放課後と、ゾンビとエロと、儚さと

 小さな校舎、小さな教室、放課後の一齣。

 といっても、街の景観を見るための窓はない。白い壁に黒板、掲示板、生徒に割り当てられる収納スペースと、掃除用具入れの長方形のロッカー。

 窓がない代わりに、大きな空気清浄機と空調設備が、部屋の一面に付けられており微かな動作音が聞こえていた。

 太陽の傾きも解らないが、時間管理のための照明システムは、確かに夕方近くの明るさだ。

 そんな教室に影が二つ。一人は黒板の前に白墨を持った少女。もう一人は席に座るのは、特徴のない少年だった。

 今の状況を端的にかつ簡単に説明すると、普段無口な彼女が、「ゾンビ映画をおもしろ半分で観ようとする少年」に怒りを覚え、この状況に至っている。


 「あ、これは地雷だわ」と少年が思った時には既に遅く、怒気のこもった声は殺意にも似て、危機関知した少年は謝りだした。

 「ゾンビナメんな」と、舌足らずの可愛らしい声と静かな口調で睨まれた少年は、赤ベコの首のように縦に振るしかない。

 蛇に睨まれた蛙という諺は、確かにあるのようだ。


 少女が黒板に“今日のテーマ:ゾンビについて大まかな概要”と、丁寧に書いた。

 (今日ってことは、これは明日もあるの?)と少年がぼんやり思っていると、少女は語りだす。

「ゾンビ映画を語る上で、ゾンビとはなんぞや、ということを定義しなければならない。これは少し話しておく必要があるわ。今ある蔓延っているゾンビの概念とは、土着な……幾つかの思想に近い神話が融合したモノにキリスト教な考え方による介入が大きい……と思う。このあたりは同時多発的かつ流動的な事柄が起こったと推測されるので、何処が厳密な発生地とは言及できないから、あしからず」

 小さな身体を伸ばして、黒板に20世紀の中米の簡略的な地図を書く少女。

 途中で部屋隅にあった踏み台を見つけて、それを使い始めた。

 その横に時系列に起こった歴史的な様々を書き連ねる。

「授業で知ってるかもしれないけど、一応ね。この辺りの出来事って、人類史的に観ても色々と残念な歴史だけど。その結果……というか副産物として、今は“ゾンビ”という概念を生み出したことになったので、ここではあえて感謝しておくわ。この時代に土着の基本的な核になった神話や逸話は多神的な思想や要素が強くて、そこに三位一体が入り込んで崩れて且つ、土着の多神教的思想は一神教にねじ曲がりきれずに成立した思考思想=宗教。いわゆる呪術が完成するの」

 入り交じった思想や知識形態というか大系に、神学以外が混じっていた……主に薬学が混じっていたことも大きな要因だと思うと、少女は付け加えた。

「呪術師という名の薬学師……薬草師が生まれて、それは宗教的な意味でも社会的な権威にもなっていったの」

 少年の表情がぼんやりとしてきたのに気がついた少女は白墨の粉を払って、その両頬を挟む。「寝てる?起きて」その距離の近さに少年の目は覚めた。

 石鹸の匂い。

 起きた少年に満足した少女は、再び黒板の前にやってきて、白墨を摘まむ。

「出来上がったその宗教観をキリスト教と言い切ると、生命の危機すら感じる疑問質問を投げつけられそうなので、まぁ色々な歴史的な背景のある思想と思って欲しい」

(こっちは心臓が止まるかと思いました)と少年。

 少女は中米の簡略地図の続き、アメリカ大陸を付け加えた。

「話が飛ぶようでごめんだけど、先に説明しておくね。キリスト教には、終末論……いわゆる黙示録という考え方があるの。終末に神が人類を裁く“最後の審判”という奴ね。簡単に言えば、生者も死者も裁かれるという時がやってくるよ、ってこと」

