アインの伝説(16)



 年末。

 赤の満月に入っても、ファーノース辺境伯領は魔王軍の攻勢に抗い、領都とふたつの町を維持していた。これって、すごいことかも。ふたつの町は失われているはずだしな。ゲームなら、たぶん。


 その立役者はもちろんファーノース騎士団を中心とする辺境伯領の人たちなのだが、彼らがもっとも信じ、頼りにしていたのは、ハラグロ商会だった。


 魔物が跋扈する危険地帯となった辺境伯領をすり抜け、領都ポゥラリースや他の町に、剣、槍、盾、弓矢、革よろい、食料、回復薬など、戦い抜くために、生きていくために必要な物資を届けてくれるハラグロ商会。


 辺境伯領の人たちは、ハラグロ商会の職員が物資を届ける度に笑顔を取り戻し、勇気を振り絞り、再び戦いに出向くのだ。

 辺境伯領が魔王軍に抗うことができたのは、ハラグロ商会が支えたからであると言い切ってもいいのかもしれない、うん。


 彼らがハラグロ商会を頼りにするのは、信じるのは自然なことだと言えた。


 実際には、ハラグロ商会は危険な旅路を抜けてくるのではなく、リタウニングという商業神系魔法スキルで転移してきている。リタウニング流通最強かも。

 でも、たとえそれが知られたとしても、辺境伯領の人たちはハラグロ商会を信じ、頼りにすることをやめなかっただろうとは思う。


 なぜなら、収穫の秋を妨害するように夏から侵攻し始めた魔王軍を相手に、すでに4か月もの戦いによって支払い能力の限界を超えていたファーノース辺境伯に対して、ハラグロ商会の職員たちは「代金など後払いでよいのです」と笑って物資を提供したと言われており、また、そのことをファーノース辺境伯やファーノース騎士団の騎士たちが領民に涙ながらに語ったというのだから、むべなるかな。

 そうだよな、なっちゃうよ、ハラグロ信者に。おそるべし、ハラグロ戦略。もうデプレさん国王に祭り上げてもいいんじゃね?


 しかも、ハラグロの奴隷職員であるタッカルさん、ハルクさん、ブエイさん、ダブリンさんの4人は熟練度3のリタウニングのクールタイムが2日あるモンだから、一度辺境伯領へ輸送に出ていくと、クールタイムを終えるまで、大盾と槍で魔王軍との戦闘にも参加するらしい。

 にこにこしながら自慢してたから間違いねぇ。何やってんだあの人たちは?

 しかもファーノース騎士団に匹敵するか、それ以上の戦果を上げてるらしくて……これってレベル上げ? 武闘派商人? 何それ?

 その結果『ハラグロ四天王』とか辺境伯領では呼ばれてるとかなんとか。

 ちなみにガイウスさんはトリコロニアナ王家とかシルバーダンディとか大物相手に一歩も引かない姿勢から『ハラグロの魔王』って呼ばれてんだってさ……。


 ちょっと話はそれたけど……戦況の方はというと、さすがの辺境伯領も、もはや領都とふたつの町しか維持できていないため、それ以外の辺境伯領を抜けていく魔王軍も多く、北方に位置するニールベランゲルン伯爵領やセルトレイリアヌ公爵領、また、その他のトリコロニアナ王国内のどこかへと侵略の手は広がっているのも事実だった。


 ハラグロ御三卿と呼ばれ、ハラグロ商会と良好な関係を保っていた三人のトリコロニアナ貴族、王弟でもあるセルトレイリアヌ公爵と、ファーノース辺境伯、ニールベランゲルン伯爵のところには、ハラグロ商会が現れては物資を補充していく。後方支援はバッチリだ。


