アインの伝説(5)



「それは、なりませぬ、子爵さま」


 ……ええっと、名前は知らねぇんだけど、ユーグリークと同じ紫衣だからたぶん枢機卿の残り二人のどっちかだな。


「かつて、全ての者が洗礼を受けていた時代があったと伝わっております。

 しかし、洗礼を受けてもそのほとんどが『農家』という結果であったと。

 およそ800年ほど前に、10年間の洗礼の結果を調べた神官が平民に『農家』以外の天職が授けられるのは100人に一人か二人、対して貴族の子息や令嬢ではそのほとんどが『農家』以外の天職だったと証明し、それ以降、洗礼は才ある者が推挙されて受けるものへと変化したのです」


 うん。

 そういう理由で平民の洗礼を制限した、と。


 ああ、だから貴族代表みたいな存在のシルバーダンディは、おれの言ったことにいい顔はできねぇんだな。


 洗礼を貴族でほぼ独占していることが重要ってことか。


 ゲーム『レオン・ド・バラッドの伝説』がとことん突き詰めたMMORPGとかじゃなくて、初心者から上級者まで幅広く楽しめる程度の難易度で、それほどたくさんのジョブが用意されているワケじゃねぇから、ほとんど『農家』みたいなことになるんだろうな。


 個人的には、『農家』であったとしても洗礼を受けるメリットは存在すると思うし、100人に一人の『剣士』とかがいれば十分メリットだとは思うんだけどさ。


「……ならば、ケーニヒストル侯爵領の者においては洗礼を無償にて行うというのはどうかね?」


 シルバーダンディが、自身と自領のメリットとして、侯爵領のみの洗礼無償化を要求していく。


「いや、それは……」

「洗礼を受けたとしても『農家』ですぞ?」


 大神殿側からも口々に反論が出る。


 最終的に、フェルエラ村の者のみ、洗礼の無償化を認める、というところに落ち着いた。そもそもおれに対する賠償ってことだし、ま、そんなもんか。にやりと笑ったシルバーダンディを見たら、抜け道なんていくらでもあることはわかってるみたいだしな。


 シルバーダンディに声をかけてもらってから、ずいぶんと落ち着いて考えられるようになってきた。


 かなり混乱してたんだな、と今なら思う。


 ここはゲームとは違う、と思いながらも、ゲームと実際に違うところに出くわすと戸惑ってしまうおれ自身の情けなさ。


 頑張りどころだろうと思う。


「……では、神託のことですが」


 そう切り出したのはユーグリークだ。


 ついにきたか、と。

 冷静になっていたから受け止めることができた。


「教皇聖下が、神託が下ったとおっしゃっていましたが、いったいどのような神託が下されたのでしょうか?」


 おれは真正面からとぼけてみせた。


 作戦は簡単。

 ザ、聞こえませんでしたけど、何か? である。


 そう。

 洗礼を受けてそこに集中していたおれには、神託は聞こえなかった。

 ということにして押し切る。


 どうせ、大神殿には神託の意味なんてわかんねぇんだと思うしな。


「は? 全ての神殿を訪れ、世界を救え、との神託が……」


 ……こら、ユーグリーク。すでにちょびっと神託が変わってんじゃねーか!


 いや、神託なんてそんなもんか。

 制覇せよ、って神殿としては意味不明だもんな。

 大神殿の人たちにとって、制覇せよってのは、お遍路的なイメージだろうし。


「神託があったと教皇聖下は叫んでおられましたが、そのような神託だったのですね。それが、私に何か関係があるのでしょうか?」


 めっちゃとぼける。


 どのみち、アンタたちの知らねぇところでおれはクエストをクリアしに行くんだからな。行くんだけども。

 意味が理解できずに、別なことをさせようとするのに付き合うつもりはない。それは時間の無駄だと思う。


「レーゲンファイファー子爵の洗礼において下された神託ですぞ?」

「は? よく分かりませんが、私にはその神託とやらは聞こえませんでした。教皇聖下がお聞きになったのでしょう?」


「いや、あれは聖堂にいた者がみな聞いたと……」

「そうなのですか? 私には聞こえなかったのですが?」


「そんなことが……」

「聞こえなかった私に、その神託とやらが関係があるとは思えませんが?」


「いや、しかし……」

「神託は、それが聞こえた方が果たされればよいのでは? 私がなぜそのような神託を果たさねばならないのでしょうか?」


 おれの言葉に、ユーグリーク以外の枢機卿や神官も反応する。


「神託ですぞ!」

「そうです、神々の怒りを受けることになります!」

「神託を受けた子爵さまが動かねば神々も納得されますまい!」


 おれはこてんと首をかしげてみせる。

 別に姉ちゃんがやるときみてぇにかわいくはないとは理解してます、はい。


「神託を受けたのは教皇聖下でしょう? 教皇聖下が全ての神殿を訪れられたらよろしいのでは? もしくは他にも神託が聞こえた方が? 私には聞こえませんでしたので」


 シルバーダンディのおかげで冷静さを取り戻していなかったら、こんなに落ち着いて対処はできなかったかもしれない。


 うん。

 感謝しとこうか。


「神々への反逆ですぞ? 神罰が下りましょう!」


 それはまた大それた解釈で。


「神託が聞こえなかった者が神託を果たそうとする方が反逆では?」


 おれがそう言い返すと、急に場が静かになった。


「……そもそも、大神殿のみなさまは、どのような立場で、ケーニヒストル侯爵家の寄子である私を動かそうとなさっているのでしょうか?

