
「忌み数……?」
「日本では4や9は『死』や『苦』を表すとして忌み嫌われる事があります。しかし彼女に憑いているのが3だとすると……」
姉さんの話には信憑性があった。実際にこの目で見た事がある訳ではなかったが、姉さんの所で暮らしていた際に数字に呪術的な意味を込める事によって効果を成す呪物があると教えてもらった事がある。4は死を表し、9は苦を表す。しかし彼女には誕生にも死にも3が関わっている。3は4の前だ。一度死んだ彼女はもう二度と死に辿り着けないという意味ではないだろうか? そして三つ並んだ9。2000年へと到達出来ない永遠の苦を表しているのではないだろうか?
「雅、考えすぎない様に。あくまで憶測です。これらが全て偶発的に繋がった可能性もあります」
「あ、うん……」
「一応頭の片隅に入れておいてください」
「分かった。もうちょっと調べてみるよ」
電話を切り、深呼吸をする。
「……みやちゃん?」
「誰に電話してたの?」
「少しいいか」
先程姉さんから聞いた情報を全て話し、その情報に間違いが無いか縁に尋ねた。縁は終始無表情で黙って聞いていたが、話が終わると口を開いた。
「何時に生まれたかは知らないけど、死んだ時間は多分合ってる」
「みやちゃん、もしかして……」
「ああ……食べた魚がマジで人魚だったとしたら、そこにこの3って数字が不死の力を与えた可能性がある」
「じゃあどうすれば……」
「なァ、君は成仏か普通の人間に戻るかのどっちかがいいんだよな?」
「ん。あの暗闇は嫌。封印だっけ?」
どうするか……この子が普通の怪異だったら今までみたいに封印してしまえばいい。でも協力的で自ら死を望んでるならそういう訳にはいかない。個人的には元通りの普通の人間に戻してやりたい。だがどうすればいいんだ……。
「…………紫苑に頼むか?」
「えっ!? みやちゃんそれは……」
「この子が死ぬのを選択に入れてるなら、それもありかもしれねェ……」
「だ、ダメだよ! 私達の使命は封印する事と守る事だよ!? 殺すなんて……」
「……別に私はいいよ。その人が誰なのか知らないけど、それで楽になれるなら」
「ゆ、縁ちゃんダメ! 私が他に何かいい方法見付けるから!」
「名前で呼ばないでって言ったよね? それに私の人生は私が決める。どうせ生きてても無意味。お母さんも学校の皆も大っ嫌い。死んで終われるならそれでいい」
家族や学校の事を語る彼女の声には僅かだったが感情がこもっていた。しかし決してプラスの感情では無かった。憎悪や嫌悪といったマイナスのものだった。母さんに少しだけマイナスの感情を抱いている自分には彼女を止める事は出来なかった。……その資格は無かった。
「い、生きてればいい事だって!」
「生き続けて今がこれなんだけど。20年経っても私は変われない。永遠に三年生。ずっと一人ぼっち。ずっとずっと、あなた達二人が死んでも私は生き続ける」
百さんの携帯へと電話を掛ける。
「ダメみやちゃん! お願い、ねぇ! 私達が! 私達がずっと守るから!」
「私は元に戻すか死なせるかにして欲しいって頼んだよね?」
「それは……」
「お腹も減らない、眠くもならない。生きてるのに死んでる。死んでるのに生きてる。ずっと中途半端」
電話が繋がった。
「百さん? 紫苑居ますか?」
「おぉ~? ちょい待ってね~」
翠はどうすれば説得出来るかとあわあわしていた。
「翠だっけ? あなたに分かるの? 首を吊った時の痛み、地面に叩きつけられてバラバラになる痛み、体が焼ける痛み」
「わ、分からないけど……でも何かある筈だよ! 私とみやちゃんは怪異とか妖怪を封じてきたんだもん! 死なせたりなんか……!」
「死ななきゃ太平は得られない」
電話口の相手が紫苑へと変わった。アタシに呼ばれたからか、露骨に機嫌が悪かった。
