第4章
第17話 愛人の一人や二人
「シャノンちゃんはあたしのこと嫌じゃないの?」
「嫌じゃないですよ。どうしてですか?」
シャノンは窓の外に向けていた視線を部屋の中に戻す。ちょうどアリエがお茶の入ったカップをテーブルに置くところだった。
ファリレは足を組んで椅子に座り、「ご苦労」とふんぞり返ってお茶を啜る。だが、次の瞬間には悲鳴を上げて飛び上がり、叩きつけるようにカップを置いた。
「熱いじゃない! 火傷したのだけれど!」
顔を顰め、目尻に涙を浮かべたファリレは身を乗り出して抗議する。
「熱いから気をつけて、って言う前に飲むからだよ、ファリレちゃん。猫舌なら冷ましてから飲まないと駄目だよ?」
「白々しい! 絶対にわざとよ!」
シャノンとファリレはアリエの家にやってきていた。
フレルライト洞窟から半日ほどの距離にあり、逃げ込むには絶好の場所だった。人里から離れているため一帯に他の家はなく、アリエ一人で暮らしていた。
彼女の家は驚くべきことに巨大な木の上に建っている。大樹は上の方で幹が四つに分かれていて、その中心に家がすっぽりと収まっていた。地面からは途中までハシゴを使い、後は窪みなどが自然の足場となって、簡単に移動することができる。
秘密基地のようなアリエの居住は男心をくすぐり、シャノンは興奮した眼差しで大樹を見上げたものだ。洞窟を出て家に誘われたときは渋っていたファリレも、これには圧倒されたようで、珍しく感嘆の声を漏らしていた。
「この家はアリエさんが一人で作ったんですか?」
「そうそう。結構大変だったけど、やっぱり家がないと落ち着かなくてね」
「どうして一人で? ヒスカトレの方が便利じゃないですか?」
周囲に何もなく、ヒスカトレまで二日ほどかかる距離は利便性が悪いとしか思えなかった。アリエのように魔法が使える者であれば、街で仕事にありつけないことはないだろう。
途端、ファリレがうんざりした表情でシャノンを睨んだ。
「お前って純粋な顔をして、他人の心を抉るようなことを平気で聞くわよね。そういうところ、魔王に向いてると思うわ」
「それ、褒めてるの?」
「もしそう思うなら、お前は生まれる種族を間違えたようね」
「まあまあ、ファリレちゃんがあたしを思って言ってくれるのは嬉しいけど、お姉さん、鬼畜ショタに攻められるのも興奮しちゃう!」
今度はアリエの方を軽蔑の眼差しで睨むファリレ。汚物を見るような瞳と表情からは嫌悪がひしひしと伝わってくる。
「私がハーフエルフ風情を気遣う訳がないでしょう?」
「もう! ファリレちゃんったら素直じゃないんだから。お姉さん、そういう子には意地悪したくなっちゃうぞ」
洞窟での剣呑な雰囲気はどこへ行ったのやら、アリエは砕けた口調でずいずいとファリレとの距離を縮めていく。
ファリレは刺し殺すような冷たい視線をアリエに送り、諦めたようにシャノンの方を向き直った。
「いいかしら? エルフというのは自分たちが崇高な存在だと思っているナルシスト集団よ。もちろん、奴らも人間のことは下等種族だと思っているわ。おそらくは魔人以上にね。偶然にも人間に触れてしまったエルフが、川で手の皮がなくなるまで拭い続けたというのは笑い話ではなく本当の話、と言えばその異常性は分かって貰えるかしら。そんなエルフと人間との間に子供が生まれたら――どうなると思うかしら?」
その言葉を聞いて、シャノンはハッとしてアリエに顔を向けた。自らの発言の浅はかさに気づき、眉尻を下げる。
「そう、――」
「――こんな風にえっちなお姉さんが出来上がるんだよ!」
「茶化さないで貰えるかしら! 今かなり重要な話をしていたのよ?」
「別にいいんだよ、そんな話は。シャノンちゃんだって、えっちなお姉さんになっちゃった話の方がいいよね?」
「黙りなさいビッチ! シャノンは魔王になるのだから、この世界のことをきちんと知っておくべきなのよ」
アリエは「ほえー」と気の抜けた声を発して、大きく目を開いた。疑問符を頭の上に浮かべて、シャノンに視線を投げる。
