領主の務め



 麓の村と、小川の村。

 この辺境伯領の、もっとも僻地にある、開拓村。


 そのうちのふたつが滅びたという急報が届いたのは、夏の終わりのことだった。






 あれはもう十年ぐらい前のことだろうか。


 どこかのダンジョンからモンスターがあふれ出て、この辺境伯領に多くのモンスターがおそいかかってきた。


 騎士団だけでなく領民からも徴兵し、なんとか数をそろえたが、モンスターは強く、領民にも、騎士団にも大きな被害が出た。


 また、あのようなスタンピードが起きたのだろうか。


 早く情報がほしいが、わが辺境伯領は広すぎる。


 そういえば、と思い出す。


 確か、6歳にして村長よりも早く、正確に税の計算を終わらせる神童がいるというのは、小川の村ではなかっただろうか。


 名前は…………アイン、だったか。辺境の神童、アイン。


 6歳で税の処理ができるなど、嘘に決まっておると思っておったが、どの徴税官に小川の村へと行かせても、戻ってきたら、あれは事実でございます、と言いおる。


 そこまで言うのであれば、と、14歳になったら領都に迎えて洗礼を受けさせ、洗礼の結果次第で、我が一族に取り込もうと考えていたのだが…………村が滅びたというのなら、あの神童とやらは、どうなってしまったのだろう?


 王都でつい、陛下に自慢をしてしまったものだから、王宮でも評判になっておったのにのぅ。評判になりすぎて、王家に奪われそうになって困ったのだが。あれは失敗だった。


 第三王子と歳が近いのでこちらに呼び寄せたいなどと、さすがは王家、うまいことを言う。

 だが、有能な人材の可能性が高いのであれば、王家といえども、渡す訳にはいかん。わが辺境伯領にも人材は必要なのだから。


 王国でもっとも広い領地でありながら、人の数はそれほど多くはない。それが、辺境伯領が辺境であるということだろう。


 それでいて、モンスターの脅威は王国内でもっとも……。


 本当は計算ができる神童より、戦える乱暴者がほしいというのが本音ではある。乱暴者も、しつければ騎士となる。どうにでもなるのだ。


 しかし、小川の村は年々豊かになっておったところだったのに、滅びたとすれば、これは本当に惜しいことをした。


 新たに開拓民を送り込むべきだろうか……。


 だが、どこも人手が足りん。






 続報が届いたのは秋も半ば。


 はじまりの村の村長からの知らせだった。

 あれはなかなか有能な男よ。後任がおれば領都へ召し上げてもよいのだが……。


 だが、どうやらふたつの村が滅んだのは本当らしい。


 避難してきた者から聞いた話がまとめられておる。

 その上で、あやつの推測ではあるが…………とんでもないことが書かれておる。

 村を襲ったモンスターとともに、魔族がいた可能性が高い、と。


 しかも、モンスターが大量発生したのではなく、魔族がモンスターを率いて攻め滅ぼしたとも考えられる、だと?


 急ぎ、情報を集めなければならん。

 王都へも急使を。


 騎士団を招集し、各地へ派遣だ。冬になれば、開拓村のあたりは動けんぞ。


 可能性だとしても、このままにしておく訳にはいかん。


 …………だが、そのような状況であったのなら。


 あの、神童とやらも、生き残ってはおるまい。

 残念なことよな。






 冬を目前に領都へ戻った騎士たちの報告で、ふたつの村が壊滅したのは間違いないとわかった。


 滅びた、どころではない。壊滅、だ。

 まともな建物など残ってはおらんという。


 いったい何に襲われたら、そこまで破壊されるというのか。

 しかも、麓の村が滅びたのは、小川の村よりも何年か前のことだというではないか!


 あちらへ向かう徴税官は何をしておったのだ!


 明かな不正があるはず。

 このような状況で、内部に腐った者がおるなど、やっておられんわ!


