聖女の伝説(64)
教室でのガイダンスは特に問題なく終了した。
まあ、おれたちの方の教室は姉ちゃんがトップだからな。
というか、河南……大河よりも南の地域からやってきた生徒が多いのがこっちの教室だ。
向こうはトリコロニアナ王国をはじめとする大河以北の、河北からやってきた生徒が多い。トリコロニアナ王国の王子であるマーズを頂点とするからだろう。
もちろん、シルバーダンディ……ケーニヒストル侯爵が動いた結果であることは間違いない。いちいち教えられなくても、それくらいは推察できる。
そもそもシルバーダンディが送り込んだケーニヒストル侯爵領の関係者が全員同じ教室というのもおかしな話だ。偶然であるはずがない。
どっちかというと、何人かはあっちのクラスに入れて情報収集をさせてほしかったけど……あんな婚約申し込みをされた今となっては、だけどな。
最初はそこまで情報が必要になるなんて考えてもなかったし。ちょっと浅はかだったかもな。
ガイダンスでの講義選択は、迷わず全講義を選択した。去年、スラーとオルドガがやったことなので前例ありだからすんなり通った。
姉ちゃんの周囲のフェルエラ村関係者は全員だ。
一か月後のステ値チェックが今から楽しみではある。本当に、ゲームと同じようにステ値アップがあるのなら……。
教室を出て一度屋敷に戻ろうと動き始めた姉ちゃんに従いつつ、ぼんやりとそんなことを考えていたんだけどな。
そこにすっと近づき、膝をついたのは聖騎士だった。学園の警備担当の一人なんだろう。
「何用か」
ユーレイナの確認も、王子ではないただの聖騎士ならすんなりと口から出てくる。
「聖女さまにお知らせを」
姉ちゃんの表情が少しだけ暗くなるのは見逃さない。姉ちゃん、聖女呼び、嫌ってるよな、マジで。今朝、あいさつに来た隊長さんは聖女呼びはしなかったのにな? 徹底されてないのかな?
まあ、大神殿の聖騎士の立場からすると、聖女をないがしろにしていないという当然の言葉のひとつなのかもしれないけどさ。
大神殿にとっては聖女という存在が重要で、誰が聖女かということは重要ではないんだろうな。
「馬車止めへと向かう道に、トリコロニアナの王子が待ち伏せております。道を変えられるか、このまま講義室で待機された方がよろしいかと」
何? 学園警備の聖騎士って、こんなに積極的に姉ちゃんのために諜報活動してくれんのかい?
学園内のいろんなところに配置されてるとは聞いてたけど、ずいぶんこっちに親切だよな?
あいつも、大神殿にとっては貴重な、聖あるジョブだろ?
いや、ジョブとしての格は『聖女』の方が上なんだろうとは思うけどな。思うけども。
ユーレイナが姉ちゃんを振り返る。
ふむ、と姉ちゃんがちょっとだけ考え込む。
「……いいわ。教室で待つのも退屈だもの。学園ダンジョンへの出口は馬車止めとは反対でしょう? ついでにダンジョンをのぞいてみましょうか。気になるでしょう?」
「しかし、イエナ義姉さま。パーティーの準備にも時間は必要ですの」
「大丈夫よ、リア。そんなに時間はかからないわ。でしょう?」
ヴィクトリアさんの心配に言葉を返しつつ、姉ちゃんはおれを見た。
……まあ、学園ダンジョンなら。時間はほとんど必要ないとはおもうけどさ。
脳筋で婚約を唐突に叫ぶ男、マーズ王子を避けて、おれたちは学園ダンジョンの受付にやってきた。
それと同時にとんでもないものを見る目で受付の神官たちに見られた。
「……入学式の日にダンジョンにやってきた方は、おそろく初めてかと」
……ですよねー。
「こちらの入場受付にパーティーのメンバーを記入してください。ああ、書くのは学生だけで護衛の方は名前を書く必要はありません。ただし護衛だけでのダンジョンへの入場は認められません。ここはあくまでも大神殿の者か、学生のみ、利用できるダンジョンです」
なるほど。大神殿の聖騎士がレベル5止まりじゃねぇのはここを使うからか。それでレベル10に到達できるのか。そりゃ、他の騎士団よりもひとつ格上にもなるわな。人数も格段に多いし、全員見習いの時に学園に通うし。
「わかりましたわ」
説明を聞いた姉ちゃんが受付にさらりと自身の名前を書く。