 私は大神殿の聖騎士でも神官でもありませんよ?

 去年も、一昨年も、この大神殿では聖騎士団によって同じような問題があったと私は記憶しておりますが?

 みなさまも聖騎士団と同じなのでしょうか?」


 ……アンタたちに命令される筋合いはない、と理解してほしいな。


「しかし、子爵さまの洗礼において、神託が下されたというのも事実です」


 さっき、全ての人に洗礼を無償で、というおれの意見に反論してきた紫の衣の人が、落ち着いた口調で話し始める。


「神託ですから、神官である我々に聞こえ、子爵さまには聞こえなかったのかもしれません。ですが、我々としては神々に仕える身として、下された神託を正しく子爵さまにお伝えせねばなりません」


 この冷静枢機卿、面倒だな。


「神々は、子爵さまが全ての神殿を訪れることをお望みでしょう」

「……神託が聞こえなかった私にはよくわかりませんが、神々は私に、レーゲンファイファー子爵に、全ての神殿を訪れよ、とおっしゃったのでしょうか?」


「そのように我々としては受け止めております」


「……私の義父もレーゲンファイファー子爵です。ならば義父のことでしょう。まだ洗礼を受けて成人したばかりの若輩者に神託など下るはずがないと考えます」


「いえ、子爵さまご本人の洗礼での神託にございます」


 こいつ、しつけぇな、もう!


 おれは隣にいるシルバーダンディを振り返る。


「侯爵閣下、神託とやらをお聞きになられたので?」

「ああ、聞いたね」


「神々は、レーゲンファイファー子爵よ、全ての神殿を訪れよ、との神託でしたか?」

「いや、誰かを名指しした神託ではなかった」


 おれは冷静枢機卿を振り返る。


「神託が聞こえた方は、名指しではないと受け止めておられますね?」

「それでも、子爵さまの洗礼にて起きたことでございます」


「私には神託は聞こえませんでしたので」

「神託を受けて無視なさるのでは、どのような神罰があるか、わかりません」


「神託を受けたとは思えないので、神罰は何も起きないと考えます」


 ……神託のクエストはちゃんと果たしますからね。アンタたちとは無関係にな!


 おれと冷静枢機卿のにらみ合いが続く。


 互いに一歩も引かない。


 冷静枢機卿、ひょっとして、手柄を欲してんのかな、と思い当たったところで……。


「私は、制覇せよ、と神託が聞こえましたわ」


 割り込んできたのは姉ちゃんだ。


「訪れよ、ではなく、制覇せよ、と神々はおっしゃったと思うのです。制覇、とはとてもおもしろい言葉だわ。神々がレーゲンファイファー子爵に神殿を制覇せよ、とおっしゃったのであれば、今の大神殿を神々が認めていないということではないかしら?」


 今の大神殿、という部分を強調しつつ微笑む姉ちゃんの笑顔はプレミアム。だけど言ってる内容とってもバイオレンスな感じがすんのは気のせいじゃねぇな?


「トランクイッリタース枢機卿猊下、レーゲンファイファー子爵に神託が下ったのか、それとも他のどなたかに下ったのか、また、神罰を受けるのはどなたなのか、確かめてみてはどうかしら?

 訓練場に聖騎士団を集めて猊下が指揮をとられる。

 それをレーゲンファイファー子爵がお相手いたしますわ。

 『竜殺し』が相手ですもの、神々が聖騎士団と猊下が正しいとご判断なさるのなら、きっと勝利は間違いないことですわね。

 そうすれば、神々がどちらに神罰をご用意されるか、一目瞭然だと思いますの。

 ひょっとすると、神々がおっしゃった制覇せよというお言葉の意味も正しく解釈できるかもしれませんわね」


 ほほほ、と笑う姉ちゃんと、口元を引きつらせる冷静枢機卿。


「去年も訓練場で聖騎士たちとは手合わせをした覚えがございますわ。できないとはおっしゃらないでしょう? 世界最強とご自慢の聖騎士団ですもの」


 ……去年、その聖騎士団をぼっこぼこにしたのはここにいる姉ちゃんです、はい。


 とまあ、解釈論争に見せかけた姉ちゃんのかなり物騒な脅迫により。


 教皇がおれに対して神託の実行を求めないと宣言したのはそれからすぐのことだった。





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