 しかし、他の領地ではどうかというと、どれほど領主たちが願ったとしても、そうそう都合よくハラグロ商会が現れる訳ではない。

 そりゃそうだ。世の中、持ちつ持たれつ。これまでの関係があるからのハラグロ商会の行動であって、商会が全ての領主を支えて救うはずもない。もちろん、義務もない。

 そして、現状、ハラグロ商会以外には物資を届けられる存在がいない。

 例えば、ハラグロ商会との関係を崩したトリコロニアナ王家とか、まさにそうだろうと思う。

 ガイウスさんが対話を嫌がってるナンバーワン。ナンバーツーはシルバーダンディだけどな。だけども。

 そのおかげで河南での各国とのやりとりはかなりスムーズに、かつ有利に進んだんだとか。


 おれとしては、できるだけ魔王軍の動きを抑え込んで時間を稼ぎたいんだけど、ハラグロ商会がこれまでに築いてきた関係というのはいいものも悪いものも無視できないとも思う。

 元々、魔王軍の侵攻ルートにあたる北方の三つの領地との取引は無理をいって優先してもらってきたし、それで十分成果はある。

 辺境伯領が粘ってるのはまさにそれだ。

 そして、ハラグロ商会の職員にも限りがあり、その他のところまで手が回らないというのも当然だと思ってる。


 実際、魔王軍の侵攻はめちゃめちゃ遅れてるしな、ゲームやアニメよりも。


 だから、この先、王都が陥落したとしても、まぁ、それはそれ、というところか。残酷かもしれないけど、そこまで助けたいとも思わない。

 去年のマーズ絡みの色々もあるし、そんなに好きじゃねぇってのも否定はしない。


 辺境伯領の粘り強い戦いは素晴らしいことなんだけど、トリコロニアナ王国全体としてはどうかというと、ファーノース辺境伯領と違って弱兵しかいない他の領地は次々と魔王軍によって落とされていく可能性が高い。


 戦々恐々としていた河北の各国も、小さな村や町を放棄して、城壁がしっかりしている大きな都市に人を集めて魔王軍の侵攻に備えるようになっていったらしくて、こっちは今年の秋の収穫が確保できてるからまだマシなんだとか。

 ハラグロ商会はそういった国々との取引でできるだけ利益を上げて、辺境伯領の分をなんとか補っているのだとガイウスさんから聞いた。

 辺境伯領がどのように魔王軍と戦って耐え抜いているのかも丁寧に説明して、槍と大盾をたくさん売りつけているらしい。

 でも回復薬は敵がきてからだと言って、ほとんど回してない。回すほどの数がない。薬草を産出するラーレラ国にだけ、その関係の上で少し融通してると聞いた。辺境伯領が最優先で、次にあと二つの北方の領地だからな。


 まあ、河南7か国では、魔物の活性化によってハラグロ商会以外の商会は既に立ち行かなくなってきているし、ほぼハラグロ商会が河南での取引を独占しているとも言えるので、辺境伯領を支えることで商会が潰れるようなことにはならないだろうとのことだった。


 どうせ、商売のことなんてガイウスさんに任せるしかないんだから、ある意味ではどうでもいい。まだソルレラ神聖国の聖都まで魔王軍がやってくるワケじゃなさそうだし、学園生活は卒業まで過ごしたいと思う。






 学園から屋敷に戻ったら珍しい人がいた。


 ケーニヒストル侯爵家筆頭執事オブライエン……おじいちゃん執事だ。しかも、騎士が10人以上一緒にいる。


「オブライエン殿? 聖都にいらっしゃるとは珍しいですね。お待たせしてしまいましたか?」


「神々のお導きにより、レーゲンファイファー子爵さまとの再会が叶いましたこと、感謝いたします。面会予約もなく、こちらを訪れましたこと、お詫び申し上げます」


「私に用事が? リ……ヴィクトリアさまではなく?」


「はい。大旦那さまは王都からまだ動けません。私が代わりにおうかがいした方が早く問題が解決するだろうと思い、急ぎこちらに参った次第です」


「いや、それなら手紙でも……」


「いえ、アインさま。今は、鳥に手紙を運ばせても、ほとんど届かなくなってしまったのです」


「あ……」


 ……そう言われて気づく。こんなところにも魔物の活性化の影響が出ていたのか、と。だからおじいちゃん執事は、騎士を10人以上も伴ってここまでやってきたのか、と。移動コストがとんでもない上に情報伝達手段も制限が加わっていたとは。


