アインの伝説(64)
翌日の早朝、あっちとガイアララをつなぐ南の洞窟の、ガイアララ側の見張りが戻ってきて、王城の将軍府に駆け込み、不審な人物のガイアララへの侵入を報告した。
モンスターを狩りつつ移動してたおれよりも遅いってのはどうかと思うけど、おれはもうちょっと自分のステ値に自信をもってもいいのかもしんない。うん。
見張りは全て闇の女神の御業で眠らされ、不審人物はどこかへいなくなった。だから間違いなくガイアララに侵入したと考えられた。眠らされたが死者はいない。
見た目は鬼族だったが、鬼族で闇の女神の御業を使える者は限られている。鬼族に偽装した長耳族ではないかと考えられているそうだ。
死者がいなかったことも、不要な軋轢を避けるためではないかと、長耳族が不審な人物であるという結論を導いていた。
公爵家に届けられた内部情報である。
……いやあ、誰なんだろーねぇー、不審な人物って。
まあ、見張りが軍人だったということもあるけど、宰相府ではなく将軍府に報告が届いたというところが重要だ。
内容が長耳族を疑うものだったことも幸いした。
お陰で将軍府と宰相府の関係が悪化しているらしい。元々それほどいい関係でもないらしいけどな。
続いて、夕刻には、戦場から戻った鬼族が将軍府に衝撃の情報をもたらした。
トリコロニアナ王国ファーノース辺境伯からの講和の申し出、である。しかも、森の中の拠点にいた魔物の軍団を潰され、大挙して反撃に出た領都ポゥラリース攻めでの大敗という事実も含めて、その上での講和の申し出が伝えられた。
これも、宰相府ではなく将軍府に先に伝えられたことに意味があった。
将軍府では先に伝えられた不審な人物が長耳族で、いち早くその話を、つまりは敗報と講和の申し出を宰相府へと知らせてもみ消そうとしたのではないかという推論が成り立ったのである。
……いやあ、将軍府って、なかなか妄想たくましいよなぁ。でも、助かるけど。もともと将軍府と宰相府はそれほど友好的ではなかったらしいけど、今回の一件ではそのせいでとてもおもしろい状況になってる。
そもそもこの戦争は宰相府のゴリ押しだった。将軍府としては賛成だが、宰相府ほど強硬姿勢ではなく、戦うことについては異論がなかっただけだ。もちろん将軍府内部にも強硬派はいたらしいけどな。
どちらかといえば宰相府に属する者たちの中に、鬼族は戦争反対派を抱えていた。不思議な矛盾構造である。
将軍府の鬼族は戦争上等という姿勢はあるが、人間を滅ぼそうというところまで強い思いがあるワケでもない。宰相府が開戦を決定するなら、わしらは戦うことを怖れてはおらん、と。
考えてみれば当たり前のことだけど、いろいろな意見を持つ者は魔族の中にもいるのだ。人間だってそうだしな。そういうところに違いがあるワケじゃねぇよな。
5000近い軍勢を最激戦地で失い、そこから講和の打診があったというのは、将軍府としては複雑だったが、宣戦布告による手順をとったこの戦争において、講和の打診に対しても、何らかの返答を用意しなければならないと考えた。
そこに宰相府が暗躍してるのではないかと考えさせられてしまう不審な人物の情報が入る。あ、いや、その不審な人物はおれなんだけどな。
人間のことなんてある意味で見下してる魔族たちが、その不審な人物を人間だと予測するのは困難だったようでして……。
「……あまり認めたくはありませんが、こちらとしてはよい状況が生まれておりますな」
そう言ったのは将軍府への情報収集にあたったクライスフェイトという護衛騎士だ。
おれは彼の発言を援護するつもりでつけ加える。
「たぶん、あっち側の見張りからも同じ報告が入って、将軍府と宰相府の間にさらに溝ができるかもな」
「……アイン、無自覚にもたらしたものを手柄のように感じるでないぞ?」
わらわっ子に釘を刺されました、はい。バレてーら。
「……とはいえ、将軍府が講和も視野に検討しているというのは好機ではある。あやつらは誇りばかり高く持っておって、実態がなく、講和を考えるには宰相府が暗躍しているというぐらいの勘違いがなければ難しかろうしの」
「誇り高いけど実態がない?」
「……こう言ってはなんだが、将軍府の中枢の本音は出兵反対じゃった。それも情けない理由での」
「姫さま、それは……」
「今さらじゃ、オルトバーンズ。
将軍府の中枢は、叔父上の強さを誰よりも知りながら、表向きはそれを一切、認めておらぬ連中じゃ。それが、叔父上がニンゲンの小さな村を攻めて片目と片腕を失って戻ってきたのじゃ。本当はニンゲンのところへ攻め込むなどというのは、あやつらから見れば、叔父上でさえただでは済まぬ戦場へ赴くということなのじゃ。
じゃが、叔父上のことを表向きは認めておらぬゆえのう、宰相府の積極的な姿勢に同調せざるを得ぬ。
父上が宣戦布告という一石を投じて延期になったことにも内心はほっとしておったじゃろうて。
今、その宰相府に疑惑の目を向けておるのも、本当は軍を退きたい本音から生まれた欲のあらわれに過ぎぬじゃろう」
「ですが、長耳族と同調する強硬派もおります。油断はなりません、姫さま」
「強硬派の多くはもう戦場におる。アインが言うように、北部戦線で大きな被害が出ておるのなら、強硬派にとっても講和が自然と視野に入る。
長耳族とは根底にある戦の理由が違うのじゃ。己が力を示したいなどという下らぬ理由では、負け戦に戸惑うしかあるまい?
