第参章:猫は自分が世界で一番偉いし、皆それに従うべきだと思っている
第6話:どこにでも居る猫
『くねくね』に関する一件を終えて家に帰ったアタシは姉さんに事の顛末を説明した。姉さんは死人が出てしまってた事を悲しんでいる様子であり何と言い訳をすればいいのか分からなかったが、こちらを責めるという様な事はしなかった。そしてどうやら最後に行った清めの儀式は正しかったらしく、あれでもうあの村で間引きされた者達による異常事態は発生しないだろうとの事だった。
そして一日学校を休んだアタシ達は学業の遅れを取り戻すべく、それぞれ学校へと向かった。昨日あれだけの事があったというにも関わらず、この大学は何も変わっていなかった。場所が違うのだから当たり前といえば当たり前ではあるが、その様子が心を少しだけ安心させてくれた。
休憩の合間に図書室で本を探していると教授と出くわした。余計な事に巻き込まない様にしようと軽く会釈して離れようとしたが、足早に近づいてくると後ろから肩を掴まれた。
「やあ」
「……教授、何ですか?」
「っはは……しらばっくれる必要なんて無いよ」
「『くねくね』の事っスか?」
「うん」
「教授、別にアタシが何しようが関係ないでしょう? 気にかけてくれるのは嬉しいですけど」
「行ったんでしょ?」
「……はい?」
「昨日の早朝、4時台かな。尾路支山でしょ」
教授の瞳が眼鏡の奥からこちらを覗き込む。静かな空間と白い髪を持つ教授の容姿のせいもあってか、どこか浮世離れした空間に取り込まれたかの様な感覚に襲われた。
どうして知ってる……どこでバレた? 休んでたのはバレててもおかしくないが、場所まで知ってるのはおかしくないか……? この事を知ってるのは他には翠かあの女学生くらいだが、翠の事を知らない筈だ。だったら女学生を探し出して聞いたのか……?
「それで?」
「はい?」
「どうだったの~……居た?」
「……居る訳ないでしょ。ただの噂でしたよ」
「っはは……行ったのは確かなんだね」
「……」
「そんな怖い顔しないでよ。別に咎めてる訳じゃないし、民俗学者としてはフィールドワークも大事だよ?」
「そうですか……」
肩に置かれた手をゆっくりと払い、なるべくここから離れる事にした。教授は不思議な雰囲気を放っており、長時間一緒に居ると心を覗かれている様な感覚になるからだった。悪い人ではないと思っているが普通の人間とは違う活動を行っている自分達にとっては、少しでも情報が割れる事は避けたかった。
教授はこちらを追う様な真似はせずにアタシを静かに見送った。カードリーダーに学生証をかざすと急いで屋外へと行き、遠くへと歩き出した。
迂闊にあの人と会話をするのは危険かもしれない……いい人だとは思いたいが何か思惑があるのは確かだ。それが何なのかはっきりとするまでは必要以上の会話は避けるべきだ。
何とか距離を離したアタシは人通りの少ない場所にあるベンチに座った。この辺りは研究棟や校舎から離れているため、あまり使われる事がない。自動販売機も置かれていない様な場所であり、校内で落ち着ける場所と言えばここだった。少し足を休めようとくつろいでいると後方の繁みから物音がした。
「……?」
振り返ってみると繁みから姿を現したのは一匹の猫だった。全身真っ黒な毛をしており、それ故にか瞳はより際立って見えた。黒猫はトコトコと目の前まで来ると腰を下ろし毛づくろいを始めた。やがて毛づくろいを終えた猫はこちらに歩み寄ってくるとぴょんと跳躍し、膝の上に乗って来た。
「オイどうしたんだ~?」
こちらから問い掛けてみても「にゃあ」と一言鳴いただけで、そのまま膝の上で身体を丸めてしまった。特に動物好きという訳でもなかったが、悪い気はしなかったので試しに首の横の辺りを撫でてみる。これといって嫌がる様子も無くゴロゴロと喉を鳴らして気持ち良さそうにしていた。
「どっから来たんだ~?」
