第弐章:注目欲しけりゃ口開けろ 生きていたけりゃ目を閉じろ

第3話:白くてうねる噂のアイツ

『口裂け女復活事件』から数日経ち、眉の傷痕が残ってしまった事以外はあれからは特に何事も無く過ごせていた。ニュースでは線路の修復が完了した旨を告げており、どうやら電線が切れ、そこからの漏電の影響でレールが溶けたという形で世間では認知されているらしかった。姉さんがどんなやり方をしたのかは不明だったが、自分達ではどうしようもないため、一先ずこれで良しとする事にした。

 事件もなく平和な様子を保っている夜ノ見町だったが、いつまた怪異が発生するかは分からなかった。それこそ認識出来ていない場所で発生しているという事もあり得るからだ。しかし考えすぎても良くないと考え、アタシは通っている大学の食堂で適当な食事を済ませていた。民俗学部があるという理由だけでここに入ったが、それが怪異の封印に役立った事は残念ながら今のところない。


「……ねー、マジ怖いよねー」


 少し離れた所に居る女学生達の声が聞こえてきた。丁度昼食時を外してきたものの、やはり大学という事もあってどの時間帯でもそれなりに人は居た。なるべく静かに食事をしたかったが、わざわざ注意をするのも無粋なため、何となく聞き耳を立てながらうどんをすすった。


「何か田舎で見たって言ってたよー……」


 田舎で出る怪異など五万と居る。それこそ、まだ自分達が観測した事がない存在だって居てもおかしくない。単純な霊体、妖怪、山神の類、ざっと思いつくだけでこれだけ居る。だが、害意の無いものまで封印していてはキリがない。そういったものは放っておくに限る。


「なんか……くねくねだったっけ?」


 箸が止まった。

 『くねくね』、確かネット発祥の怪異だった筈だ。田舎の田園地帯に現れて、それが何者なのかを理解してしまうと狂ってしまうという存在だった。家に置いてある資料には封印した記録もなく、あれはネット上の都市伝説、あるいは怪談の一種だと思っていた。もし本当に存在するのであれば、早急に対処する必要がある。

 アタシはすぐさま席を立ち、会話をしている三人組の所へとツッカツッカと近寄った。


「なァ、ちょっといいかな」

「え? はぁ……何ですか?」

「今話してたの、アタシにも聞かせてくれねェかな?」

「あのぉ……何なんですか?」

「あ~……ほらアタシ民俗学部の人間でさ、そういうのちょっと興味あるンだよ、うん」


 三人は怪訝そうな顔をしていたが、学部の話をすると多少は警戒も解けたのか、先程の話を聞かせてくれた。

 彼女らの内の一人が祖父母の暮らす田舎に行った際に、田圃たんぼの向こう側でゆらゆらと揺れる白い何かを見たとの事だった。幸いにもその時は案山子かかしの一種だと思ったらしく、詳しく調べようと思わなかったらしいが、後に祖父にその事を話した際にそれがどういった存在なのかを教えてもらったらしく、それを話のタネにしていた様だった。


「ね、怖くありません?」

「それはマジな奴なのか? 地域によっちゃあ子供の教訓のためにそういった伝承を作る事があったりするが……」

「あ~っ信じてないんですね? 爺ちゃんの家にこういうのもあったんですよ?」


 そう言うとくだんの生徒はスマホをこちらに向け、一枚の写真を見せてきた。画面には古びた巻物の様な物が映っており、そこには田圃の向こうに揺らめいている『くねくね』と思しきものを見て頭を押さえている男の姿が描かれていた。


「……見せてもらったのか?」

「ええ。相当昔のものじゃないんですかねこれ」


 妙だ……『くねくね』はネットが発祥の創作だった筈。こんな古びた書物に残されている筈がない。だがもしこれが本物だったら、ネットで書き込まれるまで存在が一部の地域で隠蔽されていた事になる。隠蔽されたままだったなら良いが、こうして表沙汰に語られたりする状況が続くのはまずい……。


