ブーゲンビリア

「あなたしか見えない」

 初対面の時、彼女は震える声でそう言った。それは決して比喩ではない、字面通りの言葉だった。彼女の目には、少なくとも現時点では、ぼく以外の人間が映らないのだ。

 個々人の持つ遺伝子の、ある一部が損傷されることで引き起こされる、対人認識における致命的なバグ。特定の人間のことしか認識できなくなる病。

 別に、ぼくと彼女は恋人同士でも何でもない。それどころか、知り合いですらなかった。軽い気持ちでマッチング登録したぼくの遺伝子が、彼女に残された対人認識域に、ぴったり嵌っていたのだ。それで病院に召喚され、マッチング登録時の契約通り、彼女のパートナーとして過ごすことになった。

 パートナーと言っても、大したことはない。毎日自宅へ訪問し、世間話をして、必要なら買い物や外出に付き合う。それだけだ。必要な出費は国の保障制度から捻出される。

 最初はぎこちない会話しか出来なかったけれど、打ち解けるにつれて、お互いの良い点が見えるようになってきた。ぼくといる時、彼女はよく笑う。その笑顔を見ていると、ぼくもいつのまにか笑顔になっている。

 そんなぼくの気持ちの変化に、ぼく自身より早く、彼女は気がついていた。病院経由で、彼女とのパートナー契約の解消通知を受け取った時、それが分かった。

『あなたまで、私しか見えないようには、なって欲しくない』

 通知文とともに、その一言だけ書かれた手紙が入っていた。

 特定の人間しか認識できなくなる病は、感染する。ただ共に生活するだけなら問題は無いが、性的接触だとリスクが高い。

 ぼくは暫くの間、水滴の滲んだ手紙を胸に抱いて、その場に立ち尽くした。

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