第15話:真っ白だった筈の肉塊

 『ぬっぺふほふ』に付けた熱源から放たれている波を探知しながら歩き回り暮見通りに辿り着いた。美海を追跡した際にも通った場所であり、人通りの多いこの場所ならば変身能力を持つ『ぬっぺふほふ』が簡単に溶け込めそうだった。休日という事もあり人の往来も多く、隠れるにはうってつけの場所だった。


「み、みやちゃんどう?」

「……この辺に居るのは間違いない。だが人が多過ぎるな」

「じゃ、じゃあ人除けしてみる?」

「そうだな。頼んでも……」


 その時目の前に不自然な行動をしている人物が目に入った。その人物は女性の姿をしており、信号が赤であるにも関わらず横断歩道を渡ろうと歩道から足を踏み出していた。道路の向こうからは車が迫って来ており、もしブレーキが間に合わなければ事故を起こす事は明らかだった。周りの人々も女性に声を掛けていた。


「オイ何してる! 戻れ!!」


 怒号を上げてみたものの聞こえていないのかあるいは無視しているのか、女性は横断歩道の真ん中で立ち止まった。美海が警戒するかの様に鳴き声を上げる。それで何かを察したのか翠はショルダーバッグから折り紙を出し始めた。

 まさかアイツか……? でも何してる?『ぬっぺふほふ』に実態があるのかどうかは分からねェが、他の人間にも見えてるみてェだが、だとしたらこのままじゃまずいぞ……。

 熱源を伝えようとしたがそれよりも早く車は横断歩道に到達した。避けようと咄嗟にハンドルを切りながらブレーキを踏んだらしく、甲高い音を上げながら車の進行方向が大きく逸れた。よりにもよって車はこちらに向かっており、ガードレールを突き破る様にして車道へと突っ込んできた。しかし、車は目の前で見えない壁に阻まれる様にしてフロントがひしゃげて停止した。足元には亀の折り紙が存在しており、翠の『亀甲の陣』が間に合っていたらしい。


「……危なかったな」

「う、運転手さんは!?」

「大丈夫だ。エアバッグも作動してるし意識もある。ここは他の人に任せよう」


 結界から出て横断歩道を見てみるとそこには既に女性の姿は無かった。しかし、近寄ってみるとそこだけ異様な悪臭がした事から『ぬっぺふほふ』が関わっている事は確かだった。恐らく事故に見せかけて殺すつもりだったのかもしれないが、今までの記録では『ぬっぺふほふ』が人に害を成そうとした事は無いと書かれていた。間接的とはいえこういった行動を取った以上は、今までの常識が通用しない可能性が高くなっていた。


「翠、警戒を強めろ。アイツ……今までとは違うっぽいぞ」

「う、うん。でも何が目的なんだろ……」

「分からねェ。だが新参怪異だった多田が騙されてたのが引っ掛かる。もちろんもう一人の多田が別の怪異の可能性はある。だが一族の人間が調査に行ったらもぬけの殻だったってのが引っ掛かるンだ」

「怪異を誘ってるのかな……?」

「かもしれん。だがその理由が分からん」


 話しているとスマホに電話が入り、出てみると紫苑の声が聞こえた。


「もしもし」

「紫苑か?」

「ん……」

「どうした?」

「バカネから聞いてる。『ぬっぺふほふ』が出たんでしょ。こっちで見つけた」

「何……?」


 紫苑からの報告を聞き再び熱源の探知をしてみると何も引っ掛からなかった。熱源を付けたにも関わらず探知出来ない理由で考えられるのは一つだけだった。

 馬鹿な……さっきまでそこに居た筈だ。もうこの町から逃げたっていうのか? しかしどうやって……妖怪でも自分の足で移動するのが基本だ。仮に乗り物を使ったとしてもここから出るにはもっと掛かる筈だが……。


「聞いてる?」

「あ、ああ悪い。それで?」

「チッ……逃げられた。しかもアイツ、菖蒲あやめの真似してた」

「菖蒲……妹だったよな。あの子はまだ意識が戻ってないんだろ?」

「そう……だからムカつく。クソあの肉野郎無礼なめやがって……!」

「落ち着けよ。逃げた場所は分かるか?」

「……全然。姉ちゃんでも捕まえられなかった。そっちに行ったかもって思って電話掛けた」


 やはり『ぬっぺふほふ』は他人に変化出来る能力を持っているらしい。しかも知り合いの姿に化ける事だけでなく、顔を知らない筈の人間にも化けられるという事だ。菖蒲の姿は自分も一度しか見た事が無い。あの子は確か一族管理の病院で保護されていた筈だ。『ぬっぺふほふ』がそこにわざわざ出向いて顔を見るとは思いにくい。


