第22話 裏切り

「それは……」


「そうやって適当なことを言って……。もう……もう、うんざりよ!」


「待って、ファリレ。ごめん、違うんだよ。そうじゃなくて――」


「触らないでって――言ってるじゃない!」


 その声とともに、ファリレに触れようとしたシャノンの手元が弾けた。


「いっ――」


「シャノンちゃん!? 大丈夫!?」


 駆けつけたアリエが、ファリレからシャノンを引き剥がす。その手を見て、息を呑んだ。


 シャノンの手は焼け爛れ、肉が裂けていた。瞬く間にシーツに赤い染みを広げる。


 呻き声を漏らして苦悶の表情を浮かべるシャノンに、アリエはすぐに回復魔法を掛け始める。


「ちが、――私は、その――」


 戸惑いの色を浮かべ、不安に瞳を揺らすファリレは、か細い声を漏らす。だが、そんな彼女に向けられたのは明確な敵意だった。


「来ないで!」


 アリエが放った拒絶の言葉に、ファリレは言葉を詰まらせる。睨みつける双眸と目が合い、首をふるふると横に振った。


 口を開こうとするファリレに、アリエがとどめを刺す。


「ずっと思ってたんだけどさ。性格、面倒臭過ぎるでしょ。お高く止まっていたいなら、勝手にすればいい。けど、他人を巻き込まないでよ。シャノンちゃんが可哀想だよ」


 ファリレは首を振り、否定を示しながら後ずさる。


「シャノンちゃんも言ってたよ? 勝手に奴隷になるとか言われて、正直、迷惑だって。逆らうと何されるか分からないから、仕方なく一緒にいるんだって。他人の気持ちなんて考えもしないファリレちゃんは、気づかなかったんだろうけどさ」


 ぼろぼろと涙をこぼして、ファリレは胸を押さえた。そのまま逃げるように、乱暴に扉を開いて出て行く。


「ファ……リ、レ」


 痛みを堪えながら手を伸ばしたシャノンの手はその背中に届かず、アリエに押さえられた。


「どう、して……」


 向けられる抗議の瞳に、アリエは悲しげに微笑んだ。


「ごめんね。けど、こうしないとファリレちゃんはずっと気づかないでしょ?」


 シャノンは開けっぱなしにされた扉に視線を向ける。


 確かにそうかもしれない。いつかは、あの性格と向き合わなければならないのかもしれない。それが今だと言うのなら、それはそれでいい。


 だが、どうしても。決定的に許せない部分があった。


 ようやく治療が終わり、シャノンの手は元に戻った。


 もう痛みはない。


 肉体には、ない。


「確かにファリレは素直じゃないし、それを面倒だと思うときもあるし、迷惑だと思うときもあります」


 ――だけど。


 シャノンは引き留めようとするアリエの手を振り払って、扉へと向かう。


「俺はそんなことアリエさんに言ったことないし、俺は巻き込んで欲しいんです。俺は――」


 言いかけて、シャノンは言葉を飲み込んだ。これは本人に言うべき言葉だ。目の前にいる彼女ではなくて、一人で行ってしまった彼女に対して言うべき言葉だ。


「エルフはね、魔法に愛されてる一族なの。だから不老不死という特性を持ってるし、魔力操作も飛び抜けて上手い。それでも、最初は魔力操作なんてうまくできないんだよ。相当に難しい技術だから、みんな小さい頃から鍛錬を重ねる。あたしたちの強さは、努力と時間の積み重ねなの」


 唐突に関係のないことを話し出したアリエに、シャノンは足を止めた。


「あの、それが今、何の関係が――」


「シャノンちゃんは、それに迫る境地に数日で至ってる。加えて、失われた第五元素の魔法。正直、羨ましいよ。喉から手が出るほど欲しい才能だ。特にファリレちゃんなんか、横で見てて辛かったんじゃないかな。彼女は魔王の娘だから、本当に小さい頃から魔法を学んできたはずだよ」


「何なんですか? 急に」


 早くファリレのところに行かなければならない。にもかかわらず、踵を返すことができなかった。


「今まで積み重ねてきたことを、目の前で簡単にやられた人の気持ちが、シャノンちゃんに分かるかな?」


 分かる。シャノン自身そうだ。ファリレと出会う前は、どんなに努力したって無力のままだった。報われたことなど一度もなかった。だから、その気持ちは痛いほど知っている。


「自分の人生は無意味だったんだって、価値のないものだったんだって。そう思うんだよ。ファリレちゃんも、あたしも、君のことが眩しい。一緒にいると、劣等感に苛まれる」


「……そんな、ことは…………」


 分かるからこそ、アリエの言うことを切り捨てることができない。聞く耳を持たないでいることができない。


「シャノンちゃんが悪いわけじゃない。それは分かってるよ。だからこそ、余計に辛いんだよ。責める相手が、自分しかいないんだよ。シャノンちゃんがもっと性格が悪かったら、嫌な奴だったら、どんなによかったことか。そうしたら、ファリレちゃんだってあんな風にならなかったのに」


 アリエは瞳を濡らして、包容力のある優しい笑みを浮かべた。それは相手に何かを悟らせるような、そんな表情だった。


「シャノンちゃんは、ファリレちゃんと一緒にいるべきじゃないんだよ」


 シャノンは向けられた視線から顔を背けて、自らの足下に目を落とした。


 そうなのかもしれない。


 アリエの言うことは全部正しいように聞こえる。納得できてしまう。本当は一緒にいるべきではないのかもしれない。


 けれど、それは他人が決めることではないはずだ。本人がそう言わない限り、その言葉は偽物でしかない。


 シャノンは顔を上げる。迷いはなかった。


 だからか、アリエは諦めたように、ふっと笑った。


「それでも俺は、ファリレと一緒にいたいです」


 本当はファリレに、一番に言いたかった。けれど、何故かここで言うべきだと思った。そうしないと進めない気がした。


 シャノンは踵を返して扉をくぐる。遠くにファリレの姿を見つけた。


 大丈夫。まだ間に合う。


 そう思った直後、視界が回転し、背中に衝撃を受けた。身体が弾んで、柔らかい地面に落ちる。


 ベッドの上だと気づいて扉へ顔を向けると、いつの間にかそこに移動していたアリエと目が合った。瞬間、悪寒が走る。


 笑っていた。口元を歪めて、異常に、狂ったように。


 その瞳からは肌を刺すような殺意が溢れ出している。


 まるで別人のような彼女は、しかし、アリエの声で言う。


「シャノンちゃんが悪いんだよ? 素直に諦めてくれてれば、死なずに済んだかもしれないのに」


 彼女は後ろ手で扉を閉める。


 まるで絶望が歓喜を上げるように、掛けられた鍵の音が重たく鳴り響いた。

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