「入場される場合は、癒しの御業が使える神官が同行致します。これは学生の安全のためなので拒否する場合は入場を認めません。聖女さまには必要ないかもしれませんが……」
いや、回復魔法は自分自身にかけられないからな。ありがたい話だろ? ただし、レベル10だとしても月の女神系回復魔法中級スキルまでか。ま、それでもありがたいことに変わりはない。
「……あ、あの、聖女さま? 他の方のお名前は」
「あら? 私、一人で入るつもりですわ? 先程お話頂いた内容には、一人で入ることを禁じるというものはございませんでしたわよね?」
「ああ、護衛の方がいますね……」
「ですから、一人で入ります」
「え……?」
姉ちゃんは目を細めて受付の神官たちを見つめる。
「早く、付き添いの方をお願いしますわ。あまり時間がありません。一度屋敷へ戻ってパーティーの準備をしなければなりませんの」
「あ、あの? ええと、護衛の方? 本当に、聖女さまお一人で……」
あたふたした神官が、姉ちゃんではなく護衛騎士のユーレイナに声をかける。
ユーレイナはちらりとその神官を見て、小さくうなずいた。
「それは、その、危険でございますが!」
「その危険を防ぐために付き添いの神官がいるのでしょう? 何を今さら」
姉ちゃんはあきれたようにそう言うと、弓を装備する。服装は軽いものとはいえ、ワンピースタイプのシックなドレスだ。そこまで動きに制限が出そうなものではないが、本来の戦闘服ではない。
でもまあ、止めない。というか止められない。
たぶんこれ、さっきの脳筋マーズに対するイライラの発散だからな!
こういう時に余計な口出しをしたらこっちが痛い目を見るからな! 主にゲンコツで! 最近はおれの方が背が高くなったから、あえて膝をつかせてからゲンコツを入れるからな! なんでそこまでしてゲンコツを入れたいのかはわかんねぇけど! わっかんねぇけども!
姉ちゃんがスタスタとダンジョンの入り口となっているいつもの渦に近づいていく。
あたふたとした神官たちの中から一人、それを追いかけるが、ダンジョンの渦に向かいながらもおれたちを何度も振り返っている。まだ本当に一人で入るのかと疑っているらしい。
「アインさま、いいのか?」
「……スラーたちから聞いた話の通りなら、1時間もかからずに戻ってくるよ」
ユーレイナから確認されておれはそう答えた。スラーたちから聞かなくても知ってけどな。
その瞬間、姉ちゃんが渦の中へと消えてダンジョンへ転移し、付き添いの神官が慌ててそれを追いかけ、同じように転移していった。
「本当に簡単なダンジョンだったわ」
そうつぶやいた姉ちゃんの帰還までのタイムはおれがタッパで測ってたけど、37分だった。
受付の方では神官たちがざわついている。
「本当に大熊まで討伐なさったのか?」
「間違いなくお一人でか?」
「信じられん……」
「……弓を引くお姿は女神のようで、大熊を相手にされた時の御業の輝きは忘れられない。見たこともない弓の御業だった」
「わ、私が付いて行けばそれを見られたものを」
「な、なぜ付き添いをしなかったのか、私は……」
「大熊も含め、すべての魔物が一撃だったぞ……」
「なんだと」
「見事な槍の腕とは聞いていたが弓術まで極めてらっしゃるのか」
「なんというお方だ……」
「入学式の日に学園ダンジョンを踏破したというのは間違いなく新記録だ……」
「ああ、去年のあの二人もかなり早い時期にたった一度で踏破したが、これはあれをはるかに上回る結果だ……」
なんか聞こえてくるけど内容ははっきりとはわかんねぇな? 何話してんだろ? ま、いいか。
おれは姉ちゃんの顔色を確認する。
ストレスが発散できたのか、姉ちゃんはとてもにこにこしている。よし、いい感じだ。
「……あのお方は世界を救う聖女になられるはずだ」
立ち去るおれたちの背中でつぶやく付き添いの神官の言葉はまったく聞こえなかった。
このことが聖騎士団の第二騎士団を叩きのめしたこととも合わさって、姉ちゃんが大神殿で『破壊と創造の聖女』などと呼ばれるようになるとは予想もできなかった。
おれが考えていたのは、よかった、これでゲンコツはなさそうだ、なんて平和な考えだけだった。
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