 と少女は、中米の島の一つから、アメリカ大陸に矢印を描く。

「話を戻して、ここで熟成された新興思想、その噂は流言飛語の如く、尾鰭背鰭がついたのよ」

 曰く、人形に針を刺して呪文を駆使する

 曰く、人を操り労働させる

 曰く、人種差別解放運動の過激派が好む宗教

 少女は語り疲れてきたのか、ふぅっとため息をついた。

「皮肉なことに、薬草学を得意としたせいで“死者を生き返らせれる”という噂がたったの」

 ドラック文化という言葉があるけど、時代背景的に考えると本当に皮肉よね、と少女は言いながら、飲みかけの携帯飲料を飲んだ。

 残り半分もない容器の角度は変わっていく。

 飲みきろうとする少女の首筋は、飲み込む度にゴクゴクと音を鳴らした。

 頸部の喉頭が激しい上下運動を凝視してしまい少年は、気づかれまいと目線をそらす。

 飲み干して気持ちを切り替えれたのだろう、よし、と少女は少年を見た。

「話が進まないから、ざっくり省くね。で、その中米の新興宗教と元々のキリスト教があったアメリカで入り交じったのよ。妄想力豊かな創造者たちは、すぐさま隣国の文化を面白がった、良い意味でも悪い意味でも。そしてこの国には、そこでハリウッド的もしくはエンタメ的なフィルターがかけられたモノが輸入されているわけ」

 ここまでが、前置きね。という少女の言葉に少年は戦慄していた。

 少女に好意があるとはいえ、この話に殆ど興味がないのだ。

(寝てしまいそうだ)と、思ったのが失敗だった。この部屋まで歩いて移動したこと、先ほど急激に上がった心拍数が基に戻ろうとして、急激な体温の変化を感じている。

 眠気が生じていたが、眠気を認識してしまったことで、眠気が増してきていた。

 果たして眠気に勝てるのか、と思いながらも、ここで寝てしまっては少女への印象が非常に不味いので、少年は友人直伝の寝ない方法を開始する。方法のための材料は揃っている。

 ようやく前置きが終わり、少女が清々しく語り始めた。

「ゾンビモノの物語において、その原因はテンプレなの。型破りで定番になったのは、原因不明って奴ね」

 言いながら、黒板に白墨を走らせる少女。

 ・寄生型

 ・ウィルス型

 ・超常現象型

 etc.

 と、書き記し少年に向き直った。

「世界的な製薬会社が作り出したモノとか、地球外生命体とか、数千年前に封印されたとか、まぁ、原因要因は様々あるけど、まぁ前提なんて飾りね」

 あ、飾りなんだ、少年が呟くと少女は反応したのが嬉しいのか、さらに白墨を黒板に走らせる。

 眠気に負けたくない少年は目の前の少女の裸を想像していた。懸命に白墨を走らせる背中が、透けて肌色に見えてくる。すると、股間が居心地が悪くなったが、眠気はおさまった。

「それで、この設定が定番、というかレギュレーションよ」


 ・ゾンビは、人間を襲い、その肉を食らう。

 ・ゾンビには理性がなく、頭を潰さないと(もしくは切り離さないと)動きを止めない。

 ・襲われた人間は感染し、同様にゾンビとなる。


「そんなに面白い?」

 少女の声で、少年の思考は中断された。ニヤつく少年に気がついたようだ。

「え、あ、うん。面白くて、つい」

「そっか、そっか」

 もしも少女に尻尾が生えていたら、今はすごい勢いで振ってそうだな、と関係ないことを少年は考えながらも、結局詰まるところは“僕が考えた最強のゾンビ映画”なのではという解釈をしつつ、満足そうな少女の表情に「なるほど」と相づちを打ちながら腕を組んだ。

「ゾンビの三原則って言われてるわ」

 少年は、へーと返事をしながら(ロメロの三原則だよね、ちょっと変則してるけど)と、少女が勉強家なのだと感心する。

「さっきハリウッド的なフィルターと言ったけど、ゾンビモノって、映画としては色物的な存在だったのよね。低予算映画で本数を稼がないといけなかったから、当時の大衆……男子が喜びそうなモノをふんだんにいれたの。ゾンビモノの定番といえば、各ヒエラルキーの人間がどう殺されるか、金髪エロい女、あと特殊メイクアンド人形」

 (あ、そこなんだ。危機的状況に陥った人間関係劇っていう観点はないのね)、茶々をいれたいがぐっと少年は堪えた。自分の得意分野を嬉しそうに語る少女の笑顔は観れる時間は少年にとって、至福の時間だったのだ。

「視聴する大衆の精神年齢が低めに設定されてるのか、

各ヒエラルキーの人間が、どう殺されるかはスクールカーストの延長線上でよく表現されてるわ。社会的に地位がある人間=カテゴリーが上位:アメリカン的に言えばジョッグ。知識層の人間=ブレイン、でも大抵こういうテンプレな階層はすぐに劇から退場することになるわ。つか、いなくなるような展開がいいわ」

