金色の蝶々の墓
@rexincognita
第1話
「金色の蝶の墓を建てたのは私だ」という衝撃的な事実をつぶやきながら目が覚めた。
私は絶望的な疲労と倦怠感を聖母万歳の一念で跳ね除けた。すると身の回りの全ての事物は、ことごとく水晶であった。
水晶を飲み、水晶を浴びて、水晶を着こむと、水晶を開けて、水晶を下りて行った。
外に出ると、神々しく輝く旭日を前にして、戦慄の余り寒気すら覚える。澄み渡った荘厳なる天空と、瘴気立ち込める茫々たる沼沢。
牛車に乗ると、黄牛(あめうし)が鈍く鳴く。鸚鵡が常に牛車の脇に羽ばたいて同道してくれる。この鸚鵡は、不思議と不快な声をしていない。
鸚鵡「関白殿、今日はどちらに御出(ぎょしゅつ)なりませるか」
関白「今日は、墓場に参ろう」
鸚鵡「龍宮城にご院参では」
関白「やはり、普賢寺殿の末葉としては、龍王様には憚りがあるわ」
車中無二念、只管蓮華座を組む。車は泥海の上をゆっくり進んでゆく。
関白「これは、水牛じゃったのか」
鸚鵡「いえ、普通の黄牛(あめうし)にございます」
関白「しかし、浮かんでいるのは不思議なことじゃ」
鸚鵡「御蓆(むしろ)が羽毛ですので、浮かぶのでしょう」
墓場に着き、降りる。牛飼童に支えられながら歩く。鸚鵡が私のもう片方の肩にとまる。
関白「これは、誰の墓」
鸚鵡「墓碑銘も消えてわかりませぬ」
関白「あれは」
鸚鵡「あれは、遊義門院様のお墓」
関白「遊義門院様。いかにせん、辛き限りを見てもまた」
鸚鵡「なほ慕はるる心弱さを」
関白「恋歌ながら、墓場を見ても、不思議と同じ心じゃの」
鸚鵡「「辛き限り」は墓、「なほ慕はるる」とは、故人哀悼の思いでしょうか」
関白「左様」
鸚鵡「よき恋歌は、哀傷歌にもなるのですね」
関白「歌をつけなくても、恋即、哀傷じゃ。どうせ、お互い骸骨を抱いているに過ぎない」
鸚鵡「こちらは「緑のハインリヒ」の墓でございます」
関白「なんだねそれは」
鸚鵡「風景画家になることを夢見て果たせず、絶望して死んだ哀れな青年であります」
関白「ヒトラー総統のことかね」
鸚鵡「いえ、緑のハインリヒは、架空の人物です。ケラーの書いた小説の主人公なのですから」
関白「そうかい」
関白「あの、キクラゲみたいのはなんじゃね」
鸚鵡「あれは、トレメラ・アウランティアルバです」
関白「トレメラ…なんだって?」
鸚鵡「金耳(きんじ)というキノコです」
関白「ああ、あれが金色の蝶の墓標かね」
鸚鵡「そうかもしれません」
関白「ならば、摘んでおこう。わしの罪であり、不吉なものだからね」
鸚鵡「これを羹(あつもの)にすると、陰陽を和らげ、気管支や肝臓に効くのです」
関白「わしは喘息でアル中じゃが、もう先はない。君が食べなさい」
鸚鵡「折角ですが、鳥には効きませぬ。牛に賜ってください」
牛飼童が金耳を摘む。
関白「この墓は」
鸚鵡「アントン・シンドラーの墓です」
関白「誰だね?」
鸚鵡「ベートーヴェンの晩年の世話人かつ、伝記作家ですが、伝記との折り合いをつけるためにベートーヴェンの手記を勝手に改竄・廃棄していた人物です」
関白「ラスキンはターナーの崇拝者であったが、ターナーが描いた裸婦画を、イメージを壊すという理由で勝手に全部燃やしてしまったらしい。そこまで露骨に自分のイメージに忠実なのは、素晴らしいことだ」
鸚鵡「全くです」
金色の蝶々の墓 @rexincognita
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