侯爵が見た痛い目(中)
それは、ありえない話だった。
「いや、違法ではない。だが、それでは……」
「ああ、ハラグロ商会は、利益が出ない方法を取っていると考えられる」
「なぜ、そこまで……」
「あれは河北では最大の商会だぞ? 自分が虎の尾を踏んだことがわかってないのか?」
ライエの目にはやはり批難の色がある。
「だが、資金にも限界があるはずだろう?」
「今のところ、その底は見えん……」
「馬鹿な?」
「それに、ハラグロ商会の仕掛けにはまったマルク商会はこのままでは詰む」
「なんだと……」
ハラグロ商会はケーニヒストルータ周辺及び、スグワイア国各地の村や町で、糸、布、衣服まで、衣類という衣類を購入していたという。しかも、糸や布の産地においては、5年間という長期買取の契約を通常よりも高い設定の買取価格で行った。
同時に、ケーニヒストルータ内の衣類を扱う中小の商会からも糸、布、衣服を買い漁った。そして、弱小のいくつかの商会はその借金を全て肩代わりして支配下に置き、工房にはマルク商会よりも安い価格で糸や布、染料などの素材を卸すかわりに、生産した衣類の独占契約を結んだ。
中小の商会は在庫がなくなり、今まで通りマルク商会へと商品を発注し、それが集中したことでマルク商会の倉庫は空き家同然の状態に。
慌てたマルク商会が、糸、布などを仕入れようと領内や国内を動いたが、時既に遅し。
領内も国内も、糸や布はハラグロ商会によって買い占められ、さらには5年間の長期買取の契約がなされていたのだ。繰り返すが、通常よりも高い価格で。
しかし、その契約の違約金についてはそれほど高めの設定ではなく、マルク商会はハラグロ商会の買取価格に上乗せしたさらに高い買取価格で、しかもハラグロ商会との契約を解約させるための違約金も支払い、5年間の長期買取契約を提案することでケーニヒストルータ周辺の産地については、契約を奪い返すことができた。
だが、その買取価格の値上がりはマルク商会ではなく、マルク商会から仕入れる中小商会を直撃することになる。これまでよりも高値の仕入れによって、販売価格をどうしても高くするしかなく、その結果として顧客が離れていく。
離れた顧客は、価格が安いハラグロ支配下の弱小商会へと流れていく。さらに、運転資金が足りなくなった中小の商会には、ハラグロがマルク商会よりも安い卸値を提案した上で、資金援助という名の貸付も行い、そこもハラグロ支配下へと変化していく。
工房の方も素材の値上がりに敏感に反応し、マルク商会を離れてハラグロとの独占契約を望み、マルク商会は工房を逃がさないために、ハラグロよりも高く仕入れた素材をハラグロよりも安く工房に流すという、最悪の手しか打てなくなった。
「完全に詰んでいるではないか」
「…………予想外に安い違約金に乗せられて、ハラグロとの長期契約を解約させて、ハラグロよりも高い価格での長期契約を用意せざるを得なくなった。ハラグロはケーニヒストル周辺の生産地については、違約金の分でトントンだ」
「なんという、悪辣な……」
「しかし、資金的にもうマルク商会は持たない。侯爵家の使用人から騎士団まで、全ての衣装を注文したとしても、それほど支払ってやれる訳でもないぞ?」
「だからといって、ひとつの商会を資金的に救済するとなると……」
「他にも救済を求める商会が出てくるだろうし、今まで資金援助を求めてきても応じてもらえなかった商会が、ケーニヒストル侯爵家そのものを信用しなくなるか、憎むか……」
「馬鹿なっ」
「いや、もともと衣類関係の弱小商会は連名で救済を求めていたが……」
「そうだった……却下したのだ、それは」
……思い出した。ひと月ほど前に、そういうことが……待て?
「あれは、ハラグロ商会の番頭と面会して、すぐのことではなかったか?」
「……そうだった気がする。まさか、それもハラグロの仕掛けか? いや、そういえば、衣類の商会だけじゃない。肉屋からも、同じような救済を求める陳情が半月ほど前にあったな」
「……その裏にもハラグロがいるのではないだろうね?」
そう自分で口にして、おそらくそうに違いないと、思った。思ってしまった。あの番頭! なんて奴だ! しかも、全て合法の行為でだと? どれだけ金を使った!?
「ライエ……マルク商会が潰れた場合、他国との貿易への影響は?」
「……衣類関係の生産力に乏しい河北のラーレラ国、河南のナルカン公国との取引が流れることになる可能性が高いな」
「ナルカンはともかく、ラーレラはまずい! 薬草が!」
「そこまで狙っての衣類での仕掛けか……?」
薬草が入らなければ、我がケーニヒストルータのエバンズ商会が、回復薬を作成できなくなってしまうぞ?
いや、回復薬の取引でハラグロはのし上がったと報告書にはあった。
回復薬はハラグロがかなり安い価格でトリコロニアナ王国内やその近辺の国に……そのハラグロとケーニヒストル侯爵家の関係が悪化しているではないか?
「マ、マルク商会に資金援助で支援を……」
「マルク商会への資金援助は、他の商会への資金援助に道を開くことになる。その資金を調達するために、今度は寄子たちへの重税へとつながるぞ、トリス? そうなったら、大手商会がひとつふたつ、潰れるどころの話ではなくなる」
「……支援は、できないね。どうして、こんなことに?」
ライエが、はっきりと聞こえるため息を吐いた。
「い、いや、なぜ、資金力で我がケーニヒストル侯爵家が負けるのだ? 訳がわからないね? 1000万マッセや2000万マッセでできることではないだろう?」
「億、十億、そういう金を動かせるということだろう。ハラグロ商会は」
「あの番頭、確かライエは最後まで気を遣って接していたな? もう一度ここへ呼んで、話し合うことは……」
「今はケーニヒストルータにはいない。いや、それどころか、国内にいない。ソルレラ神聖国で行動しているらしい」
「連絡して戻ってはもらえないのかい?」
「連絡したよ。しばらくはソルレラ神聖国を離れられないと」
「わざとだ!」
「それはそうだろう。そもそも誰が原因だと思って……」
「まさかこんなことになるなんて思わないだろう?」
「トリス、おまえは本当に昔から、軽い気持ちで悪戯みたいにふざけたことが原因で……」
「謝る! 謝るから! ライエの説教は髪が抜けるからね! 頼む! 対策はないのか?」
「……レーゲンファイファー男爵に、仲立ちをしてもらい、ハラグロとの関係を改善するしかあるまい?」
その名前だけは聞きたくなかったのに!
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