アインの伝説(46)



 先に口を開いたのは辺境伯だった。


「……話が見えぬ。独立しても、どうすることもできぬとしか思えぬが?」


「閣下は今、トリコロニアナ王国内の戦況をどこまで把握なさっておいででしょうか」


「我が領内がもはやこのポゥラリースのみとなった以上、他領へ魔物の侵入を許しておると理解している。連絡がつかぬニールベランゲルン伯爵や王弟殿下のところもここと同じような状況なのだろう?」


「伯爵のところも、公爵のところも、まだ耐えておりますが、いくつかの男爵領や子爵領は壊滅しております。そして、王都も陥落。王家は南部の直轄地へ遷都を宣言しました」


「な……」


 絶句しても、表情はほとんど変化させない。その能面のような顔の中で辺境伯は何を思うのか。


「……私は辺境伯としての役割を果たせなかったか」

「そうではございません、閣下。王家が、王家としての役割を果たしておらぬと、商会はそう考えております」


「王家が? いくらハラグロ商会が王家との関係がよくないとはいえ……」

「王家は神殿を頼り、ソルレラ神聖国において神聖会議が行われました。教皇聖下は大陸同盟の結成とトリコロニアナ王国への救援を呼びかけましたが、反論が多く、ほとんどの国が大陸同盟に参加しませんでした」


「反論?」

「はい。神罰が下ると主張した教皇聖下に対し、『賢者』ギメス師がどのような神罰が下るか説明できぬのなら話にならぬと」

「はは、あの方らしい」


「もうひとつは、ケーニヒストル侯爵が、トリコロニアナ王国は魔族から宣戦布告を受けていて、魔族の率いる魔物はトリコロニアナ王国以外を攻めていないと」

「……馬鹿な? それはどういうことだ?」

「……つまり、閣下は、王家から魔族の宣戦布告があった事実を知らされていない、ということですね?」


 これは、既にシャーリーから確認してはあったけど、辺境伯がシャーリーに伝えていない可能性もあったので、絶対に必要な確認だった。


「魔族が宣戦布告を行うなどというようなことがあるはずがない」

「ならば、魔族がトリコロニアナ王国だけを攻める、ということもあり得ないのでは?」


 辺境伯の返答は、王家が宣戦布告の事実を伝えていないことを認めているも同然だ。これなら押し切っていくしかない。


「ならばトリコロニアナ以外の国も攻められておるに違いない」


「そうであれば、ケーニヒストル侯爵の主張は退けられ、教皇が主導する大陸同盟が結ばれたはずです。しかし、現実に、大陸同盟とはならず、聖騎士団頼りのいくつかの小国がソルレラ神聖国に協力するのみ。多くの国は同盟に参加することで魔族を敵に回す方が危険だと判断したのでしょう。もっとも、トリコロニアナの代表者は宣戦布告などないと主張しましたので、王家がこの事実をひた隠しにしている可能性はあります」


「にわかには信じられぬ話だが……そこまで言うのなら、証拠はあるのか?」


「証拠はございません」

「ないのか? それでは済まされぬぞ?」


「商会がもっとも信じるお方が、宣戦布告はあったとおっしゃいました。それが私どもにとっては全てにございます」

「ハラグロ商会ではこの情報が真実なのだな……」


 辺境伯があごに左手を添えて、黙り込む。そのまましばらく考えるようだ。


 ハルクさんがその隙におれを振り返ったので、次の書類を手渡す。その時、ハンドサインを交換して、この先の方針を確認する。今は押せ押せだと思う。


「……それで、独立、か。単独で魔族と交渉する。いや、はっきりいえば降伏する、ということになるか。そうなると、どのような要求をされることか」

「いいえ。降伏はしません。講和です。そのための傭兵です」


「講和? 明らかに負けているこの状況で講和と?」

「ええ。ですから、ハラグロ商会が斡旋いたします、最強の傭兵で敵に大きな打撃を与え、講和を勝ち取るのです」


「最強の傭兵……『勇者』か。そういえばハラグロ商会が護送していたと聞いたな。その『勇者』は洗礼を受けたばかりだというのに、聖騎士をあっさり打ち倒した実力があると。いや、我が領の出身の者だとは知っているが、そのことでハラグロ商会に恨み言はないぞ?」


