第32話 絶対に見捨てない

 シャノンは、彼女が敵だと知ったときには殺すことも厭わすに攻撃していた。だが、それは相手が明確な悪だからできたことだ。


 今は違う。アリエがギルレドの精神汚染によって操られていたことを知った。それによって、彼女は無理矢理に命令を聞かされている。そのことを知っている。


 アリエが本心から騙して殺そうとしたのではなかったことを安堵した。しかし、そのせいで彼女を傷つけることも、殺すことも躊躇われるようになった。


 シャノンは苦虫を噛み潰したような顔で考える。アリエを助ける方法を。そんなものがあるかは分からない。だが、ここで諦めるのだけは違うと思った。


 そんなの勇者じゃない。


 虚ろな瞳から溢れ出る涙。食いしばる口からは唸り声が漏れる。それが痛みによるものなのか、ギルレドの精神汚染によるものなのかは定かでない。どちらにせよ、それは顔を背けたくなるような無惨さだった。


 アリエに気を取られすぎて足下がおろそかになっていたシャノンは、彼女の攻撃を避けた拍子に躓いた。何とか転ばずに持ち直すことができたものの、容赦なくアリエが迫る。


 右腕の突きを間一髪のところで左にかわし、そのまま入れ替わりに通り抜けようとする。だが、アリエの左手の指先がシャノンの服を捉えた。


 普通なら指先程度で止められることはない。シャノンも力尽くで振り切ろうと足を大きく踏み出す。


 だが、気づけば足が浮いて、身体が後ろへ引っ張られていた。瞬きする間もなく地面に打ち付けられ、何度も跳ねて転がった。痛みに喘ぐ暇すらなく、アリエが跳躍してシャノンの頭上から落ちてくる。


 横に転がってそれを避けた直後、地面が強烈な破壊音を立てて穿たれた。ただ拳を振り下ろしただけの一撃。


 もし、それが身体に当たっていたなら――。


 シャノンは恐ろしくて想像できなかった。


 それだけの破壊力を生み出した彼女の拳は、当然のことながら原形を保っていなかった。果たしてそれを拳と呼んでいいのかすら怪しい。赤黒く染まった塊は指という概念を失っていて、歪な玉のようになっている。


 彼女のこの力は強化魔法と人体のリミッター解除による合わせ技だ。超強力な破壊力を生み出す分、それは自らの身体に還ってくる。まさに諸刃の剣だ。使い続ければすぐに限界を迎え、死に至る。


 シャノンは堪えきれずに叫んだ。


「アリエさん! もうやめてください!」


「うがあっ――あうぅ――ああぁ」


 投げかけた言葉に反応はなく、彼女はまだ形を保っている方の拳を振るう。


「アリエさんっ――」


 急激にアリエの攻撃速度が上がったせいで避けきれず、顔面に迫る拳を咄嗟に魔力剣で防いだ。彼女の拳が砕けてしまうことを心配したシャノンだったが、実際に起きたのは反対だった。自身の目を疑う。


 魔力剣は攻撃を受けた箇所から放射状に亀裂が入り、次の瞬間には砕け散った。驚いているのも束の間、アリエの拳がシャノンの頬に叩き込まれた。


 意識が飛び、地面に叩きつけられた衝撃で意識を取り戻した。頬に広がる貫かれたような痛みは、そこに穴が空いたのではないかと錯覚するほどに強烈だった。自分が今、どういう体勢でいるのか、地面に転がっているのかすら認識が追いつかない。


 揺れる視界の中で、こちらにゆっくりと向かってくる影が見える。その姿が徐々にはっきりしてきて、シャノンは逃げなければと足を動かそうとする。だが、動いているかの感覚すらない。腕を突いて何度も立ち上がろうとするものの、力を込められずに潰れてしまう。


 身体はとうに限界を迎えていた。


 頭上に圧を感じて振り返ると首を押さえられた。その拍子に頭を地面に叩きつけられ、鈍い痛みが後頭部に走る。下腹部のあたりに重みを感じて、馬乗りになられているのだと気づいた。


「がっ――ア、アリ……エ、さ――がはっ、あがぁっ」


 喉を押さえる力が強まり、息が苦しくなる。


 シャノンはアリエの手を剥がそうとするが、びくともしない。爪を突き立て、肉を抉るように引っ張るも、押さえる力はまったく弱まらない。


「馬鹿ハーフエルフ! 何やってんのよ!」


 必死の形相で駆けつけたファリレがアリエの後ろから身体を引き剥がしにかかるが、一ミリたりとも動かない。


 首への締め付けが消えたと思うと、その手はファリレの腕を掴んだ。


「きゃ、い、いたっ、あああああああ」


 骨の砕ける音が鈍く響き、ファリレの悲鳴が重なる。ファリレはその場に崩れ落ち、腕を抱えて悶えた。肩と肘のちょうど真ん中あたりが不自然に曲がっている。まるで、そこに関節があるかのように。


 それで十分だと思ったのか、アリエは再びシャノンの首へ手をかけた。


「――っ、いい、シャ、ノン」


 ファリレが絶え絶えの息で、言葉を絞り出す。


「私が、隙を作ったら、探して。……洗脳は、魔力のある物が、触媒になって、いるの。今もこの馬鹿が、身につけてる、はずよ。それを、壊しっ――」


 ファリレの口を塞ごうと、アリエの手が伸ばされる。その隙を逃さずに、シャノンはポケットの魔法筺を使って肉体強化し、力尽くでアリエとの体勢を入れ替えた。


「触媒、って、どこに?」


「分からない、わよ。けど、たぶん、宝石だと思うわ。悪趣味な黒いの。あの畜生が好きそうだもの」


 シャノンはそのアドバイスを基に触媒を探そうとするが、逃れようと暴れるアリエの力を押さえつけるので精一杯。その余裕がない。両手はアリエの腕を押さえ、下半身はアリエにひっくり返されないように地面に固定している。


 顔で探すという案が浮かんだシャノンだが、躊躇われた。それはアリエの身体に唇を這わせ、顔を押しつけるという行為だ。こんな状況だからと言って、許されることではないように思う。


 特に、それをした後のファリレの態度が怖い。ファリレを選んだと言った直後に他の女の胸に顔を埋めているなど、カッコがつかない。


 しかし、それ以外に方法がないのも事実だった。


 シャノンは喉を鳴らし、目を瞑る。そして、覚悟を決めて眼を見開いた。


 仰向けになっていても確たる存在感を放つ双丘。それに顔を近づけていく。


 煩悩と使命感のせめぎ合いに奮闘していたシャノンは、そこで違和感を抱いた。蠱惑的な胸、険しい表情でまなじりを吊り上げるファリレ、呻き声をあげながら藻掻くアリエ、と順に眺めていき、それの正体に気づいた。


 先ほどから、何故かアリエは顔の右側を隠している節がある。髪を編み込んで尖った耳を露わにしている左側と異なり、右側は髪を下ろしていて耳は見えない。


 シャノンはギルレドの言葉を思い出した。


 アリエは奇形だ、と。


 片方はエルフの尖った耳だが、もう片方は人間の丸みを帯びた耳だと言っていた。あのとき、アリエは泣いていた。


 ハーフエルフはエルフからも人間からも疎まれる存在。だからこそ、その特徴が顕著に表れている両耳の形は、隠したいに決まっている。


 そこは普段、彼女が絶対に他人へ見せない部分のはずだ。


 シャノンは直感した。触媒を隠すなら、そこしかない。

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