 王都への対応、モンスターや魔族への対応、内部の綱紀粛正、やらねばならんことが多すぎる。


 春にはもう一度、騎士団を開拓村へ派遣せねばなるまい。






 春に派遣した騎士団からの報告に、ふたつの村から生き延びた者の名前があった。


 それを見て、思わず声を上げてしまう。


 間違いなく、アイン、と書かれている。

 あの、噂の、神童アインは、生き延びたのだ。これは神々のお導きに違いない。


「セドアスを呼べ。確認したいことがある」


 侍従が急ぎ足で執務室を出て行く。


 第4騎士隊長のセドアスには、開拓村の調査を任せておる。特に、アインのことを知っておる訳でもないので、わざわざ報告はしなかったのだろうが、報告書に名前が残っておるからには、直接話を聞いた者がおるはず。


「お呼びと聞きましたので、参りました。何かございますか」


 執務室に入ったセドアスがひざまずいてうつむく。


「よい、顔を上げよ」

「はっ」

「麓の村と小川の村の生存者のことだ」

「はい。報告書にある通り、すでに生き延びた者の多くは開拓村内で移住し……」

「いや、それはよい。その中の、アインという、子どものことなのだが」

「…………アインですか」

「そうだ。知っておるのだな?」

「いえ、なんと申しますか……」

「よい、説明せよ」

「わが隊が小川の村について話を聞けたのは、男児1名、女児数名、そして男性1名です」

「ほう、その男児がアインだな」

「いいえ、そうではありません」

「む?」

「その男児はレオンといい、麓の村の生まれで、麓の村が滅びて、小川の村のアインの父に引き取られ、アインの義弟として育てられた者です」

「……では、アインとは話せておらんのか? どういうことだ?」

「これが雲をつかむような話で…………」


 聞き取りをした者はみな、大人である男性も含めて、逃げ延びることができたのはアインのおかげであると言ったらしい。


 ところが、そのアイン本人と、その姉のイエナは、レオンとともにはじまりの村へとやってきたのは間違いないのだが、その後の足取りは不明。

 夏にはじまりの村に来て、秋には姉弟で姿を消し、冬に一度戻り、また春になるとすぐ姿を消したという。


「はじまりの村を二度訪れておるのか? ならばなぜ誰も会っておらんのだ? いったい誰の世話になっておった? 村長ではないのか?」

「姉弟で宿に部屋を借りていたようです……」

「それは本当か?」

「はい。誰の世話にもならず、宿賃は確実に支払っていた、と」

「10かそこらの子ども二人が、自分で宿賃の支払いを? それで、今は、どこに?」

「わかりません。わかりませんが、おそらく……」

「他領へ、出た、か……」

「はい」

「ふむ……」

「このことについては、小川の村が滅び、親を亡くした以上、保護する者がいないならば、どこへ行こうとも、どうすることもできません」

「それは、その通りだが……。あれが……あのはじまりの村の村長ならば、子どもを保護しようとするだろう?」

「はい。保護を申し出たところ、はっきりと断られたそうです」

「保護を断ったというのか…………」


 そのような子どもがおるのか?

 いや、それは本当に子どもなのか?


 大人が一人、おったというではないか!


「村の生存者に大人もいたのだろう?」

「はい。その者は、はじまりの村のふたつ向こうの、沼の村にいる血縁を頼って移住しております」

「そうか。では、はじまりの村まで子どもたちを送り届け、また戻ったのか」

「いいえ。そうではなく……」

「ぬ?」

「沼の村からはじまりの村までは、子ども三人だけで移動したと聞きました」

「まさか。そんなことはできんだろう?」

「はい。ですから、聞きました、としか申し上げられません。信じられない話ですので」


 …………この辺境伯領の、しかも開拓村の辺りを、子ども三人で?


 そこはわが領で、いや、わが国でもっとも危険だと考えられるところだが、そんなことが子どもにできるのか?


 いや、できたと仮定しよう。

 できたのであれば、それは……。


「…………これは、虎を逃がしてしまったかもしれん」

「は? 虎、でございますか?」

「そう。虎だ」


 あれは、計算ができる神童などという程度の者ではない、ということか。


 並ではない。いや、並どころか……まさに、宝よ。


 逃がしてはならん。

 手に入れなければ……。


「セドアス、第5、第6の騎士隊も動かす。指揮をとれ。そしてそのうちの数名には平服が似合うかもしれぬな」

「平服……」

「ふむ。そなたのことではないとは思うぞ?」

「はっ」

「アインの調査を継続せよ。よいか、この辺境伯領にとって、欠かせぬ貴重な人材と心得よ」

「わかりました」

「行け」

「はっ」


 出て行くセドアスの背を見送る。


 まだまだ、いろいろな話が出てくるにちがいない。


 あれを他領へ渡す?

