聖女の伝説(10)



「ふむ……」


 そううなずいたシルバーダンディが姉ちゃんからおれへと視線を移した。


「アイン、君が望むのなら、その全てに従うようだね、君の姉は」


 ……その言葉、もっと違う意味で使いたかったのに! こんな、切羽詰まった人生の重たい部分とかじゃない別の! もっとほんわかあったかぽわぽわーんって感じの時に!


「さあ、どうするかね?」

「私と姉を引き離さないのであれば」

「ほう」


 シルバーダンディが微笑む。「姉弟、仲が良くて結構なことだ。では、こちらの方針には基本的に従ってもらえるということでいいかね?」


「その方針を聞かせて下さい」

「……イエナの方から話そうか。イエナはフォルノーラル子爵家と養子縁組してヴィクトリアの姉になってもらう予定、だった」

「父上?」


 口をはさんだのはフォルノーラル子爵、ヴィクトリアさんのお父さんだな。シルバーダンディからしたら息子にあたる。しかも跡継ぎ。


「カナル、予定は変更だ。イエナはフォルノーラル子爵家との養子縁組の後、姉妹そろってケーニヒストル侯爵家が引き受けることにする。二人は侯爵家が直接守ろう」

「それは……その方が確実にヴィクトリアを守れるので異論はありませんが……」


「アイン、別に君とイエナを引き離すつもりはない。ただ、貴族令嬢として必要な教育は必ず受けてもらうことになる。これはイエナのためにも必要だからな。命令ではないが、命令のようなものだ。拒絶するかね?」


「いいえ。必要なことだと理解できます。姉ちゃん、いいよね?」

「わかったわ」


 姉ちゃんは素直に従う。「これで、勉強でもアインに追いつけるわ」


 ……なんか、ちっちぇー野望が聞こえたんだけど?


「それからアイン、君には男爵位を受けてもらいたい」

「それが、私自身を守るために必要であれば」


「もちろん、アイン自身が爵位持ちとなることで、特に神殿に対しては拒絶をはっきり示しやすくなるはずだからね」

「ただ、男爵位などと、そのように簡単に受けられるものなのでしょうか?」


「ははは、ケーニヒストル侯爵家には子爵位までの爵位を与えることが認められていて、王家はそれを追認するだけだからね。我が家のご先祖さま方が、侯爵家の勢力を維持、拡大するために王家に認めさせたものだ。利用できるものは利用するべきだろう」


「……無制限に、爵位を与えられるものなのですか?」


「領地を持たない官僚としての貴族を新たに爵位を与えて増やすことには制限がある。侯爵家では男爵を16名、子爵を8名まで認められている。侯爵家の領地を割譲して爵位を与えることについては制限がない。とはいえ、領地は無限にある訳ではないので限界はあるがね。どうだい、侯爵になってみる気は出てきたかね?」


「いいえ、まったくありません」


 おれは即答した。

 おれと姉ちゃんを守るために侯爵の地位が必要だとは思えない。


 どういうワケか、侯爵家としてはおれの要望に応えるつもりがあるみたいだから、もらって大丈夫そうなものは、しっかりもらっておこうと思う。


 ある程度、取り込まれているのは間違いないけど、完全に取り込まれずに生きていくのは、それこそアンネさんのように隠れ住むことになる。


 洗礼の後で貴族、王族、神殿などの追手に追われ続けるような生活も望まない。

 それなら、ある程度の身分や地位は必要なんだろうと理解している。『はじまりの村』でアンネさんから教わって、いろいろと考えた結果だ。問題ない。もーまんたい。


「残念だね。では、男爵位についてだが、ケーニヒストル侯爵家の寄子という形は保ってもらいたい。それは君たちを侯爵家が守る上で必要なことだからね」

「寄子というのは、侯爵家の傘下にある貴族、という認識で間違いないですか?」


「そうだね。約束だから、君たちに命令するようなことはしない。通常は求められるはずの招集にも応じなくていい。だが、他家との勝手な婚姻は避けてほしいね。ケーニヒストル侯爵家を頂点とする貴族たちの集団、その中での結びつきを強めるのなら問題はないが、それも相談はしてもらいたい」


 頂点となる大貴族とその寄子。

 政党とか、財閥とか、そんなようなものかな?


