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上級講座を大学の講義と平行して受けることを決め、申し込みを済ませた。
上級講座は基礎講座とは違い、約10人ずつにクラスわけされゼミ形式で行われる。
週一回で自由な時間帯が選べるようになっており、アルバイトとの兼ね合いも考え、木曜午後のクラスに入ることにした。
雑居ビルの1階が事務局、2階が教室になっていた。
教室のドアを開けると、そこにいた一人が静香だった。
小さく手を振ってみせる静香の横に座りながら、この偶然を、運命、それも皮肉な運命として捉えている自分がいた。
上級講座は基礎の倍、200字詰め原稿用紙20枚のシナリオを、決められたテーマにそって毎週書いてくるというものだった。
テーマはカリキュラムで決められており、例えば「ライター」、次いで「兄弟」「怒り」などと続く。
生徒は書き上げてきたシナリオをみんなの前で朗読し、講師を交えて全体でその感想を述べていく。これを全員が行うとその日は終了である。
静香のシナリオは、いつも恋の話だった。
高校生同士の恋物語や(白血病にはならない)、三角関係(事故死はしない)など、純粋に娯楽作として楽しめる作品を書こうとしていた。
一方ぼくは、印象に残った舌を巻く展開や、感動したシーンを、形を変えてうまく流用し再構成するという手法でシナリオを書き続けた。
そのうち序盤のシーンでミスリードしておき、どんでん返しを用意してみたり、伏線をうまく活用したりして、技術によって見せ方に幅をつけていった。
社会派を狙って弁護士を主人公にしてみたり、医者を主人公にしてみたりもした。
取材不足で毎回苦しんでいたが、それでも「おもしろい」という感想をくれる人が多かった。鑑賞した作品数の勝利だ。
そのうちぼくは上級講座のなかでも「プロになれるだろう」と目される一人になっていた。
だいたいクラスに1名はそういった人物がいて、賞に応募すれば最終選考くらいには残るというのが毎年のことのようで、おそらく本当にプロになるには、そこから努力を重ねる必要があると感じていた。
秋も深まったころには、講座内で行われる模擬のシナリオ賞に入選した。
このシナリオ賞は講座中に提出した作品のなかから半年に一度選ばれる。ちなみに賞品は図書券3000円分で、入選作は会報に掲載され配布される。
その翌週、「感動しました」と別のクラスの女の子から話しかけられた。
「こんど書き方を教えてください!」と握手を求められ、曖昧に相槌を打ちながら、PHS(当時まだ携帯電話は高額だった)の番号を交換する。
これならプロをめざすのも、あながち悪くないと思った。
静香とは講座が終わったあと、いつも一緒にコーヒーを飲んだ。
静香の感想は、いつも自分自身で感じることができる範囲を超えていた。この手ごたえのある批評家の言葉を、ぼくはいつも心待ちにしていた。
そして静香には10歳年上の夫がいて、夫はエンジニアであること、まだ子どもはいないことを知った。
静香は、毎回就職活動の困難さに同情し、ぼくに一刻も早く恋人ができることを望んだ。(ぼくは彼女がいなかった。)
時には二人で、平日の昼間に新作映画を見に行ったり、旦那さんが夜勤や出張のときには、夕食をともにしたりした。
食事はぼくたち学生がいつも行くところより、少々値の張る店が多かった。それでもジーンズで入ることのできるカジュアルなフレンチや、イタリアンまでで、料金はきちんと割り勘だった。
都内でも珍しいローマ風のピザを食べたときには、イタリアでオペラを観たときの話を聞かせてくれた。ぼくにとってスカラ座は、新宿にある古い映画館でしかない。
静香はぼくがいる経済的な階級よりも、もっと上の階級に属しているように見えた。それは身に着けているものでわかっていた。
ぼくはどこに行くのにもジーンズだったし、もう少し歳が離れていれば、「ツバメ」というやつに見えたかもしれない。
静香は一度冗談で、きっと似合うから、バーニーズで上から下までそろえて、ぼくに着せてみたいと言った。丁重にお断りした。
その年のクリスマスは、ぼくに彼女ができないままだったこともあり、二人でランチを食べることにした。銀座の高級店でも、ランチならたかが知れている(しかしさすがにジャケットくらいは羽織っていった)。
プレゼントはもちろん用意するつもりだったが、「高いものはダメだよ!」と釘をさされてしまった。仕方がないので、ぼくが一番好きなジャズのCDをプレゼントすることにした。本当にそれくらいしか思いつかなかったのだ。
鴨を食べながら静香は、「こんなことしてたらダメだよねー」とぼくのふがいなさを嘆いた。
「ね、どんな人が好みなの?」
「独身の静香さん」
「それは……なかなかいないね」
「妹さんいませんよね?」
「あいにく、弟しかおりません」
「この際弟さんで我慢するか……」
食後のコーヒーを飲んでいたとき、静香はおもむろにバッグを開き、白い封筒をテーブルの上に置いた。
「プレゼント」
と言って下を向き、なにあげようかすごく迷ったんだけどと口の中で続けた。
「開けていい?」
静香がうなずくのを待って封筒の中身を取り出す。
映画の半券が入っていた。「ニュー・シネマ・パラダイス」。
「これは……?」
静香の肌が、きれいなピンク色に染まっていった。
「高校生のとき、デートで観に行って、すごく感動したから、ずっととっておいたんだ。あなたには才能があると思う。だから、お守り」
ぼくは、ずっと年上なのに、なんでこの人こんなにかわいらしいんだろ、と感じた。
「そんな大切なものをありがとう」
「いつかあなたの書いた脚本が、スクリーンに映るところ、観たいな」
胸が突き上げられる。
「なんか、こっちこそ出すの恥ずかしくなっちゃった」
ぼくは涙の気配をごまかすために明るい声を出した。
クロークに行ってコートを出してもらい、ラッピングされたCDを手に、テーブルに戻った。
ぼくが一番好きなピアノトリオのCDだと言って渡した。帰ったらすぐに聴いてみると喜んでくれた。
店を出て、晴海通りを歩いていく。駅から、これからが一日の本番だとばかりに、人がどんどん流れてくる。
はぐれないよう、自然と手をつないだ。
ぼくは初めて握った静香の手の感触を、未だに覚えている。
「わたしもなにか、ものをつくる仕事をしてみたいと思ってたけど、なんか、少し違うみたい……」
静香は、雑踏の中でそう言った。
後日、CDの感想を教えてくれる。
「あなたの作品て、クラシックでも、ロックでもなくて、ジャズだったんだね」
……すみません、どういうことですか。
それでもぼくと静香は友人以上の関係ではなかった。
コーヒーを飲んで軽口を叩いて映画を批評する、仲のいい高校生みたいな関係だった。
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