聖女の伝説(9)



「エイフォンのことなら心配はいらない。彼も婚約解消には同意しているからね」


 いやいやいや、そんなことはちっとも心配してねぇけど?

 このシルバーダンディ、マジで何言ってんの?

 おれとヴィクトリアさんの婚約? 何ソレ?


 いや、確かにヴィクトリアさんの人生を大きく変えてしまったという自覚はあるけどな? そういう自覚はあるけども?


 あれは、ゴーストになるはずの死という不幸から救うという崇高なものだったのでは?


 あ、いや、そもそも、シルバーダンディはヴィクトリアさんがゴーストになるなんて知らないはずだしな?


「見た目も、血筋、家柄、全てにおいて問題ない。王太子妃にだってなれる」


 勝手になればいいじゃん!


「自慢の孫娘だよ?」


 姉ちゃんが肘でおれをつついた。

 目が合う。

 あ、これはダメだと言ってる目だ。


 とりあえず断らないと姉ちゃんが暴走しそうな気がする。


「……お断り、いたします。侯爵閣下」

「ほう、どうしてだい?」


 どうしよう?

 さっき言っちまったよ!


 不可能だと考えられること、対価が見合わないと考えられること、個人的に気に喰わないことって!

 不可能か? 侯爵からの願いだ。おれが受け入れれば不可能じゃねぇだろ。

 対価が見合わない? 侯爵の地位が対価で見合わない政略結婚ってありえないだろ。

 じゃあ、個人的に気に喰わない? それってヴィクトリアさんが気に喰わないって言ってるようなもんだし!


 だが、断る!


「……侯爵の地位を望んでおりませんので」


 そう!

 そういうことだよ!


 対価に見合わないって意味は、ほしくもないものは対価に値しないってことでもオーケーだろ!


「それは、また、残念な話だね」


 それはそれは残念そうに、シルバーダンディがつぶやいた。「……まあいい。待たせている者がいる。別室へ移動しよう」


 そう言われて、おれたちは別室へと移動する。

 そこで、何を見せられるかも知らずに。






 案内された別室には、3人の男性が待っていた。

 その3人が、シルバーダンディを見た途端に立ち上がった。


 部屋は、長方形のテーブルを囲むようにいくつものイスが並べられている。

 会議室って感じの部屋だ。


「紹介しよう。こっちはフォルノーラル子爵だ。ヴィクトリアの父、つまり私の息子でもある」

「カナルティラン・ド・フォルノーラルだ。娘を……ありがとう。本当に、ありがとう。君たちから受けた恩は忘れない」


「感情を隠せないのがまだ跡を継がせたくない一番の理由だね。その隣が、レーゲンファイファー子爵だ」

「クライストエル・ド・レーゲンファイファーです」


「最後の一人がラースリットル男爵だね」

「ナブラトレル・ド・ラースリットルです」


 立ち上がった3人を次々にシルバーダンディが紹介していく。


「君たち二人のことは、我が家の最大の恩人だと伝えてある。何の心配もいらない。こちらが姉のイエナ、こちらが弟のアインだ。みな、よろしく頼むよ。では、座ろうか」

「アインです」

「……イエナ、です」


 おれと姉ちゃんは一応名乗ってから、座る。


 それにしても、なんで、こんなに人がいるんだ?


「では、オブライエン。説明を頼む」

「はい、大旦那さま」


 そうして、シルバーダンディに指名されたおじいちゃん執事が説明を始めるのだった。


「それではまず、ラースリットル男爵」

「はい」

「男爵は、ライラレプス公国及びトリコロニアナ王国への使者として出向いた時に、ニールベランゲルン伯爵領にて、辺境の神童と評判の少年アインとその姉イエナと出会い、アイン少年の聡明さに気づいて養子にしようと保護しましたな?」


 ………………へっ? い、今、なんて?


「……その通りです」


 ラースリットル男爵はそう答えた。


 そう。

 そう答えたのだ。


 …………って、何がその通りなんだ?


「当時、アインとイエナの姉弟は10歳と11歳、間違いありませんか?」

「間違いありません」

「養子縁組をして、姉弟そろって男爵家の養子とした」

「そうです」


 ……神に誓って。身に覚えがないんですけど?