「悪いがこっちも逃げられた。熱源は付けておいたから夜ノ見町に居れば探知出来るが……」

「……使えない馬鹿雅」


 電話は一方的に切られてしまった。どうやら菖蒲の姿に化けられた事が相当頭に来ているらしく、紫苑はいつもよりも苛立っている様に見えた。


「しーちゃん、何て?」

「向こうにも出たらしい」

「えっでもさっき……」

「町から出やがった。熱源の追跡が出来ねェンだ」

「そ、そんな……」

「とにかく適当に探し回ろう。紫苑達の所に出たって事は他の一族の所にも行ってる可能性がある」


 仕方なく他からの連絡が来るまで暮見通りを探索する事になった。途中で駅の辺りに向かってみたりはしたものの、やはりそこからも熱源は探知出来ず、それだけでなく『ぬっぺふほふ』から放たれているであろう妖気なども感じられなかった。

 それからしばらく町の中を歩き回っていたが、あるマンションの近くを通り掛かった際、突然真上から植木鉢が落下してきた。幸いにも直撃はせずに目の前に落ちただけだったが、破片が散り少しだけ足を切ってしまった。すぐに上を見上げてみたがどのベランダから落下した物なのかは分からなかった。翠は怯え、美海は威嚇をしていた。


「み、みやちゃん……」

「事故に見せかけようとしてるのか? 戻って来たか」


 目を閉じて波を探知しようとしたが、その時明らかに違和感があった。熱源の波が足元にあるのだ。その波は足を伝う様にして体を上り始めていた。

 何だいつ移された!? 今の破片が当たった時か? いや問題はそこじゃない……! コントロールが効かない!

 必死に熱源を地面に逃がそうとしたものの熱源はどんどん上へ上へと上って来ており、とうとう頭部へと到達してしまった。右こめかみに強い熱を感じ、血管内の血液が加熱されていくのを感じた。


「ぐっあ……!?」

「み、みやちゃん!?」

「翠……まずい、アイツ……同じ力を……!」

「えっえっ……!?」

「能力をコピーされた……っ! ヤバイ、逃げろ!」


 翠はその言葉に応える事は無く、代わりに『威借りの陣』を敷いて取り囲んだ。そのおかげか熱量が急激に低下してやがて消滅した。どうやら完全なコピーが出来ている訳ではないらしく、『威借りの陣』を使えば簡単に対処が出来る事が判明した。

 美海は心配してくれたのか肩へと飛び乗り負傷した部分を舐めようとしてくれたが、それを止めるためにすぐに抱いて地面に下ろした。今美海に力を使わせる訳にはいかなかった。


「っつ……悪い助かった……」

「みやちゃん、コピーされたってどういう事?」

「そのままの意味だ。アタシの力と全く同じやり方……でも対処出来なかった」

「……みやちゃんもしかして」

「あ?」

「みやちゃんの熱源を探知出来なかったのはこの町から出たからじゃないんじゃないかな?」

「どういう意味だ? 紫苑の所にも行ってたンだぞ?」

「今『威借りの陣』を使って気付いたんだ。あの陣を使えば異能の力や呪いなんかを弱められる。もしかしたら『ぬっぺふほふ』は私の陣もコピー出来てるんじゃないかな?」

「なるほど……納得だな。美海を下ろしといて良かったよ」


 有り得なくはなかった。もし『ぬっぺふほふ』が力をコピー出来る条件が『一度自分の目で見る』だったとしたら、アタシの力も翠の力も見られた事になる。つまり熱源を付けて加熱する能力と結界を敷く能力、この二つは既にコピーされているという事だ。もしかすると紫苑や百さんの力もコピーされている可能性もある。更に言えば、多田と名乗っていたあの新参怪異も力をコピーされているかもしれない。一瞬で『ぬっぺふほふ』が逃走出来て紫苑達の所へ行けた事を考えると、電子機器あるいはネットを通して移動が出来る様になっているのかもしれない。


