第7話:真っ暗だった猫

 公園を離れてからは街を適当にぶらついていた。まだ昼間という事もあって営業をしているサラリーマンや買い物をしている主婦、学校を終えた小学生などが歩いていた。何も異常な光景などは確認出来ず、皆いつもの日常を過ごしている様だった。コンビニで水を購入し、適当に壁にもたれたりながら見渡していると歩道をトコトコ歩いているあの黒猫の姿があった。誰も気に掛けている様子もなく、道路を渡ろうとする度に自然と信号が変わったりしていた。

 やっぱりアイツがやってるっぽいな……あそこの信号、さっき変わったばっかりだった筈だ。それなのにもう変わった。まるで全てが、あいつにとって都合のいい状況に収束するみたいに……。

 猫は個人経営の魚屋の前に止まるとジーっと見上げ始めた。そんな中、スマホに着信が入る。


『終わったよ。今どこ?』

『魚屋前、暮見くれみ通り』


 猫が立ち止まってから数分後、どこかの主婦が買い物を始めた。遠目ではっきりとは見えなかったが何かの魚を数匹買っている様子が確認出来た。その際中も猫はそこに居り、店主も主婦もまるで猫が存在しないかの様に反応を示さなかった。そして買い物を終えた主婦が立ち去ろうと歩き始めて数秒後、突然袋の底が抜けた。中に入っていた魚が包装と共に散らばり、主婦は慌ててそれを拾い始めた。そんな中猫はその内の一匹を咥えると路地の方へと入っていった。

 あそこまで堂々と魚を盗んでも気付かれないのか……あの人も一匹無くなってる事に気付いていない、いや違和感を覚えてる様子が無い。認識の改変、いや記憶の改変か? 何にしてもあの猫は必ず捕まえないといけない。あまりにも強力過ぎる。


「み、みやーちゃん!」

「来たか」


 翠は制服のまま慌てて走ってきた。体力が無いせいか息切れを起こしているが目線は周囲を見渡しており、警戒は怠っていない様だった。


「ど、どこ?」

「そこの路地だ。一回息を整えてくれるか」


 物音を立てない様に路地を覗き込んでみると先程盗んだ魚を食べている猫の姿があった。こちらには気付いていないのか、それとも逃げ切れるという自信故にか気にしている様子は無かった。


「あいつだ……」

「ふぅ……あ、あの子だね? 見た目は普通の猫ちゃんだけど……」

「見た目はな。だが相当ヤバイぞアイツは。絶対捕まえた方がいい」

「ど、どうやるの?」

「結界を頼む」


 翠は青い折り紙の亀を取り出し『亀甲の陣』を準備し始めた。本来はバリアの様にして実体のある物を遮断する時に使う結界だったが、使い方次第では外部へと逃げられない様にする結界としても使える。

 二匹の亀が路地の奥へと飛んでいくのを確認して路地へと足を踏み入れる。猫は近寄るアタシには目もくれず魚を食べ続けていた。

 結界の障壁は翠の霊力によって保たれている。外部に逃れようにも内側からは折り紙には触れられないし、霊力で能力が阻害される筈だ。幸いこいつは人懐こい。上手くやればここで捕まえられる筈だ。

 屈もうとした瞬間、猫と目が合う。数秒睨み合った後、手を伸ばすとその瞬間飛び退く様にして路地奥へと走り出した。視線を奥に向けるといつの間にか設置されていた筈の亀が二つとも無くなっていた。


「なっ!?」

「みやちゃん下がって!!」


 翠の声が聞こえると同時に何かが視界の上で動く。見上げてみると建物の外壁に備え付けられている室外機やパイプの上を走る別の猫二匹の姿があった。その口元には折り紙の亀が咥えられており、そのまま走りながら地面に飛び降りてきた。

 こいつらいつの間に!? もし障壁の間に挟まれたら圧死する可能性がある……まさかアイツ、ここまで想定してっ……!