 冗談ではない。そんな馬鹿げたことをしてたまるか。王家にさえ渡さぬ。


 あれはわが領の物だ。渡す訳にはいかん。

 密かに見つけ出し、連れ戻す。


 逃がしはせぬ。






 報告にきたセドアスの顔色がよくない。跪いてうつむいているのに、全身からそれがわかるとは、これを騎士団長にはまだまだできんか。まだ先のことよな。感情を完璧に隠すのに長けた者となるのは時間がかかるものだ。


 どうせ、また、喜ばしくない報告なのだろう。


「聞こう」

「はっ」


 セドアスが立ち上がる。


「例の姉弟の足取りですが……」

「つかめたのか?」


 つかめていないのだろうと思いながら、そう言う。


「はっ。ニールベランゲルン伯爵領へ入り、いくつかの村や町を経由して、領都ニールベランへと入ったことまではわかりました」


 …………思っていた以上に追えているではないか? 少数の騎士どもに平服を着せて追わせておるのだ。これなら十分な成果と言えよう。ならばなぜそんな表情になるのだ?


「よくやったセドアス、して、二人は今、どこに?」

「いえ。さすがに領都ともなると、人も多く、まぎれられたら簡単には見つかりませぬ」

「なるほど」

「途中の村や町は、子どもの二人旅だと聞けば、すぐに話も掴めました。ですが、ニールベランで一度、完全に足取りが消えました」

「…………一度、と言ったか?」

「はっ。その後、再び道中の村や町に姿を見せたという話があり、いくつかの宿屋があるような規模の町に人を配置して探らせたのですが、さすがに村では目立つのでどうしても漏れがあり、また人数も足りず…………」


 それはそうだろう。


 同じ国内とはいえ、他領に自領の騎士を派遣するなど、何を勘ぐられるかわからん。だから、平服を着るようにそそのかしたのだ。数も、もちろん抑えなければならん。


 小さな村にそのような者を配置などしたら、どんな噂が流れるやら。


 それに、これ以上、人数を増やすこともできん。


「なんとか一人ほど、ニールベランの門番を引き込めたのですが、その者の当直の時、その者がいる門に現れるという偶然がある訳でもなく……」

「それは……そうだろうが…………」


 他領の領都の門番の買収など、もはや侵略すれすれではないか。あまりにも危険過ぎるが……。


 いざとなったら、誰かを切り捨てねばなるまい。

 だが、そこまでせねば、子ども二人の足取りが追えんとはどういうことだ? 相手は優れた者だろうとはいってもまだ子どもであろう?


「門番同士の噂話で、おおよそ10日ぐらいに1度、そういう姉弟がどこかの門にやってくるそうです。入門料は銀貨で払うそうで、どこかの商会の徒弟ではないかと思われていると」

「……それで?」

「……ニールベランに人を集めてもよろしいでしょうか?」

「む……」


 途中の町の方が、現れた場合は見つけやすかろう。


 だが、どうだ? そんな町で子どもをまるで連れ去るかのような真似をするのも考えものか?


 かといってニールベランは領都。伯爵のお膝元で、どこまでのことができるか……。


「今は、かの者たちの足取りが全くつかめておりませぬ。ここは、ニールベランの門にしぼるのがよいかと愚考いたします。東西南北、4か所に集中するだけとなりますので。幸い、どの門の近くにも宿がございます」


 人数を増やすこともできぬ中、それしかないか。


「よかろう。開拓村の方も、情報を集めよ。よいか」

「はっ」


 セドアスが執務室を出ていく。


 あれはあれで優秀なのだ。


 だが、そのセドアスがそこまで情報を集めて、なおつかめぬとは…………。






「公爵領だと? いや、さすがにそれはいかん」


 言われたセドアスが小さくうなずく。


「はっ。そうおっしゃるだろうと思い、一人を残し、あとのみなはもうこちらへ戻るように命じました。お役に立てず、申し訳ございません」


 それでもこやつ、一人はさらに追わせたのか……狼のようなしつこさよの。


 ニールベランで見張っていても、いっこうに姉弟は姿を見せない。噂の10日が過ぎても、だ。しびれを切らして、先の村や町を当たれば、どうやら次は公爵領へと入ったという。

 いったい、あの神童はどこまで先へ進むつもりなのか? それとも、何も考えてなどおらぬのか?