それに将軍府は今回の敗報で、叔父上ばかりを糾弾しておる場合ではなくなるはずじゃ。リーズリース卿を狙う機は熟しつつある」
「姫さま……」
……まだ成人前なのに、こんなに政治にどっぷり浸かって、しかも暗闘まで目を光らせて対応して。
いや、実際自分自身が暗闘の中で命を狙われたって過去があるからこそ、そういう風に育つしかなかったんだろうけどさ。
なんでこのわらわっ子のお姉ちゃんポジにクィンが? すでにクィンが完敗してるよ!?
騙されて踊らされて潜入任務に行かされるとか姉の威厳なんかゼロじゃん!?
「今はやつらを誤解させておけばよい。最終的には、アインに、ニンゲンとしてリーズリース卿を討ち果たしてもらわねばならぬがのう……」
リーズリース卿亡きあとのガイアララのことを考えると、鬼族が長耳族のリーズリース卿を討つのはマズいんだよな。
まあ、そういうのも含めて、おれは了承したけどな。
「それにしても、おれもここに来るのは苦労したからわかるけど、ここまで、遠いよな。連絡が届く日数がかかりすぎる。転移できるヤツって、いねぇの?」
「……転移、つまり商業神の御業のことじゃな? 我が家の祖たる偉大なるバッケングラーディアスは誰よりも商業神の御業に通じておったそうじゃ。そして、この町に名を未来永劫つけてはならぬと厳命したという。そのことで、商業神の御業をもつ者も、決してこの町には転移ができぬらしいぞ?」
「へぇ……」
……言われてみれば納得の一言かも。ものすごく単純だけど、リタウニングの本質をついてる気がする。
リタウニングの発動は基本、町や村の名前がターゲットだ。
そうすると、ガイアララとの間で転移しようと思うなら、闇の女神の古代神殿へ行くのは必須だな。
ゲームのマップ外だからかと思ってたけど、そういう理由なら古代神殿にまだ転移の希望が持てる。
「とにかく、機が熟すとしたら、次の敗報が届いた頃、かのう……」
そういう感じで、リーズリース卿の命運は、ドラマタ騎士団を指揮する姉ちゃんの活躍に委ねられたのだった。
「あと、あのお方のお姿が神殿にないという話も入っておる。これは出処からしてそこまで正確な情報とは言えぬが……」
魔王はおれとの戦いで逃げたあと、神殿に戻っていない?
逃げるって、どのレベルで逃げた、コイツ? 地の果てまでとかいうなよ?
そんで、どこへ逃げた? まあ、今んとこ、優先順位は下がったけどな。
サワタリ氏の日記を読んで気づいたけど、ワールドクエストの神託を出した神は、たぶん闇の女神ララだと思う。
あの『全ての神殿を制覇せよ』ってクエストは、サワタリ氏やおれを闇の女神の古代神殿まで、つまりはガイアララまで引っ張り出すためのクエスト……だと考えるのはうぬぼれだろうか?
ワールドクエストを出した……かもしれない……闇の女神ララがおれに求めるゲームクリアの要件と、おれが目指すところの要件が重なるとは限らない。
ただ、この戦争の講和は、おれが目指すところには欠かせないというのは理解してる。
今は第一目標を魔王から魔宰相にチェンジだ。
そんで、サワタリ氏の日記にあった闇の女神の古代神殿に行く。
おんなじワールドクエストだ。たぶん、古代神殿に行けば女神が顕現するんだろう。知りたいことはそこで直接聞けばいい。
とりあえず、魔宰相対策を思い出して、万全の準備をしておくのがいいんだろうな。
そう思っておれは機が熟すのを待つのだった。
翌日に、洞窟のあっち側からも鬼族が戻ってきて、不審な人物に闇の女神の御業で眠らされたことを報告した。
しかし、ここで問題が発生する。
「アイン、すまぬが、すぐに動いてほしい」
「……早いよな?」
「昨日戻った、ファーノース辺境伯領からの講和の申し出を伝えた者が、偶然、今日戻った見張りの者と出会ってしまったようじゃ。その二人が話した時に、ニンゲンに闇の女神の御業を使える者がいたと口にしたのじゃ」
「っ!」
そうだった!
おれ、あいつの目の前で長耳族を眠らせてたな!?
「このまま好機を待っておったら、リーズリース卿を暗殺したニンゲンはそれまでの間、どこに隠れていたのか、というところまで問題になるじゃろう。今は1秒でも早く動かねばならぬ。勝手なことを言っておるとは理解しておるが、すまぬ……」
「あー、わかった。気にするな、ランティ。おれも、宰相はしとめなきゃ講和ができないってことは理解してる」
「今の状況ではリーズリース卿を倒せたとしても、講和については五分五分じゃ。じゃが、だからといってもはや猶予はない」
「いいって。引き受けたことはちゃんとやり遂げるよ。だからそんな顔すんな」
おれはそう言うと、わらわっ子の頭を軽くなでてから、窓を開けて外へと出た。
「アイン……」
「あとのことは任せる」
そうして、壁を乗り越えて、前もって教えてもらった通り、王城の宰相府を目指した。
別に人間という種が背負うべき長耳族という種の絶滅の責任を肩代わりしようって気はない。
おれとしてはただ、おれたちが平穏無事に生きていくだけの安全を手に入れたい。本当にそれだけ。それだけなんだよな。
それなのに、そのために大きなことをしなくちゃいけなくて、本当はもう、嫌で、イライラするし、腹も立つし、何よりもやりきれない思いがわいてくる。
……結局、自分のために、わがままに生きてるだけなんかもな。ま、それでいいんだけどな。いいんだけども。
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