「みやちゃん早くっ!」

「クッソ……!」


 左足を引っ張る様にして翠の方へと駆け出す。既に反対側の亀は翠によって取り除かれており、路地から出る事自体は可能そうだった。一瞬地面についた杖から複数の熱源を地面に伸ばして線の様に横に並べる。そして路地から飛び出るのと同時に微弱な加熱を行う事によって追ってきていた猫二匹を驚かせ、亀を手放させる事に成功した。道行く人々は着地に失敗して四つん這いになっているアタシを見て怪訝そうな顔をしていたが、関わり合いたくないといった様子で足を止める事は無かった。


「みやちゃん大丈夫!?」

「あ、ああ……あの猫、お前ェの力から逃げる方法に気付いてたみたいだな」

「う、うん……私も亀の位置がずれた気がして見てみたら無くなってて……」

「こりゃまずいぞ……思ったよりも相当頭いいぞアイツ……」


 猫達が落としていった亀を拾って翠に渡すとすぐに立ち上がり、黒猫が逃げていった路地奥へと急いで進み始める。猫は狭い路地を悠々と歩いていたが、こちらに気が付くとパイプを足場にぴょんぴょんと跳ねて上へ上へと登っていった。そして並んでいるベランダの一つへと侵入していった。


「み、みやちゃんどこ~?」

「こっちだ。クソアイツ……どういうつもりだ」


 追い着いてきた翠と共にビルの裏口から中に入り、猫が登っていった階へと向かう事にした。下から見た時の位置から逆算し、五階へと到着するとそこで経営している商社の事務所のインターホンを押した。しばらくすると中から社員と思しき人物が顔を出した。


「はい?」

「あ~えっと……実は飼い猫が逃げてしまいまして、こちらに逃げ込んだみたいなんですよ」

「え?」

「ちょっと入らせてもらえませんか? すぐに出て行きますンで」

「あのぉ~何か勘違いしてらっしゃいませんか?」

「はい?」

「猫は確かに居ますけど、あの子はうちで飼ってる猫ですよ?」


 社員の男性はそれが当たり前だといった様子で喋っていた。

 確かにアイツは人に慣れていた。だが飼い猫かどうかは疑わしい……首輪も無かったし、あの能力があればいくらでも周囲の状況に介入出来る。この人が言ってる言葉が真実である確証なんてどこにも無い。


「いやえっと……」

「あっあのっ!」

「はい?」

「わ、私達実は色んな企業で飼われてる猫ちゃんを取材する雑誌の者なんです!」


 翠はあまりに信憑性のない嘘を述べた。どう見ても記者といった出で立ちではなく、カメラなんて物もスマホくらいしか持っていなかった。それに高校の制服を着ている様な記者など居るだろうか。居るとしたら余程のもの好きだろう。


「はぁ……そういう事でしたら……」

「……はい?」

「ありがとうございます!」


 社員はあっさりと翠の証言を信じてアタシ達を中へと入れた。先程説明した飼い猫を探しているという話と明らかに矛盾しているにも関わらず、それに対して何の疑問も抱いていなかった。

 どういう事だ……アイツが関与してるのは間違いないが、どうしてアタシ達を近付けさせる様な真似をしてる? さっきまであれだけ逃げてたのにどういう風の吹き回しだ?

 中に入ってみると猫はデスクに置かれているキーボードの上で座っていた。その席の持ち主はどこにも見当たらず、恐らく営業か何かに出ているものと思われた。


「わぁ! かわいい猫ちゃんですねぇ~」

「ええ、我が社のマスコットです」

「ハハ……そりゃ御大層な……」


 今度こそ抵抗する様子が無かったため抱きかかえようとした瞬間、向かいの席で作業していた社員が立ち上がり、その拍子に椅子が腰にぶつかって来た。何となく予想は出来ていたため、すぐにデスクを支えに倒れる事は防げた。


「あっ! す、すみません!」

「い、いえ……それより猫は……」


 デスクに顔を向けると再びその姿は消えており、出入り口を見てみるとトコトコと外へと向かっていった。今度こそ逃がさない様にと急いで姿勢を戻して足早に後を追う。

 廊下へと出てみると猫が階段を上って行く様子が確認出来た。壁を支えにしながら必死に後を追っても猫は止まる様子は無く、とうとう屋上に達してしまった。何故か屋上への扉は半開きになっており、そこをスルリと通っていった。急いで扉を開けて出てみると簡素な屋上だった。手摺てすりなども無く、恐らくほぼ使われる事の無い屋上だった。

