侯爵が見た痛い目(後)



 底なしの資金を持つ、河北最大の商会。


 その商会の純利益から一定の金額を支払い続けさせるという少年。


 その関係が何か、知りたいと思うのは自然なことだろう?


 それがどうして、こんなことに?


 マルク商会には税として納められている糸や布の一部を通常の仕入れ値で売り渡すことと、回復薬を扱うエバンズ商会から支援金を出させることで、急場を凌いだ。


 しかし、それでもマルク商会の窮状は変わらず、ケーニヒストルータからどちらかといえば遠く、そして糸や布の生産量がどちらかといえば少ない村を3つ、マルク商会は違約金を支払って、買取契約を解除せざるを得なかった。


 そして、その3つの村は、すぐにハラグロとの買取契約をした、という報告が上がってきたのだ。


「この情報を隠す気はないようです。いえ、この情報が我々に与える衝撃を利用している、というべきでしょうか」


 報告の場でのライエの言葉に、詳しい報告を行う文官の顔色も悪い。


「これらの村は、一度ハラグロ商会に対して違約金を支払い、高値での買取契約を解除した村々であります。その結果としてマルク商会による今回の契約解除で生産した糸や布の売り先がなくなり、追い詰められたところに、そこをハラグロ商会から通常価格よりもすこし安い買取価格での長期契約を提案され、一度ハラグロ商会を裏切った後ろめたさも手伝い、その低価格での再契約となったようでございまして……」


 そう。

 ハラグロは結局、通常よりも安値での買取を実現させたのだ。そして、その情報を一切隠さず、こちらに伝わるようにしている。


 ここまで全て狙ってやっているのだとしたら、なんという怖ろしい奴を敵に回してしまったのか。


「ケーニヒストルータの衣類を扱う商会や工房の半数以上が、すでにハラグロ商会の傘下におさめられており、この先、マルク商会は高値で仕入れた商品の売り先に困ることは明白であります。そうなるとさらにどこかの村や町との契約を解除することになる可能性は大きく、そこもまたハラグロ商会と安値での取引に応じる結果が生じるのではないかと……」


 始めに高値での買取で勝負をかけてきたのはハラグロ商会だ。そして、安値での卸売を実施し、損失を出していたはずなのだ。しかし、違約金の意外な安さを落とし穴として、マルク商会が高値での買取を始めるとその違約金を受け取り、契約解除に応じた。だから実際に高値で買取した期間は短く、支払った額もさほどではない。そうして一度はマルク商会がハラグロ商会を押しのけるだろうと思わせておいて、マルク商会は高値での仕入れによって自滅していくことになる。エバンズ商会からの資金援助も、侯爵家の倉庫からの売り渡しも、どちらも焼け石に水だ。


「……さらに現在、食品取扱最大手のガスパール商会が、マルク商会と同じ仕掛けに踊らされて、いくつかの町や村と、高値での長期買取契約を結びまして、それをオブライエンさまのご指示で忠告をはさみ、止めたところでございます」


 そして、衣類の次は食品で、同じ仕掛けに別の商会が見事にはめられていくところだった。ライエの機転で、被害の拡大は防げたが、ガスパール商会もこの先着実にハラグロ商会によって合法的に追い詰められていくことが見えている。すでに食品関係の弱小商会はハラグロ商会の資金援助で傘下にあり、中小の商会はガスパール商会の卸値の値上がりに四苦八苦している。


「今度は……」

「まだ何かあるのか?」

「はい……マルク商会へ資金援助をしていたエバンズ商会が、資金援助を打ち切ると通告してきた次第でございます」

「なんだというのだ、まったく……」

「それが、ハラグロ商会との間で、一定量一定額での薬草の取引を1年契約で少し安めに結んだそうで、回復薬の材料が安定して入手できるのであれば、マルク商会を守ってラーレラからの薬草の輸入に頼る必要もない、と」

「ここでもハラグロか!」


 いったいどこまでやるつもりだ!


