聖女の伝説(39)



 リンネの引き取りについて話すため、ハラグロ商会から手伝いに来てもらって、孤児院を目指す。ハラグロ商会から一緒に来てくれたのはハルクさん。フェルエラ村の店番にもよくいる、リタウニングが使える奴隷職員の一人だ。


「最大で金貨3枚、3万マッセの寄付、ということでよろしいのですね?」

「それでおさまりますよね?」

「ええ、おそらく。孤児は奴隷ではありませんし、義理とはいえ妹の引き取りですよね?」

「はい」

「なら、問題はないと思うのですが……」

「何か、気になることが?」

「ああ、いえ。なんでもないです、男爵さま。最初は1000マッセ、銀貨10枚の寄付から話を始めますね」

「お願いします」


 ハンドサインは決めてあるけど、問題はないはず。


 ……そう思ってたんだけどな。






 孤児院の礼拝室で、おれ、姉ちゃん、ハルクさんが座り、向かい側にリンネ、シスター、そしてなぜか、神官が一人、そこにいた。


 昨日の話では、シスターと話がついたら別に大丈夫ってことだった気がする。


 嫌な予感しかしない。


「本日は、孤児の引き取りと聞きましたが、間違いございませんか?」


 そう切り出したのは神官だった。


「ああ、申し遅れました。神官のラセランと申します」

「ハラグロ商会、支店長代理ハルクと申します」

「ハルク殿……最近、ハラグロ商会さんは、この町でずいぶん手を広げていらっしゃるとか。それで、孤児を引き取って、働き手を増やすおつもりでしょうか?」

「ええ、まあ……シスターさまと話せば済む、とうかがっていたのですが、なぜ神官のラセランさまも、ここに?」

「シスターティレニでは、決定できない部分もございます。それで話が早く済めば、と、私もここに同席させていただきました」


 ちらり、とシスターさんを見た。なんだか不安そうだ。どうも予定と違う感じがする。


「それで、こちらの、リン、という娘を引き取りたいとか?」

「ええ。ここにいる二人の義妹にあたる娘なので、一緒に暮らせるようにさせたいのです」


 えっ? という顔をしたシスターさん。びっくりした瞬間、たゆんっと胸部装甲が揺れる。いかんいかん、そこを見ている場合ではなかった。でも、どうしても「ディー」の視線は……いや、「ディー」でなくとも、あれは目がいくだろ? だよな?


「しかし、ですな、この娘は13歳になったら見習いに出すところまで決まって、話がついておりましてな。その相手とのこともございますので、簡単に引き取ると言われても困るのです」


 この話は、リンネから既に聞いていたことだから、違和感はない。ないんだけど、このラセランって神官の顔、特にその笑い方に違和感がある。ありまくる。なんだ、こいつ?


「……その相手とは神殿が仲介しておりましてな。断るとしても、なかなか。ほら、商売でも予定が変更になると、違約金が必要になるではないですか」

「では、少ない額ではございますが寄付を……」


 ハルクさんが袋から銀貨を10枚、取り出してテーブルの上に積んだ。


 なんか、金でリンネを買い取るみたいでちょっと嫌な気分ではあるんだけど、それはそれ。そこにこだわるんじゃなくて、リンネを連れて行くことが大事。そう思おう。


「相手は、ちょっとしたお方なので。違約金もそれなりになります」

「いったいどなたなのでしょうか?」

「それは……神殿からは漏らせない話となりますので……」


 ……本当にそんな相手がいるのかどうかも、怪しいよな。


 おれは金額アップのハンドサインをこっそりテーブルの下でハルクさんに示す。

 ハルクさんは、さらに10枚の銀貨を追加した。


「……足りませんな?」

「見習い、でしょう? 違約金には十分な額になるのでは?」

「そのお方が、まあ、やんごとない方なのですよ。今後の神殿の立場もありますので……」


 おれはさらにサインを出す。

 ハルクさんが、20枚の銀貨を積んで、倍額にした。4000マッセだ。


「ですから、足りません、と申しております」

「見習いの引き受けを、事前に取り消すだけの話ですよね? 1000マッセでも十分なところをその4倍ですよ?」

「ですが、足りないものは、足りないのですよ」


 姉ちゃんが目を細めて、神官ラセランをまっすぐ見据えている。


 おれは大幅アップのサインをハルクさんに示した。

 ハルクさんは一瞬、間をとったが、今度は金貨を1枚、追加した。


 神官ラセランが目を見開く。


 シスターさんは軽くのけぞってたゆんたゆんと胸部装甲を上下させ、リンネもぽかんと口を開いた。


 金貨の破壊力は抜群のようだ。


 これで決まるかな、と思ったんだけど……。


「……足りません。無理ですな」


 神官ラセランがそう言ったのだ。


 姉ちゃんの目がさらに細められ、ハルクさんがテーブルの下の拳を握る。


 こいつ、マジか? 何これ? 強欲神官ってヤツか? 賄賂大好きみたいな? 金のお菓子がほしいタイプの? 何だこれ? 神殿って、腐ってんのか? こいつだけなのか?