 端へ端へと歩いていく猫をゆっくり追う。やがて猫は端でピタリと止まり、こちらへと振り返った。

 嫌な予感がする……多分ここで下手に捕まえようとすると何かが偶発的に重なって失敗する筈だ。いやそれで済めばいいが、下手すりゃ地面に真っ逆さまだな。そうなったら元も子も無ェ……。


「ハァッハァッ……み、みやちゃんっ……!」

「翠、動かない方がいいぜ。今度こそ命に係わるかもしれん……」


 追い着いてきた翠を制止して睨み合っていたが、やがて猫はふちにぴょんと飛び乗ると数秒こちらを凝視した後、ふわりとその身を投げた。止めようと動いた時には既に遅く、猫の小さな体はビルの下へと落下していった。しかし、地面に衝突する前にその体はすっと姿勢を正して見事に着地してみせた。周囲の人々はそれに驚く様子も無く、猫はトコトコと歩き出した。


「馬鹿な……あんな事出来る訳が……」

「う、うん……猫が飛び降りても大丈夫なのはせいぜい8メートルくらいだよね」

「でも何がしたいンだアイツは……どうしてわざわざここまで誘った? 距離を取るためか……?」

「あのね、その事なんだけど……」


 翠はこちらに寄ると自分のスマホの画面をこちらに見せてきた。それは先程の会社のパソコンを写したものだった。パソコンの画面上にはネットニュースが表示されており、数日前に起こったという海難事故の記事が書かれていた。


「これは?」

「あの子が乗ってたデスクのパソコンにこれが映ってたの。マウスに肉球の跡みたいなのが残ってたから、もしかしたらって……」

「ちょっと貸してくれるか?」


 スマホを受け取り詳しく内容を読んでみると、海上へと出た漁船が一隻行方不明になっているというものだった。記事内にはその船に乗船していた人物の写真や名前が記載されており、捜索に当たった海上自衛隊が海上に浮か赤い首輪を見付けたとの報告がされていたらしかった。


「待て首輪だと?」

「わ、私もざっと目を通しただけだから詳しくは分からないけど、もしかしたらあの子、その船に乗ってたんじゃないかな?」

「猫を船に乗せるか?」

「えっと……猫は昔から船乗りに愛されてきた動物なの。ネズミを退治してくれたりとか色々理由があるらしくて……」

「……なるほど。最初っからずっとアイツの手の平の上って訳か」


 もし翠の推測が正しいなら、あの猫はこの船に乗っていた猫だった事になる。どうやったのかは分からないが、何とか助かったこの猫は何かを伝えようとしているのかもしれない。もしかしたら、行方不明になっている飼い主の場所を……。


「あ、みやちゃん、もう一枚あるの」

「もう一枚?」


 画面をスライドして次の写真を見てみるとデスクの上に置かれたコピー用紙が写っていた。そこには複数の数字が書かれており、誰かの手で殴り書きされた様な字体だった。


「何だ、これ」

「多分経度や緯度だと思う。もしあの子が事故の生き残りなら、もしかしたらそこに……」

「……調べる価値はあるか」


 スマホを返すと自分のスマホから姉さんへと電話を繋いだ。現状置かれている状況や猫の能力、そして海難事故との関連性などを説明すると、姉さんは電話の向こうで地図を広げて確認してくれているらしく、ペラペラと紙が擦れる音が聞こえてきた。


「……なるほど。確かにその位置は海ですね」

「どうかな? もしかしたらなんだけど」

「確認した方がいいかもしれませんね」

「分かった。船はどうすればいいかな?」

「いいえ、貴方達はその黒猫を優先しなさい。海上は専門では無いでしょう?」

「え? いやでも……」

「その黒猫がもしそこで力を得たのだとすれば、その場所そのものを調査する必要があります。慣れない場所へ向かわせる訳にはいきません。事故当日の天候は快晴。そんな中事故が起きたのであれば、何か別の存在が居る可能性があります」


