地の底にありて

 結局のところ俺は呪っているのだろう、この世の中を。

 などと書いてから思うのは、“自分の子供っぽさ”と、「子供」であり続けたいと思っている“自分の感性”に驚きだ。

 ただこの世の中に嫌気がさしているのは、事実。いや、正確には人生を……、という奴をだろうか。まぁ運命でも世界でも、人生でも世の中でも何でもいいのだ、そいつの中の不条理に腹を立てているのだ。

 不平等という概念を。いや、平等という概念を。

 かと言って、「はい、さよなら世の中」と極論めいたお別れが出来ないのが辛いところである。自殺すればと思うことがあるが、それはどうにも抵抗感がある。“それ”をやり終わったと敗北感で一杯になるのは安易に想像できる。「負けたのだ、何も抵抗できずに白旗を揚げ、惨めな姿を晒しながら、負けたのだ」そんな風に思いたくはない。……まぁ、死んだ後も感じたり、思うことが出来るのかどうかはわからないが。

 この世の中が不平等で成り立っていると知っている人間は多いが、それを直視する人間は少ない。今も昔も、だ。

 人間は生まれてから、不平等がつきまとう。ちがう違うな、生まれる前からだ。遺伝子の片方づつを持つ親からだ。なんなら、そこに差別ってのもオマケでついてくる始末だ。

 俺は決して差別主義者じゃないが、この世にオンギャと生まれれば、絶対に必ず、平等とはかけ離れた世界が広がっていて、民族、宗教、言語に貧富の差それにエトセトラが、差異を生む。その差異は、差別って言う従者を引き連れて、そいつの人生にべったりとまとわりつくのだ。

 自分と「あの子」と比べられるのは、自分と「あの子」を切り離して考えるからだ。

 差異と区別は差別を生み、差別は不平等を生む。

 不平等は、嫌悪と怨嗟を生み、こんな思考を垂れ流しながら記す人間を生み出すのだ。


 だが、俺は決して差別主義者ではない。


 それ……差別と戦う人間は確かにいる。戦い方も分からずに、戦い方も試しながらという感じだ。

 是正しようとする人間は、途方もない戦いに身を投じている、といえるがそういう輩は大体にして戦える余裕がある人間だ。

 俺は決して差別主義者ではない。だが、とても俺にはそんな真似できない。見えない敵に向かって立ち向かうなんて、そんな大昔の小説の様な行為は俺には出来ない。

 おそらく気がつきながらも戦い続けている奴もいるだろうが、盲目的に戦い続けることなど不可能だ。気づかずに戦い続けている莫迦野郎もいるかもしれない。

 現実的に考えて、俺のような一般人には難しい。

 ハッピーエンドはあり得ない世界をどう生き延びるかを考え続けないとならない。ハッピーが終わった世界と言えば正しいのか、いや、コレはただの皮肉か。


 薔薇色の人生とは、一体何なのか。希望に満ちた未来とはいったい何なのだ、何の話をしているのだ。俺からしてみれば泥まみれで汚れきったこんな世界で何も見えず、幻影で見えているありふれた生き方を見様見真似でもがいてるだけに過ぎない。

 世の中は暗い。世界は暗闇だ。

 深淵があるとするなら、この世界こそ深淵の底にあるのだ。

 そう人生は暗い。ただ暗いだけじゃなく、深い。偶に幻とは言え光を見つけると、それが眩しく明るく感じてしまう位に……。これがいけない。厄介なもんなのだ。

 希望を抱いたり、暗さを忘れてしまったりするくらいの暗さだ。

 期待をしてしまう、絶望の中の希望、という行為や感情は時として同じ暗さでも、より一層深淵に入り込んでしまった感覚に陥る。そもそもどん底から一ミリも浮き上がってなどいないことにも気がつかないのだ。

 思い返せ、そもそも人生において、上手くいったことがあっただろうか?