「シャノンちゃん魔王になるの? 道中で勇者になりたいって言ってなかった?」
「はい。勇者になって魔王を倒して、ファリレと結婚して魔王になるみたいです」
「け、けっこ――」
「まあ! ファリレちゃんをお嫁さんにするんだ!? 意外と肝の据わった男の子じゃない。お姉さん、シャノンちゃんのこと、もっと好きになっちゃいそう」
手を合わせて微笑むアリエと対照的に、ファリレは茹で蛸のように顔を赤くして、わなわなと震えていた。
「奴隷から王妃なんて、すごくドラマチック!」
「そもそも、私は魔王の娘なのだから全然ドラマチックじゃないわよ!」
「あ、じゃあ、シャノンちゃんの逆玉だ! やるねえ、シャノンちゃん」
気恥ずかしさに耐えきれなくなったファリレが叫ぶも、アリエはまったく取り合わない。
「ねえ、シャノンちゃん。王様になるのなら、愛人の一人や二人いないとカッコがつかないと思わない? どう? お姉さん、身体には結構自信があるけど?」
そう言って、アリエは胸の下で腕を組む。そのせいで、ただでさえ主張の激しい双丘が盛り上がり、はち切れんばかりに伸びた衣服がそのエロスを最大限にまで引き上げていた。
「確かに、アリエさんってスタイルすごくいいですよね」
シャノンはその常軌を逸した魅惑のボディに、涼しい顔で微笑んだ。
「あら、もっとウブなのかと思っていたのに、意外と逞しい」
「ふんっ、クソビッチの醜い肉塊なんかにシャノンが興奮するわけないでしょう? 残念だったわね」
指をくわえて、上目遣いをするアリエ。
勝ち誇った笑みを浮かべるファリレ。
だが、その二人は気づいていなかった。
――テーブルの下で、指が白むほどにきつく握られた男の拳を。
「話を戻すんですが、アリエさんはエルフの人たちに追い出されたから、ここで暮らしてるんですか?」
「まあ、そうだね。エルフは同種族としか性交渉をしない気難しい連中でね。だから、エルフはくすみのない、金色の絹のような美しい髪を持つんだ。けれど、異種族との間に出来た子供は決してその色にはならない。あたしの髪が白銀色なのはハーフエルフだから。子供の頃に家族もろとも追い出されたよ。だからって、人間と暮らしていけるかと言えば、それはまた別のお話。エルフが人間を下に見てるように、人間もエルフを下に見てる。人間に捕まったエルフの末路なんて、聞くだけで吐き気がするほどおぞましいものだからね。両親も死んじゃって、だから、あたしはここに一人で暮らしてるってわけ」
アリエはお茶で口を濡らして、小さく息を吐き出した。湯気の上る表面を眺め、乾いた笑みを浮かべる。
「人間の振りをしてヒスカトレへ買い物に行ったりするし、不自由なことはあまりないから、この生活を気に入ってるよ。だから、そんな顔しないで、シャノンちゃん」
アリエは席を立ってシャノンに歩み寄ると、後ろから首に腕を回した。そのまま抱きつくようにして、瞼を閉じる。
「じゃないとお姉さん…………辛くなっちゃうから」
そう言われて初めて、シャノンは自分の目に涙が溜まっていることに気づいた。わずかに滲んでいた視界を慌てて拭う。
「ごめんなさい、俺……」
「ううん。シャノンちゃん、優しいんだね。シャノンちゃんみたいな子が王様になったら、この世界も少しはよくなるのかな……」
アリエは瞼を開いて、伏せ目がちに横からシャノンの顔を覗き込む。その瞳は哀愁を帯び、その表情は今にも散ってしまいそうな花のように、儚げに見えた。
「ねえ、シャノンちゃん。――キス、しよっか」
アリエがシャノンの顎に手を添えて、自分の方へ向きを変える。そして、身を乗り出しながら顔を近づけて――
「――って、何ナチュラルにキスしようとしてるのかしら、このビッチ! お前の家ごとぶっ壊すわよ!?」
「ちっ、あと少しだったのに」
情に流されず慌てて割って入ったファリレによって、アリエの略奪作戦は失敗に終わった。
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