聖女の伝説(49)



 あれから次々と、馬車に乗せて送られてきた使用人たちが、契約書ごと屋敷までやってきた。


 もちろん、姉ちゃんが契約書を集めたのは次の相手を追い込むためだ。


 その契約書は、神殿の孤児院と該当の貴族家との契約書と、もうひとつ、とある神官と該当の貴族家当主との契約書があり、最初の契約書には真っ当な金額での取引が、もうひとつの契約書にはまともではない高額の取引が成立していることが読み取れた。


 7人の貴族たちから9人の元孤児の女の子……というか女性だな、もう。もちろん、まだ成人してない女の子も2人ほどいたけどさ。あ、それと1人の男の子。うん。何も言うまい。合計10人だ。


 とりあえず、十分な食事を与えて、メイドたちが湯を用意して身綺麗にさせて、一時的にゆったりした部屋で休ませて……。


 保護するって、なかなか難しいもんだ。


 ハラグロ商会の調査によって、イエスロリータ猛タッチ軍団のところをやめたいと考えている者に限って、姉ちゃんは貴族たちに圧力をかけていた。


 たとえ、まともではない契約だったとしても、本人がそれを不当だと思ってなかったり、実際にはその扱いでもかまわないし、なんなら孤児院での暮らしよりもいいと思ってたりする場合は、助け出す対象とはしてなかった。


 イエスロリータ猛タッチでも、優しかったり、十分な保障をしていたりする貴族もいるようだった。それはもう性癖の問題としか言いようがないのかもしれない。

 たとえむにゃむにゃでもそれが本人にとって問題がなく、十分ならば、こっちが身勝手な正義感で助けようとするものでもないのだろう……。


 そのへんは姉ちゃんって、バランス感覚、すげぇよな。どんだけ怒ってても、そういうブレーキがちゃんとかかってる。おれだったら、勘違いして全員やってしまうかも。






 次の日には、ケーニヒストルータに到着した戦闘メイド部隊たちとともに、3輌の馬車で、リンネを除く孤児たち、元孤児たち、そして管理者となっていたシスターをフェルエラ村へと向かわせた。

 戦闘メイド部隊は到着即出発という状態だったが、そんな任務にも文句も言わず行動していた。あの子たちにはあとでボーナスを用意しとこうと思う。


 馬車を見送った姉ちゃんは、その足でケーニヒストルータの神殿へと向かった。


 今日、ケーニヒストルータの大司祭への面会予約が取れているからだ。


 もちろん、おれは護衛として行動してます。あ、ユーレイナもいるけどな。


 ユーレイナには夜会でのことについて、夜会のすぐ後に聞いておいた。


「ユーレイナさん、どうして姉ちゃん止めなかったのさ?」

「私にイエナさまが止められると思うのか?」

「思わない……」


 話は極めて短時間で終わった。


 うん。

 おれでも無理だ。


 ユーレイナは悪くないな、うん。


 怒ってる姉ちゃんを止められる人って、いるんだろうか……。


 神殿への移動は、ケーニヒストル侯爵家だとはっきりわかる紋章入りの箱馬車だ。


「姉ちゃん……おれ、やろうか?」

「大丈夫。このためにしっかり勉強したわ?」

「いや、そうなんだろうけど……」


 姉ちゃんが熱心に勉強していたように見えたのは、別に間違いではない。貴族や神殿の法や慣例について姉ちゃんは真剣に調べて、考えていたのだ。


 その上で、違法ではないけれども、よい印象がない行為にあたるものをどうすればうまく処理できるか、というラインを探って、7人の貴族たちから元孤児院の子たちを取り戻し、契約書を集めた。


 今日はその契約書を使うつもりだ。


 契約書は2種類。

 表向きの契約書はまとも。金額も適正範囲内。


 で、裏取引の契約書。こっちは法外な金額が口止め料として神官の懐に。要するに人身売買契約書だな。それでも、違法とまでは言えない、みたいで。ぎりぎり灰色レベル。奴隷オッケーのこの世界では人身売買そのものがイコール違法ではない。


 ただし、それは契約としては、の話。

 これを、賄賂、だと考えた場合は、神殿内部でも、当然、重大な不正行為だ。


 しかも、これが表沙汰になった場合は、外聞は最悪。


 神々のおわす癒しを与えるばである神殿で、孤児を人身売買して多額の賄賂を懐におさめた神官がいるとか、醜聞の中の醜聞。スーパーゴシップだ。


「本日は神々のお導きにより、ケーニヒストルータ神殿の大司祭さまでいらっしゃるユーグリークさまにお会いできましたこと、大変嬉しく思います」


「こちらこそ。偉大なる太陽神と月の女神、そして4柱の自然神の、指し示したる道の上にて、ケーニヒストル侯爵家ご令嬢、アラスイエナさまとお会いできましたこと、すべての神々に感謝申し上げます」


