村の青年のはるかなる夢(前)



 母さんを守りたい。


 そう思ったのは、もっと小さな頃のことだが、それが強い思いに変わったのは、領主館に行った母さんが、何をしているのかを知ってしまったからだった。


 そのことを話していたのはエイミーとローラの母さんたちで、別にオレに聞かせるつもりはなかった。たまたま、そこに通りかかったオレの耳に聞こえただけだ。


「……今回も生き延びたわね」

「ええ。あの人が死んだら、私たちも領主館へ行かなければならなくなるのかと思うと……」

「夫以外に抱かれるなんて、考えたくもないわ……」


 別に、二人の母さんたちに悪気はないんだろう。


 でも。

 そんなことは知りたくなかった。


 知りたいわけがない。


 でも、妹に話すこともできず。


 母さんに聞くことはなおさらできなかった。






 全てが変化したのは、その年の春先の魔物の襲撃の日。


 怪我をしたエイミーの父さんは死にかけていたし、死ねばエイミーの母さんもオレの母さんの仲間になるだろうなんて、心の奥で思ってもいた。


 でも、この年は、村に奇跡が起きた。

 突然現れた少女たちが次々と魔物を倒して、消し去っていく。


 村に近づいてきた気の強そうな黒髪の美少女は、奇跡の光とともに怪我をしていた村人たちを一斉に癒してしまった。もちろん、エイミーの父さんも。


 最後にはオレよりも小さな少年が巨大な飛竜を一人で倒した。


 最初は何が起きているのか、理解できなかった。


 でも、その日から。

 村の全ては変化していった。


 もちろん、オレ自身も……。






 代官の一人、たぶん、母さんの夜の相手なんだろうと思う人だが、その人が、村人で力を合わせて魔物を狩るのだが、参加を希望する者は集まるようにと言っていた。


 オレも参加したいと思って、母さんと一緒に集合場所に行った。


 エイミーの母さんたちまで集まっていたのは驚いた。


 オレと同じような考えだったのか、同い年のオルドガもやってきていた。


 でも、アインさまが。

 オレよりもまだまだ小さいアインさまが、子どもはダメだと言って、オレとオルドガは参加できなかった。


 いや、わかってる。

 アインさまはオレたちよりも小さいけど、『竜殺し』の英雄だ。


 でも。

 それなら、まだ子どものオレたちだって、アインさまのようになれるのかもしれないだろう?


 狩りから戻った母さんは興奮して、すごく簡単に魔物を倒せた、と喜んでいた。


 ……そんなに簡単なら。母さんにも倒せるのなら。オレにもできるんじゃないのか?


 オレは、まだ、母さんに守られてる。

 でも、オレは母さんを守りたい。

 守りたいんだ。

 オレの手で。


 それから、母さんが、夜の領主館に行かなくなった。


 それは、魔物を倒すことで収入が、お金が手に入るようになったからだ。


 正確には、お金は手に入ってない。

 村にできた商店の中で、母さんの名前の帳面があって、そこに金額が書かれている。


 それがお金の代わりだった。


 オレが守ろうと決めていたのに。


 母さんは、自分で自分を守った。いや、母さんを守ったのは、アインさまなんだろう。母さんが自分で自分を守れるように、母さんがオレたち家族を守れるように、母さんにお金が入るようになったのは、アインさまのおかげだ。


