アガパンサス

 二週間の実習も今日で最後となったが、未だに実習先へ向かう緊張感は拭えない。私は忘れ物がないかという強迫観念に駆られながら、山沿いの道を急いでいた。

 そこへ、不意に一人の子どもが現れた。立ち塞がった、と言っても良い。小学生低学年くらい、少しぽっちゃりとした体型の、可愛らしい男の子だ。早足でその横をすり抜けようとしたが、男の子は黙ったまま、私の行手を阻んだ。道幅は狭い。なんだろう、大人をからかっているんだろうか。

 私は困り顔を作って、男の子を見た。お姉さんはここを通りたいんだけど、と言おうと口を開いた時、小さな手が勢いよく突き出された。ぷるぷると震えるその手のなかには、綺麗な青い花があった。ユリに似た、ユリより少し開いた感じのするその花は、小さな掌の上で、僅かに揺れた。

 私は、彼の真っ赤な顔と、その花とを何度も見比べた。

「これ、私にくれるの?」

 男の子は何度も肯いて、花を転がす。お礼を言って受け取ると、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。その時、その子のズボンから、ふさふさとした尻尾がはみ出ているのが目に入り、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。


「ああ、これアガパンサスだね」

 実習先の生物の先生は、さらりと聞き慣れない名前を口にした。

「近くの公園に咲いてたような気もするなあ。その子、君にあげたくて取ってきちゃったのかな」

 でも、なぜこの花なのだろう。それに、あの尻尾。首をかしげる私に、先生はおかしそうに笑った。

「動物だって、人を好きになることもあるし、何かで花言葉を知る機会もあるということさ」

 君がここに来るのは今日が最後だというのが、その子には気の毒だけどねえ、と、先生は目を細めた。

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