「そういう事か……アイツの目的はこれか……」

「怪異や私達の持つ力をコピーする事だね」

「ああ……ずっと昔から観測されてたにも関わらず、逃げ続けて何も害を成さなかった。でも違ったんだな……害を成さないんじゃなくて敢えてそうしなかったンだ。力を蓄え続けるために……」


 『ぬっぺふほふ』には何も目的が感じられない妖怪だという印象があった。それこそがアイツの狙いだったんだ。アイツは真っ白なキャンバスである必要があった。あらゆる色に染まれてあらゆる見た目に変化出来る存在。『何でも出来る存在』になるのが目的だったんだ。ネットが誕生して新たな怪異も生まれた現代、世界中が繋がれるこの時代こそがアイツの狙い目だった訳か。


「翠、これ以上アイツを放っておくのはまずい。ここで捕まえるぞ」

「う、うん。でもどうやろう? こっちのやり方はコピーされちゃってるんだよ?」

「多分全部は出来てない筈だ。さっきだって熱源が加熱されるスピードが遅かった。アタシがやれば一瞬で金属も溶かせる。多分アイツのコピーは不完全だ」

「じゃ、じゃあいつものでやる?」

「そうだな。なるべくさり気なくやろう」


 いつもの対処法でケリをつけるべく、その場に黒い亀の折り紙を見えない様に配置して行動を開始した。次に向かった場所は暮見通りの入り口の一つである南門の近くだった。一種の商店街の様な場所であるこの通りには北と南それぞれにゲートの様なオブジェが作られており、そのゲートの足元の影に赤い折り鶴を配置した。突然真上にあった看板が落下してきたが何とか回避する事に成功し、折り鶴もそのまま動かさずに済んだ。

 次は町の西にある小学校だった。自分が学んでいたのはここでは無いためあまり馴染みは無いが『口裂け女』の情報で悩まされていたりと可哀想な学校ではある。周囲の目を盗んで立ち入り防止用のフェンスから手を突っ込んで繁みの中に白い虎の折り紙を隠した。しかし翠の手が抜けなくなり、それを合図にするかの様に翠が頭部への熱を訴え始めた。すぐさまフェンスの一部を局所的に加熱して変形させる事により脱出する事が出来、加熱も『威借りの陣』で解消出来た。残るは東方面だけだった。

 どこに隠すか迷ったが、あまり離れた場所に配置するのは危険という事でスーパーの駐車場に配置されている自動販売機の裏側に青い龍を模した折り紙を置いた。これで全ての配置が終わり、後は『ぬっぺふほふ』を誘き出すだけだった。


「これで良し……」

「来るかな……」

「来るさ。アイツは多分美海の力も欲しがってる。アイツ的には一番欲しいのはこれだろうよ」


 翠は美海を抱き上げ不安そうに周囲を見渡す。


「看板を落とすのも植木鉢を落とすのも人力で出来る。だがもし美海の力をコピーされたら、アタシらじゃもうどうしようも無くなる……」

「美海ちゃん、大丈夫だからね……」

「その力は美海だから許される力だ。人や害意を持つ怪異が持っていい力じゃない。それメリーさんもだ。『ぬっぺふほふ』は既にネットを介して移動出来る。だがもしメリーさんの力も奪われたら、普通の電話回線からも移動出来る様になってしまう」

「だとしたら危ないね……もし真似出来る力の量に限界が無かったら……」

「ああ……姉さんのを真似されたらまずい」


 『ぬっぺふほふ』を誘き寄せるために全員で暮見通りへと戻った。あそこが一番人通りが多い場所であり、他人に変化出来る『ぬっぺふほふ』を誘き出すためには絶好の場所だった。この場所は既に四つの折り紙によって囲われており、上手く誘導出来ればそれだけで封印が完了出来る場所だ。

 なるべく違和感がない様に歩道を歩いていると突然背中に誰かがぶつかって来た。翠も同じ様にぶつかられたらしく、二人して倒れ込んでしまった。リュックは背中に背負っていたためメリーさんへの破損は避けられたが、立ち上がろうとした瞬間誰かが馬乗りになり、首に何かが触れた。この触り方には覚えがあった。


「ねー遊ぼ! お馬さん!」


 子供の声だった。知らない声だったが相手が『ぬっぺふほふ』である事を考えると誰の姿をとっているのかはどうでもいい事だった。横に目線を向けると翠も同じ様に誰かに乗られており、起き上がれなくなっていた。後ろから美海の威嚇する声が聞こえる。