「……そうか。ありがとう、そろそろ授業だから行くよ」

「あ、はーい」


 アタシは急いで席に戻り丼に残っていた物を全て搔き込むと、流しに食器類を持っていきすぐに食堂を出た。

 スマホを取り出し、教授の一人に電話を掛ける。彼女はものの数秒ですぐに電話口へと出た。


「ん~はいはい」

「教授、ちょっといいですか」

「お~ヒマちゃん、どした~」

「その呼び方はやめてください。今から研究室お邪魔していいスか?」


 電話口の向こうからごそごそと物音が聞こえる。


「ん……まあいいよ。でも、どしたの?」

「調べモンです」


 必要最低限の事を告げると電話を切り、急いで民俗学部の研究棟へと向かった。合間にある階段がきつかったが、他の生徒を見るに単に足の問題だろうと思えた。

 辛い階段を上り終え、しばらく生い茂る木から作られる木陰を歩いていくと、徐々に研究棟が見えてきた。まだ二年生であるため、来る機会は少ないが教授はよくアタシに気をかけて話しかけてくる。何故そこまでしてくるのかは分からないが、コネを作るのは悪くないので仲良くする様にしている。

 棟に入り研究室がある三階へと登ろうとすると、横から声を掛けられた。見ると教授がそこに立っており、気怠そうに壁にもたれていた。

 化生明子けしょうあきこ。この大学で民俗学、特に伝承や妖怪文化などの研究を行っている教授だ。いつもどこで買ったのか丈のあっていない大きめの服を着ており、何かの病気なのか真っ白な髪をしていた。肌は普通の色のためアルビノという訳ではないのだろう。年はいったいいくつなのだろうか。随分と若く見えるが。

 教授の目が眼鏡の奥からこちらを見つめる。


「教授、部屋にいらしたンじゃないんですね」

「ほらヒマちゃんが来るって言ったからさぁ」

「だからその呼び方は……はぁ、まあいいです。それより資料なんですが」

「うん。そっちの講義室に置いてある。今授業無いし、見てきなよ~」

「……どの資料か分かるンですか?」

「全部あるよ全部~。ほら、こっち」


 ふらふらとした足取りの教授を追って講義室に入ると机の上にいくつもの資料が乱雑に置かれていた。中には相当古い書物もあり、とてもその道の専門家がやる事とは思えなかった。


「教授、もっとちゃんと扱えないンすか?」

「っはは……全部覚えてるし、別にいっかなってさ、うん」

「全部……ですか?」

「ま、ね」


 実際この人は恐ろしく記憶力がいいらしい。講義中も教本の様な物は一切使わず、メモ帳を使っているのを見た事がない。研究室にもメモ書きすらない。

 本を手に取り、一つずつ表紙を確認していく。


「でっ、何調べるの?」

「実は……最近『くねくね』っていう噂を聞きまして」

「あ~それね。ふぅん……君は真面目だねぇ。それって単なる噂でしょ」

「ネット発祥らしいですね。でもちょっと気になって……」

「……」


 教授は何も答えず、近くにあった椅子にヌルリと腰掛けた。アタシはそのまま本を見続け、『化生伝書』と書かれた本を見付けた。教授の名字と同じであったが、この人が書いた物とは思えない程古い書物だった。ページを捲り始める。


「……ヒマちゃんはさ、どうしてこっちの世界の勉強始めたの?」

「……特に理由はないですよ。楽しそうだからです」

「楽しそう、ねぇ……」


 教授は背もたれに大きくもたれて身を沈める。

 本を読み進めていくと、各地で語られている様々な伝承や御伽噺おとぎばなしなどが記載されていた。有名な話もあればマイナーな話もあったりと非常に興味深い資料だった。しかし、最後までざっと読んでみても、どこにも『くねくね』に似た内容の記載は無かった。

 すぐに本を閉じて次の本を手に取る。


「……載ってないよ」

「は?」

「『くねくね』なんて載っちゃいないよ~、そんな本にはさ」

「何か知ってるンですか」

「ただの怪談ってだけだよ。だいたい考えてもみなよ、この話のオリジナルはネットの書き込み、しかも弟の友人が被害に遭ったって話でしょ? 典型的な作り話のお手本じゃないの」

「分かってますよ。ただ」

「ただそれがリアルだった場合が怖い、かな?」


 本を捲る手が止まる。教授はアタシの手に触れると下から目を覗き込んできた。


「何スか」

「私も調査に連れてってよ」

「……何も言ってないですよアタシは」

「目を見れば分かるよ」


 この人に教える訳にはいかない。噂話だったらそれでいいが、もしも本物の怪異だった場合厄介な事になる。一族の資料にも載ってないものが相手となると対処が間に合わなくなる可能性もある。そうなるといたずらに被害者を増やしかねない。

