聖女の伝説(79)
「聖女アラスイエナさま。神聖なる決闘の結果を覆すことなど許されるはずがございません。今のお言葉はどうか、取り消しなさいますよう」
そう言ったのはユーグリーク枢機卿。
大神殿の教皇に次ぐ権力者の一人。
だからこそ、神々のご威光を傷つけるようなことはさせられない立場。
だから、自然な流れでの発言に思える。
……でもこれは演技だろ? 演技に見えなくても、演技だよな?
ユーグリーク枢機卿は大神殿の中の誰よりも、姉ちゃんが聖女と呼ばれることを嫌がっていることを知っている。
その枢機卿が聖女呼びだ。
姉ちゃんが聖女であることを強調したいという可能性もあるけど、姉ちゃんが大神殿に協力はしても所属はしないことをもっとも理解しているのもこの枢機卿だ。
だから姉ちゃんを聖女呼びしたさっきの言葉は、前もって打ち合わせしていた、事前に決めていた通りのセリフ……つまりは茶番劇だ。
姉ちゃん……。
「ユーグリーク枢機卿猊下、ご心配には及びませんわ。私、神々のご意思に逆らうつもりはございませんもの。神々に誓った決闘契約を覆せるのは、同じく神々へと誓う、決闘契約のみ」
「なんですと……」
ユーグリークの野郎、それマジで演技なのか? その驚きの表情はとても演技にゃ見えねぇんだけどな?
「さて、元、第三王子殿下。先程の決着によって決められた決闘契約の履行をあなたが勝てば差し止める、その代わり私が勝ちましたら、その身を聖騎士見習いとしてソルレラ神聖国聖騎士団に捧げ、一生を費やす。いかがですか? このような交換条件で決闘契約を結びませんこと?」
……これが姉ちゃんの目的か!
第一段階は決闘で脳筋マーズの身分を奪う。
第二段階でそのマーズを聖騎士団に所属させる。決闘契約の仲介保証人としてユーグリーク枢機卿を間にはさむことでマーズの聖騎士団入団を枢機卿のお手柄にする……。
そしてそれは洗礼で本物の『聖騎士』となった者を聖騎士団に取り込むという、ユーグリーク枢機卿の実績としてソルレラ神聖国の教皇以下の全てに見せつけるため!
教皇を信頼していないという姿勢をアピールして、聖女と教皇の関係がよくないことを喧伝した上で、枢機卿であるユーグリークとは良好な関係を継続していることも示し、さらには大きな手柄をその枢機卿に取らせようって、そこまで!
洗礼でしつこく手を握ってきたからってそこまで!
どんだけ教皇の手が嫌だったんだよ、姉ちゃんっっ!!
「勝てば今まで通りの身分を取り戻せますわ。それに、負けたとしても、ただの平民ではなく、ソルレラ神聖国の聖騎士として取り立てられるのですもの。元、第三王子殿下には、ひとつも損はありませんわ」
「何、を……」
「殿下、そのような誘いに……」
「お黙りなさい。宰相に命じられたとはいえ忠節を尽くすべき主に重大な決闘契約の内容を誤認させておいて今さら忠義ぶるなど、見苦しいにもほどがあるわ。あなたはトリコロニアナ王国の国益だけを考え、主を売った不忠者でしかないの。そもそも王国は、殿下のことを後継者争いの種と考えて、今回の決闘契約を了承したのでしょう? 邪魔者にしておいて今さら何を言うつもり?」
「それ、は……」
姉ちゃんに一気にまくしたてられた文官くんは、何かを言い返そうとして何も言えなくなってしまった。
それは、脳筋マーズにとって……。
「……そうか。オレはやはり、王国の邪魔者だったか」
「必要とする者もいれば、不要と考える者もいる。世の中とはそういうものですわ、殿下」
その一言は、今までと違って、ちょっとだけ優しさを感じる、姉ちゃんの一言だった。でも、本当にその一言だけだった。
「では、この決闘をお受けになりますか? それとも、自身の婚約者を得ようとする決闘に代理人を使う臆病者には、やはり決闘など、無理なのかしらね?」
ふふん、と鼻で笑って脳筋マーズを小馬鹿にする姉ちゃん。変わり身速すぎっス!
「こんな臆病者に求婚されていたなどと一生の恥ですわ」
煽りまくってるぅぅっっ!
「……ふ、ふふふ、ハハハ、わかった! 受けよう! その決闘、受けるぞ! その方、王国の最強騎士に勝ったとはいえ、オレもここでの修行で鍛えてきたのだ! 今から打ち倒してくれよう!」
「では、決闘契約は成立ですわね。今のご身分は平民ですもの。口頭でも、侯爵家令嬢との契約を破ればどうなるか、よくご存知でしょう? 身分を振りかざしてきたからにはそれだけの報いも覚悟はしてもらいたいものですわ」
「ああ、よかろう」
「ユーグリーク枢機卿猊下、この新たな決闘の仲介保証人にもなって頂いてもよろしいですか?」
ふぅ、と息を吐いたユーグリーク枢機卿がちょっとだけ頭を抱えた。それも演技か、オッサン?
