聖女の伝説(12)
だいたいの貴族関係の詰め込み勉強は終えたおれと、まだ補習を受けてる姉ちゃん。
ケーニヒストル侯爵家の使用人たちによって鍛え直されているメイド見習いたち。
別にどうということもなく、平穏な日々なのかもしれない。
意外と暇になってしまった、と思ったところで、面会依頼の手紙が届いたと執事さんが知らせてくれた。
「面会依頼ですか?」
「ガイウス、という方から届いております」
「ああ、できるだけ早い段階で会わないといけない方です。どこに行けば……」
「こちらの屋敷に呼べばよいのでは?」
……そういうもんなんだ?
「とりあえず、面会依頼の手紙を見せてもらえますか」
「はい。こちらでございます」
さっと目を通す。
宿屋の名前は確認できた。それで十分だ。
「出かけます。姉はまだセラフィナ先生と?」
「熱心に勉強されています。フェルエアインさま、出かけるのであれば護衛をお連れください」
「護衛を?」
「はい」
「誰のために?」
「フェルエアインさまのために、でございます」
「……その護衛、ぼくより強いんでしょうか?」
「……」
執事さんは沈黙した。この人も、おれが相手を騎士団長と知らずに、手合わせであっという間に10連勝したのを見た人だ。
「ちなみに、姉がケーニヒストル侯爵家の騎士団の訓練場で何をしたか、ご存知ですか?」
「……聞いた話によると、全ての騎士を打ち負かした、と」
「聞いてるんだ……まさかと思いますけど、騎士団の人より弱い護衛とかじゃ、ないですよね?」
「護衛の腕については、その、ケーニヒストルータでは指折りの者なのですが……」
「必要ない、と言ったら、みなさんが困ることになる?」
「……フェルエアインさまの、お望みのままに」
……まあ、見張りだよな。別に困るほどのこともない。護衛は連れ歩くとしようか。
おれは立ち上がって、姉ちゃんが勉強している部屋へと移動する。
付き添って動くメイドさんがドアをノックしてくれる。
そのメイドさんが中のメイドさんと手早くやりとりして、もう一度中のメイドさんが戻ってきてドアを大きく開く。
「アラスイエナさまがお会いになります。フェルエアインさま、お入りください」
……姉ちゃんに会うのも面倒になったもんだ。相手が姉ちゃんでも、もはや侯爵令嬢だからな。
中に入って、姉ちゃんのところまで進む。
すぐ隣に女教師が控えている。
「アイン? どうかして?」
「セラフィナ先生、ご講義中に失礼いたします。どうか、お許しを」
「かまいません、フェルエアインさま」
この女教師はたった一日で自分の教えを受けて巣立った教え子にとても甘いのだ。
「姉上。ガイウス殿がケーニヒストルータに。面会依頼の手紙が届きました。会いに行こうと考えているのですが、ご一緒なさいますか?」
「ガイウス殿が? どちらに?」
「宿屋に腰を落ち着けたようです」
「……先生、今日はここまででもかまいませんこと?」
「……いつも真面目に頑張ってらっしゃいますので。その方は、どのような?」
女教師も、たぶんスパイさんであることは間違いない。というか、スパイではない人を探す方が難しいと思う。
もうおれたちの情報はかなりの部分、掴んでると思うんだけどな。まだいるの?
「トリコロニアナ王国で、いろいろと助けていただいた商会の者です」
女教師にはおれが答える。
「そうでしたか」
「メフィスタルニアを脱出してから、お礼を伝える時間もなかったものですから」
「では、少しでも早く会いたいのでしょう。アラスイエナさま、明日はまた頑張るというお約束で今日はここまでにいたしましょうか」
「先生、ありがとう存じます」
姉ちゃんがにっこりと微笑んで女教師を見る。
女教師がちょっとだけ頬を染めている。
……姉ちゃんの微笑みパワーがすげぇんだけど? 女教師、堕ちてない?
