第16話 ババアか否か

「けど、関節狙うって言ってもさ、あれに痛みとかあるの?」


「そ、それは…………」


「ボツ」


「な、何よ! せっかくいっぱい考えて捻りだしてあげたって言うのに!」


 怒りを露わにするファリレに、シャノンは呆れ顔で答える。


「関節技って痛いから効果あるんだよ? あれ絶対腕取れても普通に攻撃してくるじゃん……」


「分かったわよ! じゃあ、あいつの身体を全力でぶん殴りなさい!」


「雑だなあ……」


「ふんっ、私の見立てでは、ちゃんと身体強化してぶん殴れば粉砕できるはずよ」


 どうやら本気で言っているらしいファリレ。


 シャノンはその様を思い浮かべて、思わず右腕を押さえた。


「あら? もしかしてビビっているのかしら?」


「安い挑発には乗らないよ」


「ここで逃げたら勇者じゃないと思うのだけれど」


「…………やるか」


 重い腰を上げ、シャノンは魔力を全身に散らす。


「全身はもちろんのことだけれど、右腕は特に強化しなさいよ?」


「分かってるよ」


 シャノンとしても同じミスは御免だ。あの激痛をもう一度味わうと思うとぞっとする。


 強化を終え、ファリレの手を放した。


 地を疾走し、数秒で石造りの巨人の間合いに入る。


 石造りの巨人はそれに反応し、右腕を叩きつけた。シャノンはそれを軽々と避けて、さらに速度を上げる。左腕が放たれた瞬間に跳躍し、胸元目掛けて突撃する。全身を引き絞るようにして右腕を振りかぶり、ため込んだ力を一気に放つ――その直前、脳裏に先ほどの光景がよぎった。


 殴った鉄の感触。そこから伝わる力の逆行。腕を衝撃が走り、突き抜ける感覚。熱した鉄を差し込まれ、傷口を抉られているような痛み。それが一気に爆発した瞬間の耐えがたい苦痛。腕を滴り落ちていく自らの鮮血。見るも無惨に壊れた腕。


 気づけば、シャノンは石造りの巨人の胸を蹴っており、そのまま地面に着地した。ぐらつきそうになる足に気合いを入れて堪え、怪我もないのに痛み出した右腕を押さえる。


 駄目だった。恐怖と痛みが蘇り、手が震えた。


「馬鹿! 避けなさい!」


「え――」


 顔を上げたときには、遅かった。


 石造りの巨人の強固な拳が目前にまで迫っていた。


 シャノンは咄嗟に右腕でガードする。直後、強烈な衝撃が走り抜け、気づけば背中に痛みが爆発した。遙か後方の壁に叩きつけられたのだ。


 肺から空気が押し出され、呼吸が止まる。痛みに意識を飛ばされそうになりながらも何とか保ち、空気を貪るように呼吸を繰り返した。何度息を吸っても苦しみは一向に和らがない。地面に四つん這いになり、無様な姿を晒しながらも苦しみから逃れるために激しく呼吸を続ける。


 そこへ影が覆った。視界が土塊で埋め尽くされる。


 すでに強化は解けていた。


 生身で同様の攻撃を食らえば、即死は確実。


 拳がゆっくりと近づいて来る。これなら逃げられる。けれど、身体はそれよりも遅いスピードでしか動かない。


 ――駄目だ、間に合わない。


 その刹那、火薬が弾けたような破裂音が耳に届いた。


 次の瞬間、石造りの巨人は凍り付き、動きを止めた。


「危なかったね、少年」


 凍り付いた腕の上に人影があった。目を引いたのは白銀色の髪だ。輝苔の光を浴びて、幻想的な光を帯びている。長髪だが、片方だけサイドが編み込まれていて、すっきりした印象を受ける。そちら側から覗く尖った長い耳。すらりとした長身で、シャノンよりも背丈がある。外套の隙間から見える胸の主張が激しく、ファリレなど比でないくらいに服を押し上げていた。ミニスカートから覗く太腿が眩しい。雪のように白い肌のせいか、かなりの美人にも関わらず、どこか幸薄そうな印象を受けた。


 彼女はそこから下りると、シャノンに手を差し伸べる。


「大丈夫? お姉さんが来たからにはもう大丈夫だよ」


 シャノンがその手を取って立ち上がると、彼女はそのまま手を引いて走り出した。


「そろそろ動き出す頃だから危ないよ」


 その言葉の直後、表面に亀裂が入り、石造りの巨人を覆っていた氷が砕け散る。自由になるや否や、すぐにシャノンたちの方へ足を向けるが、白銀髪の女性はそれを許さない。


 シャノンを背に庇い、太腿に携えたホルスターからリボルバーを引き抜いた。髪色を同じ白銀色のそれのシリンダーを回転させ、銃口を石造りの巨人へ向ける。


「セット――凍てる弾丸グラシロブス


 引き金を引くとともに撃鉄が起き、引き切ると同時に撃鉄が落ちた。銃声が轟き、石造りの巨人の胸の辺りで火花が散る。その着弾点から幾何学的な模様が描かれた円が広がり、放射状に氷が走った。あっという間に石造りの巨人は凍り付き、再び動きを止めた。


「すごい――」


「これくらい朝飯前ってね。まあ、助けたお礼に君の身体を貸してくれたらそれだけで十分だからさ。ね? いいよね? 心配は要らないよ? お姉さんがリードしてあ・げ・る」


