第42行目 奈央のお出かけ
翌朝。ゼンが仕事へと旅立ち、ナツキの朝ご飯片付け、千景の洗濯掃除が落ち着いたそんなのんびりとした時間帯。
「町へ行ってくるぞぃ」
突如告げた奈央の言葉で、その穏やかな時間が一変した。
「え、え!? いきなりどうしたのですか。熱でもありますか?」
「奈央が町へ行くなんて正気の沙汰じゃないだろう」
酷い言われようである。
しかし奈央はこの150年近く人里に降りていない。心配されるのも当然ではあるかもしれない。
「では行ってくる」
しかし奈央は全く意に介していないようで。リュックを背負い、すでに玄関で元気に宣言している。彼の表情は明るくキラキラと輝いているのだが……
「忘れ物はありませんか? ハンカチやティッシュは?」
「本当に大丈夫か? 何を買いに行くんだ? 代わりに俺が行こうか?」
気が気でない様子なのは、見送りをするナツキと千景。その様はまるで初めてのお遣いに挑戦する子供を心配する母親の如く。
「いや、大丈夫だ。一人で行ける。それに俺が行きたいのだ。畑の種を選ぶのでな」
心配する二人はさて置いて、当の本人は自信満々で気にしていない様子。鼻息荒く拳を握りしめている。
普段なら買い物は担当であるナツキの仕事だが、種を買うなら畑担当の奈央が適任だろう。どの野菜を今後育てて行くのか、売られている種の種類も見ながら購入したい。そしてもう一つ奈央には町に買い物に行きたい目的が。
「俺も昨日ゼンがやっていたみたいに、スズにお土産を買ってくるぞい」
そう、邪心丸出しの買い出し理由があった。
「いいか、くれぐれも警察の厄介にはなるなよ」
「あいあい」
「今の時代のお金分かりますか? 石では買えないのですよ」
「昨晩バッチリ勉強したから大丈夫なはずだ! これが500円。そしてこれが無敵の諭吉。この無敵の諭吉を出せばとりあえず大抵のことは何とかなる」
「エコバッグは持ったか?」
「持った! 猫のやつとウサギのやつで2つ持った!」
「いい? 店員さんに駄々をこねたらダメなんだよ?」
「分かっておる。お前たちにやったみたいにはもうやらん」
千景とナツキからあれもこれも散々な注意を受け続けること15分。ようやく……
「では行ってくる」
玄関から外へ出てスタスタと元気よく出発する奈央。遠ざかっていく彼の背中をまだ不安そうな千景たちが見送った。
※※※
「やあやあ」
「いらっしゃいませ~」
奈央が早速やってきたのは、種屋さん。入り口近くに居た店員にご機嫌に手を振りながら、入店して行く。
「ほほぅ」
そしてズラーッと並ぶ種たちと向かい合う。一つ手に取り、パッケージの裏面に書かれている注意事項などを確認しようとした。しかし……
「読めぬ」
老眼である。御年1000歳のドラゴンである奈央は、まごう事無き老眼である。
普段家では老眼鏡を愛用してスズの絵本などを読んでいる彼。ひさしぶり過ぎるお出かけのため、老眼鏡の必要性をすっかり忘れてしまっていた。目を細めながらパッケージを眺めるのだが、ぼやーんとしか見えない。
「すまぬ、少しいいだろうか」
「はーい!」
「これからの時期に植える種を買いたいのだが、教えてもらえるか」
「それでしたら、こちらなど……」
「ほぅほぅ」
ここから親切な店員さんによるご教授が始まった。質問したり答えたりで順調に種選びが進んでいく。そして何とかお目当ての種を購入する奈央。
「ありがとうございましたー!」
「こちらこそ、丁寧にありがとう」
店員さんとペコリと挨拶を交わし、店を後にした。もちろんちゃんとネコちゃんのエコバックに購入した種を大切そうに入れている。
「ふふふん~♪」
そして鼻歌交じりに満足げに歩き出す。今日買った種が実ったら、きっと食卓は野菜たちで豊かになることだろう。みんな喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら。
スズはまだ固いものは食べられない。だけどもう少し成長すれば食べられるようになるだろう。その時彼女は奈央の育てた野菜をパクパクと食べてくれるだろうか。その瞬間が待ち遠しくて仕方ない。
「さて、いつもの甘味処でスズの土産を買うか」
上機嫌のまま、奈央の足は更に軽くなる。しかし奈央が行こうとしている甘味処にはきっと昨日ゼンが買ってきたあのお菓子はないように思う。
奈央が行こうとしている甘味処。それはかなりの老舗店舗で、もう200年ほど続いている伝統的な和菓子を扱ったお店なのである。奈央はここがお気に入りで、町に訪れる度に立ち寄っている。
「ナツキたちにも何かやろうなぁ」
そんなことは奈央には全く分からないので、楽しい想像を膨らませながら老舗甘味処へと歩き出す。
今日は出掛ける前にナツキや千景に何やら心配をかけてしまったらしい。奈央としては心配される心当たりが全くないのだが、本当に何故だか分からないのだが、二人はとても心配をしていたような気がする。だから帰ったらみんなで15時のおやつを楽しむのも良いだろう。さて今日はどんな甘味を食べようか。
「お?」
そんなことを考えながらしばらく奈央が歩いていれば、一つの所でその視線が止まる。じっと眺めた後、近くを歩いていたご婦人へ話しかけた。
「失礼、そこな乙女」
「やだねぇ、お兄さん。私は80過ぎのばばあだよ」
「はっはっ、まだ若いではないか」
「そんな上手いこと言ったって何も出てきやしないよ」
1000歳近い奈央からすれば、80歳という年月はだいぶ若いのだが、そんな事情をご婦人は知るはずもなく。ひさしぶりに乙女と言われたことに、頬を赤くしていた。
「して、あの場所がどのような場所かご存知か?」
「ん? あれは保育園だね。同じ年頃の子供たちが遊んだり勉強をする場所だよ」
「ほほぅ」
同じ色の帽子を被り、砂場や滑り台などで楽しそうに遊んでいる園児たち。小さな子供たちが元気に遊ぶ姿を見ていると、自然とこちらも元気を貰えるような気がする。
「保育園とな、なるほど」
しかし奈央の顔にはそんな感情とは反対の感情が芽生えているような気がする。園児たちを見つめるその瞳はどこか寂しそう。彼は今何を思うのだろうか。
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