「アイン、準備ができるまで、待っててもらえるかしら?」
「玄関で、お待ちしております、姉上」
おれと姉ちゃんのやりとりを見て、女教師がほぅと小さく息を吐いた。
たぶん、元平民がこんなに立派に……とか思ってんだろうなぁ。
侯爵家の馬車を利用して、護衛も連れて、ガイウスさんが泊まっている宿屋を目指す。
面倒は面倒なんだけど、まあ仕方がない。
これが姉ちゃんを守るという選択の結果とも言えるんだからな。
とりあえず、勉強が終わったらソッコーで領地の村へ行くんだとおれは心に決めた。
侯爵領の西の辺境で、かなりの僻地らしい。
そこまで行けば、堅苦しいことは抜きでなんとか過ごせるだろう。
そんなことを考えながらぼーっと座席に座っていたら、ごとりと馬車が停まって、御者が扉を開けてくれた。
車内にはおれと姉ちゃんとメイドさんが一人。
おれが先に出て、姉ちゃんの手を取って馬車から降ろし、その後ろに音もなくメイドさんが続く。
護衛は二人。
一人は騎士団から派遣された女騎士……というか、ユーレイナさんなんだけどな。ヴィクトリアさんの護衛騎士から姉ちゃんの護衛騎士に異動になったらしい。
まあ、おれの目から見たら、ケーニヒストル侯爵家の騎士団で2番目に強い人が姉ちゃんの護衛、ということになる。
一番はビュルテさんね。こっちは異動せず、ヴィクトリアさんの護衛のままだ。
女騎士はそれほど数もいなかったので、奪い合いなのかもしれない。
もう一人の護衛は、騎士団の人ではなく、雇われたおじさん。雇われおじさんだな。
雇われおじさんは下手に首を動かさずに、目だけで周囲に気を配っている。それだけでもそれなりの腕なんだとは思う。
まぁ、今の段階でおれたちを狙うような相手はいないとは思うけどな。
宿屋に入った途端に、知ってる顔が動いた。ハラグロ商会の一人だ。
たぶん、ガイウスさんに知らせに行ったんだろう。
もう一人が、こちらに近づいてくる。
護衛の雇われおっさんがすっとおれたちと商会員の間に入る。
「何用か?」
「そちらは、アインさま、イエナさまとお見受けいたします。私はハラグロ商会の者です。番頭のガイウスの面会依頼が届き、こちらにいらっしゃったのではないかと」
雇われおっさんがちらりとおれを見たので、黙ってうなずく。
「……ハラグロ商会のガイウス殿はどちらに?」
「最上階の部屋で待っております」
「では、案内を頼む」
「はい」
ここまで、おれたちは自分でやりとりができない。全部、雇われおっさんが対応している。
はぁ~。
水戸黄門がちりめん問屋に扮してお忍びで行動した理由がよくわかる。
行動しづらいったらないな、まったく。
ヴィクトリアさんの時は、ここまでじゃなかった気がする。まぁ、外で誰かに会うって行動ではなかったというのもあるけどな。
階段をのぼって最上階のスイートルームへ。
相変わらず、ガイウスさんはいい部屋に泊まることがデフォ。なんでもスイートルームだな。
中に入ると、ガイウスさんがひざまずく。
「お立ちになって、ガイウス殿」
「イエナさま、アインさま。わざわざお越しいただき、恐縮しております。お久しぶりでございます。神々のお導きにより、再びお会いできたことを、このガイウス、心より感謝いたします」
「ガイウス殿、そちらも元気な様子、嬉しく思います。神々のご加護があなたの身にこれからも輝きますように」
姉ちゃんとのやりとりを終えて、ガイウスさんが立ち上がる。
さて、と。
ここからだな。
「……ユーレイナ。人払いを」
「アラスイエナさま、それは……」
「ここにはアインがいるわ? それとも、アインの腕を確かめなければわたくしの言葉に納得できなくて?」
「いえ、そんなことは」
「なら、早くしてちょうだい。大切な話をガイウス殿としなければならないの」
「は……」
「あなたも外よ。扉の外でしっかり守っててくださるかしら?」
ハラグロ商会の方は、ガイウスさんの指示で既にガイウスさん以外の人たちはいなくなっている。
「……商会の者よりも動きが遅い侯爵家の者などと、恥をかくことになるわよ?」
しぶしぶ、という感じでユーレイナさんと雇われおっさん、メイドさんが部屋を出て行く。
そして、扉が閉じられると、そこにはおれと姉ちゃんとガイウスさんだけが残された。
「オーナーは男爵で、お嬢さまは侯爵令嬢、ということでよろしいんですか?」
開口一番、ガイウスさんは現状を確認してきた。
「相変わらず情報が早いね、ガイウスさん」
「ケーニヒストルータにやってきたらびっくりでしたよ。メフィスタルニアが死霊に滅ぼされて、オーナーたちがどうなったのかもはじめはわかりませんでしたから。そうしたら、これ、でしょう?」
「手紙は届きましたか?」
「ええ、偶然、ここに着いた時に」
「……そんな偶然があったんだ」
「仕組まれていたような気もしますがね」
「まあ、届いてよかったです」
「……では、まず、商会のことをご報告いたします」
ガイウスさんは支店拡大の状況と商会の収支、そしておれの取り分について説明してくれた。
おれの取り分が4000万マッセあるらしい。
……嘘だろ? 純利益が1億マッセ超えてんじゃん? いやいやいや、ありえねぇ? 純利益で1億マッセ超えてんなら、総売り上げとかどうなってんだよ?