 まあ、その中に領地を持つ貴族もいるから、国の中の国みたいな感じかもしれない。

 あ、そういや、おれも領地をもらうって話になってた気がする。


「そうそう、与える領地については……」

「大旦那さま、まだ領地の選定は……」

「フェルエラ村という、西の辺境にある村にしよう。辺境の神童なんて呼ばれていたんだろう?」

「大旦那さま……」


 遮ろうとしたおじいちゃん執事を無視して、シルバーダンディが言い切った。

 たしなめるような感じでおじいちゃん執事が呼びかけるが、シルバーダンディは見向きもしない。息子のフォルノーラル子爵もなんか変な感じの顔だ。


 まあ、上下関係は、そのまんまだもんな。このへんの元締めでもある大貴族の頂点、


 しっかし……。


「……よく、私たちのことを調べられましたね?」

「そこは、我が家の力、というものだね。トリコロニアナ王国の王都、特に王宮内の一部では辺境の神童の話は有名なようだけどね?」


「……勝手に流れた噂なので、私はよく知らないのですが」

「辺境の子どもの噂が王都の王宮で流れること自体が異常だからね。ああ、君もイエナと一緒に貴族としていろいろ学んでもらう必要がある。神童と呼ばれたぐらいだ、簡単だろう?」


「姉とともに努力いたします」

「あとは、名前だね。イエナもアインも、平民としてはともかく、貴族名としては短い。イエナは我が妻フィルエアラスから少しとって、アラスイエナ、で。アインは村の名前からとって、フェルエアインでどうだろうか? 愛称はそのまま、イエナとアインで通るだろう」


 ……戸籍ロンダリングの到達点、改名か。


 おれはちらりと姉ちゃんを見た。


「まかせるわ」

「……では、その名前でお願いします」


 シルバーダンディが満足そうにうなずく。


 ……おれたちの貴族名、付けたかったのかな? いや、これって、トップに立つ貴族の役割なのか? まあ、とにかく断らずに受け入れたし、それでよしとしてもらうしかないけど。


「これで、イエナは、アラスイエナ・ド・ケーニヒストル侯爵令嬢、アインは、フェルエアイン・ド・レーゲンファイファー男爵だ。ああ、そうそう、領地のフェルエラ村は侯爵家の直轄地として代官とその部下が派遣されている。代官を男爵家の筆頭執事、部下たちは執事として使ってくれていい。そのように命じておく。特に代官のイゼンは有能な男だ。頼りにするといい。あと、貴族としての教育を受けている間は、宿は引き払って、この屋敷を使うようにしてくれたまえ」


 ……貴族教育に豪華なお屋敷付きサービスあり、と。たぶん、代官とその部下は、スパイみたいなもんかな? まあ、問題ないけど。


「そういえば、先程の男爵さまや子爵さまとは、前もってどのような打ち合わせを?」


 誰がどんな台本を用意していたのか、気になったので、つい聞いてみた。


「打ち合わせ? いや、何も? 彼らは今日、この場に呼び出されただけだね。寄子の貴族というものは寄親に絶対服従。これが本来の貴族の姿。つまり、君は特別の中の、特別、ということだね」


 好奇心は猫を殺すという。

 ちょっと聞いてみたいと思っただけでとんでもないことを知ってしまった。


 ラースリットル男爵とレーゲンファイファー子爵。


 彼らは今日、この場に呼び出され、突然、数年前におれと姉ちゃんに出会って、そこで養子縁組をして、さらにはその子どもたちをあっさり召し上げられた、ということになる。


 まさに返事は、はい、か、イエス、か、その通りです、だよな。


 現場で起きたことが事実ではない。会議室で決まったことが事実となる。それが大貴族、ケーニヒストル侯爵家の持つ力。


 ……大貴族って、怖ぇ。いや、びびってちゃダメなんだけどな。


 こうしておれと姉ちゃんは、貴族籍に入り、貴族としての教育を受けることになった。





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