「ありがとう存じます。『勇者』もそうですが、この傭兵を商会が斡旋するにあたって、実はケーニヒストル侯爵の後押しを受けております」


「ケーニヒストル侯爵? さっきまでの話では大陸同盟を否定して援軍を拒否したのではないのか? あ、いや、宣戦布告を理由にしたと言ったか。ならば、宣戦布告という手順を守った相手に、交渉して講和を勝ち取るためなら手を貸そうと、そういうことか。いや、それだけじゃない。そうか……ハラグロ商会はこの辺境のために噂の『竜殺し』を?」


「『竜殺し』はともかく、寄子の中でももっとも強い騎士団を傭兵として送るつもりです。閣下が今、この傭兵をお買い求めになるのであれば。もちろん、表向きはただの傭兵にございます。どこかの騎士団であるなどということは漏らしませぬ」


「……独立するにせよ、王弟殿下の新王国に加わるにせよ、講和できなくては意味がない。この辺境伯領は魔族の大地からの通り道だ。独立して魔族との講和を望んだとしても、やつらが応じるとは思えぬがな」


「事前通告があれば領内の通過を認める、それでよろしいかと。魔族の軍勢は宣戦布告に基づいて、その相手が降伏するまで、辺境伯領を通り抜けてそちらを相手に戦うことでしょう」


「……辺境伯領は講和して魔族を素通りさせ、王家が滅びる姿を見届けろ、と。なかなかハルク殿も容赦のないことを言う。私にとっても、王にとっても」

「宣戦布告の事実を認めず、偽りの姿で世界を巻き込む悪しき者と、商会では考えております」

「ふうむ……」


 辺境伯が再びあごに左手を添えて考え込むように黙る。


 ハルクさんはすかさず、次の書類を机の上に差し出した。辺境伯の視線が書類に動く。


「……む? まさか、ハルク殿? これが支払い方法というのではあるまいな?」

「おっしゃる通りにございます」


「いや、だが、これでは、もしハルク殿が言うようなことが実現したとしても、商会の利益などないも同然ではないか? あまりにも当家に都合が良すぎる。ここまでされると、その裏を疑ってしまうぞ? 例えば、王家は宣戦布告を隠したと私に宣言させたい、とかのぅ?」


「そのようなことを求めたりはしません。王家が宣戦布告を隠していることは、講和すれば自然と明らかになることです」

「ならば、この戦後200年間での分割払いなどという、まるで借金を踏み倒すかのような支払い方法を提案してまで、当家から引き出したいものは何だというのか?」


 ここでハルクさんがふぅと息を吐く。今から告げる言葉はそれだけ緊張感があるからだ。


「……申し遅れましたが、閣下。実は、弓姫さまとともに行動した一軍はすでに瓦解しております」

「なんと?」


「騎士は二名を残して死亡、生き残った二名も、今はどうなったかは不明。兵士が10名ほど危機を脱しましたが、その後は不明。必死で戦況をポゥラリースに伝えようとはしていたとのこと」

「それは……」


「ただ、弓姫さまとその護衛騎士は、救出し、こちらで保護しております。その点に関してはご安心ください」

「……シャーレイリアナに、何を望む? それともあの子がほしいか?」


「今の報告をお疑いにならないので?」


「そこを疑っても始まらぬ。生き残りがいれば、いずれ事実は知れよう。誰も戻らぬならば信じるしかあるまい。ハラグロ商会ならば、それだけのことをしたとしても不思議はない。そして、救出したというのにシャーレイリアナをここに連れてきていないということは、そこに狙いがあるということであろう?」


「……新年を迎え、ケーニヒストルータの神殿での青の新月の洗礼で、『聖女』が誕生いたしました」

「……去年のことではないのか? 侯爵令嬢が『聖女』になったと聞いたが?」


「今年のことにございます。その新たな『聖女』は平民の生まれ。侯爵家としては養女にと望みましたが当人とその領主が拒み、それでも説得して男爵令嬢となりました。ひとつは、学園で侯爵令嬢としての、つまり最上位者としての振舞いを学ぶ時間がない、そういうことも理由のひとつにございます」


「だが、それでは『聖女』を守れぬではないか」


「ケーニヒストル侯爵と大神殿は対立していますが、だからこそ大神殿は動けぬはずです。侯爵は『聖女』を守ると宣言しております。しかし、諸国がどう考えるかまで、読み切れませぬ。そこで、学園に在籍する学生の上位者による『聖女』の庇護を必要としています」