 教授はズボンのポケットからペンを取り出すと机をトントンと叩き始めた。


「頼むよ~」

「だから行きませんって」

「場所は?」

「教授」

「ねぇ」

「いい加減にしてください」

「…………っはは、ごめんごめん。冗談だよ」


 教授はペンを収めて手を離した。机の上にはペンのインクで出来た汚れが出来上がっていた。


「それじゃあアタシはもう行きます」

「ん。また来なよ」

「それ、消しといた方がいいですよ」

「っははは。はいはい」


 アタシは足早に講義室を出ると棟の外に出ながらスマホを開いた。時刻は16時頃であり、まだ高校生の翠は授業の途中である事が考えられたため、ネットへ繋ぎ先程女学生が話していた場所がどれ程離れた場所にあるのか調べてみる事にした。

 夜ノ見駅から比良境井ひらさかい方面へと乗っていき、そこからバスへと乗り換えれば行ける場所だった。二時間は掛かる場所だったが、決して行けない程遠い場所という訳ではなかった。

 行くなら明日だ。翠は部活に入ってないしすぐに帰路に付く筈だが、相手が本物だった場合を想定して準備をしておく必要がある。それに姉さんにも事前に連絡を入れておかないといけない。念のために……。

 周囲を見渡して人目が無い事を確認しながら大学の校門へと向かった。授業さえ無ければ早めに帰ってもいいのが大学のいいところだろう。どれだけ早く校外に出ようと奇異の目で見られないのは日奉の人間としては助かる。


「ふぅ……」


 翠の下校時刻になるまでの間、時間を潰すためにツカツカと最寄りにある喫茶店へと向かった。以前翠に誘われた場所とは違い、古びて落ち着いた雰囲気のある店であり、外で落ち着いて考え事をしたい時はいつもそこに寄っていた。

 店に着き扉を開けると店長の茶袋ちゃぶくろ婆さんが座っていた。昔からここで店を切り盛りしている婆さんであり、いつも開いているのか閉じているのか分からない細い目をしている。年のせいか腰をいつも曲げているが、それでいてしっかりと経営は出来ている。


「いらっしゃい」

「ああ、婆さん。来たぜ」

「あらあら雅ちゃん……いつ振りかしらねぇ」

「一週間前に来ただろ?」


 適当に開いている席に座り翠にメールを送る。出来れば家に帰ってからの方がいいのかもしれないが、早めに伝えるべきであり、翠が居ればこの人に聞かれても記憶を消せるだろうと思ったからだ。

 そうしていると、まだ何も頼んでいないにも関わらず茶袋婆さんが湯呑に淹れたほうじ茶を運んできた。


「はいどうぞ」

「まだ何も頼んでないぜ?」

「あらあら……雅ちゃんいつも頼んでるじゃないの」


 婆さんはホホホと笑うとよたよたと奥の方へと引っ込んでいった。確かにいつもここに来る時はこのお茶を飲んでいた。コーヒーや紅茶も飲めない訳ではないが、アタシの口にはこれが一番馴染んでしっくりと来るのだ。

 メールを送り終えたアタシはすぐさまネットへと繋ぎ、『くねくね』に関する情報を集める事にした。とはいってもどういった存在なのかというよりも、いつ頃から再び目撃される様になったのかを調べるのが目的だった。Webクローラーは家のパソコンからでないと使えないため人力となるが、この年になってから最初に目撃された記録を探してみる事にした。

 最初は1月4日、正月頃だ。恐らく両親の帰省に付いて行った、あるいは故郷に帰省した人物の投稿と思われた。写真は貼られているがただの田舎の風景であり、あくまで『ここで見た』という情報に過ぎなかった。その後の投稿を続けて見てみても、大半が『見た』という書き込みだけであり、決定的な証拠写真は存在していなかった。

 そんな中、ふとある投稿が目に留まった。その投稿が行われた日付はあの女学生が言っていた日付と一致しており、更には写真ではなく動画が貼り付けられていた。そしてその写真の中には、遠くの田圃付近でうねる様な姿を取っている白い何かが映り込んでいた。


「……」


 アタシは目を細めながら再生ボタンを押した。白い何かはうねうねくねくねと動き続けており、その動きはどこか有機的な動きだった。ビニールなどとは違う、どこか生物的とも言える動きだったのだ。動きに規則性は見られず、腕の様な物をこちらに振るかの様に動かしたかと思えば、今度は全身をうねうねと動かしたりと不気味な動きをしていた。動画は一分も経たずに終わり、書き込みには『尾路支山おろしやまにくねくねが出た!』と書かれていた。

