聖女の伝説(43)
おれが姉ちゃんを見ると、姉ちゃんはうなずいた。
「お義父さま、実は……」
姉ちゃんがシルバーダンディに向かって話を始める。
おれたちの実の父が、死んだ親友の子を引き取って、おれたちの義弟として育てていたこと。
その義弟の、死んだと思われていた妹がケーニヒストルータの孤児院にいるとわかったこと。
そして、その子が、シルバーダンディ侯爵の寄せ子である子爵のところへ使用人見習いとして出される予定になっていること。
ただ、その使用人見習いというのが、ある意味ではただの名目で、本当は慰み者にするつもりであること。
神殿のある神官と、その貴族がつながっていることで、その子を孤児院から引き取ることができなかったこと。
怒りを含んだ口調を隠すこともなく、姉ちゃんはシルバーダンディに説明した。
「……神殿の孤児院については、お義父さまからの寄付金で運営していると聞きました。義弟の実の妹であれば、私にとってはその子も義妹です。孤児院から引き取って、今まで苦労させた分、一緒に暮らして助けたいのです。どうか、お口添えをお願いします」
実は、この話については、すでにおじいちゃん執事に根回し済みだ。姉ちゃんには内緒だけどな。
シルバーダンディも知ってるはず。たぶん。それでも、まるで初めて聞いたかのように聞いてくれてる。
姉ちゃんの交渉経験アップのため、と考えるといい練習なんだけどな。ごめん、姉ちゃん。内緒にしてて。
さて、シルバーダンディも、おれが姉ちゃんに話させた意図は掴んでるはず。
これは、おれの願いでもあるけど、おれからではなく、養女となったアラスイエナ侯爵令嬢からのお願いだからな。
かわいい娘のはずの、姉ちゃんのお願い。どうするかな?
おれに交換条件を求めるかな?
「イエナ」
「はい。お義父さま」
「世の中には、飲み込めない現実や、飲み込みたくない現実があるし、起こるものだ」
「……はい」
「それを飲み込まねば、生きていくことはできない。そういうものもある」
「はい」
「イエナの願いは、侯爵たる私にとって、簡単に叶えられるものだ。だから、そうなるように動くことは、かわいい養女のために当然とも言える。だが、そのことで誰かを罰したりはしない。いいかい?」
姉ちゃんは返事をせずに、にっこりと微笑む。
……さ、寒気がっ!
おい、シルバーダンディ? おいおいおい? 危険感知能力とか危機察知能力とか、アンタついてないのか?
それとも姉ちゃんのこの微笑み、了解だと思ってんのか? ちがうぞ? 氷点下の怒りがあふれてるからな!?
気づいてる? 気づいてないだろ? おい、大丈夫だと思ってんのか? それは勘違いだからな! 勘違いだぞ!
シルバーダンディは、おれの方を見た。
「アイン。本当に、ハラグロ商会との仲介は頼めないんだね?」
「できません」
だから、そんなことを言ってて大丈夫か? 姉ちゃん怒り狂ってんだけど!?
「ふむ。なら、別の頼みごとで、それが可能なら、引き受ける気はあるか?」
「可能なら、考えます」
「そうか……」
シルバーダンディが一人の文官の方を見た。その文官がささっと進み出て、何か大げさな感じの書類を差し出す。
「これは、アイン。君の、子爵への陞爵証書だ」
「はぃ?」
なんですと!? なんでまた? 子爵? どういうこと?
え? これ、取引材料みたいな感じ? 別に子爵位とか、いらねぇんだけど?
いやまあ、とりあえず姉ちゃんの怒りボルテージがちょっと下がってきょとんになったのは助かるけどさ?
「イゼンから、『竜殺し』の報告と、その報奨を求められたのだ。伝承にならって、爵位を、ということになった。預かった牙や爪は、間違いなく竜のものだったからね」
……そういや、イゼンさんがケーニヒストルータに行く前に、侯爵への土産としてワイバーンのドロップを持たせてほしいって、言われた気がする。
渡したしな、牙と爪。余ってるもん、そんなもの。どんだけワイバーン狩ってんだって話だしな?
でも、なんで今ここの話? いや、シルバーダンディとはめったに会わないし、会えないんだから、このタイミングしかないかもだけどさ?
