聖女の伝説(66)



 パーティー会場のホールでは、姉ちゃんの周囲にはケーニヒストル侯爵領関係者が固まって談笑している。


 さらには今年入学したソルレラ神聖国の聖騎士見習いたちも、その輪の外側に集まっていて、姉ちゃんを守る壁が二重になっている。

 もちろん、聖騎士見習いたちが近づけば姉ちゃんからは声をかけてもらえるのでめっちゃ恐縮している。

 一人ひとりにどんなに短くとも一声かける姉ちゃん。気さくな、それでいて毅然とした素敵な侯爵令嬢を完璧に演じている。さすが姉ちゃん。さすねぇ。


 いつの間にやら河南からの入学生、つまりクラスメイトたちもほど近くに集まり、そのため、かなり大きな集団を形成していた。


 おれとユーレイナは護衛として、ヴィクトリアさんとリンネは侍女として、姉ちゃんの側にひかえて行動を共にしている。


 あ、エイフォンは姉ちゃんをダンスに誘って秒で断られてたから。秒で。ここ大事。秒で!


 ふふふふふ。

 当然だ。うむうむ。

 姉ちゃんはおれとだけダンスをすればいいのだ、うむうむ。


 もちろん、関係者でダンスに誘い、誘われ、踊っている者もいる。そもそもエスコート相手と踊るのは一般的なことで、踊ってもらえないエイフォンの方がちょっと可哀そうな話だ。


 ダフネやキハナも踊っている。ナルハはダンスの練習が十分ではなかったようで、二、三度踊ってからは断っている。


 ちなみにエイフォンが断られた時点で、ケーニヒストル侯爵領関係者の男子たちの中から姉ちゃんをダンスに誘うような猛者は現れなかったけどな。ナイス虫よけ! いいぞエイフォン! よっトリコロニアナ一番のイケメン人質!


 ま、人質とはいえ、伯爵令息だからな。ケーニヒストル侯爵家関係者の中でエイフォンよりも上位にあたるのは学生なら姉ちゃんだけだ。エイフォンが断られた姿を見たり聞いたりしたら誘えないのも当然だろう。


 ちなみに学生以外なら、侍女として高貴な気配を消しているヴィクトリアさんは姉ちゃんと同じ侯爵令嬢なので上位になるし、伯爵令息よりも現子爵のおれの方が上位にあたるらしい。

 ただし、エイフォンは嫡男でもあるため、上位だからといっておれがどう振る舞うかは重要で、いずれエイフォンが跡を継いだら入れ替わって上位者となるため、要注意案件だというのはセラフィナ先生からきっちり指導が入ってます、はい。


 子ども時代から、将来の位置づけを意識しないとダメとか、めっちゃ面倒だよな。ヴィクトリアさんもそれで友達いなくてさみしがりやのチョロインになっちまったし……。


 しかし、こういう階級の序列を完全に無視することが可能な最強カードが一枚、今年の入学者には存在している。


 もちろん、脳筋マーズだ。


 和気あいあいとした空気を侯爵令嬢自ら創り出し、ケーニヒストル侯爵領関係者の平民にも優しく言葉をかけ、孤児出身のソルレラ神聖国聖騎士見習いともにこやかに言葉をかわす、そんな素敵な姉ちゃんの周囲は、完全に姉ちゃんの掌の上で転がされていた。

 それでいて侯爵令嬢としての品位もきっちり保てているんだから、もうこうなるための姉ちゃんの今までの努力にちょっと涙したいよ、おれは。


 一方、残念な生き物でもある脳筋マーズ王子。


 取り巻きの学生はトリコロニアナ王国出身の4、5名の男子生徒のみ。女の子がいないのでダンスも踊れない感じでこれもまた残念ではある。

 護衛騎士と側近らしい文官がいるけど、その集団は10名にも届かず、河北出身の他の国の生徒たちもマーズ王子に近づこうとはしていない。


 ま、あんな尊大な物言いでは、うかつに近づいたらちょっと、ねぇ……。


 姉ちゃんもかなりきつく言い返してはいるけど、内容から感じる二巨頭の知性の差がひどすぎる。


 そうこうしているうちに河北の入学生も姉ちゃんの周囲に人工衛星みたいにぐるぐると動き始めてしまって、トリコロニアナ軍団だけがぽつんと別世界な感じに。


 ……『まっすぐ脳筋』はもっとあけすけで、曲がったことが嫌いで、武骨で、でもその素直で一本気なところが人気のキャラだったんだけどな?