 自分たちがリタウニングで楽々移動ができるから、ついつい忘れてしまう。


 流通網の崩壊が世界を寸断し、流通に高いコストを必要とするようになって、多くの地域から物が失われただけでなく、同時に情報も奪われたということにおれは思い当たった。


 おじいちゃん執事は危険を承知でここまできた。情報を求めて。その情報を得る方法、流通を確保する方法は、現在、ひとつだけ。


「執務室へ、どうぞ、こっちです」


 魔王軍の侵攻が何をもたらすのか、ゲームやアニメだけではわからなかった部分が、おれの中の何かを身震いさせていた。


 騎士たちを別室に案内して、食事と休息を与えている間に、執務室のソファでおじいちゃん執事と対面する。


 ノックに部屋付きのメイドとして控えていたレーナが応じて、姉ちゃんが来たことが伝えられ、そのまま入室を許可すると、おじいちゃん執事が立ち上がって姉ちゃんとあいさつをかわし、姉ちゃんがおれの隣にゆったりと腰掛ける。

 夏の間は何度も顔を合わせていたはずの二人だ。おれも姉ちゃんについて知らないことが増えてんだろうな。うん。さみしいなぁ。うん。


 レーナが淹れてくれたお茶から湯気が立つ。

 姉ちゃんに付いてきたシトレが暖炉に薪を追加してぱちぱちと火の音をさせていた。冬だなぁとのんびり思ってる場合ではないけどな。ないけども。

 学園では色々な服装を見せてくれるレーナたちがやっぱり屋敷ではメイド服なのはほっとするなぁとか、考えてるのは現実逃避だと気づいてるけどな。気づいてるけども。


「ご相談はまず、ハラグロ商会とのことです」

「また、それですか」


「ええ。ですが、以前よりも切迫しております。もはや猶予はございません。ハラグロ商会はケーニヒストルータでごく普通に商いをしてくださっておりますが、この先、河南が戦場と化した場合は、ケーニヒストルータから手を引く可能性もございます。今回は手札を隠す意味はありません。関係改善が無理なら無理で、急いで別の対策を立てなければならないからです。そしてそれは急いでも1年以上かかる対策になるでしょうから」


「関係改善のための手札を隠さない?」


「はい。これで無理なら関係改善を求めません。そこに時間をかけている場合ではない。ですが、関係改善ができるならそれが最善ではあります。次善の手はあるけれど、最善であるならそれはありがたいということです」


「……手札は何か、教えてください」


「大旦那さまから会頭デプレ殿への公的な謝罪、ケーニヒストルータ港の開港と使用料の値引き、賠償金1億マッセ、会頭デプレ殿への男爵位授与」


 ほぼ全面降伏! ガイウスさんへの謝罪ではなくてデプレじいちゃんを相手に謝罪するところにシルバーダンディのちょっとした抵抗は感じるけど、ほぼ全面降伏だよ!? まるで日清戦争の下関条約だよ? どっかの国から干渉受けたりしねぇよな?


「……アインさま。ハラグロ商会は、アインさまたちと同じく、冒険商人カルモーが使ったとされる伝説の商業神の御業が使える、そうですね?」


 おじいちゃん執事が断定的にそう言った。アインさまたちと同じく、という部分を強調しつつ。


 ……まあ、リアさんとそのお付きにはもう隠してないしな。リアさんを鍛え始めてからは。リアさんにも特に口止めはしてねぇし。


「あの御業が使えるのなら港を利用できなくても何の問題もない。番頭のガイウス殿が大旦那さまの脅迫に屈さなかったのも当然です。そして、各地で隊商が魔物に襲われるようになって街道の安全が確保できていない今、ハラグロ商会の持つその力は何よりも大きい。ですから、ハラグロ商会との関係改善ができるのなら、この程度の手札は安いものです」