「チッ……はい」
「紫苑、悪いが頼みたい事があるんだ」
「は? 自分でやれば」
「アタシや翠じゃ無理なんだ。正確には相手がそれを拒んでる」
「じゃあ殺せば」
「……ああ、だからお前ェに頼んでるんだ」
そう答えると紫苑は黙った。予想外の答えだったからなのか、それとも回線が悪いのかは分からなかった。
「……聞き間違い?」
「いや。実はな……」
縁が現状や姉さんの手に入れた情報、そして姉さんのものを基に自分の立てた仮説を紫苑に話した。
「……分かった。で、いつがいい?」
「悪いが早めに頼めるか?」
「今から準備しても明日になる」
「それでいい。来てくれるか?」
「分かった。……じゃ、クソ雅」
そう悪態をつくと紫苑は一方的に電話を切った。
「……みやちゃん」
「悪い翠……アタシの事嫌ってくれても構わねェよ。でもこの子が自分で望んでンなら、アタシには止めらンねェよ」
「…………」
「で、どうなったの?」
「明日アタシらの知り合いが来てくれる。そいつなら君を殺せるか、もし運が良ければ元に戻せると思う」
「そう。じゃあ、また明日ね」
「ま、待って!」
立ち去ろうとした縁を翠が止める。
「何?」
「ね、ねぇ今日は一緒に
「だから何?」
「最後に誰とも過ごしたくないの……?」
「うんざり。誰とも仲良くなる意味無い。別に二人は悪い奴じゃないと思うけど、仲良くなっても意味無いでしょ。どうせ死ぬんだし」
「た、助かるとしても?」
「感謝はするよ。でもそれだけ。私の人生にもう友達なんていらない」
それ以上は語ろうともせず、縁は昨日の様に街中の人混みへと消えていった。翠の目には涙が浮かんでおり、声を掛けてやる事も出来なかった。
「……みやちゃん」
「……何だ?」
「私がおかしいのかな……?」
「……」
翠はトボトボと歩き始め、家へと続く山の方へと向かっていた。そこ間、翠は黙りこくっており、家に着いて美海が出迎えても頭を少し撫でるだけで「ただいま」とも言わなかった。更にもう昼時を過ぎているというのに何も食べようともせずに、一人居間へと向かってそこで横になった。何と言えば彼女の気が晴れるのだろうかと考えたが不甲斐ない事に何も浮かばず、美海と共に昼食を食べると居間へと向かった。
翠は既に眠っていた。目元には涙の跡が残っており、縁を元に戻せないかもしれないという事実が涙の理由の様だった。
『威借りの陣』を使っても恐らくあの忌み数と人魚肉の不老は消せないだろう。翠がそれを試そうともしなかったという事は、自分で出来ないと気付いたからだ。彼女は自分の力でどれだけの事が出来るかを把握している。複雑に絡んだ二つの異常性は彼女の結界術では対処が出来ないのだろう。
毛布を掛けて隣に横になる。
アタシは自分の事を恵まれていない人間だと思ってた。母さんの事があったし、誰もあの話を真面目に聞いてくれなかったからだ。でも姉さんに拾ってもらって、少しずつ自分に自信が持てる様になった。この力を信じてくれて、正しい使い方を教えてくれた。生きる意味を教えてくれた。それに翠、この子にも助けられた。養護施設にやって来た時から怖がりで、いつも隅で怯えてた。でも優しい子だった。動物にも植物にも、時には怪異相手にだって優しく接してた。翠はアタシにとって憧れだった。粗暴な自分とは真逆なこの子は、希望だった。
「……」
翠の方へと寝がえりを打つ。彼女は背中を向けていた。酷く寂しい気分になった。
「ごめんな……」
後ろから抱きしめた。もしかしたら邪魔だったかもしれない。しかし放せなかった。
アタシはちゃんと……いいお姉ちゃん出来てるか……?
目の奥がじくじくと熱かった。
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