「まずいですね、これは……」


 ライエがはっきりと渋面をつくるのは本当に珍しいことだ。それだけ、良くない状況なのだろう。


「……資金援助を断たれると、マルク商会の転落は加速します。そして、独占契約をさらに解約しなければならず、そこがまたハラグロ商会にとっては安値の買取場所になります。

 そしてエバンズ商会もです。

 1年契約でハラグロ商会からの安い薬草が使えたとしても、翌年もその価格でハラグロ商会が薬草を取引するとは言っていないはずです。ハラグロ商会の薬草に頼っているうちに、マルク商会が潰れ、ラーレラとの取引が進まず、ラーレラからの薬草の輸入も途絶えかねない。

 そうなってからだと、エバンズ商会はハラグロ商会の言い値で薬草を仕入れなければ回復薬を生産できなくなるでしょう……」


「最悪、だね」


 本当に最悪だ。


 なぜハラグロはここまで資金を回せる? 商品を回せる?


「……船は、商品の輸送で利用させていないはずだね?」

「ええ、もちろんです、閣下。職員が移動することまでは止められないので、商業神の御業持ちが運ぶ物まではどうすることもできませんが……」


 商業神の御業で運べるものは最大でも3000ぐらいと聞いている。


 河北からの流れはせき止めたも同然なのに、なぜここまでハラグロの連中は戦えるのだ? 奴らにとっては敵地とも言えるこの河南の地で?


「一刻も早く、ハラグロ商会との和解を実現させねばなりません」

「わかっている……わかっているんだけどね……」


 領地へ向かってまだ三か月も経っていない男爵をいきなり呼べるはずもなく、今の所、打つ手なし、なのだ……。






 フェルエラ村の代官、イゼンが予算を執行して、決算報告のためにケーニヒストルータに到着したのは白の新月の2日のことだった。もう衣類のマルク商会は虫の息で、食品のガスパール商会はやせ細ってきていた。


 フェルエラ村は青の満月の30日まで、侯爵家の予算で動かしていいと伝えていた。それがイゼンの到来につながったのは幸運だった。


 経理部にはフェルエラ村の関係書類を最優先で処理するように命じていたし、ライエはすぐにイゼンとの面会を整えてくれた。


「久しいな、イゼン。報告を聞こう」


 侯爵家最大の堅物と呼ばれた男は、微笑んでいた。珍しい表情だ。


「神々のお導きにより、こうして再び侯爵閣下にお会いできましたこと、我が最大の喜びにございます。また、この度は、新たにケーニヒストル侯爵家を支える一家として立ち上がったレーゲンファイファー男爵家の筆頭執事への異動を命じて頂き、心より感謝いたします。これも神々のお導きでございましょう」


 ……こいつめ、報告する気がないとは、ね。会って早々、わざわざ男爵家の筆頭執事であることを告げてくるなんて。


 だが、ここまで侯爵たる私に反発するような男でもなかったはずだね? もっとわきまえている男だったと記憶しているが……何があった?


「男爵はすでにそちらへ向かっていると聞いているが、元気にしているかね?」

「はい。主へのお気遣い、ありがたく存じます」

「そうか。新しい領主は、どうだ? また反逆でも起こりはしないかね?」

「めっそうもございません」

「どんな領主かね?」

「大変素晴らしい方を領主に任じてくださり、感謝以外の言葉がございません」

「そうかね。フェルエアインは、領主として何をしている?」

「大変素晴らしい領政を進めておいででございます」

「ほう、何をしている?」

「素晴らしいことばかりにございます」


 ………………こいつ、答える気がないにも程があるだろう?


 フェルエラ村へ行かせたことをそこまで根に持っているのか? イゼンが口うるさく疎ましかったことは事実だが、あの村をなんとかできるのもイゼンぐらいしかいなかったのだ。ライエを行かせる訳にもいかんし…………。


 まさか、この武官嫌いがあの少年に忠誠を? いや、まさか、そんなことは考えられない。あり得ないね……。


「イゼン。その方の素晴らしい主が、何をしたか、教えてもらえないかい?」

「では、ひとつ……」


 イゼンがにやりと笑った。

 一瞬で背中が冷えた。


「すでに報告書とともに要望書も出しておりますが、我が主、フェルエアイン・ド・レーゲンファイファー男爵は、村を襲った魔物、飛竜を討伐なさいました」

「……な、なに、を?」

「それも、フェルエアインさま、お一人にて。単独討伐でございます。

 まだ報告書も要望書もご覧になっていらっしゃらないようですので、口頭にてお願いいたします。

『竜殺し』は伝説の勇者シオンや勇者クオンが為した偉業。それも、単独討伐となれば、伝説の勇者でさえも成し遂げたとは伝わっておりませぬ。

 勇者シオンは『竜殺し』にて爵位を授かり、勇者クオンは『竜殺し』にて王女を娶られましたこと、伝承にて侯爵閣下も御存じのはず。

 この伝承の先例をもって、我が主フェルエアインさまの子爵位への陞爵を強く願います」


「飛竜を討伐? 『竜殺し』、だと……?」


 あり得ない。

 それはいったい、どういうことだ?