 甘い言葉とともに腹部を指で撫で上げられ、シャノンは思わず声を漏らした。


 それを聞いた女性は、恍惚の表情を浮かべて舌なめずりをする。


「ああん。可愛い声で鳴くじゃない。これは楽しめそ――」


 言い終わる前に白銀色の女性は飛び退き、リボルバーを構える。その表情は一変して張り詰めた緊張に包まれている。


 銃口が向けられた方向から、威圧感のある低い声が放たれる。


「ハーフエルフ風情が私のものに手を出す気? 死にたいのかしら?」


「おっと、これはこれは魔人様ではありませんか。ご機嫌麗しゅう。滅相もございませんとも。そうでしたか、あなた様のご所有物でしたか。ところで、死人に口なしという言葉をご存じでしょうか?」


「いい度胸じゃない。豚の分際で大口叩いたことを後悔させてあげ――」


「ねえ、ファリレって俺の奴隷だよね? 何で俺がファリレのものなの?」


 それを聞くなり、ファリレは不敵な笑みを引っ込め、血相を変えてシャノンの下まで駆けてきた。


「ば、馬鹿なのかしら? 今はそこ突っ込むところじゃないのが分からないの? 私今、そこのビッチからお前を守ろうとしていたのよ?」


「さっきは助けてくれなかったくせに……」


 石造りの巨人に危うく殺されかけたとき、助けてくれたのはファリレではなく、白銀髪の女性だ。


「助けようとしたわよ! あの女が先にお前を助けちゃっただけなのよ? あの女がいなければ私が助けたはずだったのよ?」


「後からなら何とでも言えるよね」


「ああああ、もう! 何なのお前!」


 ファリレがシャノンに掴みかかろうとしたところで、笑い声が響いた。


「君たち面白いね。魔人に無理難題を押しつけられて虐められている奴隷かと思っていたら、奴隷に無理難題を押しつけられて虐められているご主人様と来た。君たち、奴隷って言葉知ってる?」


「う、うるさいわね! ハーフエルフには関係のないことでしょう!」


「私はアリエ。アリエ・ライロット。少年は?」


 アリエはすっかり戦意をなくしたのか、リボルバーをホルスターに収めた。


「俺はシャノン・エーテルナイル。こっちはファリレ……えっと……」


「ファリレ・ウーヌス・リヒトルヴァリエ! 何で私の名前覚えていないのよ!」


「だって長いし、ファリレって呼ぶし」


 ファリレが再び掴みかかろうとするのを眺めながら、アリエは顎に手を当てて宙を見上げた。


「ウーヌス――ということは魔王の直系か。すごいね、シャノンちゃん。もしかして、君って大物? とてもそうは見えないけど……」


 いつの間にかシャノンの横に移動していたアリエは、シャノンの腕を撫で撫でし始める。それを見て顔を歪めたファリレは、強引にシャノンの腕を引いてアリエから引き離した。


「シャノンに触らないで貰えるかしら、ババア!」


「ファリレ、ババアとか失礼だよ。アリエさん、こんなに若くて美人なんだから」


「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。シャノンちゃんは女誑しの才能がある」


「見た目に騙されるんじゃないわよ! いいかしら? エルフっていう種族は成人した瞬間から身体の老いが止まるの。そして、エルフは不死! この女が何歳かなんて、見た目じゃ分からないのよ!」


 熱弁を振るうファリレだが、シャノンにはまったく響いていなかった。


「けど、二十歳って可能性もあるわけでしょ?」


「ああん。もうシャノンちゃん大好き! 早く帰ってお姉さんといいことしよ? ね? こんな堅物放っておいて」


 アリエはシャノンの腕に自分の腕を絡ませる。そしてそのまま抱き寄せた。


 想像以上に柔らかい感触に、シャノンの頬がわずかに赤く染まる。


「アリエさん、胸が当たってます。それと、ちゃん付けはちょっと……」


「あら、意外と気にしてるんだ。そうだよね、男の子だもんね。お姉さん、そういうの好きよ」


「ああああ、もう我慢ならないわ! この雌豚はここで殺す! その汚らわしい血をここにぶちまけなさい!」


「ふふん、いいのかな? ファリレちゃんも純血じゃないよね? 汚れてることになるんじゃない?」


「はあ? 私はお前個人に対して言ったのよ! お母様のことを侮辱したら殺すわよ?」


 今にも魔法戦が勃発しそうな緊迫感漂う雰囲気。その中でシャノンは暢気に首を傾げ、思ったままに呟いた。


「何でアリエさんは魔人の血のこと知ってるんですか?」


「ふふふ、長く生きてると色々なことを知っちゃうのよ。もしシャノンちゃんがどうしても知りたいって言うなら――一回! 一回だけしてくれたら教えてあげるよ」


「っ――――やはりここでこの女は消さないと駄目ね! 放っておいたらこの世界に悪影響が及ぶわ」


 両腕を引かれながらシャノンが呆れ顔を浮かべていると、氷が軋む音が聞こえた。見れば、石造りの巨人を覆った氷にまたも亀裂が走っている。


 その音は言い争う――主に喋っているのはファリレだが――二人にも聞こえたようで、ようやく静かになった。


「一旦、外に出るわよ。仕切り直しね」


「ファリレがあれ吹き飛ばして、剣だけ持って帰ろうよ」


「馬鹿なのかしら? お前が倒して手に入れないと意味ないもの」


「うんうん。男の子は腕っ節ってね。女は強い男に抱かれたいものよ。ああ、けど、お姉さんは弱い男にも抱かれたい! 特に中性的な顔つきの華奢な男の子が、夜はどんな狼になるのか知りた――」


 アリエが言い終わる前に、ファリレがシャノンの手を引いて走る。


「ちょっとー、置いてかないでよー」


 後方から聞こえる声を放って、ファリレは速度を上げる。血相を変えたその様は、まるでこの世の終わりが迫っているような緊迫感を孕んでいた。

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