 生活するために移動しておるのなら、こちらが援助を申し出ればいくらでも取り込むことができよう。だが、その援助を申し出る前に、話がそもそもできておらん。

 入門料を銀貨で支払っておるというし、肉を売っておったという話もある。生活に困っておらぬのなら、援助を申し出る意味もないが……。


 格下の伯爵領なら、まだ何かがあっても話はつけられる。だが、セルトレイリアヌ公爵ともなれば王弟殿下だ。

 公爵領の内情を探っておる訳ではないとはいえ、密偵を派遣していることに違いはない。内情を探っていないなどという証拠はないのだ。探っていると勘ぐられたらそれだけで終わる。


 敵対派閥でもなければ、利益対立もない公爵を相手に、無益なことはしたくない。部下を切り捨てて終わりという訳にもいかん。


 だが、一人くらい紛れ込み、生き別れの子どもを探すという体であれば、そこまで角は立たんか。そのようなことは、よくある話でもあろう。わが領では、すでにふたつの村が滅びておるのだ。


 だがこれで、未来の虎を手に入れ損なったかもしれぬ。


 まあ、どんな虎か、はたまた猫か、わかりはせんがな……ただ、セドアスの追跡をものともしないくらいには間違いなく優秀な神童ではある、か……早目に取り込んでおくべきだったのだろうな。

 過ぎたことは仕方がないが、徴税官どもが得てくる情報の精査はやはりきちんとせねばなるまい。


「そうか。では、行ってよい」

「いえ、もう一つ、ご報告が……」

「ぬ……?」


 セドアスの目に興奮の色が見える。


 もう少し表情を取り繕うことを覚えさせねばならんか。


「聞こうか」

「はっ。まだ確認はできておりませんが、開拓村のひとつに、弓の女神の御業を扱う少女がいる、との噂がございます」


 …………これは、また。とんでもない話よ、の。こやつが興奮を隠せぬのも、言われてみれば納得のことか。


 開拓村にはどこにも貴族の子弟はおらぬ。貴族の子弟でも、神々の御業を扱えるような子どもは一握りしか生まれぬというのに、開拓村の平民の少女が弓の女神の御業を扱うなど、寝言のような噂話ではないか。奇跡とも言える。


 だが、あの神童のことを考えると、この話をそのまま放置しておくことは愚策も愚策。虎を逃がして何の反省もしておらんということになろう。別に猫だったとして、困ることでもない。