 ひとまず何とも無かった事に安心しつつ茶を飲み、そのページを開いたまま翠が来るのを待つ事にした。


 それから30分程待っていると店の扉が開き、翠が入って来た。うつらうつらとしていた婆さんはハッと目を覚まし、翠を見ると嬉しそうに笑った。


「あらあら翠ちゃん。今日はお揃いなんだねぇ」

「こ、こんにちはお婆ちゃん! え、えっとみやちゃんは……」

「オイ、こっちだ」


 手をプラプラと振ると翠はこちらを見付け歩み寄ってきた。奥では婆さんが飲み物の準備をしている。


「ご、ごめんみやちゃん。遅れちゃって」

「いやいいよ。それより座れ。仕事かもしれん」


 翠は反対側の席へと座り、婆さんはオレンジジュースを運んできた。この子がここへ来る時はいつもこれを頼んでいる。


「はい翠ちゃん、どうぞ」

「あっありがとうございます!」

「悪ィな。530円だよな?」

「いいのよいいのよ。こんな老いぼれのお店に来てくれるんだもの。たまにはサービスしなくちゃね」


 婆さんは再びホホホと笑うと奥へと下がっていった。


「な、何か申し訳ないね」

「好意に甘えよう。ここで食い下がるのは無粋だろ」


 翠はストロー越しにジュースを吸うと姿勢を正した。


「それで、どうしたの?」

「これを見てくれるか」


 スマホを机の上に置いて該当する投稿を見せながら、学生から聞いた話を聞かせた。翠も『くねくね』そのものは知っていたのか目を細めていたが、動画が終わるとすぐに目つきを戻した。


「な、なるほど……」

「ただの噂かもしれねェ。だがもしもって事がある。念のために調査した方がいいと思ってンだ」

「そうだね……口裂け女も噂から再発生したっぽいし、もしかしたら……」

「ああ。アイツは元から存在する怪異だった。だがだからと言って、0から1が生まれないとも限らねェ」


 スマホを仕舞う。


「万全を期すべきだと思う」

「わ、分かった。でもどうやって対処するの? 封印するにしても『四神封尽』は近くでやらなきゃだし……」

「噂が本当ならアイツは理解しない限りは大丈夫らしい。なら目を逸らしながら近づいちまえばこっちのモンだ」

「そ、そんなに上手くいくかな?」

「前例が無い以上はやってみなきゃ分からねェ。一応対策は準備しとこう」

「う、うん」


 必要な情報を伝えた後は各々出された飲み物に口をつけ、会計を終えて外に出た。幸いにも婆さんは年のせいか眠っていたらしく、会話は聞いていなかったらしい。あまり話が出来なかったのを残念がっていたのが少し心に来たが、明日に備えて買い物を終えて家に帰る事にした。


 山の順路を通って家に着くとすぐに黒電話から姉さんへと連絡をした。翠はリュックを引っ張り出し、あれこれと必要そうな物を詰め込んでいた。


「もしもし、雅ですか?」

「姉さん、ちょっといいかな」

「どうしました?」


 『くねくね』に関する情報を話終えると姉さんは少し唸ってから話し始めた。


「……それは確かですか?」

「あくまで可能性の話だよ。でも、もしかしたらって事がある」

「なるほど。確かに先の口裂け女の件も従来とは違う行動形式が見られたそうですね」

「うん。『箱入り鏡』が無くなってる以上は警戒するに越した事は無いと思うンだ」

「……分かりました。ではくれぐれも無理をしないようにしてくださいね?」

「うん、分かってるよ」

「ではこちらでも各一族に情報を伝えておきます。それでは」

「うん、じゃあ」


 電話を切ったアタシは壁を支えにしながら居間へと向かい、翠が出してくれていたリュックの前にドカッと座り込んだ。


「どうだった?」

「無理はしないようにとさ」

「そっか」


 アタシ達は数日泊まり込みになる可能性を考慮して軽食や栄養食、飲料、歯ブラシ等をリュックに詰め込み、その他サングラスや帽子、翠にとっての必需品である折り鶴入りの瓶を準備した。そして準備を終えた後は早めの夕食を簡単に済ませ、朝一で出掛けられる様にと早めに眠る事にした。


「おやすみみやちゃん」

「ああ、おやすみ翠」


 アタシは天井に浮かぶ小さな太陽を見ながらゆっくりと目を閉じた。

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