第肆章:命を落とした赤ん坊達(人々は彼らの事なんてすぐに忘れてしまうし、気にも留めてくれない)

第8話:みんなどうせわたしたちのことなんてみむきもしない

 美海のかつての家族が見つかってから数日が過ぎた。テレビでは引き揚げられた船と船員の人達が報道されていた。後日聞いた話だが、当該の海域では異常性が確認されず何故沈没したのかは不明であり、ロープやワイヤーが絡まって遺体が流されなかったのは奇跡的らしかった。もしかしたら美海が無意識に力を使って流されない様にしていたのかもしれない。

 美海は翠の膝の上でじっとしたままテレビを見つめており、時折翠やこちらの方へと顔を向けた。別段鳴き声を上げる様な事はしなかったが、逃げ出したりはせずに餌も問題なく食べてくれる様子から気を許してくれているのだと感じた。


「次のニュースです」


 海難事故の報道を終えたキャスターは次の報道へと移った。内容は虐待により児童が死亡し、両親が逮捕されたという内容だった。まだ五歳にも満たない少年がベランダで放置され、発見された時には既に死亡しており、体には打撲痕や火傷痕が確認されたらしい。両親の見た目は語るまでもなかった。見ていると心拍数が上がり、嫌な汗が流れてくるが自分でも分かった。それを察してか、美海は机の上へと飛び乗るとこちらに近寄り、膝の上へと移動してきた。


「みやちゃん……」

「悪い……ちょっと外の空気でも吸ってくる」


 美海を床へと下ろして食卓から出ると縁側へと向かった。空は青々と晴れており、あんな事件が世間で起こっているとは思えない程爽やかだった。


「……ふぅ」


 美しい空気で肺を満たして吐き出す。汚いものを洗浄している様な感覚だった。そんな中、急かす様に電話が鳴る。壁を支えにしながら近づいて出てみると姉さんの声が聞こえた。


「……はい」

「茜です。……大丈夫ですか?」

「うん。……うん大丈夫だよ」

「そうですか……実は調査をお願いしたいのですが、調子が悪いのなら他の者に回しますよ?」

「いやいいよ、休みだしアタシがやる。何があったの?」


 電話の音を聞いてか美海を抱いた翠が食卓から顔を出した。


「貴方達が住んでいる夜ノ見町から少し離れていますが、蛭水町ひるみちょうに向かった他の一族から報告があったのです」

「他の人が? 何が居たの?」

「それが今一意味を理解出来ないのです。認識に係わる異常性を持っている可能性がありますから、実際に現地で見て欲しいのです」

「……分かった。その人とはどこで合流すればいいの?」

「いえ、彼女は同行させません。あの能力は認識に関する異常性には対抗出来ませんから」

「……? 分かった、行ってみるよ」

「ええ、お願いしますね」


 電話を切りすぐに準備を始める。そこまで離れている訳ではないという事もあって、最小限の準備で済ませる事にした。翠はアタシの様子を見てすぐに同じ様に準備を始めたが、内容までは聞けていなかったからか困惑した様子だった。


「みやちゃん、あか姉なんて?」

「どうも蛭水町で何かあったらしい。詳しくは分からねェンだが、ともかく何かあるらしい」

「何かって……」

「認識に干渉してくる奴らしい。姉さんが話を聞いても理解出来なかったらしいし、色んな術式が使えるお前ェの力が必要そうだぞ」


 準備を終えて家から出ると美海は敷地の出入り口まで付いてきた。


「ごめんね美海ちゃん、ちょっとだけ出てくるね」

「すぐ戻るからな。まあ、お前ェなら餌も自分でどうにか出来るンだろうが……」


 山から下りて電車を乗り継いで蛭水町へと向かった。蛭水町は夜ノ見町と比べればそこまで不浄なものが集まる場所ではないが、少なくとも標準的な場所と比べれば多少はそういった存在が集まりやすい場所だった。あまり行った事は無いためどういった理由でそうなるのかは知らなかったが、大体ああいう場所は何か古い所以ゆえんがあるものだ。