「……伯爵令嬢であるシャーレイリアナを学園に出せ、と? なるほど。この地よりシャーレイリアナという戦力を奪うことになる、また、戦力が大きく損なわれた今、必要な戦力を傭兵として提供する代わりに、学園における伯爵令嬢という庇護者を得たい、と。他国、他領の上位者が庇護者というのは諸国に対する牽制にもちょうどよいな。確かにシャーレイリアナであれば、相応の振舞いはできると思うが、あの子も『弓聖』という希少な天職を授かった身ゆえ、あの子自身が狙われるかもしれぬ。こちらからはソルレラ神聖国まで人を出せぬ。こういう状況での洗礼だったので学園に行かせる予定はなかった。だから、そのための準備はしておらぬのだ」


「ケーニヒストル侯爵領は、多くの人を学園へ出せるのですが、上位者を送り込めない状態にあります。互いに足りないものを補い合える関係でございますれば。学園に関する費用もこちらで全て負担いたします」


「……商会は王家だけでなく、ケーニヒストル侯爵家との関係もよくないと聞いていたのだが? 先程から、ケーニヒストル侯爵家と連携する動きが目立つようだ」


「ケーニヒストル侯爵家との和解は済んでおります。会頭のデプレがケーニヒストル侯爵より男爵位と領地を授かりました」


「は……」


「あとは閣下に、王家を裏切る覚悟をもっていただくだけにございます」

「……魔族と講和交渉など、想像もできぬが、どこの誰と交渉しようというのだ?」


「魔族の大地より、必ず交渉相手を引きずり出してみせると、お約束いたします」

「ハルク殿の言葉が軽いとは思わぬが……」


「我らが神に不可能はございませぬので……」

「まだ、ハラグロ商会の持ち出しが多く、借りばかり増えておるような気がするがのう……」


 ……ハルクさんの言ってる神って、商業神さまのことだよな? でも、話の内容から考えたら戦の女神イシュターさまとかでないとおかしいんじゃない?


「……先の見えぬ戦いをするより、余程建設的か。わかった。それが汚名となるのならばそれはそれでかまわぬ。滅びるしかないと思っておったこの身だけでなく、部下たちや領民たちが生き延びる可能性も高まるのだ。汚名をかぶるだけでそれだけのものが買えるというのならばよかろう」


「閣下のご決断を我らは必ずや後世に語り継ぎましょう」


「……ハラグロ商会のことだ。王弟殿下のところにも、ハラグロ商会から誰かが説得に動いているのであろう? どのような形で王家と手を切るのかが決まったら早く知らせてほしい」

「ご推察の通りにございます。王弟殿下がどのような決断をなさったとしても、すぐにお伝えいたします」


 実は、王弟公爵殿下のところには「お任せを」と言った会頭のデプレさんが行ってる。デプレさんなら、たぶん説得できると思うんだけどな。


 覚悟を決めた辺境伯が大きく手を叩いて音を鳴らすと、護衛の騎士と補佐の文官が入室してきた。


「公印と、それとセドアス、ビギニンの二人を呼んでくれ」


 おれはいくつか用意していた契約書をハルクさんに手渡す。


 正直なところ、ハルクさんが交渉してくれて良かった。こんな話し合いができる気はしない。しかもこんな厳ついおっさんとなんて無理無理。絶対無理。いやあ、長かったぁ、それに緊張したぁ。


 補佐の文官が公印を用意して、次々とハルクさんが契約書に辺境伯のサインと公印をもらっていく。


 あとは、動かせるタイミングで国境なき騎士団から選抜したメンバーを転移させて、辺境伯軍の誰かと一緒に森で見つけた魔王軍の拠点を潰した姿を見せつけてやればいい。


 それから魔族の大地に乗り込んで、まあ、クィンをエサにビエンナーレを引きずり出して、あいつは将軍なんだからなんとか講和に持ち込んで……このへんのプランはまだまだあやふやだけど魔王をぶっ倒すのとまとめてやっちまうしかねぇよな……。


「セドアス、参りました」

「ビギニン、参りました……っと、君は!?」


 ふおっっ! マズいっ! なんでここにアンタがいるんだ!? いや、そういや、領都に移ったって報告を聞いてた気がする!? 辺境伯に重用されてる? あり得る!?


「む? どうしたビギニン? ……ハルク殿の従者を知っているのか?」


 やっべぇぇぇぇーーーーーーーっっっ!!





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