 だが、この目。

 自分の目で確かめなければ、という強い思いが完全に漏れ出ておる。


 誰をセドアスの指導につけるのがよいか……なまじ優秀なだけに、指導する者にもそれだけの力がいるであろうな。


 まあよい……。


「……セドアス。そのほうが直接出向いて、確認せよ。そして、噂が真実であれば親子ともども領都へ丁重に案内せよ。その者の生活の全てはこちらで保障しよう」

「はっ。必ずや、よいご報告をいたします!」


 ……声が踊っておる。そういうところだ、セドアス。


 歩き方まで浮かれておるではないか……。


 手柄が立てられそうで嬉しいというのは理解できるが、それを浮かれずにやり遂げられなければならんのだ。

 まったく…………。






 一人になった密偵からは、わずかな報告だけがセドアスやその部下を通して届く。

 一言で表すのなら、後は追えるが追いつけない、ということだろうか。


 追いつけたと思ったら、いつの間にか消えていて、探しているうちにまたどこかに現れ、跡を見つけたと思うと、そこにはいない。


 あの神童とやらは本当に実在の人物なのか。

 少なくとも、子どもに為し得ることではないということだけは理解できる。


 もはやあれが猫ではないと確信している。だが、虎で済むのだろうか? もはや竜のようなものなのではなかろうか、と。


 そんな、ありもしないことを思ってしまう。思わされてしまう。

 魔族の姿がちらつく今、不安にかられているからかもしれぬ。






 情報を集めに出ていた徴税官の一人から、はじまりの村の村長が騎士団による警戒の強化の要望が出されたことと、始まりの村の防備強化の許可を求められたことを伝えられる。


「それで、これは……?」

「騎士団への寄付、というように、あの者からは聞いております」

「……貴重な回復薬を10本も寄付、か。やはりあの村長は領都に引き抜くべきではないか?」

「村を取り仕切ることに熱意がある者から、そのこだわりを取り上げることもございますまい。こだわりを目の前に並べておくことで、よく働くことでしょう」


 ……己の立場を脅かされることを怖れておるだけなのに、言葉は見事に取り繕えておるわ。セドアスにもこれぐらいのことができればよいのだが。


「……騎士団による警戒については検討すると伝えよ。村の防備強化は計画を書面にて出すようにさせろ。許可する方向で動くと伝えるのはよい」


 回復薬は貴重だ。それが寄付という名の賄賂となるくらいには。


 わが国では、メフィスタルニア伯爵領のヤルツ商会がほぼ独占しておる。他国でも貴重なので輸入もままならん。

 医薬神の御業を持つ者が、世界全体で少なすぎるのだ。

 それを各国の王や貴族、神殿までもが奪い合うことで、さらにはその貴重な人材をこの世から失うようなことまで仕出かすのだから、始末に負えぬ。


 あの商会の会頭はついに爵位も得たというではないか。領地もない名ばかりの爵位とはいえ、貴族に名を連ねたのだ。そのせいでますます取引が難しくなっておる。いまいましい。


 魔族の侵攻があるかもしれぬと報告しても、最前線となる可能性があるこの辺境伯領に優先的に回復薬を回す訳でもなく。王家はいったい、何を考えておるのやら。


 メフィスタルニアの連中もだ。交易都市メフィスタルニアなどと名乗るくせに、領主であるメフィスタルニア伯爵も、中心となる大商会の会頭も、公益など何ひとつ考えてはおらぬ。

 私利私欲にまみれてけがれた町ではないか。私益都市とでも名乗ればよいのだ。まあ、あれではいずれ神々の怒りに触れるであろうな。


 だが、はじまりの村の村長はいったいどこでこの回復薬を得たのか?

 10本も寄付できるというのはそれ以上に手にしておることが隠されておるということ。

 騎士たちのためにも、なんとか、手を回しておきたいが……切れ者というのは、個人で優れたつながりを得ておるものだ。

 それを取り上げるような真似はせぬが上策か……。


 優れた人材を得るとは、本当に難しいものだ。


 回復薬といえば……ここ数年は、小川の村からの薬草の納入が大幅に増加しておったな。あの村が滅びたことはなんと惜しいことか。


 世の中、うまく回らぬものよな。






 見てください、聞いてください、と言わんばかりの表情で、セドアスが親子を案内してきおった。


 領都まで連れてきたということは、セドアスの目には噂が真実に見えた、ということになる。まさか、手柄をあせったということはないとは思うが。


 だが、この少女が、弓の女神の御業を使えるというのか?

 いや、それが真実であれば、どのような手段を用いたとしても、領内にこの少女を囲い込まなければなるまい。


 洗礼だけで10万マッセ、その後に学園で学ばせようと思えば、少なくとも30万マッセ、貴族の子弟であれば70万マッセは必要となる。

 囲い込むとなれば領内の誰かに養子縁組させることになるが、その場合でも我が家からその費用は出さねばなるまい。


 もはや神殿も、神殿なのか商会なのか、区別がつかぬ。


 これが剣神の御業や槍の女神の御業であったのなら、我が家の養女としてもかまわぬのだが。あの二つの御業からは騎士がよく天分として与えられておる。


 洗礼でどのような天分を与えられるかはまだ分からぬ。弓以外の、癒しや、土、水などの大神の御業を使えるようになることもある。

 誰かの養女とするにしても、洗礼後、結果次第で我が家の養女とできるように、負担はこちらで持っておくべきなのだ。

 それこそ、医薬神の御業を得るかもしれぬしな。


 それにしても……。


 親の二人よりも、娘である少女の方が落ち着いておるように見えるな。もちろん、ある程度緊張はしておるだろうとは思うが。度合いが、どうも逆だ。何の違和感だ、これは?


「ご紹介させていただいても?」


 興奮した目をしたまま、セドアスが口を開く。気にせずに流しておきたいが、私の性分なのだろう。どうしても気になってしまう。


 開拓村で何を見てきたのか、いったい?


「この少女が、弓の女神の御業を使える者でございます。滝の村のシャーリーと申します。シャーリー、領主さまにごあいさつなさい」

「シャーリー……ともうします、りょうしゅさま。おはつに……お目にかかります」


 辺境の平民の娘に、付け焼刃であいさつを覚えさせたか。


 セドアスの愚か者め。

 それではひとつも楽にはできんぞ。


 あれほど切れる仕事ができるのに、こういう気が回らんとは……。


「よい、シャーリー。難しいあいさつなど、ここでは不要だ。そのために正式な謁見ではなく、このような個室で会っておるのだからな。無理矢理練習させられたのであろう? 大変だったな」


 ずっとうつむいていた少女が、はっとしたように顔を上げた。


 ……驚いた。ずいぶんと美しい少女ではないか。まさか、セドアスの興奮はこの部分にあるのではあるまいな?


