第19話 川の字で寝るということ
外気をいっぱいに吸い込むと、朝特有の澄み渡る冷えた空気が肺を刺激した。小鳥の囀りや葉の擦れる音のハーモニーが寝不足の苛ついた感情を和らげる。だが、眠気は図々しくも居座ったままだ。
「シャノンちゃんどうしたの? 寝不足?」
井戸から組み上げた冷水で顔を洗うも、瞼が開かない。そんな彼に顔を拭くための布を手渡しながら、アリエが首を傾げる。シャノンは受け取って顔を拭い、ようやく開いた薄目でアリエを睨んだ。
「アリエさんのせいじゃないですか……」
「おやおや、お姉さんの悩殺ボディと同じ屋根の下にいたせいで、興奮して眠れなかったのかな? なーんだ、言ってくれれば楽にしてあげたのに」
言いながら自分の唇を指でなり、頬を上気させるアリエ。そんな彼女に、シャノンはため息を吐く。瞼を閉じて動きを止め、ぴくりと身体を震わせて瞼を開いた。
「…………あ、寝てた」
「睡姦はさすがに気が乗らないんだよ? だって、シャノンちゃんが耐えきれずに絶頂に至ったときの背徳と恍惚の入り交じった表情を見ることができないからね!」
「……………………あ、すみません。今、何の話してましたっけ?」
「え、待って、今寝てたの? 嘘だよね? …………何でもないよ」
白銀の髪をいじりながら、視線を逸らすアリエ。その頬がわずかに赤らんでいるのを見て、シャノンはくすくすと笑い声を漏らした。
「えっちなお姉さんより、そっちの方がアリエさんは可愛いですよ」
「っ――も、もう! 大人をからかうんじゃないの」
アリエがシャノンの頭を小突き、二人に笑顔が咲いた。
家に戻ると、ファリレはまだベッドに横になっていた。
「ファリレ、朝だよ」
シャノンが声をかけてもびくりともしない。アリエは「寝かせてあげれば」と朝食の準備に取りかかった。
だが、昨晩の恨みがあるシャノンはベッドに膝をついて、ファリレの肩を揺する。
昨晩、三人は誰がどこに寝るかという会議を開いた。幸いアリエの作ったベッドは広く、川の字になれば三人で寝ることができた。
そうは言っても、さすがに女性二人と一緒に寝るのは憚られたため、シャノンは自ら床に寝ると提案した。だが、ベッド以外の場所で寝たら襲う、というアリエの脅迫によって断念せざるをえなかった。
そうなると、どういう順番で並んで寝るかという問題が発生する。
ファリレは自分が真ん中で、壁際にシャノンと言い張った。
アリエは自分とシャノンがベッドで、ファリレは床だと言った。
まずファリレは自分の寝場所でぶち切れて、続いてシャノンの寝場所でぶち切れた。アリエは笑っていなしながらも、譲る様子はこれっぽっちもない。
この場所がアリエの家であるために、一方的に優勢な彼女が押し切ってしまうかと思われた。しかし、苦し紛れに出たファリレの提案にアリエが乗ったことにより、シャノンの地獄が始まった。
壁際にアリエ、真ん中にシャノン、外側にファリレ。これぞまさしく女体サンドイッチ。この時点では、寝難そうだな、くらいにしかシャノンは思っていなかった。
だが、いざ三人で寝てみると肌が触れあうほどの距離で、動けば誰かにぶつかってしまう。そのような状況でアリエが大人しく眠るはずもなく、そんな状況でファリレが黙って眠るわけがない。
寝返りを打つ振りをしてアリエが胸を押しつける。それを察したファリレも自らの胸を押しつけた。ただ、ファリレの方が胸が小さいので、押しつけるために一層シャノンに密着しなければならない。
当のシャノンは、高速で脈打たれるファリレの心臓の音が腕に伝わり、そのせいで高ぶり始めた感情を抑えるのに必死だった。
教会で子供の世話をしているので、女の子の裸はしょっちゅう見ている。だから、並大抵のことでは、シャノンは何とも思わない。
しかし、こうして女という側面を前面に出され、あまつさえ恥じらいながら頑張って対抗している姿を見てしまうと、否が応でも意識をしてしまう。
足を絡めてくる上に、熱を帯びた息を耳に吹きかけてくるアリエの攻撃に心を折られそうになりながら、シャノンは心頭を滅却して無我の境地に至らんばかりに瞑想を始める。