 いやない。

 俺が生まれたとき、世界は戦争真っただ中。

 地雷が埋められていない大地はない。戦闘ドローンが飛んでいない空はない。海には海底以外は、機雷が浮かび汚染された海水が覆っている。

 今や地球の支配者は、人間などではなかった。

 利権と契約が複雑に組み合わさり、馬鹿みたいな数字の負債とその返済のための戦闘が繰り広げられ経済と生産活動はするが、実のところ造られたものはすぐさま壊されていく。代わりに弩級の速度で建造が進むのだが。

 簡単に説明すれば、地上はロボットたちがドンパチしているので、人類は地下に壕を作って中に籠り、一部は宇宙に逃げ出した。

 

 太陽を見たことがない世代サンハズネヴァー、と呼ばれる俺たちの世代はこの地下施設から外に出たことはない。

 戦争中なのだ。十八になれば徴兵される。もちろん、生身のまま前線には送られない。何せ地上には出れないのだ。しかし実態はシフト制で一日九時間拘束され、規律の中で生活しなければならない。

 今や前線は何処を指すのかも判断できないし、誰と誰が戦っているか分からない、もはや国があるのかどうかすら分からないのに軍隊とは甚だ可笑しいのだが、これがここの現実ならば受けれなければならない。そうでなくては生きてはいけないのだ。国境はない、民族という概念も崩壊してる、そんな現状だが。

 ただただ毎日毎日、擬体と呼ばれる170㌢の人型のロボットを操って、戦場に赴く。一日の始まりと共に銃声を鳴らし、一日の終わりに銃声を聞くのだ。

 一昔前のfpsの様な、そして緊張感のないゲーム。誰も死なない戦場だ。

 人間の意識が乗った擬体兵を操り、敵を屠って擬体を人間が操る擬体によって修復させる。

 義務として徴兵され、擬体を使い、壊れれば修理代を請求され、修理代を払うためにまた擬体に乗る日々。


 そんな繰り返しているうちに、やがて退役の年齢になり、国が推奨する異性を紹介され、子供を成して死んでいくのだ。


 長々と書き垂れ流したが、人生とは、どうにもならないということ……、だ。

 それは言葉は違えど、同意義なのだ。

 何故なのだと、問うてる子供と。

 何故、勉強しなければならないのか?

 何故、戦争をするのか?

 何故、生きるのか?

 何故、死ぬのか?


 グダグダと言い張っては、俺を教育した大人たちと一緒だろうから、ここで具体例を挙げたいと思う。

 人生の中でどうにもならない代表は、数あれど。個人的に代表的でかつ共感されやすいものをあげよう。いや、これは男性だけだろうか。


 立小便の際の、放水の方向だろう。


 問いたい、あの放尿をした瞬間に狙い定めた方向とは違う方向に発射されるのか?


 何故いつも出口(=放水口)をわざわざ片手、もしくは両手で決め定めているのにも関わらず、出る体液は予期せぬ方向に飛んでいくのだろうか。軍配備時に支給される初心者突撃銃の方が真っ直ぐ飛ぶ。

 出す本人の意思と反して、とんでもない方向に発射、放出が始まる。なんなら、二又に分かれて発射だ。

 麦酒の飲み過ぎ時、寝起きや、女性と致した後、独りで致した後などが、特にひどい。もう別の誰か、もしくは見えない強大な存在がその方向性を決めているのではないだろうか、と思ってしまうほどに予想外な方向に飛んでいく。なんなのだ宇宙的偉大なる意志でも働いているのか?

 欠陥だらけの貯水ダムでも真っ直ぐ飛ぶぞ。あの方向が乱数発生器サイコロで決定しているなら、某有名TRPGはセッション開始直後にファンブルの嵐でSAN値がみるみるうちに溶けてなくなっていくだろう。あと、もう一度言うが放水口は一つなのに放水が二つに分かれるってどういうことだ?

 庭の水やり、車庫掃除じゃないんだぞ、ただトイレに入ってくれればいいんだ。

 ズボンの調整をして足を軽くひらき、ブツを手で支えて発射口を固定してトイレの穴の中心に狙いを定める。尻とブツの間の筋肉に軽く力を入れると発射が始まるが、その放物線は神のぞ知る。

 大抵見事にトイレを回避して、床にぶちまけるのは本当に勘弁しろ。

 加えて最悪なシチュエーションは、出先でトイレ借りた時に訳の分からない方向に放水が始まった時だろう。狙っていた処・方向に出ないならまだしも、嫌がらせのように方向が捻じ曲がる。これは酷い、もう外道の所行だ。GM・KPもいないから抗議も意味がない、そもそも事が成ってから気が付くのでどうしょうもないが。

 床が汚れる、壁に飛び散る、自分の足にかかる、色々な事がおこる。新品の革靴の時ほどかかる、これは間違いない。

 糞ったれな人生で、自分の粗相も操れないのだ。

 理不尽の極みみたいな優れた具体例だと自負している。


 あぁ、脅しておいてなんだが、解決方法はある。

 解決方法は、風呂またはシャワーに入る浴びるしてから致すと、なぜか素直に出てくる。

 あとは座って小便しろ。

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