「アラスイエナさま、お転婆はほどほどになさいますよう、ご忠告申し上げますぞ。では、このユーグリーク、ソルレラ神聖国の枢機卿としてこの決闘契約を保証いたしましょう。この契約、私が持つ全ての力をもって履行させます」
「助かりますわ」
「さて、今は殿下、とお呼びしましょう。他に呼びようもございませんので。殿下、この決闘に代理人を用意されますか?」
「いや、オレが自分で戦う。そこの聖女ばかり、目立たせるのも気に食わぬからな」
……あれ? 確か、姉ちゃん? マーズ王子が自分で戦う場合は、あれ? あれれ?
「アラスイエナさま、この決闘に代理人を用意されますか?」
「ええ、そうさせて頂きますわ」
「何っ!?」
マーズくんがびっくりしてる。いや、さっきそう言ってんだけどな? やっぱ話、聞いてないよな、こいつは。
「では、どなたを代理人に?」
「私の護衛騎士である、子爵さまにお願いしますわ」
そう言って、姉ちゃんはおれを見てほほ笑むと、こっちへと歩み寄ってくる。
どきんとしてしまうほど、可愛くて、それでいて、背筋に怖気が走るような笑顔で。
「………………でとどめを刺してね」
本当におれにだけ聞こえるように。
すれ違いざまにとんでもない指令を囁く。
……姉ちゃんそれはマジですかぁ?
あー、こほん。
とはいえ、姉ちゃんには絶対服従が基本。
そう言われたからには、そうするまで。
おれは装備を整え、姉ちゃんと入れ替わるように進み出て、脳筋マーズ元王子殿下の前に立つ。
「……その方が代理人として戦うというのはともかく、それは、何だ?」
マーズが目を細めて睨んでくる。
うん。
睨みたくもなるよね~。
でもさ、これは姉ちゃんからの指示なんだよ、うん。
だから睨まれても知らないんだよな~。
訓練場を取り囲む人たちからもざわざわと何か騒がしくなっている。
「……ふざけているのか?」
ふざけているワケではなくて。
ここでのおれに与えられたロールからすると。
やっぱ、こうでしょ。
「……おまえごとき、これで十分だ」
「なんだと!」
「……下がられよ。これは神聖なる決闘であ……る。ああ、その、本当にそれで? あと、お名前をうかがってもよろしいか?」
「問題ない。これは我が主に命じられてのこと。これで勝てとの命だ。我が名はレーゲンファイファー。フェルエアイン・ド・レーゲンファイファー」
おれが名を伝えると、マーズは「フェルエ、アイン……?」とつぶやき眉をぴくりと動かし、聖騎士団の総団長は小さくうなずいた。たぶん、聖女の命令、というところに総団長はうなずいたんだろうけどな。
マーズは顔を真っ赤にして怒りを爆発寸前までため込んでいる。
まあ、これはある意味では究極の煽りともいえる行為だしな。
間違いなく、開始の合図で飛び込んでくるだろう。
「決闘を行う者は、トリコロニアナ王国、フリートライナ・マルザウィル・バイルドンテ・ド・トリコロニア元第三王子殿下、と、ケーニヒストル侯爵領、フェルエアイン・ド・レーゲンファイファー子爵」
総団長が叫ぶ。
「その名は、どこ、かで……」
後方の文官のつぶやきが風に消されていく。
「全ての神々よ、ご覧あれ! 今より神聖なる決闘を始める!」
総団長の合図とともに動き出す脳筋マーズ。
「気に食わん名だっ! ここで死ねぇぇいっっ!!」
怒り狂った表情のマーズが剣を大きく振りかぶって、突進してくる。はがねのフルプレートの紋章入りだからめっちゃ遅いけどな。重いから。あ、武器ははがねの剣だね。さすがは王子さま。元だけど。口は悪いけど。でも初期武装が木の棒とか銅の剣じゃねぇんだよな……。
「いけませんっ! 殿下っ!」
慌てて文官が叫ぶ。
「その護衛の名はっ! ケーニヒストルの『竜殺し』ですっ!」
その、おれの名が何者を指すかを思い出した文官の叫びが、脳筋マーズに届くことはなかった。
それはもちろん。
勝負が一瞬で決まったからだ。
さっきの決闘と同じように、一撃での撃滅。
脳筋マーズは訓練場の土をなめるように倒れ伏していた。
おれのたった一振りの攻撃で。
……木の枝で。
そう。木の枝の一振りで、マーズは敗北したのだった。いや、敗北させたのはおれだけどな? おれなんだけどな? おれなんだけども!
こうしてマーズは木の枝で舐めプされた男になった。うん。最低の不名誉かも……ああ、これって、おれもある意味最低なのでは!? 姉ちゃん!?
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