第3話 魔人の謎ルール
シャノンは後ずさった拍子に躓いて尻餅をついた。心が絶望に染まろうとしていたそのとき、目の前に人影が立った。
ファリレだ。彼女は自軍に向かって手を向けると、またしても棒読みで言った。
「あー、だめよこっちにきてはだめ。あー、てがかってに。まさかこのわたしが、しはいされるなんて」
パチンと指を鳴らす。瞬間、爆発が起きた。
生じた強風に対して、シャノンは腕をかざし、顔を守りながら目の前の惨劇を眺める。
迫り来ていた魔王軍は火の海に消えていた。呻き声がそこら中から湧いている。
「てったいしなさい。そしてつたえるのです。だいさんおうじょふぁりれはゆうしゃのてにおちた。ゆうしゃはまおうをうちはたすたびにでる、と」
しばし躊躇いを見せた魔王軍だったが、ファリレの言葉に従って撤退を始めた。それにより、人間陣営では歓喜の雄叫びが上がる。
振り返ったファリレは膝を折り、心許なそうに胸に手を当てた。頬を上気させ、瞳を濡らした彼女は、シャノンから視線を逸らして呟く。
「よ、喜びなさい。この私がお前の……ど、…………奴隷になってあげるわ」
「ごめん。ちょっとよく分からないんだけど」
「――っ、だ、だから、その……わ、私は! ……お、お前のものだって、言ったのよ!」
「いや、だからそれが――」
言い終わる前に、ファリレは羞恥に顔を染めてシャノンに迫った。鼻先が触れそうな距離で、彼女は憤慨する。
「ああ、もう! さっきから何なのかしら? 私に恥ずかしい思いばかりさせて! 奴隷になったって言ってるのよ! 男らしく私を受け取りなさいよ!」
「分かった。分かったから、一旦落ち着いて? とりあえず、全然奴隷の態度じゃないんだけど?」
「私をそこらの奴隷と一緒にしないで貰えるかしら? 王女よ? 奴隷の中でも一番上の階級に決まっているじゃない」
「そ、そうなんだ……」
奴隷というのは一般に権利や自由を認められず、他人の私有財産として扱われる者のことを言う。どう考えても彼女は権利を主張しているし、言葉遣いと態度は奴隷のそれではない。魔人は理解の及ばない連中なのだと再認識したシャノンは、さてどうしたものかと曖昧な笑みを浮かべる。
魔王の血族が自ら人間の奴隷に志願するなど、どう考えてもおかしい。
「何で俺の奴隷になるの?」
「はあ……これだから下等種族は。いいかしら? 尻尾を取られたら、取った相手の奴隷になるというのは常識でしょう?」
「そんな常識ないよ?」
「え? あ、その……ふんっ、魔人の常識よ?」
絶対にそんなはずはないと思うものの、ファリレが嘘を言っているようには見えなかった。先ほどから展開についていけていないシャノンだったが、とりあえず確認しておきたいことがあった。
「あのさ、もう戦う気はないってことでいい?」
「ええ、もちろん。私はお前に負けたもの」
「それで、俺の奴隷になったと」
「ええ、その解釈で問題ないわ」
「つまり――」
シャノンは何の躊躇いもなく、さも当然といった感じで言った。
「俺の言うこと、何でも聞くんだよね?」
その言葉を聞いた途端、ファリレはもの凄い勢いでシャノンから飛び退き、自分の身体を強く抱き締めた。わずかに鼻をすする音が聞こえる。
「そ、そうだけれど……その……」
ファリレは上目遣いでシャノンを見つめ、頬をさらに赤く染める。
「か、身体は……その……私、初めて……だから、その……もう少し、お互いを知ってから、というか……け、結婚してからじゃないと、無理……あ、けど、別に重い女ってわけじゃなくて、その……ど、どうしてもって……言うなら…………」
「あー、ちょっといい? 俺はただ、指パッチンで魔法使う方法を教えて欲しいなと思っただけで……勘違いさせて、ごめん」
「あっ……あっ……」
ファリレは濃紫の瞳から涙を流し、漏れる声を手で押さえた。すぐに顔を両手で覆い、むせび泣き始める。
「……もう、恥ずかしくて生きていけないわ。いっそ殺して……」
「そう言われても、俺のなまくらじゃ服にすら傷つけられないし……」
「何でそうやって意地悪するの? 奴隷がみんなドMだと思ったら大間違いよ?」
「へえー、そうなんだ……」
「うわーん、もう嫌よ。私、耐えられないわ。酷い。この鬼畜!」
すっかり普通の女の子のようになってしまったファリレ。もはや当初のような恐怖を与える強さなど、どこにもなかった。そこにいるのはただの頭のおかしな女の子だ。
シャノンは大きなため息を吐いて、ファリレの頭をそっと撫でる。
「よしよし、ごめんね」
「……うん」
途端に泣き止んで口元にかすかな笑みを浮かべるファリレ。だが、すぐにハッとした表情でシャノンの手を払いのけた。
「こ、子供扱いしないで貰えるかしら? 私はリヒトルヴァリエ王国第三魔王女よ!」
「そして今は俺の奴隷ね」
「なっ――た、確かにそうだけれど…………お、お前、本当にさっきまで私に恐怖して凍り付いてた人間? 受け入れるの早くないかしら? 私のことが怖くないの?」
シャノンは少しだけ考えてから、小さく頷いた。
「もう怖くないよ。何か、こうやって話してたら君も人間と同じなんだなと思って」
少し頭がおかしいところはあるけれど、とシャノンは付け加えたが、ファリレは無反応だった。
伏せた眼差しはどこか儚げで、それでいて柔らかい何かを感じさせた。胸元に押し当てられた両手は強く握られており、何か大切なものを抱き締めているようにも見えた。
それはどこか、教会でシスターが祈りを捧げている姿に似ていて、シャノンは目元を和らげた。立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。
「俺はシャノン。よろしくね、ファリレ」
「ふんっ。よろしくしてあげるわ。…………シャノン」
照れくさそうに顔を背けて、それでもファリレはシャノンの手を取った。
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