第2話 角と尻尾は紛い物

 何度目かの魔法のぶつけ合い。一度たりとも勝ることのできなかった魔法使いたちは、そそくさと撤退を始める。魔法戦において、決してファリレに勝てないことを思い知ったのだ。


 逃げる魔法使いを罵る民兵たちだが、そんな彼ら自身もじりじりと足を下げていた。もはや敗戦は決まり、彼らの戦意は絶望が食らい尽くそうとしていた。


 それをファリレも感じたのか、嘆息して髪を後ろに払う。


「もう怖じ気づいてしまったのかしら。これだけの数がいながら情けないわね」


 ファリレはぐるりと民兵たちを見回し、その目がシャノンで止まった。


 目が合ってしまったシャノンは息を呑む。彼は自らの願いと、恐怖との葛藤故に退くことができず、いつの間にか人間陣営の先頭に立っていたのだ。


 ――殺される。


 恐怖が一段と増し、逃げようとする意志に反して身体は少しも動かない。焦りが募り、呼吸が浅くなる。


「そこのお前、こちらへ来きなさい」


 シャノンを指さしてファリレが言う。


 心臓が一際大きく跳ねた。耳元で鳴っているように鼓動がうるさい。汗が滲み出て、背筋に悪寒が走った。溢れそうになる涙を必死に耐えることしかできない。


「来いと言ったのが、聞こえなかったのかしら?」


 ファリレの手のひらが上に向き、人差し指が曲がる。瞬間、シャノンの身体は宙を飛び、彼女の眼前に転がされた。


 地面に身体を打ち付け、肘と頬が擦り切れて血が滲む。シャノンは痛みに喘ぎながらも近くに転がっていた剣へ手を伸ばす。


「こんなオモチャで私を殺そうとしていたのかしら?」


 ファリレの細い足がそれを蹴り飛ばし、シャノンの手が届かないところに転がった。


 ハッとして起き上がろうとしたシャノン。だが、ファリレが彼の上に跨がったことであっけなく阻止された。


 ファリレはシャノンの頬に舌を這わせ、傷口から流れ出る血を舐め取った。


「っ――」


「いいわ、その表情。やっぱり、愛でるなら人間の女よね」


「お、……は…………こ」


「なあに? そんなに怯えなくても、ちゃんと可愛がってあげるから大丈夫よ」


 シャノンの途切れ途切れの言葉に、ファリレが耳を寄せる。


「俺、は……男だ」


「へっ?」


 唖然とするファリレ。その大きな隙を前にして、シャノンの身体はようやく動いた。ファリレの身体を退かそうと、手近に揺れていた尻尾を握り締める。それを引くと同時、上体を起こそうとして事件が起きた。


「あっ――」

 キュポンッという軽快な音とともに、ファリレの尻尾が取れたのだ。


 その出来事に目を丸くするシャノンに対して、ファリレは痛がる様子もなく不思議そうにシャノンの表情を見つめていた。


 だが、すぐにシャノンの手元に視線を移し、その表情を瞬く間に赤く染める。


「あっ……っ……えっ……あっ」


 戸惑いと羞恥を混ぜ合わせた表情で目尻に光を浮かべるファリレ。だが、すぐに覚悟を決めたような眼差しになる。彼女は項垂れるように上体を倒し、シャノンの耳元に口を寄せた。


「わ、私が、ど、退いたら、剣で私に斬りかかるのよ。…………い、いいわね?」


「え? どういう……」


「う、うるさいわね。ちゃんとやりなさいよ。わ、私だって、恥ずかしいのだから」


 状況をいまいち理解できないシャノンだが、羞恥を堪えるように唇を噛みしめる彼女の姿を見て、言う通りにしてあげようと思った。


「あ、尻尾はどうすれば……」


「ば、馬鹿なのかしら!? 早く剣を持ってきなさいよ。尻尾は……あ、あげるわよ」


 尻尾いらないんだけどな、と苦笑いしつつ、シャノンは言われた通りに剣を拾いに行った。尻尾を引き抜いた瞬間には殺されると恐怖に戦慄いたが、実際は逆に雰囲気が柔らかくなっていた。このまま言う通りに行動すれば、殺されることはないかもしれないと希望を抱く。


