ラナンキュラス

 人に話したいことがない。

 本を読んだりテレビを見たり、ネットの海を漂ったり、音楽を聴いたり編み物をしたり、お菓子を作ったりするのは好きだけど、それを人に話したいと思ったことがない。だって、人に話したって仕方ない。人に話すことで、本や番組やネットの情報や音楽が、より楽しくなる訳ではない。編み物やお菓子作りも、人に話して上達する訳ではない。

 でも物心ついた時から、周りにいる人たちは皆、自分のことを話したがっていた。両親も、歳の離れた兄も、幼稚園のお友達も、近所のおばさんも、楽しそうに自分の話をし、人の話を聞いていた。

 人間は、そうするものなのだ。

 そう学習したから、つまらない話を必死になって聴いて感想を言うようにして生きてきた。本当に全然楽しくなくて、そのお陰で外から帰宅した時には疲れ切っているのだけれど、そうしないと、きっと人間の中でやっていくことはできない。

 つまらない話を聴いて相槌を打ってコメントを考えるだけで精一杯だから、自分のつまらない話なんて、する気にはなれない。大体の人は話したがりなので、私が自分の話をしなくても、それほど気にされることはなかった。……それなのに。

「ちほちゃんって秘密主義だよね。全然、自分の話をしないでさ」

 大学で同じゼミをとっている彼女に、そう言われた。不意に核心を突かれてうろたえつつも、私は初めて抱く感情に胸を震わせた。

 私のことを、初めて、正確に捉えてもらえた。

 もちろん、私が人に自分のことを話さないのは秘密主義という訳ではなかったけれど、家族にも気づかれたことのない部分を見抜かれたことが衝撃だった。その衝撃のあまり、彼女のことしか考えられなくなるほどに。

 今、私は生まれて初めて、どうでも良いことを相手に話したいという気持ちを理解した。相手の、くだらない話を聴いていたいという気持ちを理解した。

 そして初めて、人の話を聴き、心底楽しい気持ちで笑っている。

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