 今でも、オレが母さんを守りたい。

 でも、母さんは自分一人で、解決した。

 どこか、やり場のない思いがぐるぐると、ぐるぐると回る。






 転機は突然訪れた。


 アインさまがオレたち、村の子どもにも戦う機会をくれるという。

 強制はしないということだったが、こっちから喜んでやらせてもらいたい。


 母さんよりも強くなって、必ず母さんを守れるようになるんだ。


 アインさまは笑って。


「家族を守るには、村を守らないと」


 そう言った。


 はじめはそのことがよくわからなかった。


 イエナさまに弓を教わると、領主館の女の子たちのように、弓矢が光るようになった。


 弓の女神の御業というものらしい。アインさまは「スキル」と呼んでいた。


 それからアインさまに剣を教わった。

 そうすると剣も光るようになった。


 そして、村の子どもたち、その中でも年長者で魔物と戦っていく。


 最初は、正直に言えばとても怖かった。


 でも、10歳のエイミーだって、泣きそうな顔になりながら魔物と向き合ってる。

 14歳のオレが逃げるなんて、絶対にダメだ。


 逃げちゃダメだ。


 気づけば、魔物は消えてなくなり、肉が落ちていた。


 どうやって倒したのか、今でもよく思い出せない。


 それから、何度も何度も魔物を倒し、次々と新しいスキルをアインさまやイエナさまから教わっていく。


 盾を持ちたいと言えば、アインさまは盾も用意してくれた。

 なんだか、盾があるだけで、みんなを守れる気がした。


 そんな気がした。


 同い年のオルドガもいるけど、他の子たちはオレたちよりも年下だ。


 母さんを守りたいと思ってたオレは、いつの間にか、みんなを守らなきゃと思うようになっていた。


 ある程度、戦えるようになると、アインさまがオレたちに名前をくれた。


 ピンガラ隊。


 意味はよくわからない。


 でも、オレが隊長だとアインさまは言った。


 みんなを守ってほしい、と。

 そう言ってくれた。


 そして、魔物と戦うだけじゃなく、騎士のユーレイナさんたちと訓練するだけじゃなく、男爵家の家庭教師であるセラフィナさまから、勉強を教えてもらうようになった。


 正直。

 勉強は弓や剣の修行の何倍も大変だった……。






 ある日。


 代官だったイゼンさま……今は男爵家で一番偉い使用人とかになったらしいけど、確か、筆頭執事とかいったような……そのイゼンさまが、オレとオルドガを呼び出して、神殿で行われる洗礼について説明してくれた。


 難しい話も多かったけど、とにかく、アインさまとイエナさまに、忠誠を誓えるか、と。


 イゼンさまが冷たい視線をオレとオルドガに向けたまま、そう言った。


 オレはよくわからなくて戸惑っていたけど、オルドガはもちろんです、と即答した。

 オルドガの言葉に、慌ててオレもうなずく。


 そうして、オレとオルドガは洗礼を受けることが決まった……。






 新年を迎えて15歳になった時は、ちょうど旅の途中だった。


 執事さんが一人とメイドさんが二人、一緒にとなりの国の都をめざす。この執事さんは、母さんの相手ではない執事さんだ。そうでない人で本当に良かった。もしあの人だったら、どう接すればいいのか想像もつかない。


 オレとオルドガは護衛を兼ねているという。


 盾と剣を使って、みんなを守るというのは、オレにとっては良かった。


 生きていると感じる。

 これがオレの役割なのだ、と。






「ケーニヒストル侯爵領、フェルエラ村! レーゲンファイファー子爵家、家臣、オルドガ!」


 大きな声が聖堂に響く。

 呼び出し係の神官の声は、なんだか怒っているような感じがする。


 名前を呼ばれたオルドガが壇上へ上がり、教皇さまの前に立つ。

 そして、教皇さまのささやきに合わせてオルドガが手を伸ばす。


 何をささやかれたのだろうか。


「……『冒険者』」


 教皇さまのつぶやくような声のあと。


「オルドガ! 天職は『冒険者』! 天職は『冒険者』!」


 呼び出し係の神官が、洗礼の結果を叫ぶと、ざわ、ざわ、と聖堂の中が少しうるさくなっていく。


 よく聞き取れないが、周囲の人たちの話が聞こえる範囲で判断するなら、どうもオルドガは珍しい天職を与えられたらしい。天職というのはジョブだとアインさまは言っていた。アインさまの言葉は時々、他の人とちがったものがある。


 しかし、オルドガが神々から与えられそうなジョブとして、アインさまは『冒険者』もありうるとおっしゃったような気がするんだが、そんなに珍しいのか……?