無駄と分かっていても問い掛けてしまう。どうせ人の言葉などほとんど理解していないだろうし、理解していたとしても猫は気まぐれな生き物で人語も喋れないため答えられる訳がない。しかしそれでもこうして自分の膝の上でリラックスしてくれているのを見ると自然とこちらも嬉しくなる。
見た感じ首輪みたいな物は着けてないな。誰かの飼い猫っていう訳でもないのか……? まあ野良なんてそこらに居ても何も不自然じゃないか。
そう考えもう一撫でしようとした瞬間にアタシの手は空を切った。ふと膝に視線を向けてみるとそこには何も居らず先程までそこに居た筈の黒猫の姿は見当たらなかった。そして視線を上げてみると猫はこちらに見向きもせずにトコトコと校舎の方へと歩いていた。
「……あれ?」
急いで杖を手に取り立ち上がるとすぐに後を追いかけた。猫はまるでこの大学が自分の住処であるかの様に我が物顔で堂々と歩いていた。猫は視線が合うと立ち止まって警戒をしたりするものだが、この黒猫はそういった様子は一切見せなかった。
どうなってる……? アタシがぼーっとしてただけか? 急に膝から居なくなった様に見えたが……ただの気のせいなのか? それにしては妙な感じがするが……。
猫を見かけた学生達は普段校内に居ない猫の姿を見て興奮した様子だった。撫で始めたり写真を撮り始めたりと各々接していた。その間も猫は動じる様子は一切無く大人しくしていた。しかしついに異常が発生した。猫が構われ始めてから十分は経っていただろうか。一人の男子学生が猫の頭部に触れた瞬間、突如としてその姿が消失したのである。撫でようとしていた学生は目の前で猫が消えたにも関わらず、まるで最初から何事も無かったかの様にスッと歩き始めた。周りに居た学生達も猫で騒いでいたのが嘘の様に静かになり、それぞれいつも通りの学生生活へと戻っていた。
「マジかよ……」
すぐに翠宛てに学校が終わり次第すぐに連絡を寄越す様にとメールを送信した。その後すぐに校内を足早に回り始めた。しかしどこを探してもあの黒猫の姿は見当たらず、何人かの学生に尋ねてみても「そんなものは見てない」の一点張りだった。
完全に油断してた。あの猫は異常存在だ。どんな力を持ってるのかはまだ断定は出来ないが、少なくともテレポートや認識を書き換える力があるらしい。これ以外にも何か持っているとしたらかなり危険な存在だ。もしあれが人間と同程度の知能を持っていて、尚且つ自分の力に気付いていたとしたらまずい。動物と同じ見た目をしていながら高い知能を持っている異常存在は資料にも載っていた。それと同じタイプの可能性がある。
校内での捜索を諦めて大学を出ると
「ふぅ……」
公演に付き敷地内を見渡してみると学校帰りと思しき小学生達が遊具で遊んでいる様子が確認出来た。他にもまだ幼い赤ん坊を抱いた母親達が世間話をしていたりと、いつもと変わらない風景が広がっていた。
ここじゃない可能性もあるな……だが相手が自由に動き回れる猫な以上は根気強く探すしかねェ。まだ未知の力を持っている可能性もある以上はとにかく根気強く探すしかないか……。
スマホを見てみるとメールが届いており、翠からだった。すぐさま返信を行う。
『みやちゃんどうしたの?』
『異常存在』
『出たの?』
『今探してる。終わったら連絡』
『分かった』
丁度授業合間の休憩時間か。今の時間は16時35分……少なくともあと一時間は一人で探さなきゃならないか。翠が居てくれれば結界である程度行動範囲が絞れそうなんだが……。
焦っても仕方がないと近くのベンチに腰掛けていると足元にボールが転がってきた。どうやらボール遊びをしていた子供達がこちらに転がしてしまった様だった。
「すいませーん、ボール取ってくださーい!」
「おう。今投げるー」
ボールを掴んで子供達の方へと放り投げると、突然ボールが空中で消失した。子供達の方を見てみるといつの間にかボールはそちらに転がっており、こちらにお礼を言うでもなく子供達は遊び始めていた。
何だ……消えた? まさか近くに居るのか……? いや、他の怪異の可能性もあるか?