「美海止めろ! 何もするな!!」

「み、美海ちゃんお願い!」


 周りの人達はただ遊んでいるだけにしか見えていないのか誰も助けようとはしなかった。翠の持つ『玄武ノ陣』を使えば簡単な人除けを行う事は可能であり、更にこうしてアタシ達の行動に違和感を感じさせないという風にするのは簡単な事だった。『ぬっぺふほふ』は既にその力を使いこなせている様子だった。

 首筋から何かが少しずつ引き摺り出され、意識が朦朧とし始める。完全に紫苑が持っている『魂に接触出来る』能力であり、どうやら彼女は『ぬっぺふほふ』の前でこの力を使ってしまったらしかった。あらゆる超常能力を吸収し、何者でもなかった『ぬっぺふほふ』は今まさに最強の怪異へと成り上がろうとしていた。


「みど、り……!」

「……お願い」


 翠の口からボソッと言葉が発された瞬間、背中側から眩い光が発された。最初は二人の子供の悲鳴の様だったがやがてそれは一つになり、あのくぐもった不気味な声へと変わっていった。しかしまだ諦めていないのか魂を手放そうとはせず、ますます意識が揺れ始め、音すらも聞こえなくなってきていた。何とか熱源を伝えて直感を頼りに背中側へと移動させて加熱した。すると上手くいったらしく、一瞬にして意識がはっきりとした。どうやら『ぬっぺふほふ』が魂を手放したらしい。

 横で倒れて身動きが取れなくなっている翠の手を握ってそこから背中側へと熱源を伝えて再び加熱すると再び叫び声が聞こえた。何とか翠を引っ張って振り返ると、歩道の上で光に包まれながら胴体にある顔を抑えている『ぬっぺふほふ』の姿があった。美海はこちらに駆け寄るとアタシと翠の間に立ちながら威嚇を始めた。


「みやちゃん……」

「大丈夫だ」


 『ぬっぺふほふ』が地面に両手をついたかと思うと、そこから熱源を伝えて来たのか再び頭部が熱くなり始めた。今度は脳内であり完全に殺しに来ている使い方だった。そのため仕方なく地面に触れてお返しする事にした。その両腕の付け根の部分を急速に加熱して、普段はあまり使わないレベルの温度まで上昇させた。その結果『ぬっぺふほふ』の腕はまるで泥の様にボトリと落下し、死体を焼いた様な嫌な臭いが漂った。


「いい加減諦めな。これ以上抵抗しないって約束出来るなら痛めつけない」

「お願い諦めて……」


 こちらからの問いかけを理解しているのかいないのかは不明だったが『ぬっぺふほふ』はこちらへと走り出した。そのスピードは決して速くは無かったが、座った状態のこちらを捕らえるには十分な速度だった。その体から発されている光はもう間もなく『ぬっぺふほふ』を封印出来るという事を示していたが、その光のせいで目を開ける事が出来なくなった。そんな中、鳴き声が聞こえた。

 目を開けてみると、目の前に居た筈の『ぬっぺふほふ』の姿はどこにも居なくなっており、地面に落下していた腕はあっという間に蒸発する様にしてその姿を消した。周囲に居た人々は地面に座っているアタシ達の事を怪訝そうに見ていたが、関わりたくないといった様子で無視して歩いていた。

 翠の手を借りながら立ち上がる。


「終わったのか……?」

「け、結構強力な力があったし、もうちょっと掛かると思ったんだけど……おかしいなぁ……」

「……消えてないって事なのか?」

「ううん、多分消えてると思う。でも『ぬっぺふほふ』は昔から発見されてた歴史の長い妖怪でしょ? きっと妖気だって強かったし、私達の力も吸収してもっと強くなってた。『四神封尽』を使ってもこんなに早く封じられる訳……」


 足元を見ると美海が毛繕いをしており、こちらを振り返った。するとぴょんと肩へ乗り、最初に『ぬっぺふほふ』から食らった火傷の痕をペロペロと舐めてくれた。じんわりと続いていた痛みはあっという間に消え、手で触ってみると火傷の痕跡すら無くなっていた。


