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シナリオ講座に通い始めたのは、就職活動の一環だった。
大学3年の夏、漠然と映画業界に憧れていたものの、自分に監督や俳優の才能はないと思っていたので、できれば広報や買い付けなど、その周辺に関わる仕事をしたいと考えていた。
しかしほとんど募集がないうえに、情報収集のためにOB・OG訪問をしようにも、卒業生はそうした業界に進んでいない。
どうすれば潜りこめるのか。その方法が見当たらず、活動も手詰まりになっていく。そんな折、偶然ポスターを駅で見かけたのだ。
もしかすれば関係者とのコネができるかもしれない。無知に基づいた暢気な計画だった。
その「シナリオの基礎講座」は、100人ほどが入れるホールを借り切って、3ヶ月間、週に1回ずつ行われるという仕組みだった。
毎回名の通った脚本家がゲスト講師として講演をして、シナリオづくりの楽しみを話す。
最後に講師からテーマが示されて、翌週までの宿題として短いシナリオを書く。200字詰め原稿用紙……業界では「ペラ」という……10枚のストーリーだ。
『シナリオの基礎』は、その参考書として推薦されていた本で、ほぼ全員が購入していたのではないか。
書いたシナリオは提出すると、その次の回にト書きの間違いが添削され、感想が一言だけ裏に記入されて戻ってくる。
それはなかなか刺激的な体験だった。
自分が物語をつくり、それを誰かが読んでくれる。
しかも短くてよいので、それほどストレスにはならない。
加えて大抵は好意的な感想が記されているのだ。
いまから考えれば、その感想は講座の職員が書いたことも、ただの勧誘であることもわかるが、当時は自分のセンスも捨てたものではないなとうぬぼれていた。
講座は金曜の夜に開かれていて、自分と同じ学生らしき人もいれば、スーツ姿のいかにも「仕事ができそう」な中年男性や、年金生活でもしていそうなお年寄り、最新の化粧と最新の服で身を包んだおそらく10代の女の子まで、さまざまな人たちがやってきていた。
12回目、つまり最終回に、いままで提出されたシナリオから優秀とされる作品が発表され、コピーを綴じたものが全員に配布された。
驚いたことに自分が書いた作品が入っていた。
正直に言えば、このシナリオは今まで見た映画から印象深かったシーンを抜き出し、舞台を日本に置き換えて、わからないように再構成しただけの代物だった。それが載っている。
それでもうれしいことはうれしく、もしかすれば、この手法を昇華すれば本職にもなれるのではないか。そう計算したくらいだった。
最後の講師は講座の事務局長である、ベテランのシナリオライターだった。
過去NHKの大河ドラマを手がけたこともあるそうで、その思い出話をメインに講演を行った。
加えて優秀作について一言ずつ感想を述べていったが、ぼくの作品は「台詞が少々難解だが、自分の描きたいことをきちんと表現できている、うまい」と評価され、完全に舞い上がった。
事務局長は基礎講座に続く上級講座が存在し、この上級講座をさらに6ヶ月受けることで、シナリオライターとしては一人前になれる、いま優秀作に選ばれていない人でもこの6ヶ月でさらに成長できるので、あきらめないでほしいと語った。
絶対に上級講座を受けようと決め、自分の名が映画のスタッフロールに並ぶ映像を夢想した。
事務局長はさらにこのあと打ち上げを行うので、時間がある方は参加してほしいと告げた。場所は会場近くのダイニングバーで、参加費は2000円。
その値段にもひかれ、参加することにする。
狙いは事務局長をはじめとする関係者からの情報収集だ。
参加者は出口で名前を記入して、会費を払う。そのまま行列で店まで移動した。
どうやら半数の50人ほどが参加するようだった。
会場に入ると奥からテーブルが埋められていく。6人がけのテーブルに通された。
正面には少し年上の女性たちが3人。
隣は同い年くらいの女性で、その奥はいつも事務局長と一緒にいる職員らしき男性だった。
男性は接待のように、酒をつぎ、自己紹介をうながし、テーブルを仕切った。
彼は事務局長の門下生で、いまは講座を手伝いながら連続ドラマの一部を担当しているのだという。
女性たちは次々と男性に質問を浴びせた。横に座った女性などは、完全にこちらへ背を向けている。
失礼だなと感じはしたが、シナリオに興味があるのだから、仕方がない。
同時にそうした態度をとる女性には、嫌悪さえ感じた。
次々と最近流行しているテレビドラマとその出演者のスキャンダルや、テレビ界の噂話について質問が飛んだ。
ぼくはそういった話題に関心がなかったし、そうした会話を好む人たちにも関心がなかった。
この打ち上げに出たことは失敗だったな。改めて後悔し、黙って苦いだけのビールを口にする。
自慢ではないけれど、この女性たちに賛同し、話題を広げ、会話の輪に加わるくらいの話術は有していた。