そうしているうちに疲れたのか、二人は寝てしまった。だが、攻撃は残り続けた。むしろ、眠ったせいで遠慮がなくなったファリレが酷かった。耳を舐めて来たり、シャノンの腕を自分の股の間に挟もうとしたりなど、強烈な攻撃を受けた。その結果、シャノンは一睡もできずに朝を迎えたのだった。
いくら肩を揺すってもファリレは目を覚まさないが、それでもシャノンはしつこく揺らし続けた。一分くらいそうしていると、シャノンは突然手をぴしゃりと弾かれた。
「……しつこい」
「いつまで寝てるの? もう朝だよ」
「知ってるわよ」
ぶっきらぼうな口調で、いつもより声のトーンが低かった。調子でも悪いのかとシャノンが声を掛けると、ファリレは勢いよく起き上がった。
「うるさいって言ってるじゃない!」
声を上げながらシャノンを突き飛ばす。ファリレの力が思ったよりも強く、シャノンはそのまま背中から床に落ちた。
「いっ――」
痛みに顔を顰めるシャノンを見て、ファリレは一瞬眉尻を下げるが、すぐに眉を寄せてそっぽを向いた。
「ふんっ、いい気味よ」
シャノンは腰をさすりながら立ち上がり、ファリレを静かに睨んだ。
「あのさ、何でそんなに機嫌悪いわけ?」
「別に何でもないわよ」
ファリレは棘のある声色で言い放つと、出口へ足早に向かう。
「ファリレちゃん、どこ行くの? もうすぐ朝ご飯だよ?」
「顔洗いに行くだけよ」
大きな音で扉が閉められ、部屋の中が静まり返った。残された二人は目を丸くして顔を見合わせる。
「あーあ、シャノンちゃん怒らせちゃったー」
シャノンは肩をすくめてテーブルに着いた。
ファリレの機嫌が悪い理由に何の心当たりもない。昨日の夜まではべったりと引っ付いてきていたので、何かあったとすれば朝になってからだ。まさか、無理やりに起こしたから、というわけではないだろう。それは教会でもやっていたことだ。
その後、戻ってきたファリレを交えて朝食を摂った。その間、ファリレは一言も発することなく、雰囲気は最悪だった。
食事を終えた三人は鍛錬のために地面に下りた。ファリレの機嫌は直らないままだが、それでも彼女は付いてきた。ただ、口出しをするつもりはないようで、少し離れた岩の上に腰掛け、頬杖を突いて眺めるだけだった。
「それじゃあ、始めよっか」
アリエはシャノンの手を取って、軽く握った。
「とりあえず一度見たいから、魔法を使ってみて」
言われた通り、シャノンはアリエから流れてきた魔力を使用して指先に魔力弾を生成する。流れてきた魔力はそこまで多くなく、難なく拳よりも小さいサイズに圧縮させる。量を多くするならアリエから魔力を吸い取ればいいだけの話だが、それはファリレから他人に明かすなと禁じられている。
魔力弾を眺めるアリエは感嘆の声を漏らして、適当な木に撃つように言った。指示のままにシャノンが発射させると、幹の表面が削れ、小さな穴が空いた。その穴は深いものの、向こう側は見えない。
「なるほどね。ほとんど独学でそれとは、大したものだよ」
アリエは太腿からリボルバーを引き抜くと、シャノンが魔力弾を当てた木へ銃口を向け、トリガーを引いた。銃声と同時に幹が爆ぜて、小さな穴が空く。その一撃は見事に貫通しており、向こう側の景色が見えた。
「見ての通り、シャノンちゃんの魔法はただの武器よりも弱い。供給する魔力量を増やせば同じくらいにはなるかもしれないけど、それじゃあ魔力がいくらあっても足りない」
アリエはリボルバーのシリンダーから銃弾を一つ抜き取ると、それを放り投げた。受け取ったシャノンは指で掴み上げ、首を傾げてアリエに視線を送る。
「何です?」
「銃弾をよく見てご覧」
言われた通りに見てみるものの、それは何の変哲もないただの銃弾だった。薬莢の先についた弾丸は先端が尖っていて、無機質な肌触りと冷たさが、実際の弾丸の重量よりも重みを感じさせた。
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