 その意見はごもっともだった。海辺で遊んだりした事はあっても海上へと出た事が無かったアタシ達が行っても足手まといになるだけだろう。そう考えると今は黒猫の確保に専念した方がいいかもしれない。


「……分かったよ。じゃあお願いするね」

「ええ。雅は黒猫を優先してください」


 電話を切り、翠の方を向く。


「……さて、どうするよ翠」

「う、う~ん……餌とかで釣れないかな?」

「難しいかもな……一応やってはみたンだが、食いつかなかった。魚はよく食ってたが」

「お魚かぁ……」


 翠はスマホで何やら調べ始めたが、やがてその手を止めた。


「あの子が食べてたのって何だろ?」

「さあな……そんなにデカい魚じゃなかったが……」

「う~ん……あの子のお気に入りがあの魚なのかも?」


 翠と共に屋内へと戻り、一階まで降りると路地を抜けて魚屋の前へと辿り着いた。路地裏に落ちていた魚の残骸は他の猫に持っていかれたのか回収出来なかった。


「いらっしゃい、何にします?」

「えっと……ちょっと前にここで魚買ってった人居ますよね」

「え? ああ居ましたけど……それが?」

「あの人が買ってた魚って何でした? 見てて美味しそうだと思って」

「おっそうですか? あれはですねぇ……」


 店主はケースの中から一匹の魚を取り出した。体の側面に薄い黄色が走っており、話を聞いてみるとどうやらマアジらしかった。あのタイミングで購入されたという点を踏まえると、あの猫はこの魚が好物なのではないかと思い、二人で金を出して五匹程購入した。

 買い物を終えて歩いていると向かいの歩道を歩いている黒猫の姿が目に入った。猫はこちら側をジーっと見ており、近くにある信号がパッと色を変えた。

 間違いないアイツだ。向こうから誘引されてきた。やっぱりこの魚が好物なのかもしれないな。だとしたらこのまま山にある家の方へ誘導しよう。あそこまで入れれば脱走出来ない。


「翠、袋に注意しろ。急に破れたりするかもしれねェ」

「う、うん。大丈夫。落ちない様に抱えとくよ」

「それと周りにも気をつけろ。目的達成のためならどんな手段を取ってくるか分からねェぞ」


 そうして警戒をしていたが、猫は車道を渡ってからはずっとこちらへ付いてくるだけだった。袋が破れるでもなく、他の事故を起こすでもなく、ただただ付いてくるだけだった。やがて山の前に辿り着き、振り返ってみると真っ直ぐにこちらを見ていた。そんな中突然突風が吹き、思わず目を瞑ってしまった。慌てて目を開けてみるとその場から姿を消していたが、後ろから「にゃあ」と声が聞こえた。

 見てみると山の入り口に猫が立っており、プイッと顔を背けると自分から山の中へと入っていった。後を追ってみると何故か猫は家への順路を間違える事なく歩いていた。あの家は外部からの侵入者がない様に決められた鳥居を決められた順番に通らないと辿り着けない様になっているのだ。未経験者が行ける場所では無かった。


「ね、ねぇみやちゃん……」

「どういうつもりだ……まだ何かあるのか?」


 やがて最後の鳥居を超えて家へと辿り着いた。既に夜になっており、空は暗色に染まっていた。時間帯的に考えてもここまで時間が掛かる程の距離ではなかった筈だと言うのに、何故か夜になっていた。猫は暗闇の中で瞳だけを光らせながら玄関の前で止まり、前足で扉をカリカリとし始めた。