「『竜殺し』が事実である以上、子爵位は受けてもらう。ただし、新たな領地はなし。いずれ、君の義父上であるレーゲンファイファー子爵の領地は受け継いでもらう予定だ。そういうことで、今度の夜会でこれもお披露目する。いいね? ……ああ、子爵位が同じ呼び方になるな。まあそれほど珍しいことではないが、君を西レーゲンファイファー子爵とでも呼んで区別をつけよう」
「はあ、わかりました」
「……もう少し、喜んだらどうだい?」
いや、そう言われても、唐突過ぎて……そもそも予定外の爵位だし、喜んではないし。そんなんで喜べと言われてもなぁ。
「……まあいい。そこで、『竜殺し』の証明は確かに牙や爪で納得できた。私たちは、ね。だが、『竜殺し』ともなると、その強さこそが何よりの証明だ」
……あ、その流れですか、そうですか。騎士団のこと、ね。
「これはお願いだ、アイン。実は、うちの騎士団が、トリコロニアナの貴族たちとともに、メフィスタルニアへの遠征を望んでいる。これを、止めてもらいたい。騎士団の序列1位と2位がそろって反対しているのに、逆に盛り上がっていてね。少々困っている」
ユーレイナからの事前情報があったから、予想はしてたけど、同行してもらいたい、ではなく、止めてもらいたい、か。
さすがはおじいちゃん執事の幼友達にして親友でもあるシルバーダンディ。メフィスタルニア情報はばっちりだな。正しい判断だと思う。
メフィスタルニアにレベル5が団体で行っても全滅確実だ。誰も帰ってこないと思うな。うん。レベル10でも死ぬだろ、たぶん。
「止める、というのは、私には無理だと思いますが?」
「いや、言い方が悪かった。君は騎士団との訓練を避けていただろう? 今回は、騎士団との訓練に参加して、イエナが前にやったように、うちの騎士たちを叩きのめしてほしい。徹底的に。そうして、メフィスタルニアに行っても死ぬだけだ、とでも言い捨ててくれればそれでいい。君には簡単なことだろう?」
「……訓練に参加し、騎士たちを倒して、メフィスタルニアに行けば死ぬぞと、脅せば、よいのですね?」
「そうだね」
「それでも行くと言う者がいたら?」
「死ねばいい」
その声は、とても冷たく響いた。シルバーダンディは微笑みながら言ったのに。これが支配する者のクオリティか。姉ちゃんの怒りの冷気は実は熱量があるけど、この一言には熱量はまったくない。愚か者を切り捨てる冷徹さだけを感じるな。
「わかりました。引き受けます。孤児院のリンネという私たちの義妹の件については?」
「ああ、それか……」
にやり、とシルバーダンディが笑う。ガイウスさんみたいな怖さはないけど、イケオジだからなんかかっけーんだよな。いいよな、イケオジ。いつか、あんなんになってたら「ディー」は脱出できんのかな?
「せっかくだから、ケーニヒストルータの孤児をみんな、君に引き受けてもらおう。孤児院ごとフェルエラ村へ連れて帰りなさい。もちろん義妹も、だ」
「大旦那さまっ……」
「神殿にはそのように伝えておく。馬車は、君が自分で用意してくれ」
……あれ? なんでシルバーダンディ侯爵サマは、おれの孤児引取計画のこと、知ってんの? このことは本当におじいちゃん執事とかにも言ってないはずなんだけどな?
いや、問題ない。もーまんたい。っていうか、これでおれの望みは伝えるまでもなく叶ったようなもんなんだけど、シルバーダンディ、めっちゃいい人じゃね? あ、そうそう……。
「閣下。それなら、子どもたちの世話をしているシスターも、一緒にお願いできませんか?」
「わかった。そうしよう」
わぁおっ! やっぱシルバーダンディ、めっちゃいい人! 話わかるね! 超ラッキー!
すんげえありがたい。これでいちいちシスターとか神官とかと話し合う手間が全部丸ごといらなくなったじゃん!
おお、ハルクさんの言う通り、侯爵マターにして大正解だったな! あ、ハルクさんにも御礼言わないとな!
こうしておれは親切な侯爵閣下のおかげで、労せず孤児を引き取ることができたのだった。
やっぱ、寄親って、すげぇな! さすがの人心掌握術だ!
今、おれはシルバーダンディ侯爵閣下の寄子であることに感動している! いや、感謝している! どうもありがとう、侯爵サマ!
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