でも、どうしてもそうした気分にはなれなかったのだ。
そのうち男性のプライベートにも質問はおよび、独身だということが知れると場は一気に盛り上がった。
その瞬間、傍から見ればぼくは相当みじめな人物と映るだろうことを自覚した。それが悔しいと思った。
でも、それも仕方のないことなのだ。
孤独というものについて考えを巡らせる。こういう気持ちになるのは久しぶりだった。
おそらく孤独とは、こうした状況をいうのではないか。
「ね」
通路側から肩をたたかれ、ふりむく。
「あれ、元ネタはウッディ・アレンでしょ」
女性がワイングラスを片手に立っていた。
それが静香との出会いだった。
その言葉が掲載されたシナリオをさしているのだということを理解するまで、しばらくかかった。
「……ウッディ・アレンというか、フェリーニのつもりだったんですが」
「だってギター弾きの恋でしょ、あれ」
「……観たことないんですけど」
テーブルの全員が静香を注視する。
少し外れたところに空いているテーブルがあり、静香が席を立つよううながした。
周囲を見渡すと、すでにかなりの人が動き回っているようだ。そのテーブルへ二人で移動する。
座ると静香はすでに酔っているのか、ウッディ・アレンの魅力について滔々と語った。
一時期ずいぶんのめりこんで、NYにある店で彼のクラリネットの生演奏まで聞いたことがあるのだという。CDも出すほどの腕前なのだと自慢される。
こちらは「ギター弾きの恋」とフェリーニの「道」の関連性について指摘したが、「古い映画は眠たくなるから観ない」と言い、「ヘプバーンのなにがかわいいのかわからない」とまで言い切った。
なんでヘプバーンが出てくるのかはわからないが、おそらく静香にとって名画の代名詞なのだろう。
「一番好きな映画は、ニュー・シネマ・パラダイスなんだ。最後のフィルムを観るシーンがあるでしょ。あそこでいつも泣いちゃうんだ……」
変な人だなあ、というのが静香に対する第一印象だった。
きれいな白い肌。瓜実顔に細くて濃い眉と、黒目勝ちの瞳。髪はめずらしく染めていなくて、黒いまま、ゆるやかにウェーブを描いている。
二十代の後半とめぼしをつけ、左手の薬指を一瞥する。
プラチナの指輪が、グラスの脚とともに目に入った。
節度のあるお付き合いを覚悟して、少しばかり自前の誠実さを邪魔に感じる。ともあれ、この美人とのひとときを壊すまいと、精一杯耳を傾けた。
「99日目の夜の話はわかる?」
ぼくはうなずいた。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の中で恋に落ちたトトに、映画技師アルフレードが語る有名な寓話だ。
『昔、ある王様がパーティーを開き、国中の美しい女性が集まった。
護衛の兵士は王女の通りすぎるのを見て、あまりの美しさに恋に落ちた。
だが王女と兵士では身分が違いすぎる。
でも護衛は王女に話しかけ、王女なしでは生きていけないと言った。
王女は兵士の深い思いに驚いて告げた。
「100日間の間、昼も夜も、私のバルコニーの下で待っていてくれたら、あなたのものになります」と。
兵士はバルコニーの下に飛んでいった。
2日、10日、20日がたった。
毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない。
雨の日も風の日も、雪が降っても、鳥が糞をしても、蜂が刺しても兵士は動かなかった。
90日が過ぎた頃には、兵士は干からびて真っ白になってた。
眼からは涙が滴り落ちた。
涙を押さえる力もなかった。
眠る気力すらなかった。
王女はずっと見守っていた。
99日目の夜、兵士は立ちあがった。
そして、椅子を持っていってしまった。』
「ね、どうしてだと思う?」
「さあ……一番共感できるのは、幻想を抱いたまま残りの人生を送ることができたからだって意見ですけど」
「あなたの意見を聞いてるの」
「数え間違いとか?」
静香が、怪訝そうに眉をひそめる。
「ほら、階段て、上るときと下るときと段数が違うって話、ご存知ですか? それと同じで……冗談です」
静香の目が険悪な光を宿してきたので、あわてて自説を引っこめる。
「わかりません。もしぼくなら、最後の夜まで見届けたいから」
「そうよね」
静香は力強く同意した。
「絶対後悔すると思う」
いつのまにかお開きの時間となり、事務局長が簡単な挨拶をしている。
シナリオ講座の打ち上げだということを忘れて、ずっと2人きりで話してしまった。
静香の上着と荷物を探して、駅まで送ることにする。
静香はだいぶ酔っているようで、足元が多少おぼつかない。腕をつかんで、駅まで送っていく。切符を買わせて、改札の前で見送る。
それっきりだと思っていた。体を揺らしながら、振り返って手を振る静香を眺めながら。
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