 電車で三十分程走り続けると蛭水町へと到着した。夜ノ見町よりも若干都会であり、背の高い建物も多く、ショッピングモールもある様な場所だった。若者は休日にはこういう所に来る事がよくあるらしいが、町を守護する役割がある自分や翠にとっては馴染みの薄い場所だった。


「初めて来るね」

「翠は初めてだったか。アタシも一回か二回来たくらいだが」


 駅の中を歩いて公衆電話を見付けるとなるべく人通りが少なくなった瞬間を見計らい、電話機が乗っている台の裏へと手を伸ばした。手に何かが触れ、それを合図に掴んで引っ張ると一枚の紙片が出てきた。セロハンテープで止められていた物であり、メモ帳を千切った物を使った様だった。

 日奉一族は他の一族に情報を伝えたりする場合、こうして公衆電話の裏にメモを残す事がある。電話を使えない理由がある時、口頭では伝えられない時など理由は様々だが、いずれにしてもこういった方法を取っているという事は事情があるという事だ。


「な、何て書いてあるの?」

「……『忘れちゃダメ。町から出るのは解決してから。日奉百ひまつりもも』」

「やっぱり認識系なのかな」

「ぽいな……それに、これ書いたの百さんだ」

「えっ百ちゃん? 何でここに来てたんだろ……」


 日奉百。アタシや翠がまだ姉さんの所で一緒に暮らしていた時に居た人だ。いつも気の抜けた様な軽い喋り方をする人で確か妹が居た筈だ。妹は紫苑しおんだったか。今はここから離れた場所で管理や調査を任されていた筈だが、何故ここまで来たのだろうか?


「……分からねェが、何にしても気をつけた方が良さそうだな」

「う、うん。い、一応もう術使う?」

「そうだな、頼む」


 翠はショルダーバッグから白い折り鶴を出して手渡してきた。それを受け取り怪しまれない様に自分のショルダーバッグへと収める。これには所有者や取りついた相手の認識能力を補完してくれる力があるらしく、上空を飛んで虫を見付ける鳥を見て閃いたと翠は語っていた。

 駅から出たアタシと翠は若者達で賑わう街中を歩き、異常性がどこで確認されたのかを探し続けた。そしてしばらく歩いた後、ついにあるものが目についた。見逃そうにも絶対見逃せない存在だった。それはあるマンション前の道路に横たわっていた。


「みや……ちゃん」

「……オイこれか?」


 それは死亡した赤ん坊だった。見た感じだとまだ乳離れも出来ていない年頃であり、ベランダから転落したのか頭部は一部が大きくひしゃげていた。アスファルトには血が沁み込んでおり、目は閉じられていた。


「ね、ねぇ私……」

「見るな……アタシがやる……」


 屈み込んでよく見てみたが、普通の赤ん坊と何の違いも無かった。柔らかい頭部からは裂傷によって脳が一部はみ出ており、もがいた様子が無い事から即死だと感じた。一つ気になったのは目が閉じている事だった。自分で閉じたという感じではなく、まだ開けられないという感じだったからである。つまりまだ目も開けられない様な幼さだったのだ。


「本当にこれか? ……何かの事件じゃねェのか?」

「ど、どうなのかな……」


 嫌な気分になりながらも調べているとマンションから住人と思われる中年女性が出てきた。女性は明らかに死体が目に入る位置でありながら無視するかの様に通り過ぎようとしていた。慌てて声を掛ける。


「あ、あのっ!」

「え、はい?」

「救急車、呼んでもらえませんか?」

「何か事故ですか?」

「……は?」


 何言ってる? まさか見えてないのか? こんなに目に見える場所で赤ん坊が死んでるのに気づかない筈がない。やっぱりこの死体が百さんの見つけた異常存在なのか……?


「あの、見えないんですか?」

「何がです?」

「死体ですよ赤ん坊の死体!」


 女性はアタシが指差した方を見ると溜息をついた。


「あのぉ……前にもそういう事する方居ましたけどねぇ?」

「はい?」

「困るんですよぉ……そんな当たり前の事で救急車とか言われるとここの価値が下がっちゃうじゃないですかぁ『危ない人が居る』って!」

「い、いや何言って……」

「これ以上しつこいと警察呼びますよ?」

「……す、すいません」


 苛立ちながら去って行く女性を見送り死体に目を向ける。

 当たり前の事だと……まさか町の人間全員が既に認識を変えられてるのか? 百さんは部外者だったから気付けたのか? そして外部にこの情報を持ち出そうとするとどこが異常なのか分からなくなるって事か……?