「優れた人物の情報を集め、暮らしていた村が滅びて放浪していた幼い姉弟を保護。ケーニヒストル侯爵家に連なる貴族として、男爵がなさったことはたいへん素晴らしい行いであると思います」

「ありがとうございます」


「では、ここからはレーゲンファイファー子爵もご一緒に確認を」

「ええ、かまいませんとも」


 おじいちゃん執事の視線が向くと、レーゲンファイファー子爵もうなずく。


「ラースリットル男爵から養子にした少年の話を聞いたレーゲンファイファー子爵は、跡継ぎを求めてその子を養子に望んだのですな?」

「ええ、そうです。男爵にしつこく頼みました」

「はい。子爵に望まれ、断り切れませんでした」


「そして、仲の良い二人を引き離すことは望ましくないと考え、二人を預けたのですな?」

「ええ。二人を預かりました」


「よくわかりました。では、ラースリットル男爵、あちらの確認書類にサインを。ああ、サインを終えたら退室してくださってかまいません。どうぞ、仕事に戻ってください」

「はい。二人のことでオブライエン殿には時間を使わせてしまい、申し訳ございませんでした。では、私はこれで」


 さらさらっと書類にサインをしたラースリットル男爵が会議室を退室していく。


 ……正直なところ、何が起こってるのか、理解できてるんだけど、それなのにそのことが理解できない。


「では、その後のことを確認させていただいてもよろしいですかな、レーゲンファイファー子爵?」

「どうぞ。なんでもお聞きください、オブライエン殿」


「子爵は、歳の近いヴィクトリアお嬢さまとつながりを持とうとして、養子として預かった二人を修業の旅に出しましたね」

「ええ、旅は子どもを大きく育てますので」


「そして、メフィスタルニアに行かせた」

「そうです」

「欲深くはないですか?」


「私はもう長くはないでしょう。まだ幼い二人のためには、ヴィクトリアお嬢さまとのつながりが必ず役立つはずにございましょう。欲というより、幼子のための心配でございます」

「なるほど、よくわかりました」


 おじいちゃん執事は一度そこで言葉を切った。


「子爵の行いがヴィクトリアお嬢さまを救いました。お礼申し上げます」

「いえ。大恩あるケーニヒストル侯爵家、並びにフォルノーラル子爵家のために役立ったというのであれば、それはわが喜びにございます」


「アインとイエナの二人は命がけでヴィクトリアお嬢さまを守り通しました。フォルノーラル子爵はもちろん、大旦那さまもことのほかお喜びでした。その際、ヴィクトリアお嬢さまとイエナはとても打ち解けまして。大旦那さまは、イエナをフォルノーラル子爵家に引き取れたら、とお考えです」


「それはそれは……侯爵閣下の思う通りになさってください」

「では、あちらの書類にサインを」

「ええ、すぐに」


 ……これ、この人たち、用意した台本を覚えてやってんだろ? たぶん? それとも台本なんかないのか? ないとしたら、なくてもこれだけのアドリブが効くのか?


 これ、戸籍のロンダリング、だよな?

 過去に遡って、今、ここで事実が創られていって……。


 マジか。

 これが貴族のやり方、かよ。


 しかも、おれと姉ちゃんのこと、調べ尽してるみたいだし。


「アインにつきましては、子爵家としては跡継ぎということでよろしいですかな?」

「そのつもりでございましたが、侯爵閣下のお考えに添うつもりでございます」


「では、メフィスタルニアでのアインの奮闘、ヴィクトリアお嬢さまを守り、ここケーニヒストルータまで連れ帰り、さらにはメフィスタルニア家の嫡男エイフォン殿までも守ったこと。この功績により、大旦那さまはアインに爵位を授けようというお考えですが、よろしいでしょうか?」


「私は領地をアインに譲ればよろしいので?」

「大旦那さまはアインに新たな領地を与えるおつもりでございます」


 ……え? おれ、領地もらっちゃうの?


「それならば、何の問題もございません。我が子をただ誇るのみにございます」

「わかりました。ケーニヒストル侯爵家に仕える者として、子爵に感謝申し上げます」

「いえいえ、当然のこと」

「では、退室を」


 立ち上がったレーゲンファイファー子爵はおれと姉ちゃんにほんの少しだけ微笑み、そのまま会議室を出て行った。


「さて、イエナ、アイン、わからないことはないかね?」


 そこではシルバーダンディが穏やかに微笑んでいた。


「何か、よくないかんじのことが行われた……と思う、います」

「ほう? それでイエナ、君はどうしたいんだい?」


 姉ちゃん! ここで口を開くの? 開いちゃうのか?


「どうするも何も……これがよくないことだったとしても、それがアインの望むことなら、あたしは全て受け入れるだけだわ、です」


 姉ちゃんはまっすぐシルバーダンディを見つめて、そう言い切ったのだった。ちょっと最後に丁寧語にしようとして変だったけどな。


 そこには大貴族に対する怖れなど、ひとかけらも存在していなかった。





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