ベンチに立て掛けていた杖を手に取り、いつでも行動に移せる様に構えていたが何も起こる様子は無かった。そして子供達の方へと目を向けてみるといつの間にか黒猫と戯れていた。猫はボールにじゃれつく様にして遊んでおり、子供達はそれを見てはしゃいだり撫でたりとしていた。
「……何?」
馬鹿な……いつ出てきた? さっきボールが消えた時には近くに居なかった筈だ。それに警戒は怠ってない。もしあの猫が子供達と遊んでたならすぐに気づいた筈だ。それなのにどうして気付けなかった?
これ以上考えるのは時間の無駄かと考え、慌ててコンビニの袋から猫缶を取り出して蓋を開ける。こちらから近寄るのは得策ではないと予想し、ベンチから少し離す様にして設置した。すると遊んでいた猫の動きがピタリと止まり、こちらを凝視し始めた。そしてボールを手放してこちらへと近寄り始めた。それを合図にするかの様に子供達は一斉に猫への興味を失い、先程の様にボールで遊び始めた。
なるべく警戒されない様に猫が近寄ってくるまで待っていたが、猫缶の目の前まで来た瞬間ピタリとその動きを止めた。しばらく鼻をひくつかせるとプイッと顔を背けて公園の中心の辺りへ向かい始めた。
このままでは逃げられると判断して腰を上げ、なるべく物音を立てない様にとこっそり距離を詰めた。もちろんこちらの音が聞こえていない筈がないが、人懐こい猫のため近寄られる事に警戒はしないだろうと思い少しずつ近付いた。そして杖を支柱にして屈み、右腕をそっと猫へ伸ばして体へと触れたその瞬間、再び目の前でその姿が消失した。慌てて見回してみると公園の出口から外へと出ようとしており、逃げられない様に追おうとした。
「あっ!」
小さな子供の声が響くのと金属が破損する音が響いたのは同時だった。左へと顔を向けると空中に放り出されている少女の姿があった。咄嗟に少女を抱きかかえようとしたが、そのまま勢い良く飛んできた少女の衝撃を受けて倒れ込んでしまった。
「っつ……」
「え……え……」
幸いにも少女に怪我は無かったが突然の事に混乱しているらしく、自分の身に何が起こったのか理解出来ていない様だった。飛んできた方を見てみるとチェーンが外れたブランコがあり、どうやら突然チェーンが破損した事によって空中に投げ出された様だった。
「大丈夫か……?」
「う……う、うん」
少女を心配して他の子供達が集まってきたため、手元から離して立ち上がらせて出入口を見る。既に猫の姿はどこにも無く、公園からは出て行った後らしかった。
今のは偶然か……? 偶然金属に限界が来てて、それでブランコが壊れてあの子が放り出された。そういう事でいいのか……? それにしてはタイミングが良過ぎる様な気もするが……。
「おねーちゃんありがとう」
「おねーちゃんすごかったね!」
「え? あ、ああ。おう……」
「おねーちゃんどこの学校の人ー?」
「あー悪いな。お姉ちゃん忙しいんだ。また今度な?」
このままだと確実に時間を取られると考え早々に話を切り上げると、猫缶を回収して公園の外へと出た。周囲を見渡してもその姿は確認出来ず、またどこかへと移動しているらしかった。
……やっぱり一人で探すのは無理かもしれないな。もしさっきのがただの事故じゃなかったとしたら、かなり危険な奴って事になる。もし今後もああいう事をされたら、アタシ一人じゃ対処出来ないかもしれない。ここは翠を待つべきか……。
一人での確保を一時中断したアタシは翠が学校を終えるまでの間、適当に街をぶらついて時間を潰す事にした。
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