フリチラリア・インペリアス

 天上には愛がない、と友人がぼやく。いつものように、穏やかな日差しの下、美しい花が広がる雲の上を歩いていたときのことだ。

「皆、淡白なんだよ。たしかに誰も彼も善人だし、優しいし、きっと心の中は愛情深いんだと思うよ。でもさ」

 足を止めて彼が見下ろす先には、地上の景色。その地域では季節の祭りが行われており、幾つものカップルがそれぞれの愛を情熱とともに交わしているのが見える。ぼくたちにはもう、何の関係もない光景。

「ああいう暑苦しいのが懐かしくなるわけよ」

「……なるか?」

「なるだろ! だってお前、生前は恋したろ?」

 彼は変なものを見るような目でぼくを見る。そう言われても、そんなものを知る前にここに来たのだから、何とも答えようがない。ぼくが肩を竦めると、彼はため息をついて再び歩き出した。

「ああ、分かってるよ。生前の本能を未だに引きずってる、俺の方がおかしいんだってことくらい。ここに来た時点で、そういうのは忘れ去るもんなんだもんな」

 彼は唇を尖らせた。そしていきなり、花の中に寝転んだ。

「なんだって俺は、ここでも普通でいられないんだ」

「ここでも、って?」

 彼とは、ここで初めて会った。誰もが生前の本能を忘れ去って穏やかに暮らすこの天上で、なぜかそれらを持ったまま不機嫌そうに放浪する彼を、不思議と嫌だと思わなかったから、こうして一緒に行動している。だからぼくは、彼の生前については何も知らない。

 側に立ち尽くすぼくの手を、彼は突然、引っ張った。わ、と叫んでバランスを崩し、彼の身体の上に倒れ込んでしまったぼくは、その胸の鼓動を聞いた。ぼくよりも速く、熱い鼓動。

「お前がいるから、こんなに速いんだぜ」

 そう言っておかしそうに笑う彼の顔をまともに見ることが出来ず、かと言って立ち上がるのも名残惜しくて、ぼくは暫くの間、彼の胸に耳を当てていた。

 ぼくまで普通じゃなくなってしまったみたいだ、と思いながら。

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