 まあ、次はオレの番だ。

 壇上から降りてきたオルドガが少し変な顔をしていた。


「どうした?」

「いや、教皇さまが……」

「静かにしなさい、次はスラー、君が呼ばれるぞ」

「は、はい」


 イゼンさまにそう言われて、名前を呼ばれる前に立ち上がってしまう。


 ……順番がちがっていたらどうしようか。


「ケーニヒストル侯爵領、フェルエラ村! レーゲンファイファー子爵家、家臣、スラー!」


 よかった。順番はまちがっていなかったらしい。


 それにしても、緊張する。


 壇上へと続く短い階段ですら、なぜだか歩きにくい気がしてくる。もちろんそんなものは気のせいなのだろう。


 壇上には教皇さまがいる。


「こちらに手を伸ばして、そう、そのまま宝珠に触れなさい……」


 教皇さまのささやきに合わせて手を伸ばす。


 なるほど。洗礼のやり方を教えてくれてたのか。考えてみれば、当然のことだ。


 洗礼は一生に一度だけのことだという。誰かに教えてもらわないと、その場で何をすればいいのかわかるはずがない。


 そんなことを考えていたら宝珠が輝いた。


「……じゅ、『重装騎士』」

「スラー! 天職は『重装騎士』! 天職は『重装騎士』……じゅ、『重装騎士』ですと?」


 叫ぶ係の神官がなぜか困惑している。


「重装騎士だと……?」

「100年、いや、150年ぶりぐらいか?」

「ライアス国の騎士団長以来ではないか……?」


 オルドガの『冒険者』の時もざわざわとしたが、オレの番ではそれ以上に、はっきりと騒がしくなっていた。


 そんなに珍しい職なのか?


 これも、村でアインさまから聞かされていた、オレがなるかもしれない予想のジョブのひとつだったんだが……?






 神殿からアインさまの屋敷に戻るまでも、戻った後も、ずいぶんといろいろな勧誘がオレとオルドガに対して行われた。


 オレとオルドガは、アインさまの魔法で、一時的に村へと戻った。


 その原因は、聖都のアインさまの屋敷で働くメイドが誘拐されそうになったことだった。正面からの勧誘はなくなったが、裏からの、脅迫のような勧誘がひどくなったからだ。


 誘拐されそうになったのはメイドのカティラさん。オレたちと一緒に馬車で聖都までやってきた、子爵家のメイドの一人だ。


 誘拐犯は二人いたが、どちらも両手の指をカティラさんに折られて悶絶し、そのまま捕まえて屋敷の地下牢に入れられている。イエナさまの教えによる不埒な男の撃退方法らしいがくわしいことはよくわからない……。


 カティラさんはただのメイドだが、フェルエラ村の子爵家で働く者はみな、村の外への狩りに出るので、かなり強い。


 だが、聖都でハラグロ商会を通して雇われた使用人はそうではない。


 アインさまは聖都の使用人を改めてフェルエラ村の本邸の使用人から選出し直し、馬車での送り込むための護衛としてオレとオルドガを魔法で村まで連れ戻した。これは、加熱しているオレたちの勧誘への対策でもあった。


 聖都の屋敷にはひと月交代で、フェルエラ村でも最強のティアマト隊とイシュタル隊がメイドとして詰めることになった。


 オレたちよりもはるかに強い彼女たちなら、使用人を狙った連中の方が返り討ちに遭って痛い目を見るだけだろう。


 そして、オレたちも今よりも強くなるようにと、アインさまは30日間連続でピンガラ隊を率いて里山のダンジョンへ挑み、まさに血を吐くような実戦訓練を受けた。


 なぜかそこにはイエナさまの義妹にあたるヴィクトリアお嬢さまと、アインさま、イエナさまの義妹にあたるリンネさまも参加されていたのだが……。


 魔物との戦闘は、リンネさまの範囲攻撃魔法に始まり、ピンガラ隊が殲滅戦に駆け巡り、最後はヴィクトリアお嬢さまから癒しをかけて頂く、という形で、延々と続いた。


 10日目以降は里山ダンジョンの3層以降へと踏み込み……本当に死ぬかと思ったが、終わってみればピンガラ隊は全員、はるかに強くなって戻っていた。


 ……村でここまで強くなれるのなら、オレとオルドガは学園に行く必要があるのだろうか、と思ったのは秘密だ。


 青の満月の半ば頃に聖都へ再び旅立ち、ケーニヒストルータを経由して、聖都へ。


 アインさまの魔法で行けばすぐなのに、と思っていたが、これはオルドガに必要なことだったらしい。オルドガも洗礼によって転移の魔法が使えるようになっているので、いろいろと町や村を一度訪れておくことが必要なのだという。


 再び訪れた聖都は、穏やかなものだった。勧誘など、どこにもない。

 その代わり、屋敷の地下にはたくさんの人が閉じ込められていたけれど……。


 おかえりなさいませ、とにっこり笑って出迎えてくれたキハナさんたちがあの連中を叩きのめして捕まえていると思うと背筋が凍る。


 ……アインさまを、レーゲンファイファー子爵家を裏切る? 誰が? あり得ないだろう?


 地下にいる、捕えられた人たちの指がなくなった手足を見れば、そんな気持ちはなくなるに決まっている。ティアマト隊も、イシュタル隊も、レーゲンファイファー子爵家の敵には一切容赦がない。


 いや、受けている恩から考えて、そもそもオレたちは裏切るつもりなどないのだけれど……。





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