「み、みやちゃん……」

「悪い、離れよう……」


 具合が悪くなっている様子の翠の手を引いてその場を離れて試しに交番に行ってみる事にした。もしかしたら既に認識を変えられている可能性があるが、一縷いちるの望みをかけて念のために尋ねてみる事にした。

 中に入ると警官が作り笑いを見せて椅子に座る様に促してきた。青ざめている翠を座らせて赤ん坊の話を始めたが、話が始まってすぐに警官はうんざりといった様子で面倒そうに聞き始めた。そして話を終えると口を開いた。


「あの、いいですか? 先程赤ん坊が死んでたなんておっしゃいましたけどね? それの何が問題なんです?」

「何がって……事故かもしれないし殺人かもしれない」

「いや事故とか事件とか言ってますけどね、それって証拠あるんですか? 赤ん坊が事故に遭ったって証拠は? 誰かが殺したって証拠は? 赤ん坊にだってそこに居る権利はあるんですからね、勝手に死んでるとか言って退かすなんてのは出来ないんですよ」

「いや頭がへこんで血も出てるし、何なら脳味噌だって出てるンですよ!」

「それって要は見た目でそう判断しただけって事ですよね? それだけで死んでるなんて言われちゃ相手側としても迷惑だと思いますよ?」


 ダメだ……完全に異常さに気付けてない。この話し方からして死んでる赤ん坊を一つの種族みたいな感じで認識してるのか?


「……分かりました、失礼します」

「はい、また何かあったら来て下さいね」


 翠を連れて交番を出ると目の前にある植え込みから小さな手がはみ出ており、更に手の隣からは電源コードの様な物も姿を見せていた。翠に見せない様にしながら一旦離れて近場にあった自動販売機で水を買って飲ませた。自分も少し気分が悪かったので一口飲む。

 赤ん坊そのものに関する認識がおかしくなってるのか? それともあの死体達が特殊なのか……? 近寄っても何も反応は示さず、ただそこに転がっているだけだった。こちらに何をしてくるでもなく、ただただ死んでいるだけだった。


「みやちゃんごめんね……」

「気にすンな。それより法則性が見えてこない、何を基準に出現してるのかがな」

「だね……見て周るしか無いのかな……」

「ああ、悪いが一緒に探して欲しい。翠が居ないとアタシも認識が汚染されるかもしれねェ」

「き、気にしないでいいよ……行こう」




 何とか持ち直した翠と共に町を歩き回り、何を基準に死体が出現しているのかを調べてみる事にした。次に発見したのは交通量の多い交差点だった。首にロープが巻かれて車用の信号機からぶら下がっていた。運転手からすれば必ず目に入る場所だというのに誰も気に留めている様子は無かった。死体の真下には死体から出たものと思われる排泄物が落ちており、車達はそれを避けるでもなくタイヤで幾度となく踏みつけていた。

 次は市役所の入り口付近だった。死体はうつ伏せに倒れており、体には複数の打撲痕があった。恐らく人の手によって付けられたものと思われたが、近くにはベルトが落ちておりそれによって付けられた傷も数ヵ所確認出来た。

 そして様々な場所を周る内にアタシと翠はショッピングモールへと辿り着いた。調査ついでに少し休憩するという目的で中へと入り、どこかで一息つく事にした。休日という事もあって老若男女様々な人々で溢れており、少し騒がしかった。


「少し休憩しよう」

「う、うん……」


 二人で適当に目に入ったカフェへと入り休憩しようと話し合った。あまり胃に入れると死体を見た時に吐いてしまう可能性もあったため、軽食で済ませて少しだけ心を休めていく事にした。しかし中に入った瞬間、またそれが目に入った。カウンターで食事が摂れる様にと椅子が置いてあったのだが、一番奥の椅子の上には赤ん坊が座っていた。それもまた等しく死亡しており、カウンターに突っ伏す様な姿勢を取っていた。それを見て店員が声を掛けてくる前に店を出た。


