ペットボトルとスティックのりと乾かない洗濯もの

詩一

前編 ペットボトルくらいの大きさの赤ちゃん。スティックのりくらいの大きさの赤ちゃん。

 左手にはペットボトルくらいの大きさの赤ちゃん。

 右手にはスティックのりくらいの大きさの赤ちゃん。


 テーブルの向こう側に座るカナミの腕にも赤ちゃんが抱かれていた。うちの炊飯器二つ分……いやさすがにちょっとデカすぎるか、もうちょっと小さいかな。うん、でもまあいわゆる普通の大きさってやつの、赤ちゃん。


「かわいいわ、本当にかわいい! かわぃいかわいぃ!」


 カナミはふかふかした笑顔で赤ちゃんに笑いかける。赤ちゃんもそれが楽しいらしく、邪気の無い声を、あの赤ちゃん特有の笑い声をあげている。

 私がカナミの方をぼぅっと見ていたら、不意に視線が上がってぶつかった。


 あ。

 そうだ。

 私もかわいいって言わなきゃ。


「あー。かわいい、かわいい。かわいい、かわいい」


 二人の赤ちゃんをゆらゆら揺すってあやす。特に泣いているわけでもないというのに。ペットボトル赤ちゃんは目が釣り糸くらいの細さで開いているんだか閉じているんだかわからない。目以外の輪郭は結構くっきりしていて点で支えるベッドの中身みたいに凹凸はあるんだけれど目が細すぎてどうにも表情を読み取れない。対してスティックのり赤ちゃんの方は大きくてまん丸の黒目だった。そこに目が在るって言うよりは空洞が在るように思えるほど底抜けに黒い。光を反射しないそれをどれだけ見ても表情や感情は読み取れない。目が大きすぎて鼻も口もどこにあるんだろうというくらいなんだからわからなくても仕方ない。


 ——気持ち悪っ。


 二人を見ていたらだんだん具合が悪くなってきた。

 私はスティックのり赤ちゃんを隣に座っていた旦那に渡した。


「はいこれあなたの」


 旦那は受け取るとスティック赤ちゃんをあやし始めた。泣いてもいないのに。旦那が子供に向けるみちみちとした笑顔はあまり好きじゃない。私に笑いかけるときはもっとさらっとしている。


 それにしてもここ何時なんじまでやっているのかしら。


 私たち夫婦はカナミに誘われて近くのマックに来ていた。なにをするというわけでもなく、ただ「最近どう?」とかって言うごくごく普通の世間話をしているだけ。

 彼女も暇じゃあないだろうに。いや暇なのかな。こうして私たちを誘ったあたり。たまの息抜きってやつなのかも知れないけれど。

 確か昼食ってことで12時に来店したのに今はもう15時を回っていた。


 3時間もなにを話してたんだっけ?


 なんか、カナミの赤ちゃんの話をずっと聞き続けていただけのような気もする。自慢したいのはわかる。だってすごくかわいいもの。


 私は手に持っていたペットボトル赤ちゃんを見る。

 まあ、私の子供だからかわいくないことはないはず、だ。

 それに、カナミも二人を見て別に気持ち悪がったりはしていない。もしも表情に出していないだけなのだとしたらそれはすごいことだ。ポーカーフェイス栄誉賞とかそんなものはないけれど適当に作って授与したい。でも作るの面倒だから誰か作ってくれないかなあ。なんて私が考えているうちにも彼女はしゃべり続けている。よくもまあ続くなあ。私が同じことをやったら30分で顎がりそう。それで、よほどのどが渇くのか、もうすでに氷すら融けてなくなっているはずの元オレンジジュースをストローでずぞ、ずぞぞぞーって啜ってる。もうないってば。ねえ、聞いてる? 視線聞こえてる? それもうないんだよ? バキューム力だけでオレンジジュースを錬成する気かなあ。宇宙って広いしそれもできるのかなあ。それにしても肺活量すごいなあ。あ、いま、そそっそそーって音変わったよ。初めて聞いたこの音色。ほんとなんなの? 音の魔術師なの?


「ジュース、買ってこようか?」

「あ、うん、ありがとう」


 ああ、私はバカだ。今のタイミングでそろそろ帰るって言えばよかったのに。大体カナミもカナミで、タイミングっちゃタイミングなんだから気を遣ってくれればいいのに。


 そう言えば学生の頃からいつもそうだったなあ。気を遣うのはいつもこっちで、向こうはそれに気付いてすらいない。まあでもそういう鈍感な子だから、一緒に居ても楽だったのかも知れない。なんて言うか、他の子と居るときは、もっと別の方向性で気を遣ってしまうのだ。例えば今のだってジュースを買ってこようかって言いだす前段階で実は気遣いが始まっていたりする。向こうは普通に飲み終わって、別におかわりをする気なんぞないかも知れない。それがわからない。でも一応、聞くとする。そしたら今度は、相手は後れを取ってしまったと思うかも知れない。なぜなら、私にもジュースがないからこの話が発生したわけで、と言うことは相手だって気を遣う機会はあったことになるのだ。気を遣わせてしまったという後悔を相手にさせてしまう。そのしまったをどうやって回避するのかって言うのを延々考え続けて、最後は脳みそがパンクする。あの、焼け焦げた鉄の臭いがする。昔リョーヘー君ちで嗅いだ、ミニ四駆のモーターの焼け焦げたあの。


「僕が行ってくるよ。僕も頼みたいものあるし」


 旦那は立ち上がって私にスティック赤ちゃんをよこした。


「サトオ君、カバン貸してもらえる?」

「どうして?」

「ついでにトイレ行ってこようかなって思ってたから」

「ああそうなんだ。じゃあどうぞ」


 旦那は大きなトートバッグを私によこした。


「じゃあちょっとトイレ行ってくるね」

「うん」


 カナミは笑顔で頷き、また赤ちゃんに目を落としてかわいいとか言ってる。

 私はボトル赤ちゃんとスティックちゃんをカバンに入れる。トイレについている赤ちゃんを座らせておくシートに座らせるには、二人は小さすぎる。ずるりと落ちてしまう。やったことはないけど、多分落ちる。


 ——カチャンッ。


 トイレに入って錠を掛けた。便座に座るとトイレットペーパーの横に注意書きが書かれていた。トイレットペーパー以外を流すなってやつだよね。って思って適当に目の端に留めていたんだけど、違和感を覚えて改めてそれを見るとまったく違うことが書かれていた。


「トイレに赤ちゃんを流さないでください」


 声に出して読んでみた。思わず。


 誰がそんなことをするのだろう。というか、だいたい流れるのかな。赤ちゃんって。試したことはないけど。試すつもりもないけど。気になるはなる。


 流れるのかな。


 って、何回考えたってわからない。専門家じゃあないんだし。今度ワイドショーをしっかりじっくり見てみよう。洗濯の合間とか、夕飯の支度の合間とか、掃除の合間とかじゃあなくて、どっしり腰を据えて、せんべいでもかじりながら。でもこの答えを知っているのはトイレの専門家だろうか。それとも赤ちゃんの専門家? 赤ちゃんをトイレに流し続けて10年、赤ちゃん流し専門家の〇〇さんですって、そんなことあるかな? 結局誰も答えられないか。意味ないか。


 トイレを出て席に戻る途中、この店の営業時間を目にした。22時で閉店か。良かった。24時間営業だったらどうしようかと思った。

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