「こちらは私からの心ばかりのお供えにございます。どうか、神々の道を説くためにお納めください」


 面会が許された神殿の応接室で、姉ちゃんは大司祭と言葉を交わし、寄付金の入った小袋をおれに差し出させた。


 側付きの神官がおれから小袋を受け取り、一礼してさがっていく。


「ありがとう存じます。神々も、アラスイエナさまのお気遣いに喜ばれることでしょう」


 ま、神殿での寄付は基本的な行為らしいので、これは当然の手順なんだそうだ。


 金額は1000マッセ程度なんだけど、わざわざ銅貨で1000枚準備した小袋で渡した。銀貨10枚だと同額なのにダメらしい。たぶん、両替したら商人に手数料を取られるからではないかと思う。そのまま、神官たちで分配するのに銅貨がいいんだろうな。


 そう考えると、孤児院でリンネの引き取りをはっきりと拒絶したあのラセランって神官、金貨を見てよだれでも流しそうな感じだったし、やっぱろくでなしなのかもな。


「それで、本日のご用件は何でしょうか、アラスイエナさま?」


「ユーグリークさま。私、お義父さまを通じて、ケーニヒストルータ神殿から孤児院の子どもたちを取り上げてしまったでしょう? 勝手なことをして神々がお怒りではないかと心配になりましたわ。どうなのでしょう?」


 ……おじいちゃん執事によると、ケーニヒストルータ神殿は孤児院のための侯爵家からの寄付を孤児院以外へと流用していた疑惑がある。

 おじいちゃん執事とシルバーダンディが孤児院問題で思い切った行動をとったのは、その寄付金が無駄金になっていると思っていた、という側面もあった。


「……神々はそのようなことでお怒りにはなりません。ご安心ください、アラスイエナさま」

「本当にそうでしょうか?」


「どうしてそのように思われるのです?」

「今回の孤児院の一件で、神々の怒りを受けるかもしれない真実の一端に、触れてしまったからですわ」


「それは、いったい……」


 大司祭が語尾を濁すと、その後ろの書記官である若い神官も記録する手を止めた。


 大司祭はカンがいいんだろう。書記官に目配せをしている。書記官がうなずき、筆記具をおろした。記録を残さずに聞こうという姿勢だ。


 おれは姉ちゃんの背後で護衛としてじっくり大司祭と書記官の様子を見ていたから、その小さなやりとりがよくわかった。


「何が、あったのでしょう?」


 さあ、教えてください、とでも言うように、大司祭が口を開いた。


 姉ちゃんはユーレイナに目配せすると、ユーレイナが二枚の契約書を差し出した。


 姉ちゃんは受け取った契約書をテーブルの上に並べて、大司祭の方へ読みやすい向きにして見えるようにした。


「これは?」


「神殿の孤児院の子どもが、貴族家の使用人見習いとして働く時に作られた契約書ですわ。同じ契約について、契約書が二枚。ひとつは神殿とその貴族家の契約書。そして、もうひとつ。神殿のとある神官とその貴族家の当主の間で交わされた契約書です。孤児たちの使用人見習い契約は、このような二重契約になっていたことがわかりましたの」


「二重契約、ですか?」


「ええ。一枚目の契約書は表向きのもの。おそらく控えは神殿にも残されていると思いますわ。一般的な使用人見習いの雇用契約よりもやや安い給金ではありますが、それでも適正な範囲の給金での契約が結ばれ、神殿にも契約金が納められるようになっています」


「そうですね。孤児院の運営にはどうしても資金が必要なのですから」


「わかっております。ですが、同時に、もう一枚の契約書では、常識では考えられないような高額の契約金が雇い主である貴族から神官個人へと納められるようになっています。おそらく、こちらの契約書は神殿には控えが残されていないのではないかしら?」


「内容は……守秘及び、孤児の確実な身柄の引き渡し、となっていますが……」


「その神官は高額の契約金を受け取り、孤児を貴族へと表向きは使用人見習いとして預けましたわ。ですがその実体は、私の口からは申し上げにくいようなものでございました」


「なんと……」


 ……大司祭が、知っていたのか、それとも知らなかったのか。それは、微妙な感じがした。どちらとも言えないような、どちらとも言えるような。そんな感じだ。


「実際に使用人見習いとしてこちらの契約で孤児院出た者を、私は保護しましたわ。本人からもそのような事実を確認しております。15歳の成人を迎える前から……その、貴族によって、慰み者とされていたと……」


「ああ、なんという……」

「とても残念な思いですわ」


「ええ、アラスイエナさま。大変悲しい気持ちになられたことでしょう。ですが、この世にはそのようなことも職として糧を得ている者もたくさんおります。このことが即、違法ということにもなりません。悲しい事実ではありますが……」