 いざ剣を構えてファリレに対峙したシャノンだが、彼女に剣を振り下ろすことが躊躇われた。敵意をまったく感じない上に、相手は魔人とは言え女の子だ。勇者に憧れるシャノンにとって、それは悪行のようで気が進まなかった。


「どうしたのかしら? 早くしなさいよ」


 小声で指示するファリレ。理由は分からないシャノンだったが、同じように小声で返した。


「斬ったら痛くない?」


「ふんっ。もう私を自分のものにしたつもりかしら? まったく早漏れには困ったものね」


「え? いや、何言ってるの?」


「その程度のなまくらでは、私に傷一つつけられないから安心しなさい」


 シャノンは不安を抱きつつ、ファリレの瞳が剣呑を帯びたので素直に従うことにした。


「えいっ」


 ひ弱そうなかけ声とともに振るわれた剣は、ファリレの衣服すら傷つけることはなかった。自身の弱さに赤面しそうになるシャノン。だが、それは間の抜けた声によって遮られた。


「あ、あーれー。い、いたいわ。まさか、このわたしをたおすものがいるなんて。きさま、さてはゆうしゃね? くっ、まけてしまってはしかたがない。き、きさまの……せ、せい、…………………………き、きさまのどれいになるしかないようね。す、すきにし……しなさい!」


 耳を塞ぎたくなるほどみっともない棒読みの演技。耳まで赤くして涙ぐむファリレの姿を見て、シャノンは演技力についての指摘を飲み込んだ。


「……え、ちょっと、どういう――」


 シャノンが困惑に眉を顰めた瞬間、歓喜と悲鳴が同時に轟いた。


「まさか、あの弱っちいシャノンが魔王の娘を倒すとは! こりゃたまげた!」


 人間たちは第三魔王女を倒したことに喜び、


「まさか、あのファリレ第三魔王女様が人間に倒されるとは! そんな馬鹿な!」


 魔族たちは第三魔王女が倒されたことを嘆いた。


 両陣営を交互に見て、シャノンは驚愕しつつも戸惑いの色を浮かべた。


「え? 何でそうなるの? みんな馬鹿なの?」


 状況を飲み込めないまま、とりあえずファリレに歩み寄る。地面に崩れ落ちた体勢のまま顔を伏せている彼女に声をかけようとして、その頭部についた角がわずかに浮いているのが見えた。


「これ、どうして――」


「あっ、駄目! これは――」


 止めようと伸びたファリレの手は間に合わず、シャノンは彼女の片角を握って持ち上げた。それは何の抵抗もなく彼女の頭部から離れ、彼女の気の抜けた声とともにもう片方の角が独りでに地面に落ちた。


「あ、え? 角が取れちゃった……」


「さ、最低よ……こんな大勢の前でこんな恥辱……」


 ファリレは頭を抱え、頭から火が上りそうなほど赤面する。


 その姿を遠巻きに眺めていた魔族の陣営がざわついた。


「ああ、お労しや魔王女様」


「なんということを……」


「まだ齢一七だというのにあのような辱めを」


「あれではまるで人間ではないか」


「いくら勝ったからと言って、あのような蛮行を……」


「あの人間、狂ってる!」


 耳に入ってきた言葉から、自分のしたことがファリレにとって相当に恥ずかしいことなのだと理解したシャノン。慌てて角を取り付けようとするが、そもそもどこに付ければいいのか分からなかった。彼女の頭に、角がついていたと思われる断面はどこにも見当たらなかったのだ。


「え、これどうしたら……」


 慌てふためくシャノンにファリレが返事をしようとしたそのとき、魔王軍の陣営が動きを見せた。


「あの人間を殺して、ファリレ第三魔王女様をお救いするぞ!」


 地を震わせる声が上がり、魔族の群れが一斉に駆け出す。


 あんなものに来られたら一溜まりもない。為す術なく蹂躙されて殺されてしまう。

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