「セドアスからあれこれと言われたのであろう? 両親であるその方たちも、少しは楽にするとよい。報告はセドアスから聞くのでな。その後、必要があればこちらから問う。直答で問題はない」


 少女はこくりと美しくうなずく。両親がぺこぺこと頭を下げるのに。


 ……これは、ひょっとすると、掘り出し物なのではないか?


 ぐらり、と心が傾く。誰かの養女ではなく、我が家の、にすべきではないか、と。

 だが、まだ、何かわからぬが、違和感がぬぐえぬ。これはいったい何だ?


「セドアス……」


 ひとにらみして、報告を促す。


 シャーリーたちは手で座るように促した。


「はっ。私が命を受け、直接滝の村に行き、その近くの森で噂の真偽を確認いたしました。こちらのシャーリーが弓を引くと、弓矢は神々の青く白い光に包まれ、その放つ矢は一撃で森猪をしとめました」

「なんとっ!」


 ……いかん! 声に出してしまったではないか!


 心なしかセドアスが満足そうな表情を浮かべているように見える。訓練場で打ちのめしてやりたくなるような顔だ。気にくわん。


 いや、いや、だがしかし、声も出てしまうだろう?


 このような歳の、このような可憐な少女が、あの大きな森猪を一撃などと? どのような強い弓を引いたというのだ?


「見たの、か?」

「はい。この目で。しっかりと」


 セドアスはつまらぬ嘘をつくような者ではない。

 ならば、それは真実ということか?


 …………いや、真実でなければ筋が通らぬ。この少女はこのような細腕であるのだ。弓の女神の御力を与えられなければ、そのようなことは起こらぬ。だが、森猪を一撃というのは、さすがに驚くしかないが。


「神々の御業を使える者は領地の宝。辺境伯さまには、どうかこの上なき温情をたまわりますよう」


 もちろんだ。手放すはずがなかろう。

 既に大物を取り逃しておる。続けて逃すような真似はできん。


「既にセドアスより聞いておるとは思うが、その方らの娘はこちらでどこかの貴族家か騎士家の養女とすることになる。生活の保障はする。もちろん大切に育てるのでその点においても心配はいらぬ。その方らにも、十分な褒賞は取らせよう」


 ぺこぺこと、はいなのか、へえなのか、了解しているのか、いないのか、よくわからぬ状態の両親がいる。まあ、平民とはこういうものだろう。これは了解していると同じことだ。


 だが、この少女はどうだ? そんな様子はどこにもない。

 こちらをまっすぐに見つめる瞳が気になり、目線を合わせた。そうすると、唇が少し動いた。何か言いたいことがあるのだろう。


「あ、あの、りょうしゅさま…………」


 少女が口を開く。その途端、両脇の両親が慌ててそれをさえぎり、やめなさい、だまりなさい、と止めようとする。なんとセドアスまでか。その慌てぶりは笑いすら誘うほどのものだ。まあ、笑いは堪えるのだが。


「よい。聞こう。何かあるのかな、シャーリー?」


 セドアスが驚愕に目を見開く。だからそういうところだぞ、セドアス。おまえは顔に出過ぎなのだ。

 セドアスの立場としては言わせたくなかった言葉が出るのだろう。


 ふぅっと小さく息を吐き、シャーリーは力のこもった瞳でこちらを見る。


 おもしろい。平民の小娘とは思えぬ。


 領主であるこの私を、何ひとつ怖れておらぬ。この一点においては!