「……取り分が、多すぎる気がするんですけど?」
「計算は間違ってませんよ、オーナー。それだけ、ハラグロは稼いでますから」
「どうやったら? まさか回復薬を高値で売りさばいてるとか?」
「それは誓って、やっておりません。オーナーとの約束は守っております。そもそも、この稼ぎは全部、オーナーのお陰です。ありがとうございます。会頭も、最大の礼をと」
「おれの? いや、おれは出資しただけで……」
「ちがいます、あいつらですよ、あの4人の」
「あの、4人?」
「……伝説の冒険商人の御業を使えるようにしてくださったんでしょう?」
そういえば、そんなこともありました。
メフィスタルニアの地下にあるダンジョンで、ハラグロ商会の奴隷職員4名をパワーレベリングして、リタウニングを使えるようにしたんだった。
レベル15のリタウニング通り越して、レベル25のボックスマックスまで使えるようになっちゃったけど。
「あいつらが動けば、すぐに稼げるんです。本当にありがとうございました。
それと、オーナーから託された回復薬で、トリコロニアナ王国北東部の三卿が完全にハラグロの味方になりました。
特に、辺境伯への回復薬の融通は、オーナーに言われた通り、数を増やしていたところ、良識ある諸侯が多く味方になってくださり、トリコロニアナ王国とその周辺国ではとても取引がしやすい環境になっております。
あいつら4人が行動範囲を広げれば、どこまででも仕入れられるし、どこまででも販売できる。
大河以北で今ウチに絡もうとする商会はどこにもありません。
ヤルツ商会にやりこめられていたことがまるで嘘のようです」
なるほど。
転移ができるリタウニングを使える、ボックスマックス持ちか。
現状の流通網を破壊しちまうくらいのインパクトはあるかも。
よくわかんねぇけど。
「そう、そりゃ、よかった」
「では、4000万マッセ、いつ、お渡ししましょうか?」
「いや、別にこっちも金に困ってるってこともないし、そのまま追加投資に回しても?」
「オーナーがそれでよければ、すぐに書類を用意させます」
「じゃあ、そうしてください。回復薬の在庫は?」
「いくつ、譲って頂けますか?」
「……んと、200は出せるか、な?」
「全て引き取らせて頂きます。オーナーの言い値でかまいません」
「1本600マッセ、120000マッセで」
「オーナー、何度も言いますがその卸値は……」
「いいんです、これで」
おれはガイウスさんの言葉を遮る。「メフィスタルニアで、伯爵家の騎士団が回復薬を貴重なものだからと使えずに全滅していました。高くて使えない薬なんて意味がない。ガイウスさん、回復薬の取引先にはくれぐれも、そのことを伝えてください。使うべき時に使わなければ意味がない、足りなくなったら必ず届ける、と」
「……メフィスタルニアで、何があったんですか? 噂ばかりで、まともな話は伝わってきません」
「ヤルツ商会の子爵が魔族と手を結んでメフィスタルニアの乗っ取りを企みました。子爵は捕えて、ケーニヒストル侯爵か身柄を確保しています。跡継ぎもケーニヒストル侯爵の手に。メフィスタルニアは死霊の手に落ちました」
「そんな……魔族ですと?」
「詳しくはこちらを。できるだけ多く写本させて、話がわかる有力者に届くようにお願いします」
おれは、メフィスタルニアでのあの一件でいろいろと考えたことをまとめたものをガイウスさんに預けた。
「……読ませて頂いても?」
「今ではなく、後でお願いします」
それから、今後の拡大方針について話し合う。
おじいちゃん執事との顔つなぎも約束した。ガイウスさんによるとあのおじいちゃん執事、ケーニヒストル侯爵領の影の支配者だとか。
侯爵不在時には領地の全権が委任されているらしい。領政のナンバー1らしい。爵位とかなくても関係なく、寄子の貴族は誰も逆らえないそうだ。
マジか。
筆頭執事、家令ってそんなにえらいんだな。びっくりだ。
ハラグロ商会は、とりあえずケーニヒストルータに出店出来たら、今度はソルレラ神聖国へと南下してもらう。いずれ学園へ行く時に、ソルレラ神聖国にハラグロ商会があれば便利だしな。
それこそ、あの4人を使えば、大河以南もハラグロ商会が席巻することは間違いない。びっくりするような金額を稼いでくれるだろう。
「オーナーの領地にも出店しますよ」
「ええ? 辺境の小さな村って話ですけど……」
「いいえ。必ず出店させて頂きます。なんなら、そこがハラグロの本店でもかまいません」
「番頭がそんなこと決めていいんですか……」
「いいんです。ああ、そうだ、お嬢さま」
ガイウスさんが姉ちゃんに向き直る。「頼まれてたクレープ屋ですが、どちらに出店しましょうか?」
「ガイウスさん、しーっっ」
姉ちゃんが慌ててガイウスさんを黙らせようとしている。
いや、気づいてたけどな。気づいてたけども。
姉ちゃん、クレープ好き過ぎだろ。
懐かしい顔に会ってめっちゃ和んだ。
平和っていいよな、と実感した日だった。
あと、クレープ屋はケーニヒストルータとソルレラ神聖国の聖都にそれぞれ出店することに決まった。姉ちゃんはいずれ学園に行った時にもクレープは欠かせないと考えているらしい。
そんなところもかわいいと思ってしまうおれはとんでも姉スキーなのだった。
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