「そんな……」

「ここにも居るのかよ……どういう基準だ?」


 辺りを見回すとさっきは気付けなかったのか、あるいは急に出現したのかは分からなかったが、そこら中に彼らは居た。

 魚介料理を提供している店に置かれている水槽の中ではぶくぶくに膨れた赤ん坊が魚達に囲まれる様にして浮かんでおり、服屋ではハンガーで吊るされている上着の中にすっぽりと収まる様にして死亡していた。


「え、え……」

「クソ……趣味が悪過ぎるぞ……」


 そこから離れてスーパーへと入ると商品棚へと手を伸ばそうとした姿勢の死体が複数あった。首にベルトが巻き付いている者も居れば打撲痕がある者、刺創がある者も居た。利用客達は誰も気にしている様子が無く、まるで死体がそこにあるのが当たり前であるかの様に振舞っていた。

 更に調べるためにエスカレーターに乗って他の階も調べてみたが結果は変わらなかった。映画館の広間にある椅子の上でテレビのモニターを見る様に死亡している者、薬局内で全身に包帯を巻きつける様にして死亡している者、トイレで便器の中に頭を突っ込む様にして死亡している者などが居た。


「ど、どうなってるの……」

「増えてねェか……? アタシの気のせいかな?」

「わ、分かんない……分かんないよ……」


 翠は精神的に限界に達しそうになっているらしく、ぎゅっと引っ付いてきた。そっと肩に手を回す。

 まずいぞ……マジで数が増えてるとしたら目的は何だ? さっきからどの死体も動いてないし、何も喋らない……唯一法則性があるとしたら、人気ひとけの多い所ってくらいか……?


「翠、後少しでここは終わるからもう少し頑張れるか?」

「うん……で、でも一人はやだ……」

「大丈夫……引っ付いてていいから……」


 いつも以上に動きにくかったが、翠を連れて残っていた店舗へと足を踏み入れた。そこは玩具売り場だった。予想していた通り子供が多く、ちょこまかと動き回る子供達の間を通るのは大変だったが何とか商品棚の間を通り、調査を進めた。そしてこの場でも彼らを見付ける事となった。しかし他の死体とは違い、赤ん坊ではなく胎児の姿をしていた。教科書で多少見た事がある程度でリアルなものを見るのは初めてだった。思わず吐き気がしたが、それは目の前のそれが胎児だからでは無かった。彼もしくは彼女はパッケージに入れられており、ぬいぐるみの隣に陳列されていた。胎児は中でバラバラにされていた。足も手もバラバラに切り離されて、頭部は狭い場所を無理矢理通されたかの様にぐしゃっと潰れていた。そしてパッケージにはこう書かれていた。


『こんにちはおかあさん。あなただけのあかちゃんだよ! たいせつにしてあげてね!』


 吐き気が込み上げてくるのを必死に堪えながら翠の目を覆い、急いでその場から離れた。足が上手く動かないのを久し振りに呪った。あれの姿はあまりにも惨く、とても人の姿とは思えなかった。

 店から離れて手近なベンチに腰を下ろすと自動販売機で購入した水を流し込んで無理矢理吐き気を抑え込んだ。幸いにも翠は見ていなかったらしかったが、アタシの様子を見て何かとんでもないものだったという事だけは理解している様だった。


「ふぅっ……ふぅっ……!」

「みやちゃん……」

「心配すンな……この程度、大丈夫だ……」

「ど、どうしよう……どうしてこんな……」

「……何となくだが分かってきた。でもどうすればいいのかが……」

「えっ、分かったの?」

「何となくな。でも対処法が浮かばねェ……もしかしたら何もしない方がいいのかもしれねェが……」

「え、え? どういう意味?」

「……ちょっと待ってくれ」


 納得がいってない様子の翠を制止し、スマホを取り出した。掛ける場所はもちろん決まっていた。こればっかりは姉さんに頼んでみるしかない。

 視界に映る本屋の本棚から死体が顔を覗かせる中、耳元でコール音が響いた。

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