 かなりイラっときたけど、まだ予定していた最高額ではない。


 おれは全額のハンドサインを出した。

 ハルクさんが息を飲み、ちらりとおれを見たけど、そこには反応しないようにした。


 小さく息を吐いたハルクさんがテーブルの上の銀貨を全て袋へ戻す。

 そうすると神官がほんの少しぴくりと反応した。


 リンネの表情が不安そうだ。あまり不安な気持ちにはさせたくないんだけどな。


 銀貨を全て回収したところへ、ハルクさんが追加で2枚の金貨を並べる。

 横並びの金貨3枚。30000マッセだ。


 神官ラセランの座っているイスがごとりと音を立てた。


「孤児を引き取る寄付金としては、考えられない額かと思いますが、これで足りないということはないでしょう?」


 勝ち誇ったハルクさんの表情と声。


 挙動不審になったシスターさんがきょろきょろして、胸部装甲がゆらんたゆんゆらんたゆんと横八の字に揺れていた。きっと、頭の中では孤児院の運営資金としてどうするのかが駆け巡っているに違いない。残念ながら、神殿に大部分を持っていかれちまうんだろうけどな……。


「では、そちらの少女は引き取らせ……」

「いえ、これでも足りませんな」


 ハルクさんの言葉にかぶせて、神官ラセランが強くそう言った。


 ……こいつ、はじめっから断るつもりでここにいたんだな?


 予想外の金額を示されて神官も驚いたけど、それだけだったんだろう。はじめからリンネを引き渡すつもりがないのなら、この対応は当然だ。金額の問題じゃねぇってことか。


 別にそれ以上の金額を示すこともできるけど、こいつがそれを受ける気がない。


 なら、意味がない。おもしろいからどんどん金貨を積み上げてみてもいいけど……それはリンネにとても失礼な気がするしな。


 でも、なんでだ?


 テーブルの下では、ハルクさんがハンドサインで交渉決裂、一時後退のサインを出していた。


 おれは小さくうなずく。


「……これ以上の金額は、番頭と相談が必要なので、一度、商会へ戻らせてください。また、日を改めてこちらにうかがいます」


 あきらめたワケじゃない、ということをアピールしてもらって、おれたちは孤児院を出た。


 リンネの不安そうな顔。昨日、パンケーキ屋で泣いてた顔が思い浮かんでくる。くそっ、あの神官、覚えとけよ。ラセラン、ラセラン、ラセラン……っと。よし、名前は覚えた。おまえの人生は、今日、ある意味で終わったからな……。






「……どういうこと?」


 孤児院を出て商会へ向かって歩きながら、姉ちゃんが疑問を口にする。


「わかんないけど、金額に関係なく、リンネを手放すつもりがないみたいだったな」


 おれが答えると、姉ちゃんは冷たい目を向けてくる。くぅ~、それでも姉ちゃんは綺麗なんだよなぁ。


「どうにかして、アイン」

「どうにかするけど、今はちょっと待って。ハルクさん、どういうことだと思う?」

「ああ、あれはですね……」


 ハルクさんはとても言いにくそうな顔をしている。


「お嬢さまやオーナーに聞かせたくはないんですが……」


 それだけで、おれは察した。姉ちゃんは首をかしげた。


「あの子、とても美しいでしょう? あの神官、見習いと偽って、どこかの貴族に売るつもりですよ」


 怒った姉ちゃんが駆け出しそうになったのを捕まえて抱きしめて止めた。抱きしめたのはワザとだけど。そうでもしないと姉ちゃんを落ち着かせられなかった。でも、姉ちゃんの成長してきた柔らかさを感じてる余裕はなかったけどな。めっちゃ怒ってたから! 姉ちゃんめっちゃ怒ってたからな!


 ハルクさんが商会を使って裏を確認してくれるって言ってくれた。あと、こういうのは貴族の上を利用した方がいいってことも言ってくれた。つまり、侯爵を使え、と。貸し借りが発生するから得策とは言えないけど、リンネのためなら利用できるものは利用しよう。


 そんで、あいつ、殺す。もう決定。命を奪うってことじゃなくて、完全に抹殺してやる。どうにかして抹殺してやる。


 ついでにその貴族ってのも、どうにかしてやりたいけどな……。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る