「……美海、まさかお前ェ……」

「えっ?」

「さっき一瞬美海の鳴き声が聞こえた。まさか美海がやったのか?」


 美海は「にゃあ」と一声鳴くと翠の方へと飛び移り、同じ様に火傷痕を舐め始めた。そしてそれが終わると翠の胸元へと移動し、抱かれながらすやすやと寝息を立て始めた。


「もしかして……さっきの私……」

「何かあったのか?」

「うん……さっき眩しくて目を瞑っちゃったんだけど、その時ちょっとだけいつもより力が強くなった感じがしたの。上手く言えないんだけど、こう……折り紙に向けてる霊力がいつもより強く出せたっていうか……」

「さっきか?」

「う、うん。本当に一瞬だったし気のせいかなって思ったんだけど……」

「……有り得るかもな」


 寝息を立てる美海を少しだけ撫でて折り紙の回収を行う事にした。各ポイントに置いた折り紙にはどれも損傷は無く、問題無く機能していたらしかった。全て回収し終えると、いつものルートを通って家へと向かった。本来ならきちんとした順路で通らないと辿り着けない家に『ぬっぺふほふ』が入って来たのは問題ではあったが、あれも多田と名乗っていた情報生命体の力を真似して行ったのだとすれば納得がいった。あの場にはスマホもパソコンもあったため、いつでもあの周辺に移動出来たのだ。

 家へと着くとすぐに電話をした。


「雅、どうなりました?」

「何とかなったよ。負傷は無し。確認は出来ないけど、多分『ぬっぺふほふ』も封印出来た。殺さずに」

「そうでしたか……捜索を開始してから各地で確認された様で、大変だった様ですね」

「うん。紫苑もかなり機嫌が悪くなってた」

「その様ですね……百から聞いています。菖蒲に化けたとの事で……」

「姉さん、紫苑はアタシや姉さんの事嫌ってるみたいだし酷い言い方するかもしれないけど、あまり怒らないでやってくれないかな」

「ええ、分かっていますとも。彼女の境遇を思えばあの反応も仕方ありませんから……」

「そっか。じゃあ、切るよ」

「ええ」


 電話を切ると居間へと向かい、リュックに入れていたメリーさんを箪笥の上へと戻した。美海を抱いていた翠は縁側にそっと寝かせると箪笥に入っていた毛布を掛けていた。居間の机の上には壊れたままの翠のスマホが転がっており、ボタンを押しても何も反応は無かった。ただ自我を持っていただけの新参怪異の姿はもうどこにも無かった。


「みやちゃん」

「んー?」

「それ捨てないで欲しいんだ」

「もう壊れてるぞ」

「うん。でもあの人が生きてた最後の証だから……私達が覚えてなくちゃいけないと思うんだ」

「……そうだな。アイツは少なくとも悪い奴じゃ無かったな」


 箪笥からハンカチを一枚取り出すと壊れてしまったスマホを包んでメリーさんの隣へと置いた。もう意識など無くなっているかもしれないが、だからといって忘れてしまうのは確かに酷かもしれない。それに『ぬっぺふほふ』という今まで目的不明だった妖怪が今回見せた本当の力……あれは必ず覚えておくべき事だろう。もし今後再び『ぬっぺふほふ』が封印から解き放たれる事が来た時に備えて、記録も残しておこう。次は更に学習してくる筈だ。

 本棚から資料を引っ張り出し、白紙にペンで記録を付けていく。目的不明で害を成さない妖怪だった『ぬっぺふほふ』はついに攻撃手段を手に入れた。ネットを介して移動し、相手を熱し、結界を張る。そして恐らくは美海と同じ力を手に入れた。もし次があれば今度こそ終わりかもしれない。そういった旨も書き込んでいく。そして最後に自分の見解を一つだけ入れておいた。余計な事かもしれないが一つの怪異が自ら命を絶ち、その理由が騙されていたとはいえ『ぬっぺふほふ』への恋心だった以上は、書くべきだと感じたのだ。


『「ぬっぺふほふ」は我々人間、あるいは怪異、あるいは時代そのものを映している白いキャンバスであると言える。そのキャンバスには既に色が付けられた。各々忘れるべからず。あれは我々でもあり世界の生き写しでもあるのだ。隙を与えるな。世界情勢を鎮めよ。これ以上世界が汚される事はあってはならない。あれにこれ以上餌を与えない様、各人注意されたし』


 ペンを置く。『ぬっぺふほふ』について記録した紙は、既にインクによって白ではなくなっていた。

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