 悲しい事実だが別にあることだろ、って感じかな? まあ、その通りだけどさ。それは否定できないしな。


「私も、娼館や娼婦をなさっている方々を否定するつもりはございませんわ。そして、使用人と主人の関係も、互いの気持ちひとつでございましょう」

「では……」

「ですが!」


 そこで姉ちゃんは大司祭の言葉を遮るように語気を強めた。「こちらの二枚目の高額な契約金はどこへ消えてしまったのでしょうか? 私が今回の一件で孤児院を見学した時には、とてもこのような高額な資金が孤児院に使われているようには見えませんでしたわ? 孤児たちはその日、食べるものすら十分ではなく、幼い子たちには危険な森へと、少しでも食べるもの増やそうと、毎日のように出向いていたと聞きました。門衛にも確認しましたが、間違いなくそれは事実です。これだけの金額があれば、問題なく孤児院の運営はできていたはずだと、侯爵家の文官にも計算させて確認をとりました」


「そ、それは……」


「契約書は、これと同じような二枚一組があと9組、つまり合わせて10組分、見つかっておりますわ、ユーグリークさま。孤児院から使用人見習いとして契約した者の数はそれよりも多くいますので、契約書が見つけられていないだけ、というものもまだまだあるのでしょうね。つまり、少なくとも、この契約書にある金額の10倍の額が動いていたということですわ。そして、全て、契約書に記されている神官の名は同じ方でございました」


「……ラセラン、ですか」


 契約書に目を落とした大司祭がつぶやくようにその名を出した。


「孤児の働きによって得られた貴重な孤児院の資金でございます。いったい神殿は、その資金を何にお使いだったのでしょうか? そもそも孤児院の運営は侯爵家からの寄付に頼っていたはずですわ? そのような要望書が毎年侯爵家に神殿から届いておりましたもの。こちらの書類も確認しておりますわ。でしたら、孤児の働きによって得られた資金は孤児院のものなのでは? ああ、書記官さま? 先程から驚きの余り、手が止まっていらっしゃるご様子ですわね。大切なことなので、しっかり書き残して頂きたいのです。驚きではありましょうけれど、よろしくお願いしますわ」


 にっこりと書記官に笑いかける姉ちゃん。すっきりとした黒髪美人だからこそ、この発言でのこの笑顔は逆に怖いと思うな。書記官の顔に汗が流れているようにしか見えないし。


 面会室に、沈黙が落ちる。もちろん、書記官が筆を走らせる音は聞こえてこない。


 大司祭ユーグリークは、将棋や囲碁で盤面を見ながら長考するプロ棋士たちのように、じっくりとテーブルの上の契約書を見つめていた。


「……アラスイエナさまは、ケーニヒストルータ神殿の不正蓄財や、不透明な資金の動きを追及しろ、とおっしゃいますか?」


 さっきまでとは違う、とても小さな声で、大司祭はつぶやくように言った。周囲の静けさが、その小さなつぶやきを結果として面会室に行き渡らせていたけどな。


「私の望みは、孤児たちが正当に受けるべきだった資金を横領した神官の処罰、それだけですわ。神殿内部の腐敗は気になるところではございますが、私の孤児院にはそこまで関係はなさそうですもの。ですが、この契約書に名のある方がどのような処罰も受けないというのであれば、私の手元にあるこれと同じような契約書は全て、そうですわね、お義父さまの懐刀と呼ばれている、筆頭執事のオブライエンに預けることになるかもしれませんわ。オブライエンは、ずいぶんと神殿への寄付金について、気にしておりましたもの」


 大司祭の目が凍り付いたように固まった。


 姉ちゃんが大司祭からゆっくりと視線を動かして、書記官に微笑みかける。


 固まった大司祭の代わりに、書記官がごくりと唾を飲みこむ音をさせた。


「神々の怒りが、罪深き神官に落ちるのならば、私はこの契約書を誰にも渡さずに、私の手元で大切に保管しておくでしょうけれど」


 ……おれは、心のどこかで、姉ちゃんのことを甘くみていたのかもしれねぇな、と。本気でそう思った。


 姉ちゃんは見事に。本当に、流れるように。しっかりと大司祭を脅迫していた。微笑みながら、丁寧な言葉で。


「……神々の怒りは、落とされるべきところに必ず落ちることでしょう」

「では、どのような神々の怒りが落とされたか、教えてくださいますように。私、神々には毎日、祈りを捧げておりますわ」


「ええ、それは大変、素晴らしいことです、アラスイエナさま」

「本日はお忙しい中、ユーグリークさまにはお時間を頂き、ありがとう存じます。次は、神々の微笑みを思い浮かべながらお話できると、期待しております」


「ええ、必ず。そのように。どうか、神々の心優しい慈悲とともに。本日は有意義な面会でございました。ありがとう存じます、アラスイエナさま」


 姉ちゃんは出された飲み物、菓子などには一切手を付けず、そのまま立ち上がると神殿の面会室をゆったりとした動きで出ていった。


 その優雅さは、侯爵令嬢らしい姿だな、と。


 姉ちゃんの意外な成長をおれは無理矢理自分の心に受け入れたのだった。





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