「あ、あれ……?」

「……アタシらが惑わされてただけか? それとも時間そのものを変化させたのか……?」

「ど、どうなんだろう……道順は会ってた筈だけど……」

「今までアイツはあくまで偶然を装ってた。ここまではっきりと異常な行動はなかったぞ?」


 猫が「にゃあ」と鳴くと家の中から黒電話が鳴る音が聞こえてきた。急いで鍵を開けて中へと入り受話器を取ると姉さんが出た。


「姉さん?」

「雅。貴方のあの情報、確かだった様です」

「え?」

「事故の場所です。海上自衛隊に所属している一族の人間に確認させたところ、当該の海底から漁船が引き上げられたそうです。不幸中の幸いと言うべきか、亡くなられた方々も体にロープやワイヤーが巻き付いていて、船と共に回収されたそうです」

「ちょ、ちょっと待って姉さん! 何言ってるの? ついさっきだよ? もう見つかったの?」

「……? 雅こそ何を言ってるんですか? あれは昨日の事でしょう?」


 ゾクリと寒気がする。

 まさか……一日中山の中を歩き回ってたのか? 順調に家に帰っている様に見せられていただけで、実際はそうじゃなかった? いや待て……アイツが時間の流れごと変化させた……?


「雅? どうしました?」

「い、いや何でもないよ」

「そうですか? それよりくだんの黒猫はどうしました?」

「あ、ああ。それなら今ここに居るよ。この敷地内なら逃げる事は無いと思う」


 猫は電話が置かれている台の上に飛び乗ると、こちらに体を伸ばし「ウミャーウミャー」と鳴き始めた。その鳴き声はどこか悲し気だった。


「……聞こえる?」

「ええ、聞こえましたよ。……可愛がってあげてください」

「……うん、分かったよ。じゃあね」

「ええ、また」


 電話を切っても猫はそのまま鳴き続けていた。電気をまだ点けていなかったという事もあって黒い電話機、そして室内は猫の体毛と同じ様に真っ暗だった。


「みやちゃん?」

「見つかったらしい」

「え、事故の人?」

「ああ……遺体も船も見付かったとよ」

「は、早かったね……」

「……ああ」


 翠から魚の入っている袋を貰い中を見てみると、買ったばかりだった筈の魚達はどれも腐っていた。たかが二日程度で腐るとは思えなかったが、その体からは異臭が放たれ、体表はグズグズになっていた。人間はおろか猫にも食べさせられない有り様だった。翠もそれに気づいたらしく一瞬顔をしかめたが、すぐに顔つきを戻して鳴き続けている猫を抱いた。もう何も起きなかった。


「頑張ったね……」

「翠、任せていいか。可愛がってやってくれ」

「うん……」


 暗い中壁を頼りに台所へと向かい、生ゴミ用の袋に魚を捨てて口元を閉める。小さく溜息を吐くと電気を点けて廊下へと戻るとそこには翠の姿はなく、縁側に座っているのを見付けた。近寄り隣へ腰を下ろす。


「……この子、名前何にしよっか」

「さあな……」


 猫は鳴き止み、翠の膝の上でスヤスヤと寝息を立てていた。


「この子、女の子みたい」

「そうか……」

「ミミちゃんにしようかな……美しい海で、美海みみ

「いいんじゃないか。そいつらしいよ」


 空を見上げる。

 月は眩く街を照らしており、夜が訪れた事を示していた。しかしこの夜が明けない事など無く、また数時間もすれば太陽が昇って海と空を青く染めるのだろう。

 寝息を立てる猫の首周りを撫でる。

 酷く胸が苦しくなった。病気な訳ではなかった。いや、これは病気と言ってもいいのかもしれない。『感情移入』という厄介極まりない病気だ。たかが猫相手に馬鹿馬鹿しいが、それでも家族を失った彼女に自分の姿を重ねてしまった。失った理由が違うというのに……人とは愚劣なものだ。

 ゴロゴロと音が鳴る。今日は酒でも飲みたい気分だ。普段はたまにたしなむ程度だが、たまには浴びる程飲んでしまいたい。月明かりはきっと酔いを深くしてくれるだろう。

 なぁ美海……お前も見てみろよ。空はこんなに真っ黒なのに、アイツだけ爛々らんらんとしてるぞ。


「みやちゃん……」

「何でもねェよ……」


 美海は甘える様に寝ながら手を舐める。


「見てみろよ、美海」


 手が濡れる。


「ほら……月が綺麗だ」

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