「りょうしゅさま。わたしは、村にもどる……もどらねばならな……ぬのです」

「よいよい。話しやすいように話すがいい。無理に慣れぬ言葉で話すと、意味も気持ちも伝わらぬ。言いたいように言いなさい、シャーリー。どうしてその方は村へ戻りたいのだ?」


 シャーリーは戻りたいのだろうと推察し、そう言った。

 この美しい少女はこくりとうなずく。


 やはり村へ戻りたいのだ。


「わたしは、村で待つと、待ちつづけるとやくそくしたんです。村をはなれると、やくそくをやぶることになる。だから、村をはなれたく、ない」


 その言葉を口から出すと、急に少女の輪郭は崩れ、満ちていた力が失われていく。全ての力がこの言葉を口にするために使われていたのだろう。泣き出して、そして、その涙は止まりそうもない。


 その小さな身で、領主である私に抵抗などできぬことを理解しているのだ。

 それでも言わずにはいられぬ強い想いを抱いておったのだ。

 逆らうことなどできぬ。だが、逆らって見せることは大事だ。従ったとしても、そこで何かが分かれる。


 少女であろうと女は女。恋は女の命だ。幼く見えても関係ない。ほんの少し、たった一言とはいえ、領主にさえ抗うほどの熱い想い。それを残すことの大切さ。


 やれやれ。こんなやっかいな想いをセドアスは抑えつけようとしておったのか。言わせてやって、すっきりさせてやればよいものを。

 子どもだからと侮っておったのだろう。大方、ろくに話もせず、気持ちを聞きもせず、ただ丁重に連れてきたに違いない。こいつは、仕事はできるが、こういうところがなっておらん。


 もうしわけありません、と両親が謝罪する。こちらが話せと言ったのだ。何を謝る必要がある。

 まあ、これが普通の平民の姿ではある。恋をした女は強い。戦うのではなく、避けるがよい。戦の女神の伝承にもそうあるではないか。


「その方らの娘は、まっすぐで立派な心を持っておるということだろう」


 そう誉めてやったのだが、そこで、いえ、この子は引き取っただけで、娘ではありません。めいなのですと言う。


 …………違和感の正体。


 今、それがわかった。

 親子のように見ていたが、親子ではなかったのだ。違和感を感じるのも当然だろう。


 しかも、共に暮らした期間はそう長くはないのだろう……む……それは?


 引き取った、少女。

 この時期に?


 そして、このような幼子が、ここまで真剣に心寄せる、相手…………。


 ちらりとセドアスを見る。あたふたとしていて、しつけておいたはずの娘がとんでもないことをしでかしたという状況だけを見ている。

 何も、気づいておらんようだ。どうやら話もろくに聞いていないのではないか?


「シャーリー。君の、大切な人の、名前を教えてくれないか? 誰を待ち続けるつもりだった? 誰と約束を交わした?」


 それが誰かは、もう確信している。聞くまでもないが、聞く必要がある。


「………………アイン、です」


 その小さな声に。


 セドアスが驚愕の表情を浮かべた。愚か者が。きちんと話を聞いておったら、全てセドアスの手柄となっていたものを。


「婚約、していたのか?」

「は、い…………」


 その返事は、まるで神々からの啓示のように、思えた。


 辺境伯領の開拓村の多くは、子どもの数が少ない。


 そのせいか、幼い頃に結婚の約束をして、そのまま成長して結婚する風習がある。隣村まで行くのがひと月の旅というようなところだ。

 男女の数がそろわなくて、嫁に出たり、婿に出したりすることもあるが、多くは子ども同士が約束して、それを親が認めれば婚約だ。幼なじみがそのまま夫婦となる。


 辺境の神童、小川の村のアインと婚約していた、弓の女神の御業を扱う少女、シャーリー、か。


 途切れ途切れで、どれだけあがいてもたどることができなかった、逃げた虎の尾を。

 よもやこんなところで掴むことができようとは。






 シャーリーは一度、この辺境伯領に領地を持ち、辺境伯に忠誠を誓う騎士団の副団長、キュベリアス・ド・バーラビアカ男爵の養女となり、改名して男爵令嬢シャーレイリアナとなった。愛称はシャーリーのままだ。


 そして、男爵家は、辺境伯である私に望まれ、娘を養女に出した。男爵令嬢シャーレイリアナは、辺境伯の養女、伯爵令嬢シャーレイリアナとなった。


 生まれ持った美貌がいつか花開き、どこの貴族たちもわが娘から目を離さなくなるだろう。いくつもの縁談が持ち込まれることが予想される。今から心配になるほどだ。


 しかし、わが愛しき娘シャーリーには、婚約者がいる。持ち込まれてくる縁談は全て断らなければならないだろう。そして、誠に残念ながら、その婚約者はどうやら今、領内にはいないらしいのだ。


 だが。

 私は領主として。また、父として。


 その婚約者を、逃がす気は、ない。





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