 もちろん深~い森の腐界の沼の人たちでいろいろとかけ算でご利用頂けていた貴重な人材だったはず。おれはそっちはよく知らないけどさ。


 なんか、マーズがマーズらしくない。

 どこか歪んでる気がする。『聖騎士』になったからか? 『重装騎士』だったら違ったのか?


 そんなマーズに側近の文官が何か囁くと、トリコロニアナ軍団がマーズを中心に動き出す。


 もちろん、ケーニヒストル軍団への特攻だ。


 マーズは王子。王族。周囲に人が集まらなくてもそれは変わらない。


 だから、特攻よろしく突き進んでくれば、基本的には道が開ける。開かれてしまう。


 そうして、その特攻は入学式とは違って、姉ちゃんとの距離を少し離した位置でストップする。これは入学式でおれが失言した成果だと信じたい。


「聖女よ。一度も踊った姿を見ておらぬ。さあ、オレと踊るがいい」


 そう言って、手を伸ばすマーズ王子。


 にこやかに談笑していた周囲がシーンとなって、固唾をのんで見守っている。まさに空気の破壊者だよな。エアクラッシャー・マーズ! ある意味で必殺技っぽいぞマーズ!


 ここは本来、上位者からの誘いだ。マナーとしては断ることはできない。姉ちゃんには婚約者もいないしな。


「お断わりいたしますわ。私、どなたとも踊らぬよう、お義父さまより命じられておりますので」


「成人の15歳となったのだ。親の言葉に従う必要もなかろう」


「ええ、成人したからには言葉とその意味もよく理解できております。繰り返しになりますが、お断りいたしますわ、殿下」


 上位者からの誘いをきっぱりと断る姉ちゃん。


 おれとの約束を全力で守ってくれてるんだと信じたい。というか、誰も姉ちゃんの肩を抱いたり、腰を抱いたり、さらには抱き寄せたりとか、絶対させねぇ……。


 断られると思っていなかったマーズが戸惑うと、また文官が何か囁く。


「……上位者からの誘いを断るとは、ケーニヒストル侯爵家とやらは令嬢の教育を怠ったのではないか?」


 マーズ……脳筋のくせに挑発作戦を実施するとはさすがはタンク!

 だがしかし、姉ちゃんはそれも想定済みだぜ!


「本当に入学式での教皇聖下のお話を聞いておられましたのですか、殿下?

 この学園においては身分にとらわれたり、身分をひけらかすのではなく、共に学ぶ仲間として、大陸の融和のために過ごしてほしいとのお言葉でしたわ?

 それなのに上位者であるとずいぶん居丈高に振る舞われておりますが……我が家の教育についてそのように述べられるのでしたら、もう一度ご自身のことをよくお考えになられてはいかが?」


「……」


 文官の囁きで言葉を発しているマーズでは、姉ちゃんの長文回答に咄嗟に応じることはできない。

 かなりの嫌味を込めているけど、まだまだ優しいレベルだ。

 教皇の話ってのも、実はタテマエでしかないけど、それを活用するのは悪くない。まあ、教皇という「上位者」の言葉に従えないのか、という矛盾もあったりするんだけど、そこに突っ込めるマーズじゃねぇし。


 マーズに策を用いて行動せよ、というのがもう無理だろう。マーズのよさはそういうところではないはずだ。


 ゲームやアニメよりも一年早く聖女が誕生してしまった弊害なのか、それともマーズ自身に何かが起きていたのか……。


 こんなマーズはマーズじゃねぇよな……。


「……きっと、河北から入学したみなさまも、本当は殿下とお話がしたいのではありませんこと? 私と踊るよりもきっと、その方がよろしいかと存じますわ」


 この一言は姉ちゃんからのフォローだ。


 河北出身の学生がちょっと目を輝かせているもんな。もともとマーズ王子と話す隙がなくて、あきらめて姉ちゃんの周囲の人工衛星みたいになってたんだからな。


 ここであきらめて引いとけば傷は浅いぞ、それどころか河北の学生で取り巻きが増えるよ、マーズく~ん!


 ところがところが。


 さすがは残念王子、マーズ。

 ここで斜め上の解答を選択し、爆ぜる。


「ならば聖女よ! 決闘だ! 負けたらオレと婚約するがいい!」


 ……もうこいつぶっ殺しちゃってもいいですか? いいですよね? いいに決まってますよね?





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る