センニチコウ

 映研の友人が大学に来なくなって、ひと月が経つ。それまでも引きこもってしまったことはあったからあまり心配していなかったのだが、昨日、彼の妹から、様子を見てくれと頼まれてしまった。

「兄がちょっと変なんです」

 電話越しに、彼の妹は言った。まだ高校生の筈だがしっかりとした彼女の声色に、焦りが滲んでいた。

「私が電話しても、なんだか要領を得なくて……女優がどうとか」

 正直、彼女の話も全く要領を得なかったが、遠く北海道から兄を想う彼女の気持ちに免じて、友人のアパートへ足を運んだ。チャイムを鳴らしてもどうせ居留守を使われるだけなので、構わずドアノブを捻った。思った通り、開いている。実家にいた頃のクセが抜けないのだと、前に話していた通りだ。

 短い廊下の奥から、テレビの音声が聞こえてきた。部屋に入ると、テレビに殆どしがみつくようにして、友人が座っていた。

「目、悪くなるぞ」

「え、ああ……お前か」

 どうして来たか気にした風もなく、友人はすぐに視線をテレビに戻した。名作映画が映っている。事故だとかで亡くなった大女優が、崖の上で大仰な身振りをしている。

「それ、『千日紅の咲く間』だよな」

「コレは没になったフィルムの複製。手に入れるの大変だったんだよ。女優の演技が真に迫りすぎてて、試写した時に現実感を失う人間が続出したって話でさ……」

 友人は口を動かすが、その目はまばたき一つしない。声もどこか上の空だ。

 心が、映画しか見ていないような。

 画面の女が嫣然と手招きして、崖から飛び降りた。と思うとすぐに、映画の最初のシーンが始まった。試写用だったからクレジットが付いておらず、すぐにリピート再生されたのだろう。

 その時、ぼくはその部屋と彼の様子のおかしさに気がついた。……こいつは何日、食事をとっていないのだ。

 ぞっとした。テレビに密着した彼は、病人のように痩せ細り、目だけを大きく見開いている。

『私から離れないで……』

 画面の中で、女が言った。

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