「イゼン殿、そのようなたわごと、侯爵閣下にお聞かせするものでは……」


 文官の一人が思わず、という様子でイゼンをたしなめる。


 だが、それを見て。

 私はわかってしまった。


 ……イゼンは虚偽報告など、する男では、絶対にない。


「メルケー殿。男爵家の筆頭執事に対して、その報告をたわごとだと評するからには、それだけの証拠とそれだけの覚悟がおありでしょうな?」


 イゼンは淡々と、特に感情も込めずに、そう言った。


 文官のメルケーには悪気はなかった。同僚へ、ちょっとした言葉をかけたつもりだった。


 だが、まずい。

 イゼンは既に異動を命じ、レーゲンファイファー男爵家に籍を移した。しかも、ほんのわずかな期間で完全に男爵家へ心を寄せている!


「メルケー、謝罪をして、すぐ退席せよ。イゼン、それで許せ」

「閣下……っ、イゼン殿、先程の言葉、取り消して、謝罪いたします」

「いえ。メルケー殿の謝罪は必要ありません。先程の言葉は、ケーニヒストル侯爵家からレーゲンファイファー男爵家への侮蔑ととらえさせて頂きます」


 …………私に謝罪しろと!?


 こいつめ、完全にあの少年に忠誠を誓っているではないか!?


 イゼンは武のみの者に傾倒することなどない! そのイゼンがひとつだけと言って告げた事実が『竜殺し』という武の極致……。


 主の武のみを告げ、その他は黙して語らず。


 つまり、あの少年は……。


 文武いずれも優れている、と?


 …………いや。


 そもそも、トリコロニアナ王国での調査報告では「神童アイン」と呼ばれていたとあったはずだ。武辺の者を「神童」などと呼ぶことはない。どちらかと言えば幼少期は「いたずら者」や「乱暴者」などと呼ばれるものだ。


 あの少年が武のみならず、文においても才能ある者だということは、気づいてみれば「神童」という一言で初めから示されていたことではないか!?


 あまりにも圧倒的な強さに、そちらにばかり目がいって……。


「大旦那さま……」


 ライエから冷たい一声がかかる。


 ……そうだった。イゼンには、あの少年への依頼を届けてもらわねばならない。なんとかハラグロ商会との間をとりもってもらわなければならないというのに、悪気はひとつもないとは思うがメルケーめ!


 おのれイゼン! いつか、百倍にして返してやるからな!


「………………イゼン。このトリスタレラン・ド・ケーニヒストル、侯爵家当主として、家臣の非礼を詫びよう。すまなかった」


 この後、イゼンは謝罪を受け入れ、さらには男爵への面会依頼についても取次を約束してくれた。


 命令できない存在がこれほど手間になるとは、正直、思ってもいなかった。






 白の新月の17日にマルク商会がハラグロ商会に屈服して、ハラグロ商会から借りた金で違約金を支払ってケーニヒストルータ周辺の町や村との間の長期契約を解約した。


 ハラグロ商会はマルク商会に解約された町や村に対して、通常よりも安い価格で、通常よりも長い期間の買取契約を持ち掛け、次々と成約させた。


 条件が悪いと断った村もあったのだが、結局は糸も布も売り先が見つからず、さらにより悪い条件でハラグロ商会との長期契約を結ぶことになった。


 その後、ハラグロ商会はマルク商会を傘下に入れて、そこからさらに分割してマルク商会の番頭に新たな商会を興させ、それも傘下におさめた。


 跡継ぎではない次男や三男の村の青年たちは、この先貧しくなるであろうことが明白な村に見切りをつけて、村を出ていくことになったのだった。


 そして、26日には、食品関係最大手のガスパール商会もハラグロ商会に屈服した。


 もはや、ケーニヒストルータの商業は、ハラグロ商会の支配下にあるも同然だった。


 イゼンからの返答は、面会に応じる、白の半月の30日に訪ねる、というものだった。

 なぜ、面会日が依頼した10日、20日、30日のうちでもっとも遠い30日なのか。


 あの少年もハラグロ商会と一緒になって侯爵家を追い詰めようとしているのではないかと、私は本気で思うのだった。





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