「それで、次善の策、というのは?」


「賠償金にあてるはずだった1億マッセを使い、騎士団と領軍を増強します。それをアインさまがフェルエラ村とケーニヒストルータとの間でなさっているように隊商の護衛とします」


「次善、ですか、それ? どちらかというと当然の策かと」


「トリコロニアナ北方では……もはや十分な情報も入らなくなっておりますが、そのことが証でもあります……河南よりも人々の移動は難しくなっているとか。領軍で隊商の護衛をしていても、いずれは1億マッセでは済まない維持費がかかるか、その程度では各地への流通を維持できなくなるでしょう。だから次善の策でしかありません」


「……オブライエン、どうして会頭のデプレさんと直接話さないのかしら?」


 姉ちゃんが疑問を口にする。


「……実は、一度、デプレ殿とお話する機会があったのですが、その時、ガイウス殿以上に冷たく対応された……印象がございます。デプレ殿と関係改善について協議してもなかなか難しいかと考えたのです、イエナお嬢さま」


「……ひょっとして、レオンの、勇者のことで、船の上で話した時のこと?」


「はい。ケーニヒストルータ沖で、船上にて会談を持ちました」


「それは、そうかもしれないわね。内容が内容だもの」


 ふむ、と姉ちゃんは納得した。今のどこに納得するとこがあったのかおれにはわかんねぇんだけど?


「……オブライエン殿、以前からどうしても知りたいことがひとつ、あるんです」

「はい。何でしょうか、アインさま」


「ガイウスさんと、侯爵閣下の間で、何があったんですか? 前は教えて頂けなかったんですが、それがわかれば説得もできるんですけど」

「それは……」


「お義父さまをかばう必要はないわ、オブライエン。それが何かによっては、1億マッセも、男爵位も何もなくても解決できるのかもしれないわよ? お義父さまから聞いたけど、オブライエンはお義父さまの幼友達なのでしょう? 言っても問題ないわよ、きっと」


 姉ちゃんがあっけらかんとそう言った。この夏でおじいちゃん執事との距離感がずいぶん近くなったみたいだ。シルバーダンディともそうだ。

 うんうん。姉ちゃんの成長なんだよな、うん。さみしくないよ、さみしくない。そしてそれは、姉ちゃんが守りたい範囲の拡大にもなってると、そういうことですね、はい。

 これ、おじいちゃん執事が夏の社交を姉ちゃんに頼んだのもおれに対する一手なんかもしんねぇな? やっぱこのじいちゃんは曲者だよな。


「……わかりました。実は、大旦那さまは、ガイウス殿との初めての面会で、港を使わせる代わりにアインさまの情報を寄越せと、脅迫なさったのです。その瞬間、ガイウス殿は席を立ち、会談を終えられました。それ以降は、ご存知の通りです」


「……え? おれ……私の、情報、ですか?」

「はい」


「なんで、そんなものを要求したんです?」


「本当になぜなのでしょうか。そこは私にもわかりません、本当に。まったく……。ですが、それがガイウス殿の逆鱗に触れたのも事実です。そうして、侯爵家とハラグロ商会の関係は悪化したまま、今があるのです」


 ガイウスさーーーーーーんっっ!! 何か、何か間違ってますよーーーーーっっ!! その一言で、そんな一言だけで、ケーニヒストルータのほとんどの商会を傘下に置くまで侯爵位にある人を追い詰めるっておかしいですよーーーーっっ!!


「……それは、お義父さまの大失敗だわ、オブライエン」

「ええ、まったく。その通りにございます」


「でも、正解だわ、オブライエン」

「イエナお嬢さま?」

「オブライエンの交渉相手はアインで正しい、ということよ」


 姉ちゃんがにっこりと笑っておじいちゃん執事を見つめた。


「アインはハラグロ商会の最大の出資者。実質的なハラグロ商会のオーナーだわ。ガイウスさんが最大の出資者であるアインと、お義父さまのどちらをとるかなんて、考えるまでもないわ」


 目と口を見開いて呆然としたおじいちゃん執事なんて、初めて見た。





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