(うーん、スクールカーストって、既に死語な気がするけど。つか、これってB級のテンプレなのでは……)

 少年は、少女の語り口の不穏な空気を一旦、見過ごすことにする。分析の方向性は間違っているようには思えかった、いや、少年はそう信じたかったのだ。

「あと、ゾンビ走るべからず。ってクラシックな設定もあるわね。これは大いに賛成だわ。そこでそんなに焦らなくても良くないっていうツッコミをいれれるって最高よ。勿論、声には出さないけど。映画を観てる中で、驚きという感情の休憩出来るわ。何事にも緩急は必要だから。そういえば、友達の一人に“走るべからずって、廊下かよ”って言ってたもいるけど、走るのなら走れる設定が必要なのよ。それに私が定義してるのは、あくまでゾンビ映画であって亜種亜流ではないんだけどね。素人には判らないのよね、違いが」

 あぁ、過激派だ。これはゾン映ゾンビ映画過激派だと、少年は手のひらを返して確信した。

「……ソイツの腹がたつのは、筋肉って腐って液状になるから、噛みつけないだろうっていう冷める通り越して萎える考察するだったんだよね。思い出すだけで、もう一回ブン殴りたくなるわね」

 あぁ、違ったわ、原理主義者だったわ。激烈な原理主義過激派だったわ、と少女への認識を変化させる。

「暴力は駄目だと思うよ」

 少年が窘めつつも、殴られただろう男の予想をしていると、少女が少年の表情を読みとって「たぶん、頭に浮かんでるソイツよ」と苦々しく言った。

 やはり共通の友人だったようだ。お調子者というか剽軽というか、軽口が過ぎる奴で憎めない男ではある。ちなみに睡魔に打ち勝つ下ネタ煩悩妄想方法を教えてくれた友人でもある。

「男子が大好きなエロの部分ね。アイツみたいな感じで厭だけど、まぁ、女子だからってエロが嫌いな訳じゃないの。ゾンビ映画の中でエロ担当の相場は金髪エロ女。条件は、白人、金髪、巨乳以上。これはアンディ・シダリスの影響だと思っているわ」

 自信満々に言い切る少女に少年は何ともいない感情になった。

(全然違ったわ、己の偏見と映画評論を掛け合わせてくるタイプのゾンビ映画オタクだったわ)

 既に知っているような事を得意げに話されて、流石に少年の顔が強ばってきていた。

 そんな少年に気がつかず更に話に熱がこもってくる少女。興奮してきたのだろう、色白の頬が桜色に染まり、火照ってきたのか、うっすらと汗ばんでいる。

「暑くなってきちゃった」

 部屋の空調が体温の上昇を関知して、送風を部屋に送り始めた。

「ゾンビ映画を嗜む最後は、特殊メイク&人形。これは、人体欠損や残酷に殺された死体例えば生首とかね、をどう表現するか、もしくは何処まで手抜きか。その技術力をみるの。その歴史は、リック・ベイカー以前か以後と言われているわ」

「確か、特殊メイクに賞を与えるために有名な賞が項目を付け加えたって言われているよね」

 うんうん、と少女がうなずく。

「匠の仕事か、もしくは素人の仕事か。もしくは匠の完全おふざけか、素人の本気か。切断面とか血糊の汚しの仕方とか技が見れるわ。ただとんでもない撮影監督か照明マンが付いている映画とかは、ちょっと判断しかねるわ」

 低予算なのに出来がいいのは、プロデューサーが何処に金をかければ質が良くなるって配分を解ってる映画ね。と少女。

 監督の制御が巧いってのもあるんじゃないかな、と少年。

 まぁお金か、時間をかければ大体において質は良くなるから、と少女。

「二十世紀後半からのゾンビは、日光を浴びると燃えるわ。とある世界的なゲームの影響と言われているけど、そのゲームが失伝したから、どうしてそういう事になったのか解らないけど。プログラミングのフラグメントすら残ってないってどういうことなのかしらね」

 ついでに聞くところによると、少女が続ける。

「ゲーム内でゾンビが腐りきって骨だけになると、弓を使ってとんでもない射撃力で狩りにくるという都市伝説みたいな話があるのよね、そのゲーム」

 と少女が信じていないように笑う。


 つられて少年は乾いた声で嗤った。

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