第13話 迫る影

 雪が降る季節になった。いじめっ子たちはドム・シェロトの孤児たちに、雪玉をぶつけてくるようになった。

 モニカはおっかなかったけれど、ある日、年上の子を退けて前に出た。


 雪解け水の 春の川

 堤に花が 咲き誇る

 妖精たちが 舞い踊り

 暖かな陽が 煌めいた


 ドム・シェロトの仲間たちはぴょんぴょこ踊った。いじめっ子たちは、手にした雪がどんどん解けるのを感じた。道に積もった雪も溶け出して、辺り一面が清流になった。

 いじめっ子たちは水の冷たさに「ヒャッ」と言って飛び上がった。はたから見ると、彼らもまた踊っているかのようだった。それもチャップリンの映画のように、実に滑稽な踊りを踊っているように見えた。子どもたちはけらけら笑った。

 モニカも朗らかに笑いながら歌う。


 澄んだ流れの 碧い川

 豊かに街を 賑わせる

 人魚の群れが 舞い泳ぎ

 恋の調べが 木霊した


 そんな感じで、おもしろおかしい瞬間もある日々だった。子どもたちは逞しくも無邪気に暮らしていた。

 だが、現実の影はだんだんと濃くなっていく。

 翌年の三月、ドイツのヒトラー政権は、ロカルノ条約を破棄してラインラントへ進駐した。

「……って、どういうこと?」

 モニカはサラの読んでいる新聞を覗き込んで尋ねた。

「それはねー」

 サラは新聞から目を離さずに答える。

「去年ドイツが再軍備……つまり軍隊をまた作ったでしょう。そいつらが本格的に動き出したのよ。それで、『ここには軍隊を来させちゃだめよ』って決められていた地域に、堂々と踏み込んだってこと。約束を破ってね」

「その地域が、ラインラント? どこ?」

「ドイツとフランスの間ね。ライン川の流域」

「なあんだ、こっち側じゃないんだね。すぐそこまで来てるわけじゃないんだ」

「甘いわよ、モニカ」

 サラはびしりと言った。

「ポーランドの苦難の歴史を忘れたの? 分割されて分割されて分割されまくった歴史を! 今度いつまたドイツに占領されるかだって、分かんないんだからね!」

「それは……嫌だな」

 モニカは呟いた。もし軍隊が攻め込んできたらとっても怖い思いをするだろうし、モニカのお爺さんがせっかく守ったワルシャワがまた市民の手から離れてしまう。

 また、同年の夏には、ベルリンでオリンピックが開催された。ヒトラーはここで、「アーリア人種の優れたところ」を見せつけるつもりだったのだと、サラは言う。

「アーリア人種……?」

「要するにドイツ人とかのことを言いたいのだと思うわ。それに比べて、ポーランドとかロシアとかのスラヴ人種は格下。ユダヤ人種はもっと下ってね」

「え?」モニカは目を丸くした。「ユダヤ人は人種じゃないでしょ? 宗教だもの」

 サラは嘆息した。

「そうなんだけど、このチョビヒゲクソボケモウロクジジイの中では、劣等人種だってことになってんの。どういう脳みそしてたらそういう発想になるのかしら!」

「それとオリンピックと、何の関係があるんだよ?」

 運動が大好きなシモンがひょこっと顔を出した。あの集団催眠事件以来、シモンは妙にモニカに懐いていた。

「だから、『アーリア人種』が勝てば奴らが人種的に優れているという証明になる、とでも思ったんじゃないの?」

「でも何か、こないだの陸上とかでは、黒人の選手が勝ってたろ? ドイツが何位かは忘れたけど」

「そうね、ヒトラーの狙いは外れたわ。人間の中に優れた人種と劣った人種がいるなんて話は、大嘘だったってこと」

「ハッハー! ざまあみろ」

 シモンはひっくり返って、大袈裟に言って見せた。

「でもヒトラーは考えを変えていないみたい」

 モニカは不思議に思って言った。

「あれは自分が偉い人間なんだと思いたいだけよ」

 サラは心底軽蔑したような口調だった。

「そのためならどんな真実でも捻じ曲げちゃうんだわ。こういう人はどんどん他の人を貶めて、いじめるわよ」

「そうしたらヒトラーはいつかは独りぼっちになっちゃうね。だって、どんどんいじめたら、他のみんなが怒って、追放しちゃうでしょ? ドム・シェロトの裁判で第千条の『孤児院を追放する』が適用されちゃうみたいに」

「あのね、世界はここみたいじゃなくて、もっと殺伐としてるのよ」

 サラは呆れ顔だった。

「ここで育ったあなたには実感が無いかも知れないけど、人ってのは基本的に、強くて影響力のある人の方に集まっていくのよ。その方が自分が安全でいられるからね」

「そりゃそうだな! 俺、喧嘩は強かったから、貧民街の中じゃ顔が利いてたんだ。ここじゃそうならなかったから、びびったぜ」

「へえー」

 モニカは二人に尊敬の眼差しを向けた。

「サラもシモンも色んなことを知っていて凄いなあ」

「いや、あなただって、ちょっと……いえ、かなり天然なだけで、かなり凄いからね」

「そう?」

「そうよ。人間にはみんな、良いところと悪いところがあるの」

「確かに」

 モニカは隣を見た。

「シモンはたまに乱暴だけど、本当はいい子だもんね」

「何で俺を引き合いに出すんだよ!」

 シモンがムキになったので、サラは笑い出した。

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孤児院の人魚は歌う 白里りこ @Tomaten

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